第57話 命の代償(3)

邸内に入ると、屋敷ではなく庭の奥にある離れに通された。

石造りの蔵を改造したような殺風景な部屋だ。


背の低い入口で杖を預けさせられる。

中に入るとすぐに、鉄の扉が背後で閉められた。

当然そうなるだろうと想定はしていたが、いざ逃げ道を塞がれるとやはり背筋に緊張が走ってしまう。


内部は掃除こそ行き届いていたが、簡素な机と椅子しかなかった。

絨毯の敷かれていない、剥き出しの石の床。

よく見れば、部屋の隅の床に把手らしきものがある。

リサは直感した。

この部屋は――尋問あるいは拷問のための部屋だ。


(地下室がありますね……そこはもう牢獄か処刑室ということでしょうか)


今日のリサは応接間で迎える客扱いではない、ということだろう。

中には十名ほど、グイードの子分たちが控えていた。

いずれも鋭い目線をリサに浴びせかけてくる。

窓もない室内は、息苦しい熱気に包まれていた。

気弱な人間なら、この雰囲気に確実に飲まれてしまうだろう。

実際リサも、心臓の高鳴りを抑えることがなかなかできなかった。


「よお、リサ。どうしたんだい、その格好は?」


椅子に座り、待つこと数分で鉄の扉が重々しく開いた。

『人斬り』グイードの登場だ。

愛刀を腰に差し、屈強な護衛を二人従えている。

物腰はいつものように気さくな感じだが、目は笑っていない。

臨戦態勢だ。


「ええ、先程の雨で……むさくるしい格好で申し訳ありません。元締の馬車を濡らしてしまいましたこと、お詫び申し上げます」


「ははっ、いいってことよ。こっちが無理に呼び出したんだからな。で、髪はどうしたんだ?」


「少々いざこざがありまして。ですが、もう済んだことでございます。前々から切ろうと思っていましたので、ちょうど良かったところですよ」


正面の椅子に座ったグイードに、何事もなかったかのように答える。

飄々とした態度だが、何気ないやり取りの中にも強い圧迫感を覚えた。

これが本来の『人斬りグイード』の姿といったところだろうか。


「ふうん、まあいいか。お前さんがよその区で何をしようが、俺がいちいち口出しするつもりはねえよ。ま、俺は長い髪の方が似合ってると思うがね」


少なくとも、リサが南区で何かをしていたことまでは掴んでいるようだ。

もっとも、グイードには直接関わりのないことであるから、彼の言う通りこれ以上追及されはしないだろう。


「ただし、この東南区のこととなりゃあ話は別だ。それも、俺の縄張り内の揉め事ならな。そうだろ?」


「ええ、当然です」


大きく頷き、強い視線と圧力に負けぬよう腹に力を込めた。

深く静かに息を吐き、居住まいを正す。

いよいよグイードは本題に入ってきた。

杖は入口で預けてあるし、そもそもこの状況では武威をもって切り抜けることなど不可能だ。

だが、たとえ首元に刃を突きつけられようとも、ぶざまな姿だけは晒すまい――それが戦う淑女、リサの矜持だった。


(あくまでも『強気でいけ』ですよね、師匠)


改めてリサは、師匠の教えを思い浮かべた。

まだ駆け出しの頃『カモメの歌声亭』で酒を酌み交わしながら伝授されたものだ。

当時のリサにとっては衝撃的な内容で、今でも強く胸に刻まれている。


「いいか、リサ。傭兵としてやっていく以上、やくざ者とは嫌でも関わっていかなきゃならねえ。仕事の依頼主として、時には敵として……切った張っただけじゃなく、面倒な交渉をしなきゃならねえ時もある。その時の心構えを教えておこう」


「世間じゃ暴力沙汰が専門だと思われてるがな、実際に力を振るうことは実はそう多くねえんだ。もちろん抗争ともなりゃ別だけどよ。奴らの一番得意なのは暴力を背景にして相手を脅迫することだ。文字通り、脅して要求を迫るんだよ」


「意外そうな顔をしてるな? ま、おいおい奴らと付き合っていきゃあ分かることさ。三下のチンピラでもない限り、日頃はむやみに剣を抜いたりはしねえのさ。場合によっちゃあ脅し文句すら使わねえ。ただじっと睨みつけるだけで相手に色々と『想像』させるのさ。もし逆らったらどうなるか……ってのをよ」


「で、そんな脅迫のプロ相手にどう交渉するかだがな……いいか、忘れるなよ。やくざ相手にはな、何があっても『強気でいけ』だ。これに尽きると言っていいぜ」


「あいつらは難癖をつけるのが得意なんだ。毎日稽古でもしてるんじゃねえかってぐらいにな。どう考えてもこちらに分があるのに、くだくだと文句をつけて、気が付いたら五分五分とか向こうに理がある、みたいにされちまう。お前さんが少しでも弱気を見せてみろ、もう奴らの言いなりだ。有り金全部奪われてロネット河に浮かぶか、慰み者にされた挙句、娼館の稼ぎ頭にされちまうのがオチだからな」


リサはその時こう尋ねた。

たとえ私に非がある場合でも強気でいくのですか、と。

師匠は大きく何度も頷き、


「いい質問だ、リサ。お前さんのように賢くて礼節をわきまえている人間、実はこれが一番ヤバいんだ。あいつらにとっちゃ大好物ってところよ。なまじ事の理非ってものが分かっているから、先に謝罪しちまうんだよ。で、奴らはそこに付け込んでくる。おう、じゃあ誠意を見せろってな具合にな。もちろん金で解決なんてしねえぞ。何しろ『誠意』なんて値札がついてるものじゃねえからな」


「だからな、とにかく強気で突っ張るんだ。かといってヤケっぱちはダメだぞ。殺せるもんなら殺してみろなんてうっかり言っちまったら、あっちも引っ込みがつかなくなるからな。まずは強気で押して、奴らに手強い相手だと思わせろ。そこから押したり引いたりの駆け引きを始めるんだ。いいな?」


師匠の教えを思い返し、リサはじっとグイードを見つめた。

たとえ街中から怖れられる彼相手であっても、ここは退くわけにはいかない。


「あの兄ちゃんのこと、ヤンから話は聞いてるな?」


「はい、到底返せるとも思えぬバドに、銀貨十枚を貸し付けた件ですね」


毅然とした態度で返した。

その答えに、周囲の空気が一気に緊張感を増す。

グイードの眉間に皺が寄った。

その背後に立つヤンは微動だにせず、顔色一つ変えない。

だが、居並ぶ護衛たちの刺すような目線はあからさまに鋭くなっていた。


「ちょいと棘のある言い方じゃねえか。お前さんらしくもねえ」


「そうでしょうか? 事実を述べたまでですが」


机に片肘を突き、苦笑いを浮かべるグイード。

対するリサは、まるで何も含みがないような平静そのものの態度を取った。

ただの茶飲み話ならばともかく、圧倒的に不利な立場でこのように振る舞う今のリサは、傍から見れば大胆を通り越して異様にすら思えただろう。


「事実? 事実ってのはなあ、あいつがヤンから金を借りて踏み倒そうとしたってことさ。その上、俺の子分どもを殴り倒し、店をめちゃめちゃに壊し、しかも反省すらしていねえ。何が悪いんだってふてくされてやがるんだよ」


「困ったものですね」


「ああ、そうだよ。ホントに困ったものさ……って、何を他人事みてえな言い方してやがる。リサ、お前あいつに一体何を教えてんだ!? 借りた金を返さねえ方法でも教えてるってのか!」


身を乗り出し、強い語調で責めてくる。

リサがこの一年間で見たことのないグイードの姿だった。

だが、退かない。

何がどうあろうと一歩も退いてはいけない場面だ。


「まだ師弟の契りを交わして間もありませんが、武人としての心がけは日々説いているつもりでございます。そもそも借りたものは必ず返すというのは、武人以前に人として当然のことでしょう」


「ああ、全くもってその通りだよ。分かってるじゃねえか。で?」


「利子も含めて私が全てお支払いいたします」


その答えに、グイードの射るような眼光が一段と鋭さを増した。

小刻みに何度も頷くと、長い金髪を掻き上げる。

もちろん、これだけで済ませられる問題ではないのは百も承知だった。


「金は返します、はいそうですか、じゃ終わらせられねえよな。俺が言いたいこと、お前さんなら当然分かってるだろ?」


「酒場の修理代と、皆さんの治療費ですか?」


グイードが険しい顔のまま深々と溜め息をついた。

周囲の子分たちは眉一つ動かそうともしない。

ヤンの様子にも変化は無かった。


「おいおい、とぼけるなよリサ。今日のお前は随分と察しが悪いじゃねえか。この俺をイラつかせて何か得になることでもあるってのかい?」


口調こそ軽いが、一つひとつの言葉に明確な怒りをにじませていた。

口元を歪め、顎の無精髭を撫でている。

危険な空気だ。

自分の判断は本当に正しかったのか、グイードという人物を見誤っていたのではないかという恐怖が腹の底から湧き上がってくる。


(いえ……まだです!)


ここで迷えば、奈落への道を一直線となる。

どこまでも自分を信じ、襲いかかる恐怖をねじ伏せなければならない。


「一体何が問題なのでしょう? 私には元締のお考えが読めないのですが」


「はっきり言わなきゃ分かりません、ってか。へへえ、まあいいさ。じゃあお前の望み通り教えてやるよ……」


薄ら笑いを浮かべたのは、ほんの僅かな間だけだった。

次の瞬間、グイードの『気』が膨れ上がると、


「俺と俺の組織に迷惑をかけておいて、謝罪の言葉もねえのかって話だよ!」


固く握った拳を、ドンと机に打ちつけた。

思わず腹に力が入ってしまうような迫力だ。

しかし、それだけで反射的に頭を下げてしまうような愚行は犯さなかった。

謝罪を要求されたからといって、ただすんなり応じては相手の思うつぼだ。


「バドには私から言って、必ず謝罪させます。それではご不満でしょうか?」


「ああ、ご不満だね。あの野郎はな、よりによって俺のことを『卑怯者』だの『臆病者』だのとぬかしやがったんだ。ごめんで済むような話じゃねえ。俺が訊いているのはな、あのバカ野郎の責任を、師匠のお前がどうとるのかってことだっ!」


まるでこの場の空気が裂けるような、雷撃の如き一喝だった。

これが戦いの場であったならば、大半の人間が彼の激しい気に圧倒されていることだろう。

だが、この交渉に最初から斬るか斬られるかの覚悟で臨んだリサの心胆は決して呑まれることはなかった。

息を細く吐き、じっとグイードを見据える。


「私の監督不行届きは認めましょう。ですがやはり、納得のできぬことに頭は下げられません」


「納得? まだ利子のことでゴチャゴチャ言おうってのか。鼻たれのガキじゃあるまいし、俺たちが商売でやってることぐらいお前も知ってるだろうが」


「私が言いたいのは……バドがしでかしたことは、果たしてここまで大事にするようなことなのか、ということですよ」


「はあ!?」


今さら何を、と呆れ返った表情に変わった。

対して、周囲の子分たちの殺気は一段と強くなる。

後方に控えるヤンは――全くの無表情だった。


「バドはあの通り、粗暴で向こう見ずな若者です。身体は大きいですが、精神はまだまだ子ども……未熟者といって差し支えないでしょう。激情のままに行動し、その結果周りに多大な迷惑をかける……ですが、根は決して悪人ではありません」


すかさずグイードが何か言いかけたが、躊躇うように口を閉ざした。

リサの真摯な口調に何かを悟ったのか、静かに耳を傾けようとしてくる。

その変化に、リサはわずかながら手応えを感じた。


「素直で、バカがつくぐらい真正直な青年です。わずかな間の付き合いに過ぎませんが、私は少なくともそう感じました。彼は更生すれば立派な武人になる。そう信じたからこそ、私は彼を弟子にしたのです」


「……俺たちみたいなヤクザ者とは違う、と言いたいのか?」


「いえ、決して元締や皆様の生き方を否定するつもりはございません。ただ、私と彼には縁がありました。彼が私に弟子入りし、武人としての道を志した以上、それを全うさせたいと思うのが私の偽りなき心情にございます」


「……道を踏み外させたくない、ってことか……」


「放っておいたら遅かれ早かれ無駄に命を落とす、そんな若者です」


あの魔薬中毒の大男の顔が、脳裏をよぎった。

致し方ない状況だったとはいえ、一つの命を奪った重さをリサの両手はしっかりと覚えている。


「元締は、彼のような男を何人も知っているはずです……違いますか?」


お互い、瞬きもせずに相手の目を見据え合う。

ここは駆け引きが必要な場面ではない。

真正面からグイードの情に訴えかけなければならないところだ。

リサの心に相手をたぶらかすような邪な心があれば、グイードは躊躇いなく殺すだろう。


「……ああ、ガキの頃からずっと見てきたさ。根っからのワルじゃねえが、真っ当な生き方ができなかった奴らをな。ほとんどが死んじまったがよ」


声の調子が変わった。

肩の力を抜き、グイードが低い天井を仰ぐ。

遥か遠く、彼が歩んできた道のりを振り返るような目だった。


グイードの少年時代については、ロッテや古参の傭兵仲間、それにグウェンから断片的に話を聞いている。

貧民街で兄弟のように育ったヤンや仲間たちと共に、壮絶な日々を生き抜いてきたという。

バドに対する一種の親近感を抱く――その可能性にリサは賭けた。


咳払い一つすらはばかられるような、重い沈黙が室内を包んだ。

リサは静かに彼の言葉を待った。


「ああ、確かにあいつはお前さんの見立て通り、単純バカで真直ぐな奴かもしれねえ。そうだな……そう、俺がガキだった頃に似ているかもしれねえなあ……」


グイードの言葉に、リサは少しだけ肩の力を抜いた。

予断の許せない状況に変わりはないが、かすかに突破口は開かれたのだ。


「元締……」


口を開いたところで、グイードがすかさず手を挙げて制してきた。

踏みこむにはまだ早かったか――リサは軽く唇を噛んだ。


「だけどな、リサ。今の俺には立場ってもんがある。繰り返しになるがよ、ただ暴れたってだけなら横っ面の一つも張って勘弁してやるさ。だがな、俺の名に傷をつけてただで帰させるわけにはいかねえんだよ」


やはり、そこが一番の問題なのだ。

バドが犯してしまった最大の過ちは、この『人斬りグイード』のメンツを公然と汚してしまったことである。

おそらくは、すでに東南区の耳ざとい者たちによって噂が広がっているだろう。


(一体、どうすれば……)


ヤンの方をちらりと見たが、これまで同様に顔色一つ変えていない。

貴女が頭を下げてグイード様の軍門に下れば良いのですよ、とでも言いたいのだろうか。

最も穏便に事を済ませられる選択だろうが、明日からリサはリサらしく生きることができなくなる。


(ならば!)


リサは奥歯を噛みしめ、相手の想定を超える選択肢を採ることにした。

もはや理知や情だけでは片付けられない。

相手側の言い分が正しく、しかも力関係においても圧倒されている。

この八方塞がりの窮状を切り抜けるためには、交渉のテーブルそのものをひっくり返すような蛮勇に頼るよりなかった。


「元締! 大変です!」


意を決したところで、外から急報を告げる声がした。

グイードが答えるより先に、子分が慌てた口調で報告を続ける。


「傭兵どもが、屋敷の外に大勢集まっていますっ!」


「何だと!?」


即座に立ち上がったグイードが、怒りを露わにしてリサを睨みつける。

凄まじい殺気を孕んだ目つきだった。


(モニカ……ありがとう!)


突き刺すような視線を四方から感じる。

危険極まりない状況だ。

だが、リサは戦友の思い切った行動に感謝した。

そして改めて、強い決意を固めたのだった。


(続く)

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