第456話 御前試合③

 ――翌日の朝九時。

 朝食も済ませたゴルド=バイク上級騎士は一人瞑想していた。

 今日の正午に実施される試合。

 それに向けて精神を研ぎ澄ませているのだ。

 短剣を片手に、自室として割り当てられた部屋で幾度となく敵の姿を思い浮かべる。


 ――刺突。袈裟斬り。胴薙ぎ。

 想像の影を相手に猛攻を繰り出す。


 だが、そのすべてが届かない。

 それどころか、影は脱力するように短剣を構えて、


 ……ザンッ!


(………ぬうゥ)


 ゴルドは瞑目したまま内心で呻いた。

 これで何度目の敗北か。


(……まさか、これほどなのか?)


 ゆっくりと双眸を開く。

 同時に冷たい汗を流した。

 ゴルドは王国でも屈指の騎士である。

 試合が決まった以上、相手が誰であっても容赦はしない。

 ましてや、相手は姫さまの純潔を奪ったという男。

 王家に仕える騎士としても許しがたい。

 懲らしめる程度では、到底済ませられる相手ではなかった。


 だが、改めて会談の場で対峙した時。

 姫さまが、あの少年に執着する理由を理解した。


 恐らく、ゴルド以外にも数人ほどは脅威を覚えたはずだ。

 焔魔堂と名乗る角を生やした異形の者たち。会談の場にいた高齢な老人たちさも含めて一人一人が恐ろしいほどの猛者であることを肌で感じていた。

 だが、驚くべきはそんな彼らを従える少年だ。ごく平凡に見える彼が、従者たち以上にとんでもない怪物であることを、ゴルドは見抜いていた。


 なにせ、座る姿があまりにも自然体すぎるのだ。

 今回の一件では、ベテラン騎士たちも憤慨している者が多い。

 交渉が不利になることを承知の上で殺気を放つ者、下手をすれば斬りかかる者さえも出ることを危惧していたが、それも完全に封じられていた。

 そのタイミングを、少年の些細な所作でことごとく潰されたのである。


 時には言葉で。時には仕草で。

 完全にこちらの動きを、心の中さえも見抜かれていた。


 ほぼ同世代の少年の技量に、親衛隊の新兵たちは果たして何人気付いたことか。

 ただ座っているだけで敗北を想像させる。

 その底知れない実力に畏怖さえも抱いたものだ。


「……姫さまは」


 短剣の切っ先を降ろして、ゴルドは息を吐く。


「なんという怪物に見初められたのだ」


 ――いや、実は見初めたのは姫さまの方なのかも知れない。

 あの少年との馴れ初めだけは、何故か姫さまは話して下さらなかった。

 卑劣な男が無垢な姫さまを力尽くで組み伏せたのだと揃って憤ってはいたが、面持ちだけだと純朴そうな少年だった。だとすれば今回の一件、案外、彼の才に惚れ込んだ姫さまが、押しに押した結果なのかもしれない。


「姫さまは、陛下のご息女でもあられるからな」


 ゴルドは苦笑を浮かべた。

 色恋における押しの強さは父君譲りだとも考えられる。


「まあ、いずれにせよだな」


 カチャ、と抜き身の短剣を鞘に納めた。


「試合となれば無様な真似はさらせぬ。たとえ勝機がなくともだ」


 姫さまが魅入ったあの少年が怪物であることはもう疑わない。

 子……いや、孫と呼んでもいい年齢差でありながら、ゴルドよりも強いことも。

 だが、まだ実際に剣を交わした訳ではないのだ。

 敗戦の山も、あの少年の佇まいから推測しただけの想像である。

 実際に少年が戦う姿を――。

 その剣技をこの目で観たのではない。


「私とて陛下の精兵。容易く敗れるつもりはない。それにだ」


 ゴルドは双眸を細めた。

 戦闘とは、時に言葉以上に相手を知ることが出来る。

 お互いの力量が高ければ尚更だ。

 彼の本質を知るにはいい機会であった。


(正直、姫さまの出奔など陛下がお許しするはずもない。だが、あの少年の本質が善であるのならば――)


 自分が後ろ盾になるのも良いだろう。

 陛下は武才を重んじる。

 市井の出であっても王家の一員として迎え入れることも有り得ない話でもない。


(さすれば姫さまが出奔する必要もないからな)


 結局のところ、それが一番よい手なのかもしれない。

 可愛い末娘が男を連れて帰るのだ。流石に両陛下も驚かれることだろう。

 しかし、あれほどの武才だ。

 陛下はお喜びになられるとも考えられた。


(陛下には)


 ふと、ゴルドは思い出す。


(やはり、王弟殿下への思いがあるのだろうな……)


 ――三十数年ほど前に出奔された王弟殿下。

 陛下さえも遥かに凌ぐ、王国最強だった武人。

 若き日より陛下と殿下は幾度となく剣を交わした。

 しかし、結果は陛下の全敗。

 弟にただの一度も勝つことが出来なかった兄。

 だが、陛下はその事実を卑下して語ったことはなかった。

 屈辱以上に憧れが強かったのだろう。


『フハハ! あやつには勝てぬわ!』


 と、むしろ誇らしく陛下は王弟殿下のことを語っていた。

 逸脱した強さとは強烈に人を惹きつけるのだと若き日のゴルドは知った。


(あの少年は)


 そんな遠き日々を振り返りつつ、ゴルドは双眸を細める。


(王弟殿下に次ぐほどかもしれん。いや、若さを考えればそれ以上か――)


 それを確かめてみたいと思う。

 ゴルドもまた、王弟殿下の強さに魅せられた者だからだ。


「……もう少し仕上がるか」


 そう呟いて、再び短剣の柄を取った。

 その時だった。


「……失礼します」


 不意に声を掛けられる。

 閉じた襖の向こうからだ。


「少し宜しいでしょうか? バイク上級騎士」


「……ふむ」


 シルエットと声からして女性。

 声にも聞き覚えがある。親衛隊の一人のはずだ。


「構わん。入ってもよいぞ」


 ゴルドはそう告げた。

 廊下から「ありがとうございます」と返ってきた。

 襖が開けられる。

 そうして、そこにいたのは――……。









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