第440話 魔王降臨⑦

 その光景を見ていた者は、ホランだけではなかった。

 森の奥。

 テントから出てきたばかりのメルティアも、それを目撃していた。

 黒い刃が世界を断ち切る瞬間を。

 光の騎士の前で空間に亀裂が奔る。

 黒い亀裂だ。

 そこから、まず黒い大剣が突き出された。

 次いで、黒い左腕。見覚えのある竜頭の籠手を纏う腕だ。

 メルティアのみならず、リーゼやリノも目を瞠った。

 黒い亀裂からは、さらに竜鱗の装甲も姿を現す。揺れる竜尾も健在だ。

 黒い鎧機兵は、遂にその全容をこの世界に顕現させた。


「……オオ!」


 零号が双眸を輝かせた。


「……見事! 戻ッテキタカ!」


 と言って、ガンガンガンッと拍手していた。


「は? いや、ちょっと待てって」


 一方、唖然とした声で呟くのは、ジェイクだった。

 亀裂から現れた鎧機兵は、当然、ジェイクもよく知る機体だ。

 空間を裂くといった異常現象は、親友は異空間に閉じ込められているという話を聞いていたから、まあ、理解できる。

 だからそれを一旦置いとくとしても、あまりにも不自然なことがあった。


「なんで《ディノス》が飛んでんだ?」


 ――そう。

 現れた黒い鎧機兵――《ディノ=バロウス》は宙に浮かんでいたのだ。

 全身から光を放って、地上より三十セージル程の高さで停止しているのである。

 その手に黒い大剣を携えて、まるで光の騎士に立ち塞がるかのように。

 アルフレッド、アンジェリカやフランも驚いていたが、メルティアたちの反応は違っていた。メルティア、リノ、リーゼの三人はほとんど同時に走り出していた。

 それも当然だ。

 攫われた愛しい少年をようやく見つけたのだから。

 走り出さずにはいられなかった。

 何よりメルティアは、


「――コウタっ!」


 獣人族の身体能力を全開にして、リノさえ凌ぐ速さで森を疾走した。

 まさに水を得た魚である。


「こら待て! グータラ娘! こんな時だけ速くなるな!」


「メルティア! ずるいですわ!」


 と、リノやリーゼの文句も置いてけぼりにして。


「コウタっ! コウタっ! コウタあっ!」


 メルティアは愛する少年の元へと急ぐのだった。



       ◆



 ――手応えあり。

 愛機の腕を通じて、コウタはそう感じ取っていた。

 黒い大剣の切っ先は世界という概念に届いた。

 後はこのまま斬り裂くだけだ。


「――エル」


 コウタは背中にいる少女に声を掛ける。


「届いたよ」


「む。そうか」


 コウタの腰に手を回すエルは少し残念そうだった。

 微かに頬を膨らませる。


「ならエッチはまたしても延長なのか。わざと失敗しても良かったのに」


「いや、あのね」


 苦笑を浮かべるコウタ。だが、すぐ真剣な表情を見せて。


「衝撃があるかも知れない。ボクに強く掴まって」


「うん。分かった」


 言って、エルはぎゅうっとコウタの背中にしがみついた。

 彼女の温もりに、コウタは強く操縦棍を握りしめた。

 彼女と一緒に何としても帰還する。


(ここまで長い道程だった……)


 まさかの二年。

 そんな長い時間をこの世界で過ごすとは思わなかった。

 実のところ、挫けそうになったことは一度や二度ではない。

 そんな心を必死に奮い立たせて、ようやくここまで来たのだ。

 剣を使いこなせという零号の助言を信じて。


(……この剣)


 コウタは愛機の持つ大剣に目をやった。

 サイズを自在に変えることも出来る不思議な剣。


(確か銘がなかったんだっけ。零号が名付けてやれって言ってたっけ)


 今までは名付ける機会も余裕もなかった。

 けれど、この剣のおかげで希望を捨てずに済んだのだ。

 ならば、この世界から脱出する今こそ名付けてやるべきかもしれない。

 コウタは一瞬だけ考える。


(世界を斬り裂く剣。お前のは――)


 双眸を細める。

 そして――。


「斬り裂け」


 コウタはその銘を告げた。



「――断界の剣ワールドリッパ―



 黒い大剣が輝く。

 そうして世界は斬り裂かれた。

 黒い亀裂が生まれ、世界への扉が開いた確信をする。

 コウタは亀裂に愛機を飛び込ませた。

 しかし、亀裂を通過した直後で硬直してしまった。


「……え?」


 飛び出た場所はどこかの森だった。

 その上空で《ディノス》は滞空していた。

 ここが先程までの世界ではないことは分かる。

 景色が変わっていたからだ。

 亀裂を越えたことで、ステラクラウンに帰還したと信じたいところなのだが……。


「え? 何これ?」


 表情を強張らせた。

 なにせ、目の前に巨大な光の騎士がいるのである。

 こんな存在は、ステラクラウンでは見たことがない。

 もしかして間違えて別の世界に紛れ込んでしまったのだろうか……。

 そんな不安が脳裏によぎるが、


「ッ! ガンダルフ司教ッ!」


 突然、エルがそう叫んだ。

 コウタが「え?」と声を零すと、


「騎士の胸の中! そこに私の知り合いがいる!」


 エルにそう告げられ、コウタは光で構成された騎士の胸部辺りに目をやった。

 そこには確かに人がいた。

 聖職者のローブを着た五十代の人物だ。

 虚ろな表情で浮かぶその男性を見て、コウタはギョッとした。

 彼は黄金に輝く髪を持っていたのだ。


「……《聖骸主せいがいしゅ》?」


 思わずその名が浮かんだ。

 それは命を失った《星神》の成れの果て。

 かつて義姉が陥った無情の殺戮者だった。


「なら、これは《光星体》なのか?」


《聖骸主》の中でも《金色の星神》から変化した者のみが使えるという能力。

 全身を活性化した星霊で覆って光の騎士となる異能だ。

 宙に浮く人物は確かに髪の色が黄金だ。《黄金の聖骸主》である可能性はある。

 だが、現在、《金色の星神》は二人しか確認されていない。

 その二人とはどちらとも面識がある。彼は初めて見る人物だった。


「三人目の《金色の星神》なのか?」


 そう呟いたところで思い出す。そう言えば、二年前のあの日、自分たちをあの異界に閉じ込めた少年も黄金の髪だった。


(何か関係があるのか?)


 そう考えていると、


「……ガンダルフ司教が《星神》?」


 エルが眉をひそめた。


「そんな話なんて噂でも聞いたこともないぞ」


「やっぱり違うのかな?」


 コウタも眉をひそめた。

 確かに《星神》と言うには違和感はある。

 それに兄から聞いた話では《光星体》は鎧機兵と同程度の大きさとのことだ。

 だが、目の前の光の騎士は三十セージルはある。固有種並みの大きさだ。


「あれが何なのかは分からない。けど……」


 エルは言う。


「ガンダルフ司教は悪い人間ではない。私はそれを知っている。コウタ」


「……うん」


 コウタは頷く。

 この光の騎士が何なのかは分からないが、その内部にいる人物はかなり消耗しているようだ。髪の輝きに対し、頬が痩せこけている。


(これはマズイな)


 あの人物が光の騎士の中核であることには間違いない。

 恐らくこの巨体を維持するため、生命力を消費しているのだ。


(多分、あと十数分もすれば衰弱死する)


 そう感じた。


「……コウタ」


 エルがぎゅっとしがみついて告げる。


「……我儘を言ってもいいか?」


「分かってるよ。エル」


 コウタはふっと笑った。


「助けたいんだね。あの人を」


「……うん」


 エルは頷いた。


「多分あれは命を代償にした力だ。司教があんな姿になった経緯は分からない。けど、本当に優しい人なのだ。助けたい」


「……そっか」


 コウタがそう呟いた直後、

 ――ゴウッ!

 光の騎士が巨剣を薙いだ!

 その光刃が触れる前に、《ディノス》はさらに上空に飛翔していた。

 光の騎士を見下ろしてコウタは呟く。


「あの人を助けるには、どうやら戦わなきゃいけないみたいだね」


「ごめん。コウタ」


 エルが申し訳なさそうに告げる。


「彼を助けてくれるか?」


「うん。任せて」


 コウタは微笑んだ。


「けど、ボクだけじゃ助けれない。エル」


「うん。分かっている」


 エルはコウタの背中を強く抱きしめる。


「私も共に戦う。私の我儘なのだから。何より」


 そこで、エルはフンスと鼻を鳴らした。


「私はコウタの女なのだから。コウタだけを戦わせたりしない」


「……う」


 コウタはかなり困った顔をしてから、


「その件は要相談で。今はあの人を救うことに集中しよう」


 いい加減覚悟を決めなければと思いつつも一旦棚上げしてそう告げる。

 そして、


「行くよ。エル!」


「うん。分かった!」


 二人は頷き合った。

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