一日目 2

 美術展の開催に向けて、森本栞もりもとしおりは朝から忙しくあちこちを飛び回っていた。画家として非凡な才能を持つ彼女は、その力強くも暖かいタッチで、若いながらも徐々にファンを増やしている。

 彼女はあまり顔を出したがらない。個展で姿を見せることはあっても、雑誌などのメディアの露出を極端に嫌がる。なぜなら、誰もが認める美人だからである。モデルもうらやましがるようなスタイルと整った顔立ち、年齢以上に落ち着きを感じさせるクールなたたずまい、芸術家として闊歩かっぽし続ける天才――それが森本栞というパーフェクトレディだった。

 顔で売れていると思われたくない、というのが彼女の言い分だった。今の時代、顔がよければ実力は二の次、という風潮ふうちょうも少なからずあり、もちろんそれが悪いとは思わないが、栞は自分の絵で評価されたいのである。少し頑固なところもあるが、性格の面においても彼女は”美人”というのが正しかった。

 そんな女性に彼氏がいないわけはないが、その当の彼氏については、人にはよく別れた方がいいと言われる。栞が好きで付き合っているので、もちろんそのアドバイスに関しては丁寧に断るけれど。

 しかし、栞も本気で彼のことが好きなのかと聞かれると、まだよくわからない。

 いい部分ももちろんあるのだけど、欠点はそれ以上に出てくる。年下だから余計気にかけてしまうのかもしれないが、それにしても不思議だった。どこが好きなのかと言われれば、優しいところだの、明るいところだの、ありきたりなものしか浮かばない。そこまでして付き合う必要があるかと聞かれたらけしてYESではないだろうに、別れる気は今のところ起きない。昔の栞だったらけして付き合わないようなタイプの彼は、一言でいうとお金持ちのお坊ちゃんといった所だろう。栞自体はそこまでお金に興味は無いが、周りには金銭目当てだと思われているかもしれない。ただ、彼は末っ子で、本人もいずれ家を出たいと言っていた。金銭目当てだったらこの時点で断りをいれている。性格もルックスもとりあえず不満はない。後は大学にさえ真面目に行ってくれれば言うことはないのだけど。彼は少しばかり精神年齢が低い。彼氏というよりは、弟に対する感覚に近いのかも。いずれ自分をあっと言わせるような格好いい男になることを願うばかりだ。




 美術展を開くこと、しばらく会えないことを告げると、当の彼は拗ねたような声を出した。栞は目を細める。

『マジッスか~、栞さん。いつまで?!』

 彼の感情表現はわかりやすい。明るいときは明るいし、暗いときは暗い。本人は大人らしくしてるときもある、と反論していたが、栞の中の彼は子供っぽいくらいがちょうどいいと思う。

「優太くん、ごめんね。チケットを贈るから、当日には来てほしいな」

『もちろんッスよ! 栞さん!』

「大学休講の日にするから」

『え、う、うん……』

 どうせ大学をサボる口実が出来てラッキーと思っているのだろうが、先回りしてそう告げておく。案のじょう動揺したような声がして、栞はくすりと笑った。別に意地悪をしたいわけではないのだが、素直に言っても聞き入れてくれないことが多い。

「ねえ、優太くん。まじめに学校行ってね」

『う、うん……』

 返事は頼りない。まあ言わないよりはいいだろう。

「じゃあ、また」

『あ、栞さ』

 別れを告げてさっさと切ってしまう。何か言いかけていたような気がするが、まあ何かあればLINEでも電話でもまたかけてくるだろう。栞は自覚していたが、男らしい、さばさばしていると人によく言われる。始めは少し気にしていたが、やがてこれも自分なのだからいいとさっぱり気にしないようになり、そのころに絵が賞をとり、今に至った。個性は宝だ、栞はそう思う。

 彼氏――くだんの早見優太――も、自分では個性などない、特に秀でたところもない、と言うが、その実とても目立つ。見た目だけでなく、彼はどこか輝きに満ちた部分があって、周りの目を引くのだ。彼に惹かれている人間が多いのも仕方ない。実のところ、栞の方が慌てないといけないのかもしれないなあと思う。

 彼はバンドを組んでいる。いわゆる邦楽、ロック、といわれるジャンルのものだ。栞も、インディーズロックバンドは嫌いじゃない。たまに聞くこともある。優太のバンドはまだ結成して何年かだが、それなりに人気があるのを知っている。ボーカルでギターである優太の歌は、歌唱力がすごいかと言えば、正直そうでもない。しかし、垣間かいま見えるカリスマ性は、優太だからこそ、だと思う。何度かライブを見に行ったことがあるが、仲のいいバンドグループの掛け合いは見ているだけでも楽しいものだ。

 プロにならないのかと聞いたことがあるが、優太の返事は曖昧だった。意外にも、夢は抱いていないのだな、と思ったのを覚えている。




「もりもとさーん、これここでいいですかー?」

 アシスタントである女性に声をかけられ、栞はうなずいた。

 美術展初日は、当日の午後からで、午前いっぱいで残りの搬入や最後の確認作業を行う。大部分はすでに終わっていて、あと一点か二点を残すのみだった。ほとんどは栞の個人作品なのだが、一部、他の作家の作品もあった。栞がいいよいいよと受け入れているのだが、これが作家にも観覧者かんらんしゃにも好評で、ギブアンドテイクになるなら、と思う。なにせ、アーティストの多くは知られないことで埋もれてしまう人が圧倒的に多いのだから、同業者で宣伝できるなら、それに越したことは無い。

 特に画家という職業は、共感してもらう人間がいなくなれば終わってしまう。それはただの独りよがりで終わってしまうのだ。宗教に近いかも、と栞は思った。信じる者がいなくなれば消えていく、神のような。

「もりもとさん……これも、ですか?」

 アシスタントの女性が栞のすぐそばまで来て、とある絵を指さした。A3ほどの、中くらいのサイズの絵を、持ってくるわけでもなく指さすなんて、と栞ははじめ思ったが、その絵を見て納得した。

「……こんなの、あったかな」

 不気味。

 一言でいうと、そんな言葉がぴったりだった。

 墓荒らしをしている年齢不詳の男が、必死の形相でスコップを地面に刺している。足元の土からは大量の骸骨、それが複雑に絡み合い、なんとも気持ち悪く、奇妙な雰囲気をかもし出していた。全体的に低い彩度のタッチ、ここまで人が不快に思う色使いと描き方を良く出来たな、と逆に感心するくらいには、コンセプトがしっかりしている。

 ふむ、と腕を組んで考え始める栞に、アシスタントは手を合わせて身震いをする。

「こんな絵、見たがりますかね……。私、触りたくないんですけどぉ」

 確かに、栞の持つ作品性とは大分異なる。わざわざ異質な作品を置かなくてもいいだろうとは思うが。

「ねえ、これ、作者さんわかる?」

 栞が聞くと、女性は首を傾げた。

「それが、他作者さんの絵画群かいがぐんに紛れてて。明らかに作風が違うから、多分別だとは思うんですけど」

 その作者の名前を聞き、栞も確かに、と思った。メルヘンな、イラストチックな可愛らしい絵を描く作者さんの絵の中に、こんな写実的で不気味な絵があるとは思うまい。おそらくどこかで混ざってしまったのだろう。

「でも、困ったな。誰に返せばいいんだろう」

「作者さんに後で聞いてみます?」

「そうね。うん……とりあえずこの絵は、裏に置いておこうか」

「わかりました」

 そうして、不気味な絵は即座に裏の倉庫へと運ばれ、姿を消した。栞はこの絵のことなど、古典の準備ですぐに忘れてしまった。



 栞はこの時、そこまで重要なものだとは思っていなかったのだが……。

 後で嫌と言うほど、この絵を見る羽目になる。





 午後。

 この日はまだ優太にはチケットを送っていなかった。栞もまだ個展に関して経験豊富ではないから、慣れてきた真ん中の日にちあたりがいいかと思ったのだ。優太はきっと送ったらすぐ来るだろうから、2、3日したら送る手はずでいる。

 アシスタントの女性はいつもお世話になっている人で、四六時中現場にいる栞に差し入れしてくれたり、とても優しく気が利くひとだ。年下で、現在美術大学で勉強中らしい。栞のファンで、そばにいられるだけでうれしいです、とよく言っていた。たまに絵を見せてもらい、つたないアドバイスをすることはあるものの、栞自身、まだまだ未熟だと感じているため、どうも委縮してしまう。上手な人に教えてもらえれば、絵は成功するというジャンルではけしてない。もちろん、優秀な指導者というのは大切かもしれないが、資格もない、明確な正解もないこの業界は、運も味方につけたうえで、人を惹きつける実力もなければならない。実力があっても気づかれずに埋もれていく人間のなんと多いことか。そういう観点でいえば、栞は運が良かったのだろう。もちろん、たくさんのコンテストに応募するなどの最低限の努力はしていたけれど。

 彼女には、バイトという形で一緒にいてもらっている。彼女も貧乏な美大学生だ。申し訳ないと言いながらも、喜んで金銭を受け取ってくれる。ビジネスライクな関係は、後腐あとくされがなく栞としても楽なのでありがたい。やっぱり、無料と言うのは怖いものだし。

 今日はさすがに初日なため、彼女には丸一日いてもらう予定だった――しかし。

「……うー、ん……」

 彼女が前かがみになって、壁に寄りかかっていた。さっきまでぴんぴんとしていたのに、と栞は慌てて彼女に駆け寄る。背中をさすって、顔をのぞき込むように声をかけた。

「どうしたの? 大丈夫?」

「……はい……ちょっとおなかが痛くて……あと、気持ちが悪いです……」

「無理しないで、裏で休んでて。それか、もしも我慢できないならお休みしたほうがいいかも」

「……すみません、せっかくの個展開催日なのに……」

 彼女は真っ青な顔で、覇気のない声を漏らした。栞は首を振る。

「ううん。今は無理をするべきところじゃないから」

 そして、彼女の歩く補佐をしながら、休憩室まで連れて行った。一応ベッドと机、簡易の冷蔵庫と棚がついているという、素晴らしい設備だ。

「ちょっと休んで、歩けそうなら帰った方がいいわ。こっちはもう大丈夫だから」

 彼女をベッドに寝かせて、掛布団かけぶとんをかける。彼女は青い顔のまま申し訳なさそうにうなずいた。栞はとりあえずホッとして、彼女に何かあったらすぐ連絡するようにと、一応念を押した。

「傍にいられなくてごめんね……じゃあ」

「こちらこそ……」

 あまり気に病まないでほしかった。栞は苦笑しながら、彼女に別れを告げ、部屋を後にした。




 栞が会場に戻ると、ちらほらと既にお客さんがいた。

 初日からくるのは、同業者や関係者が多い。見知った顔も何人かいた。その中には、とても懐かしい顔もあった。彼は、恰幅かっぷくのいい中年男性だ。相手も気づいたのが、目が合う。栞はにこやかに軽くお辞儀じぎをした。

「やあ、森本さん。久しぶりです。今回も素晴らしい色彩センスだ」

「ありがとうございます。本当にお久しぶりですね、どうなさったんですか?」

 彼は気のいい美術商で、世界を駆け回っている人物だ。忙しいのもわかるが、一年以上はおそらく会っていなかったと思う。栞の作品展はもちろん、他の画家の展覧会でも、一切。つい聞いてしまったが、もしかして言いづらいことだっただろうかとちょっと不安になってしまったが、彼はそんな心配をよそに、はにかむように答えた。

「ああ、いえ……ちょっとね。珍しい絵を追いかけていました」

「珍しい絵?」

「はい」

 彼はもったいぶったように、肉付きのいいあごを触りながら言った。よほど価値のある絵なのだろうか。一応画家の端くれとして、栞も少し興味が出てきた。

「その絵はですね……見る人に影響を与え……最終的に精神を病ませるのだそうですよ」

「はあ……」

 なんだ、と栞は思った。その手の話は、真実は置いておいてよくあることだ。特に、誰が描いたかもわからないような、ヨーロッパなど歴史のある場所には多い話で。栞は半信半疑で彼を見た。彼はその反応をわかっていたかのように、にやりとした。

「そういう顔になる気持ちもわかります。ですが、これは嘘ではありません。いわゆるカルト的な話になりますが、絵の裏にはびっしりと呪詛じゅそのようなものがえがかれていて、それが絵を通して人の網膜もうまくから脳へと、影響を与えるんだそうです」

「最後は、自殺でもするんですか」

 栞の発言に、彼は初めてちょっと悩んだような顔をした。

「うーん、これは、さすがに私も信ぴょう性はあまりないと思っているんですがね……」

 一拍いっぱく置いて、男は声のトーンを落とした。


「ゾンビに、なるんだそうですよ」

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邪神の気まぐれ めめ @hayami19

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めめ @hayami19

クトゥルフ原案の文章を細々と。 現代日本を中心にホラーっぽいような創作作品をあげています。 地の文多めで、キャラの掛け合いや精神状態を書くのが大好き。 Twitterにはイラストなども掲載中。 …もっと見る

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