第64話 モニカのナイフ投げ講座

話のついでに、リサにはもう一つ気になっていたことがあった。


「私が小屋から戻った時、肩に二本当てていましたよね? あれは一体どうやって?」


「ああ、あれならそんなに難しい事をしたわけじゃない。石を使っただけだ」


「石を?」


「うむ。あの男は魔薬の効用だろうが反応の速さが異常だった。五感も、特に視覚が尋常ではなかっただろう? 目で見て避けていたからな。だが、思ったんだ。確かに凄いが、飛んでくる物が『どれだけ危険か』は理解してないのではないかと」


「ああ……確かにそうですね……」


モニカの推察に、リサは深々と頷いた。

あの大男の様子を見る限り、そこまで深く物事を考えてはいなかったのは間違いない。

彼はただ、自分に向かって飛んでくる『何か』に対して反応していただけだ。


「だからあたしは石をいくつか拾って、適当に投げてみたんだ。案の定、あいつは全部弾き落としていた。で、屋根に登って今度はまとめて上から放り投げたんだ」


「なるほど……『危険度』の区別がつかないなら……」


「うむ、ただ落ちてくるだけの石にも反応していた。その隙に撃ったのだ。鎖骨の間を狙ったのだが、ギリギリのところで身体を捻って躱された。すぐさま二の矢を撃ったのだが、これも逆の肩に当たってしまったというわけだ」


あれだけの短期間で、モニカは男の傾向を推察し、罠を仕掛けたということになる。

臨機応変こそ傭兵の真骨頂だが、彼女は忠実にそれを実行したわけだ。


「だが、その手は何度も使えぬと思ってな。残りの矢も心細かったし、そもそも当てたところであの化け物は死ななかっただろう。リサが『奇跡の一矢』を撃てと言った時には無茶を言うと思ったが、あれ以外に手は無かったろうな」


熟考すれば、もっと冴えた手段があったかもしれない。

結果としては勝てたのだが、今後のこともある。

他の戦術をあれこれ考えるのは無駄な事ではなかった。


「おう、お嬢。これが今の在庫全部じゃ。よぉく吟味してくれぃ」


ヴァスコが底の浅い大きな木箱をカウンターに置いた。

クロスボウ用の太矢がずらりと並べられている。

ざっと数えただけでも百本はあるだろう。

一般に知られる長弓の矢と比べると、クロスボウの矢は太く短めだ。矢羽も小ぶりになっている。


モニカが薄い白絹の手袋をはめ、真剣な表情で一本手に取った。

矢尻から矢羽まで、上下左右からじっくりと時間をかけて凝視する。

しばらく経ってから小さく頷くと、ヴァスコが用意した別の箱にそっと入れた。

それから、また別の矢を手に取った。


(……まさか、全ての矢を!?)


リサの心中の驚きを察したのか、モニカが矢の吟味を続けながら淡々と話す。


「爺ちゃんの店は信用できる。この矢も一本一本、腕の良い職人が丁寧に作り上げた逸品ばかりだ。だが、それでも最後は自分の目でちゃんと見て選ばなければダメだ。あたしの命を預けるものだからな。これは父ちゃんの教えだ」


「そこまでやるのはお嬢ぐらいじゃよ。他の連中はせいぜいざっと数を確認するぐらいじゃ。そもそも床木が歪んだなどと、いちいち持って来たりせんわい」


「持って来ない? それはそいつらが戦場で死んでいるからだろう?」


冗談とも本気ともつかぬ口調で――いや、間違いなく彼女は本気だ――モニカが答えると、ヴァスコは豪快に笑った。


矢の吟味は小一時間ほどかかった。

何本かはモニカのお目がねに適わなかったようで、別の箱に移されている。

それ以外の矢を、彼女は全て購入した。

即金で銀貨三十枚。加えて、クロスボウの手入れに銀貨四十枚。

しめて銀貨七十枚、武具に縁のない者には信じがたい値段だろう。


「ふふん、ワシらの店ならこれぐらいは当たり前じゃ。むしろ常連だからサービスしてやっとるぐらいだわい」


「サービス? それならおまけで短剣も付けてくれ。投げやすいのを五本ほど」


「調子に乗るな、お嬢。別料金に決まっておろうが、まったく……」


顔をしかめてブツブツ文句を言いながらも、ヴァスコはすぐに注文の品を用意した。

鍔の無い、投擲専門の両刃短剣だ。

リサも興味があったので、手に取ってみる。


「この軽さなら気になりませんね」


「リサも使ってみたらどうだ? 便利だぞ」


投擲武器が有効なのは、リサも認めるところだ。

だが、主武器が基本的に両手を使う杖なので兼ね合いが難しいところでもある。


「弓やクロスボウならともかく、短剣を投げるぐらいの距離なら私の場合一気に距離を詰めた方が良いのですよね……」


「逃げる敵を仕留めるのにはちょうど良いだろう? それに、不意討ちできるような場面なら、一人は確実に殺れる。追ってくる敵を足止めするのにも使えるぞ」


「確かにそうですね。ちょっと練習してみましょうか」


この一年近く、モニカと組むことが多かったので甘えていたところがあったかもしれない――今後は一人だけで戦う機会も増えていくだろう。

それに、習得して無駄な技術など一つもない。


「うむ。それじゃあ、手本を見せるぞ」


店のカウンターの真横の壁には、投げ矢や短剣用の大きな的が掛けられている。

モニカが短剣の柄を親指と人差し指で挟んだ。投げ矢と同じ構えだ。


「この距離なら、こうだ。真直ぐ投げる『直打』だな」


手首と肘を少し動かしただけで軽く投げると、短剣はドスン、と的の中心に刺さった。


「もう少し距離がある場合は、こう。やはり直打だ」


数歩後ろに下がり、今度は腕全体を使って投げた。

最初の一本の真下に刺さる。

腕の動き自体は、杖を上段から振り下ろす時と近いように思えた。


「で……離れた位置からだと、もう真直ぐは飛んでいかん。だから『回転打』だ」


カウンターの端まで移動すると、柄ではなく刃を指で挟んだ。

大きく振りかぶり、前に一歩踏み込みながら投げつける。

クルクルと回転した短剣の刃が、ドスリと的の中心から少し上に刺さった。

モニカの見事な技に拍手しつつ、


「最後の一本は、刃がやや下向きに刺さっていますね」


「うむ、やはりリサは目の付け所が違うな。直打だと相手に真直ぐ刺さる。回転打ではそうはならないのだが、刃が上向きに刺さるようでは駄目だ。皮膚に刺さるだけで敵の骨肉まで到達していない。もっとも、実戦では回転打など当たるだけで十分だがな」


「なるほど。それなら初心者はまず、近距離から直打を練習ということですね」


「最初は的から二歩ぐらいからだな。それでも結構狙い通りには当たらないものだ。百発百中になるまでできるようになったら、一歩ずつ離れていく。その繰り返しだ」


「武術の基本はどれも同じですね。型をしっかり身につけて、後はひたすら稽古と」


「そうだな。鍵開けも、単純なものを素早くできるまで練習してから複雑なものに挑戦しろと、母ちゃんが言っていた。短剣投げも母ちゃん仕込みだ」


(……本当に一体何者なのですか、モニカのお母様は……)


今までに彼女から聞いた話をまとめると怖い結論が出てきそうだが、あえて尋ねてはいない。

世の中には、知らないままの方が良い事もあるからだ。


早速、その場で練習をしようとしたのだが、


「こらこら、リサ。うちは稽古場じゃないぞ。どこか人気のないところでやれ」


「どうせ客なんか今日はあたしたちだけだろ、爺ちゃん。ケチケチするな」


「素人のリサが投げて、万が一のことがあったら困るのは店主のワシじゃ」


モニカは不服そうに頬を膨らませたが、ヴァスコの言い分はもっともだ。

彼女と同じく五本ずつ購入――銀貨五枚。

少々手痛い出費だが、これも仕事上の必要経費と考えれば安いものだ。


(次の仕事までは節約ですね……まあ、稽古に励めばいいだけですが)


(続く)

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