第451話 御子の凱旋➂
十分後。
(………はン)
やたらと熱気の上がった部屋を後にして。
ダイアンは一人、庭園沿いの渡り廊下を歩いていた。
(物好きな連中だぜ)
お姫さまの会議は終わった。
しかし、あの部屋にはまだ多くの騎士が残っている。
ダイアンは付き合ってはおられず、こっそりと部屋から抜け出した。
(あの小僧の昨夜の化け物っぷりをもう忘れたのかよ)
呆れた想いでそう思う。
親衛隊の小娘どもは、まあ、仕方がないだろう。
所詮は新兵。明らかに経験不足だ。まだまだ世界の広さを知らない。
非条理な怪物というのは間違いなく存在するのだ。
だが、ベテラン騎士どもまで、あの化け物に立ち向かう気でいるようだ。
(相手の力量が読めねえような連中でもあるまいし)
眉をひそめた。
明らかに騎士たちは冷静さを失っている。
原因はやはりお姫さまか。
主君たる国王に心酔するベテラン騎士たちにとって、あのお姫さまは自分の娘にも等しいほどに大切な存在らしい。
そんな娘が、突如、家を捨てて嫁に行くなどほざいているのだ。
しかも相手はどこの馬の骨かも分からない上、たった一夜での心変わりである。
冷静さを失うのも仕方がないことかもしれない。
(だがよ、鎧機兵戦で勝ち目がねえのは当然として)
ダイアンは歩きながら庭園に目をやった。
そこには庭師が一人いる。
額に一本角を生やした三十代ほどの男だ。
(……ありゃあ強ェえな)
庭師に扮しているが、恐らくはこの屋敷の護衛の一人だ。
恐らくは自分と
(しかも、あいつだけじゃねえ)
この屋敷ですれ違った相手は全員があのレベルなのだ。
正直、ここは化け物屋敷かと思ったほどだ。
まあ、実際に全員が角なんぞ生やしているのだから人間なのか怪しいが。
(あんな連中を従えるボスだぞ。対人戦でも弱いはずがねえだろ)
皮肉気な笑みと共にそう思う。
束になろうが、騎士たちに勝ち目はない。
それが自分の予想だ。
「しかし、そうだな……」
ダイアンはふと足を止めて、ポツリと呟いた。
行うのは模擬戦だ。
負けても殺されることはないだろう。
「……考えようによってはあの小僧の手の内を知るいい機会か」
そう思い直す。
とは言え、自分が痛い目に遭うのは御免だった。
ここは早速
「俺の見立てじゃあ相手にもなんねえだろうが、そこは裏技でも使わせるか。上手く行きゃあ怪我の一つぐらいは負わせれるかもな」
あの女には情事のテクニックのみならず、そういった技も教えている。
決して高度な技ではない。
むしろ、そこそこの力量があれば誰でも使える技だ。
要は、どれだけ卑劣になれるかといった類の技である。
これを教えた時のあの女の怒りの表情はよく憶えている。
育ちのいいお嬢さまには、いささか刺激が強すぎたのかも知れない。
まあ、その怒りも快楽と屈辱で塗り潰してやったが。
「おし。ホランには参加させることにすっか」
と、決めた時だった。
「やあ。元気かい? ダイアン君」
不意に後ろから声を掛けられた。
(―――な)
ダイアンは、ギョッとして振り返った。
屋敷の渡り廊下。そこにいたのは黄金の髪の少年だった。
「だ、旦那……」
唖然とする。
まさか、こんな敵地のど真ん中で声を掛けてくるとは――。
(こいつ!? 馬鹿なのかッ!?)
思わず内心でそう叫ぶ。と、
「酷いなあ。僕はそこまで馬鹿じゃないよ」
黄金の少年は朗らかにそう告げた。
当然、叫びは声には出してない。
どうやら心を読んだようだ。
ダイアンは、流石に恐怖を覚えるが、
「……旦那」
神妙な声色で告げる。
「ここは敵地です。旦那みてえな目立つ御方が堂々と現れては……」
「ああ。それなら心配しないで」
ダイアンの進言に、黄金の少年は片手を振って笑った。
「二人きりで話をしたかったからね。時間を停めさせてもらったよ」
「―――は?」
ダイアンは目を見開くが、すぐにハッとして先程見た庭師に視線を向けた。
庭園を剪定していた庭師は、ハサミを構えたまま硬直していた。
凍り付いたように表情も変わらない。恐らく息さえもしていない。
ダイアンは背筋に悪寒を覚えつつも、空を確認した。
青空。そこには数話の鳥がいる。
(う、嘘だろ……)
ダイアンは絶句した。
羽ばたいていない。翼を広げたまま、空中で固定されていた。
「ね。大丈夫でしょう」
黄金の少年は言う。
「ここで今、動けるのは僕たちだけだ。正直、時間停止って使い勝手が悪いんだけど、こういう時には便利な力だよ」
と、説明する少年を、ダイアンは目を見開いて凝視することしか出来なかった。
幾らなんでもあり得ない。
自分は本当に人外と取引しているのだと、根源的な恐怖を感じていた。
すると、
「あれ? もしかしてこの能力って気に入った?」
小首を傾げて少年はこう言った。
「なら、君に与えるのはこの能力にしようか?」
「…………え?」
ダイアンは、キョトンとした。
「へ? 与える? くれるんすか!? この力を!?」
全身を使って愕然と叫ぶダイアンに、少年は「うん。いいよ」と応えた。
「元々君に力を授けるつもりで来たんだ。なんでかは言うまでもなく分かるよね?」
「そりゃあ分かりますが……」
未だ動揺しつつも、反射的に頷くダイアン。
少年は言葉を続ける。
「OK。君には彼を始末して欲しんだ。この力は報酬の一つだよ。ただ、さっきも言ったけど、これって意外と使い勝手は悪いからね。ましてや人間の君だとさらに条件がつく。いいかい――」
そう切り出して、少年は時間停止の力について説明を始めた。
主にそのリスクと制約についてだ。
ダイアンは、真剣な顔つきで耳を傾けていた。
「君が望むのなら他の能力にするよ? どうする?」
と、尋ねる少年に、
「……いえ。これでいいっす」
ダイアンはそう答えた。
「切り札には丁度いいっすから」
「うん。そっか」
黄金の少年は頷いた。
「ならば授けよう。我が力の一端を」
言って、指先をダイアンの額に向けた。
「我が力を以て神敵を討て。ダイアン=ホロット」
その宣告にダイアンは少し緊張する。が、ややあって。
「うん。これでこの力は君のモノだ」
「え? マジっすか?」
ダイアンは目を瞠った。
「全く変化がないんすけど?」
自分の手のひらを見ながら、ダイアンが言う。
「別に身体能力が上がるような能力じゃないしね。けど、確実に君のモノになったよ。後で試してみるといいさ」
黄金の少年は肩を竦めた。
そうして、
「じゃあ、僕はそろそろ傍観者に戻るよ。君は主役として頑張ってくれ」
そう告げて、黄金の少年は宙に浮かび、そのまま空の彼方へと消えていった。
同時に鳥が動き出すのが、ダイアンの視界に映る。
(……マジかよ)
ダイアンは片手でボリボリと頭をかいた。
(まさか、ここまで破格の
再び廊下を歩き出す。
だが、先程に比べて明らかに早足になっている。
十分ほど進み、ダイアンは廊下の角を曲がった。
そこには人の姿はない。
庭園にも、近くの部屋にも人の気配はなかった。
ダイアンはゆっくりと足を止めた。
「くか、か……」
口元を片手で押さえる。
だが、こみ上げる感情までは抑えきれそうもなかった。
そうして、
「かかッ! かはははははははははっは――ッ!」
堪え切れずその場で声を張り上げた。
「来てるッ! 来てるぜえッ! 俺の時代がよォ!」
――異世界の宝珠。
――上質な
そして今回の異能。
まさに絶好調だった。
女神に愛されていると言っても過言ではない。
「かはははははははははははははは――ッ!」
誰もいない渡り廊下に哄笑が響く。
「まだだ! これからだッ! 俺は手に入れる! すべてをなあァ!」
ダイアンは、天を仰いで両手を伸ばした。
歪なる野心はさらなる熱を放って燃え上がっていた。
もはや彼自身にも止められぬほどに。
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