「せんせい……」


 サーシャがぱちぱちとまばたきをしながら、俺の顔を見つめる。


「しかしどうして……実力をつけることが大事なのだろうか?」

「……ん? そりゃ、試験で点をとらないといけないんだろ」

「だが点をとって、どうするのだ?」

「……今から試験で点数とらないと、将来いい仕事につけないからだろ」

「いい仕事に就くことが、大事なことなのか?」


 また質問される。


「えーと……」


 まるで『旧』人類の学生みたいな質問をされる。


「それを考えることはいいことだと思うが、学校でやってもらいた。俺に聞かれても困るんだよ。ここはあくまで点数を上げるための特別教室で」

「学校じゃ教えてくれないのだ」


 サーシャの瞳は真剣だった。


「じゃあ……考えておくよ」


 まったく適当なことを言うしかなかった。


「あのさセンセー。あたしも言っておきたいことがあるんだ」

「……なんだ、リン?」


 この流れに乗ろうとするところに、多少の不安を覚えつつ聞く。


「あたしさ、好きなことで生きていきたいんだよね」

「おお……そいつはいいな」


 七百年前にも同じことを言う奴はたくさんいた。


「向いてるからお前はこの仕事をやれっていうの、ムカつくよねー」

「ムカついてもなんでも、仕事ってそういうものだから……」


 この世界では、種族によって優先的に職業が決定される。種族ごとの能力差異があまりに大きいから、それが合理的なのだ。


「なに、センセーも他の大人と同じこと言うワケ?」

「……」


 少々イラッとしかけたが仕切り直そう。


「と、とにかくみんなで頑張っていこう、なあエミィ。ちゃんとみんなが力をつけて成績を上げられるように」


 俺は場の空気を変えるため、素直そうなエミィに話を振る。


「はい、もちろんです」


 よし、期待通り聞き分けがよい。


「ですがわたくしは、自分よりも一族のみんながちゃんと仕事をもらえることが大切だと思っています」

「他人の心配する前に自分の心配しようか」


 俺のつっこみに対して、エミィはにこにことなにもわかっていなそうに首を傾げた。

 おいおい……なんだこいつら。

 なんだか全員まっすぐ点をとることに努力してくれそうにない……。

 資質面でも問題ありと判定されている彼女たちは、落ちこぼれの中の落ちこぼれとしてここにいる。

 資料を読んだ上で、覚悟はしていた。しかし……想像以上に扱いづらそうだ。


「みんなに考えがあるのはわかった。よーくわかった」


 俺はうなずいて言う。


「でも、だ。その考えのとおり行動するのも、まずは、試験で点をとってからだ」


 すぐにサーシャが口を開いた。


「試験でよい点をとる。……その先になにがあるのだろうか?」

「だからそういうのは点とってから言えって!」

「あーあ、やっぱセンセーも結局フツーの教師と変わんないじゃん。期待して損した」

「お前たちがやる気を出さないと俺も期待に応えられねえよ!」

「せんせ、わたくしはやる気はあります。でもまずわたくしよりも先に他の方を」

「だーかーら、お前らが頑張らないとなにも始まらないんだって!」

「頑張りたくなくはないぞ?」

「あたしはあたしのやりたいことを頑張るんだって」

「わたくしはいつでも頑張ります」


 あ、こいつらは単なる問題児ではなくクセがすごいタイプなんだな。

 なるほど、なるほど。……この先大丈夫だろうか?


  +++



 夕暮れの酒場では、すでに多くのグループが酒盛りを始めていた。


「じゃ、や~っとニートを脱して働き出したユージ君の前途を祝して、かんぱーい!」

「働く意志はあったからニートじゃねえだろ」


 その酒場の隅のテーブル席で、俺は同じ都市で働くもう一人のニンゲンの女子とジョッキを合わせる。


「ぷはーっ! 仕事終わりのエールはうまい! ってやっとアンタもわかったわね」

「そーだな」


 名前はメイコといった。

 生きていた時代も俺と同じだ。


「で、どうだったの?」


 俺はとりあえず今日一日の出来事をかいつまんで話した。


「――ってことで難易度が高いのか低いのかよくわからんかった」

「わはは! 試験でちゃんと点をとれとか、アンタがどの面下げて言ってんのよ? そもそもアタシたち共和国で試験受けたことないじゃん」

「それでもあいつらに点をとらせるしかないんだよ! ……仕事だから!」

「お仕事頑張ってね~、せーんせ。わはは!」


 酒の回りが早いのか、メイコはゲラゲラと笑っている。


「でもいいじゃん教師は子供と絡めて楽しそうでさぁ~」

「だったら代わるか?」

「あー、それは遠慮しとく。アタシが教師になると美人すぎてみんな集中できなくなっちゃうから、わはは」


 自分で言うのはどうかと思うが、発言自体に「嘘つけ」とは言えない。

 まず身長が高く、顔は小さい。足も長くスレンダーなモデル体型だ。長いまつげにぱっちりとした目、通った鼻筋も含め非常にはっきりとした顔立ちをしている。赤みがかった茶髪はポニーテールで、印象がより引き締まってみえる。

 加えてさっぱりとした性格でよく笑うものだから、周囲の受けもいいんだろう。

 ニンゲンの中では間違いなく美人だったが、今の人類の基準に照らし合わせても十分美人で通用していた。


「でも生徒は全員女子だぞ」

「じゃあ尚更、無理だ。アタシはイラッときたら手が出ちゃうタイプだからさ~」


 メイコはバシバシと俺の肩を叩いてきた。


「あ、店員さーん! じゃがいもを丸めて揚げたやつ追加で~」

「あいよ!」

「でもホントこの国の食事が口に合ってよかったわよね。爬虫類丸焼きとかグロい食材もあるけど」

「多人種だからそこらへんは仕方ねーだろ」


 メイコはジョッキを傾け、ぐびぐびと喉が鳴る。


「ぷっはー! おかわり!」

「……お前はすっかり馴染んでるよなぁ」


 もうちょっと毎日に新鮮みや危機感はないのか。


「もう働き始めて三カ月経つから。てゆーか逆にあんたが三カ月猶予があったことにアタシはまだ納得いってないから」

「学校は始まるタイミングがあるんだ、しかたないだろ。研修はしてたぞ」


 共和国にて暮らすことになったニンゲンの子供七人は、最終的に五都市に散らばることになり、たまたま俺とメイコは同じ都市になった。

 借りている住宅も近いから、こうしてよく夕食を共にしている。


「そっちは忙しいのか?」

「いや、毎日雑務雑務雑務っていうか雑務しかない職場だから」


 メイコは共和国の役所にあたる協会の、司法部門で事務員として働いていた。

 裁判やらなんやらの補助役として資料に埋もれる毎日らしい。

 ぱくりとメイコはチーズを口に運ぶ。


「メイコのことだから、どうせそれなりにうまくやってるんだろうけど」

「今は言われたことやってりゃいいから、処理能力があればなんとかなるけど」

「なんとかやれてるなら十分だろ」

「でもこれからだろうね。新しいことやれとか言われたら詰むかも」


 ともかくも、とメイコは話を戻す。


「アンタが初日から『仕事やめる!』って言い出さないでよかった」

「どんだけ甲斐性のない奴だと思ってたんだ」

「最近の若者には多いって聞くし、アンタ草食系な感じするし?」

「その最近の若者はもう七百年前に滅んだよ!」

「あー、そうだった! 失敬失敬!」


 ケラケラとメイコは明るく笑い続ける。

 これが蘇って一年経過し、俺たちがたどり着いた境地でもあった。

 ニンゲンが滅んだなんて、もう笑うしかないのだ。


「いや~、でも真面目に心配してたんだよ? 別にアンタがダメってワケじゃないんだけど、教師に向いてんの? って気がしてさ」

「まあ見てろよ。俺が真価を発揮するのはここからだからな」

「いやだってこの共和国のシステムに素人のアンタになにができるのよ?」

「だからこそ、だ。今の人類とまったく違った価値観を持つ俺なら、新しいイノベーションを起こせる可能性があるんだ。ほら、温故知新ってやつだ」

「でもニンゲンの中でも飛び抜けて優秀とは言えないアンタがねぇ……」

「うるせえな、俺だって自分から希望したわけじゃねえぞ」

「ゴメンゴメン、拗ねちゃった?」

「拗ねてねーよ。ただ……」


 俺は左手首の黒い腕時計もどきの表面のボタンを押す。


「ちょっとこんなところで……」

「シド。もう一度聞きたい。俺はどんな仕事に就くべきだ?」


 尋ね、数秒待つ。


『ユージ。あなたは教師として働くべきです』


 顔を近づけないと聞き取りにくい小さな機械音が返ってきた。

 腕時計もどきは、AIシドとの通信機になった。


「アンタ完全に酔ってるね……」

『それがあなたにとって最適だからです』

「その最適を追いかけていれば、俺は幸せになれるんだよな?」

『尊厳を持って幸せに生きることができるはずです』

「コイツすぐそう言うよね」


 それがシドの最上位の目的として、元より設定されている。いつもの言葉に満足して、俺はシドとの通信を切る。

 ――シドはこの世界で頼れる唯一の存在と言っていい。世界の状況について、そして振る舞い方についてシドはアドバイスをくれた。大半の機能は失われていたとはいえ、シドが稼働していたことは僥倖だった。

 しかしシドのシステムにも限界がきていて、もう長くは保たないらしいが。


「まあ、どっちにしろってほど絶望していないならよかったね」

「そうだな」

 俺は左手首に巻きつく通信機の、今度は側面のボタンに触れる。

 このボタンは安全装置を外し、さらに黒いボタンと同時押ししなければ、作動しない。


「ねえ、、作動させる時は言ってよ。ニンゲンなんて脆弱な存在であるアタシはまず間違いなく死んじゃうんだから」

「心配すんなよ。絶望なんてしてないから」

「そうだよね。そんな感情もうとっくに通りすぎてるよね」


 ニンゲンが滅んでいるという現実を受け入れた時点で、俺たちの感情はどこか機能不全を起こしているのかもしれない。

 熱に浮かされたように、俺は言う。


「今はただ異世界で第二の人生を歩んでますってか」


 俺の生きる世界は変わった。


「まあ、そんな世界を俺たちニンゲンが変えてやるんだけどな!」


 色んな技術や知恵が断絶した七百年後の世界に降り立った俺は、図らずも特別な存在になった。

 特別な存在としてなにができるか、それをこれから探していくのだ。

 メイコは声を出さずに口元だけをゆるめた。


「本当にできると思ってる?」


 柔らかで、言い聞かせるような口調だ。


「魔法も特殊な能力も使えないアタシたちが?」


 やさしく、そしてどこか寂しい。


「……やってみなくちゃわからないこともある!」

「まーそりゃそうだ! お互いに頑張っていきましょうよ、って感じだよね」


 ぽん、と膝を打ってメイコは微笑んだ。どこか満足げにも見えた。


「ところで、働き始めのお祝いに今日おごってくれる?」

「おう……って普通逆だろ! おごれよ!」



 ニンゲンは、とても脆弱な存在である。

 それは七百年前も同じだった。知能を除けば、大概はなにか他の生物に負けていた。

 現在の人類の中において、多様な特性を持つ他の種族よりニンゲンが優れているところなどないのだ。

 かつてとてつもない技術を持っていたことで、なんとなく共和国の者たちに思われているが、俺たち自身がすごいわけじゃない。

 昔は科学技術もあった。医学、経済学、社会学、政治学、進んでいる分野は数多く存在した。

 でもそれを俺たち自身はなにも使いこなせない。

 ただの高校生だった俺たちに、いきなりこの世界をどうにかできる力なんてなかった。

 コールドスリープという技術で化石みたいな七人が蘇ったが、結局はそれだけである。

 そして現実的に言って、この人数でもう一度種の繁栄を目指すことは不可能だ。

 ここまで数が減ってしまって、種の持続はもうできない。

 そう、つまりニンゲンはすでに終わった存在なのだ。

 



 ニンゲンは、いつだってこの世界を滅ぼし、終わらせられる。



 だからこうも言うことができる。

 この世界がたどる道は二つに一つだ。


 ニンゲンが尊厳を持って幸せに生きられる世界になるか。

 それとも――滅びるかだ。



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