第三十三話 孤独な少女、前進する


 ――アデル視点――


 あぁ、夢可さんに恋をしたと自覚した途端、彼女を見る目が変わってしまった。

 何て美しいのだろうか!

 全ての女性の頂点に君臨しているかのようだ。


 一つ一つの仕草が気になる。

 ため息を付いたら、私の話がつまらなかったのだろうかとか、笑顔を見せてくれたら喜んでくれたんだなと、自分の中で感情がグルグル動くのだ。

 私の眼は、そんな彼女の挙動全てを捉えている。


 私の前でずっと「あぁ、由加理ちゃんマジカワユス」とか言っていたアタルさんの気持ち、少し理解してしまった。

 彼女の顔から目が離せない。

 ずっと釘付けだ!

 辛うじて平静を装えているが、いつそれが決壊するかわかったものではない。


 何と、何と制御が難しいのだ、恋というものは!

 そんな葛藤をしていると、夢可さんに話しかけられた。


「なぁ、アデルには夢ってあるのか?」


「はっ、え? 夢……ですか?」


「そう。私はさ、特に夢なんてないけどちょっと気になってさ」


 ふむ、夢とな?

 まぁ私は魔族の王ではあるのだが、その立場としてなら目標がある。

 それを言えばいいか?


「……そうですね、我がく……失礼、我が社をさらに発展するために、歩みを止めずに前進する事でしょうか」


「は? まだ発展させるのか? だって大企業だろう? なら、安定させた方がいいんじゃない?」


 夢可さんが言う事は間違いではない。

 安定を図るのは、国営の手段としての一つである。

 だが、はっきり言って不正解に近い手段だ。


「安定化っていうのは、よくも悪くも停滞するんですよ。組織自体がね」


「停滞?」


「そうです。安定というのは一時的なものだったらいいのですが、そのままずっととなると悪手なのです」


「えっ、何でさ」


「発展させるとは、つまり何事にも会社自体がチャレンジする事です。それが成功したら組織は大きくなって発展していく。それに比べて安定化は停滞しているので何も変わらない。時代の波に置いていかれるのです。そうすると……」


「ん~、古臭い会社になって、倒産?」


「まぁ、そういう事です。会社や組織も生き物です。停滞してしまったものは取り残され、不要と判断される。そうなると消滅しかないのですよ。だから私は常に進み続けたいと思っています」


「なるほどねぇ。飽くなきチャレンジ精神って奴か」


「そこまで高尚なものではないですけどね」


 すると、夢可さんの真剣な表情に、少し陰りが見える。

 何かまだ思い詰めているのだろうか。

 そんな表情を見る私も、胸が苦しくなる。


「もし私みたいに夢がない人間はさ、どうやって前進すればいい?」


 なかなか哲学的な事を聞いてきたのだった。










 ――夢可視点――


 アデルはすごい。

 自分のやるべき事がしっかり見えている。

 私は、こんなすごい奴に惚れてしまったのか。


 ちなみに私に夢はない。

 『夢を可能にする』という大層な名前を貰ったのに、可能にする夢すらないんだ。

 今私は、アデルが言っていた『停滞している』状態なんだ。


 こんな事聞いても、あいつが困るだけに決まっている。

 でも、理性とは別に本能的に、口が開いて聞いてしまったんだ。


「もし私みたいに夢がない人間はさ、どうやって前進すればいい?」


 言った瞬間、柔らかい笑みを浮かべていたアデルが、真剣な表情になる。

 少し、間が空いている。

 きっと、私に何か言う為に言葉を選んでいるんだろうな。

 ごめんね、アデル。


「それは、私にはきっと正解を答えられない質問ですね」


 え?

 かなり予想外な答えだった。

 こんな頭が良さそうな奴でも答えられないのか?


「何故答えられないのか? それは『夢』というものは他人が言うものではなく、自身で心からやりたい事が夢だと私は思っているからです」


 そこは理解しているから、私は頷いた。

 アデルはそのまま続ける。


「では夢がない人間はどうするべきか? それは生きるしかないのだと思います」


「……曖昧な答えだね」


「そうとしか答えられません。人間は生きています。生きている限り、きっと何かが見えます」


 何かが見える?


「……生きて足掻いて生きて、そして前進するきっかけを見つける。もししっかり答えてほしいと言うなら、もうそれしか私は言えません」


 そっか。

 生きていれば必ず何かしらの事柄に出くわす、よくも悪くも。

 その事柄に直接触れ、自分で何か前進する原動力を見つけるしかないんだ。

 で、選択肢の一つとして、それが夢なんだろうな。


「じゃあさ、それが辛いと思ったら、どうすればいい?」


「もう死ぬしかないでしょうね」


 即答だった。

 しかも、何の躊躇いもなく。

 でも、次のアデルの一言が、私の心を貫いた。


「でももしそれが貴女なら、私は全力で止めますし愚痴があったら聞きます。全力で死ぬ事を止めます」


 何て、何て嬉しい事を言ってくれるの?

 すごく真剣な表情で言ってくれる。

 嬉しくて、心臓の鼓動が一気に跳ね上がる。


 もうダメだ、こいつが好きなんだってわかったら、こいつの言葉一つ一つが殺傷能力ありすぎる!

 私を心肺停止させるつもりなんだろうか!

 嬉しくて死にそうだよ、マジで!!


「そ、その時は……その……よろしく」


 何とか、何とか絞り出せた一言でした。







 色々話している内に、外はすっかり暗くなっていた。

 時間としては夕方六時半。

 アデルは用事があるらしく、そろそろ帰らないといけないそうだ。

 正直まだ一緒にいたかったけど、用事があるなら仕方ない。

 

 しっかし驚いた!

 こいつ、社長の癖して、スマホとかケータイ持ってない!

 せっかく意を決してID交換しようとしたのに、持っていなかった。番号すら交換出来ない。

 仕方ないから、もしスマホを契約したら連絡するようにと、電話番号とメアドをメモした紙を渡した。


 さて、今私達は店を出てちょっとした裏路地を歩いている。

 ここを歩いた方が、人混みに揉まれる事なく渋谷駅に到着できるんだ。


 私達が喫茶店でしていた談笑の続きをしながら歩いていると、裏路地の出口辺りにスーツを着た三人の男が立っていた。

 気になったのでよく見てみると、私の顔見知りだった。


「やぁ夢可さん。お待ちしてましたよ?」


 こいつ、母さんの親戚(自称)だ。

 この胡散臭いおっさんが、私をいやらしい目で見ながら養子に迎えると言い出した男だった。

 名前は知らない。覚える気すらない。

 後ろの二人は多分ボディガードかな?


「さあ夢可さん、僕の屋敷へ行こうではないですか」


 何ですでにこいつの屋敷に行く事が確定しているんだ?

 本当、生理的に受け付けない奴だ。


「それはもうお断りしているはずだけど?」


「何を言っているんです? 未成年であるあなたに拒否権はありません」


「はっ! 未成年だろうが何だろうが、知ったこっちゃないね!」


「……相変わらず口が汚いですね。まぁそれは後程ゆっくり矯正すればいいでしょう」


「……そういうあんたも、相変わらず人の話を聞かないね」


 なんかこいつと話しているとイライラする!

 何度も嫌だと言っているのに、本当にしつこい!!


「夢可さん、話を聞くにあれが例の親戚ですか?」


 アデルがぼそっと聞いてきた。

 私は頷いて答えを返した。


「……なるほど」


 アデルは何か納得したようだ。


「あっ、そうそう夢可さん。あのボロアパートなんですけど、大家さんと話を付けて引き払っておきましたよ」


「……は?」


 親戚の男、今何て言った?

 引き払ったって?

 

「何で、何でそんな事をしたのさ!!」


「だって僕の屋敷に来るんです。あんな所、必要ないでしょ? でも安心してください、家具は全て僕が回収しました」


「こんな事をしてまで、何で私を養子にしたいんだよぉ!!」


 あぁ、理由なんてわかってる。

 どうせお金だろう?


「まぁ察しているかと思いますが、うちのジジイの金目当てですね。養子にしてしまったらあなたの物は全て僕の物にする予定なので」


 何なんだよ。

 何で、私を放っておいてくれないの?

 私は母さんと静かに暮らしたかった。

 殺されたけどあの部屋は、母さんとの思い出が詰まっているから、離れるつもりはなかった。

 何で皆、私に酷い事をするんだよ。


「実はあなたのお母さん、もう僕達家族から離縁されているので、書類上赤の他人なんです。でもジジイはその赤の他人なんかに金を譲りやがったんですよねぇ。奪い取るのもよかったんですが、足が付く方法はやりたくありません。なら、仕方なくあなたを養子にして家族関係を作ってしまおうという訳です」


 そんなのどうでもいい。

 もう、放っておいてよ。


「でもぉ、あなたなかなか良い体してますよねぇ。僕の妻にするのも有りかもしれないですねぇ」


 舐め回すような視線を感じる。

 もう、いいや。どうなっても。

 好きにしてくれ。

 

 すると、右手に暖かい感触を感じた。


「……負けないで。ここは貴女が乗り切らないといけない場面です」


 アデルが、私の手を握ってくれている。


「ここが、貴女が本当の意味で、前進する為のターニングポイントです。もし前進するきっかけが欲しいなら、頑張ってここを乗り切ってください」


「……アデル」


「もし、どうしようもない所まで来たら、私が助けます」


 アデルの手が暖かい。

 あぁ、さっきまで堕ちていた気持ちが蘇ってくる。

 私の心が、戦えって言っている。

 そうだよ、誰があいつの妻になんてなるか!

 妻になるなら、アデルとなりたい!!


 こんなカスみたいな男に、私は何を怯えているんだ!!


「……アパートを引き払うなり、あんたが回収した家具は煮るなり焼くなり好きにしていいよ」


「な?」


「だけどな! 私はその程度じゃあんた如きには屈しない! それにな、あんたみたいな腐った根性を持った男が親になるのも、旦那になるのも真っ平御免だね!」


 私はいつの間にかアデルの手を、強く握り返していた。

 でも、この手のおかげで、勇気がどんどん沸いてくる。

 もう、私は止まらない!


「い、今あなたは住む家はないのですよ? どうするのですか!?」


「はっ! 生憎私には相当なお金があるからね。次の家を決めるまでホテルとかで泊まればいいだけの話さ!」


「このっ! その金は元はと言えばうちのジジイの金だ!」


「知らないね! このお金は母さんから相続されたものだ。その前が誰の持ち主だろうと私には関係ない!」


「っ!」


 気持ち悪い親戚の男は、悔しそうに顔を歪ませている。

 ただでさえ気持ち悪いのに、さらに気持ち悪い顔になっている。

 ざまぁないね!


「私は、私の為に生きる! あんたみたいな男に、私の人生は決めさせない! とっとと失せろぉ!!」


「こ、小娘がぁ。こっちが下手に出てりゃ図に乗りやがって!!」


 私は、私の為に生きる。

 母さんの死は確かに悲しい。

 でも、きっと悲しんでちゃ停滞しちゃう。

 そんなのは死んでいるのと同じだ。

 

 私は、生きたい。

 私は、誰にも左右されずに自分で決めた道を進んで生きたい!

 もう私は、迷わない!


 私は相当お冠な親戚の男を、睨み付けた。







 ――アデル視点――


 私は、人間の最大の魅力は、その決意した瞬間だと考えている。

 どんなに足掻こうと前進するその姿は、胸を打つ。

 だが、夢可さんのその姿は、他の誰よりも美しかった。

 私は見惚れてしまっている。

 もう、ただ釘付けになっていた。


 その決意が籠った強い眼、迷いを払拭したかのように背筋が伸びた体躯。

 もう、最初出会った頃の彼女とは、まるで別人だ。

 これが本来の、田中 夢可なのだろう。

 あぁ、素敵だ。


「なら、もう力付くだ! お前ら、あの小娘を捕まえてこい!」


 親戚の男を護衛している、黒いスーツの男二名が、懐から黒い鉄の棒を出してこちらに向かっている。

 流石の夢可さんも、凶器を見て怯んでしまっている。

 いや、もう彼女は十分戦った。

 精神的に恐らく、何かを乗り越えたに違いない。


 力付くなら、ここからは私の出番だな。


「お疲れさまでした、夢可さん。すごく素敵でしたよ」


「す、素敵!? ちょっ、アデル!?」


 一瞬で顔が赤くなる夢可さん。

 ふふ、可愛い。


「ではここからは私の出番ですね。なので、私から前に絶対に出ないでください」


「だ、大丈夫? あいつら、武器持ってるよ!」


「ご心配に及びません。ちょっと遊んできますね?」


「あっ、遊ぶって!?」


 私は彼女より前に出て、スーツの男二名の行く手を遮った。


「どけ、優男」


「どくつもりは一切ない。逆に貴様等が邪魔だ。私の為に道を開けろ」


「……どうやら痛い目に合いたいらしいな?」


「そのままそっくりお返ししよう」


 私は、魔力を体外に放出して威嚇する。

 案の定男達は、怯んだ。


「よくも夢可さんに対して好き勝手言ってくれたな?」


 そう、私は耐えていた。

 あの親戚の男、あろうことか夢可さんの全身を舐めるように見ていた。

 下心満載なだらしない表情だ。

 まるで、由加理さんの胸が腕に当たっている時のアタルさんのような顔だ。

 物凄く、腹が立った。

 さらにトドメと言わんばかりに、自分の妻にするとほざいたのだ。


 ちょっと私の怒りは、爆発寸前だ。

 私は殺気も放ち、スーツの男達だけでなく親戚の男も威嚇する。


「貴様等、万死に値する。……楽にくたばれると思うなよ?」


 魔術は使わないけど、少し地獄を見てもらおう。

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