第432話 終焉なる世界➄

 早朝。ここで修練を積むのはコウタの日課だった。

 右手には黒剣が握られている。

 それをゆっくりと薙いだ。

 切っ先に揺らぎはない。

 緩やかでありつつ、凛とした太刀筋だ。


「……少しは慣れて来たかな?」


 黒剣の切っ先を下ろして、コウタは呟く。

 ここは巨城の地下修練場だった。

 天井が恐ろしく高い石造りの部屋。壁沿いには無数の剣や防具も置かれており、室内の広さも桁違いだった。

 さらに、ここには二機の鎧機兵もあった。

 壁沿いの一角に目をやる。その二機は並んで待機していた。

 一機は両膝をつく《ディノス》。

 もう一機は、腰を降ろしたサザンXである。

 二機とも沈黙していた。


(……サザンX)


 メルティアの自律型鎧機兵ゴーレムは未だ起動する様子を見せていなかった。


(……ここに来て、もう二ヶ月・・・か……)


 コウタは、強く剣の柄を握った。

 ここに来て、最初の一週間は相当にバタバタとした。

 そのため、ここについて本格的に調査に入れたのは二週間目からだった。

 そして驚くべきことを……いや、絶望しそうな事実を知った。


 まずはこの巨大な城だ。

 ここは、本当に不可解な場所だった。

 まず人がない。だが、何か別のモノ・・・・はいるようなのだ。

 夜には城中外問わずに篝火が灯り、朝昼夜には食堂に料理が用意される。

 しかも、二人分・・・である。たとえ食事をしなくてもいつの間にか片付けられ、一定時間が経てば別の料理が用意されている。

 部屋の造りに関しても不可解だった。ある日、「シャワーを浴びたい」と、彼女・・が呟いたら、翌日には部屋に備え付けられていたそうだ。


 不便さはない。水や料理も口にしても異常はなかった。

 不気味ではあるが、コウタたち・・はこの巨大な城を生活の拠点とした。

 そうして、次に周辺を調べることにした。

 愛機が壊れてしまった彼女・・を後ろに乗せて、コウタは《ディノス》で探索に出た。

 森の中には動物もいた。見たこともない動物――いや、自分が知る動物とは微妙に違う生態の獣たちだ。さらに奥に行くと広い湖もあった。澄んだ水質だった。覗いてみると、そこには魚影の姿もあった。

 ここまでは一応は普通の光景だった。

 コウタは、さらに奥地まで《ディノス》を進ませた。


 そして――絶句した。

 突如、森を切り裂くような巨大な崖が現れたのだ。

 ――いや。それは崖であって崖ではなかった。

 森の果てに、いきなり空が現れたのである。

 崖沿いに、コウタは《ディノス》を疾走させた。

 そうして半日ほどかけて全周する。ここが巨大な島であり、なおかつ空に浮いているのだと理解するまで十数分も要した。


『……ココハ、閉ザサレタ世界ダ』


 零号が語った言葉が、脳裏に反芻された。

 その日は、流石にコウタも彼女・・も酷く落ち込んだ。

 もはや救援も望めない。

 だが、それでもコウタは諦めていなかった。


(……そう。まだ希望はある)


 自分の持つ黒剣をかざした。

 脱出の鍵は、恐らくこの剣だ。

 零号は「世界を斬れ」と言っていた。

 この剣にはそれが出来る、と。


(仮にこの場所が相界陣と同じ性質のモノだとしたら)


 破壊することは可能なはずだ。

 そう信じて、修練を積むことにしたのである。

 この剣の特殊性は、手探りながらも掴めてきたとは思う。

 だが、二ヶ月の修練程度では、使いこなすまでの域には達していなかった。


(もっと頑張らないと)


 ――二か月間。

 かつて、こんなにも長くメルティアの傍を離れたことはない。

 強い不安を感じるが、コウタには思うこともあった。

 それはこの世界の『時間』だった。


「…………」


 コウタは、無言で自分の髪を一房掴んだ。

 二ヶ月経っても、全く伸びていない自分の髪を。

 この髪だけではない。

 爪も伸びる様子がなかった。


(……この世界って……)


 双眸を鋭く細める。


(多分、時間の流れが変なんだ。ボクの体と世界の時間に大きなズレがある)


 あくまで推測だが、この世界の時間の流れは恐ろしく速いのだろう。

 この世界に取り込まれた時、コウタたち・・の精神はこの世界の速さに順応したのだ。

 しかし、肉体の方は元の時間のままになっているようだ。恐らくここでの一ヶ月はステラクラウンでは十数分程度なのかもしれない。

 肉体がほとんど老化しないまま、月日だけが過ぎ去る世界。

 あらゆる意味で、この世界は閉ざされているのである。


(時間的なアドバンテージは不幸中の幸いなのかもしれない。けれど)


 かと言って、のんびりなどもしていられない。

 故郷には、メルティアが待っているのだ。

 アイリにも必ず帰ると約束した。アヤメも信じてくれている。

 リーゼは心配してくれているだろうし、リノとジェシカには、暗闇の中から引き上げた責任がある。必ず彼女たちを幸せにしなければならない。

 帰る理由が女の子ばかりだが、ジェイクやアルフレッド、しばらく会っていないクラスメートたちとも再会したい強い気持ちもある。

 コウタは、改めて決意を固めた。


 と、その時だった。

 ふと、人の気配を感じた。

 この巨城で人間はもう一人しかいない。

 コウタが振りむくと、そこには想像通りの人物がいた。


「おはよう」


 コウタが微笑みながらそう告げると、彼女は走り出した。


「――コウタっ!」


 そうしてコウタの胸の中に飛び込んでくる。

 困った顔で、コウタは彼女を受け止めた。


「危ないよ。剣を持ってる時に抱き着くのは」


 そう告げたところで気付く。

 彼女の服が、初めて見るモノだということに。


(うわっ!)


 しかも、かなり大胆な衣装である。反射的に腰に手を添えたが、背中は素肌だった。その上、薄地であるのか、押し付けられる彼女の双丘の圧倒的な感触は……。


「え、えっと、エル・・……」


 コウタは、顔を赤くしつつ口を開いた。


「その、離れてくれる? やっぱり剣を持ってて危ないから」


 そう言い訳するが、彼女は「や」と返してきた。


「寝起きでコウタ成分が不足しているから補充中なのだ」


「……エルまでメルみたいな台詞を……」


 柔らかすぎる彼女の温もりにドギマギしつつ、コウタは嘆息した。

 彼女の名前はエル・・

 と言っても、それは偽名だった。

 初めて会話をした時、彼女はこう言ったのだ。


『蛮族に名乗る名はない!』


 ――と。

 しかし、名前を知らないと呼ぶ時に困ると告げたら、


『え? 困るのか? なら、ミュ……えっと、うん。エルと呼べ』


 そう返してきた。家名はと聞くと、


『え? あ、うん……少し考えるから待ってて』


 結局、その日、家名は出てこなかった。

 ちなみに今でもまだ出てきていなかったりする。

 彼女とコウタは、この異常な世界に放り込まれたたった二人だけの人間だ。

 だからこそ、コウタは出来るだけ友好的に会話をすることに務めた。

 結果、分かったことは、エルはあのベルニカさんと同じ国の騎士・・らしい。

 なんでも攫われたベルニカさんを取り戻すために、今回遠征してきたとのことだ。

 それが侵入者たちの正体だったようだ。

 だが、それ以上のことはほとんど聞き出せなかった。

 蛮族に話すことはないと、彼女が頑なだったからである。


『どうしても知りたくば』


 十数分前、コウタに抱きついて『暗いのやだァ! 狭いのやだァ!』と、ギャン泣きしていた彼女が長剣の切っ先をコウタに向けた。


『この私を倒すことだな!』


 そう宣言する。しかも、よほど自分の力量に自信があるのか、『私に勝ったら、私のすべてをくれてやる!』とまで言い出した。

 コウタは困りつつも、根気よく説得しようとしたが、彼女は聞こうとしない。

 決闘の一点張りだった。多分、あまり弁が達者でないことを自覚しているから、自分の得意分野に持ち込みたいのかも知れない。


 仕方がないので、コウタは決闘を受けることにした。

 結果から言うと、コウタは勝利した。

 実際のところ、彼女はかなり強かった。長身かつしなやかな筋力も持っているようで、フィジカル的には相当な才能だ。剣の技量もリノに迫るモノがある。


 しかし、どうにも真っ直ぐすぎた。

 剣に全く虚実がないのだ。

 ごく普通の少年のように見えても、とんでもない実戦経験を持つコウタに、そんな素直すぎる教本のような剣で敵うはずがない。

 だが、彼女は、その結果が信じられなかったようだ。


『……え?』


 重い鎧ごとひっくり返されて目を丸くした。

 が、すぐに立ちあがって。


『も、もう一度だ!』


 そう言って再戦を挑んできた。結果は同じだ。

 それをその日だけで十回繰り返した。五回目ぐらいから彼女は涙目だった。


『ふぐうっ! 明日もう一回ィ! ひっく! 今日はぁ!』


 彼女は、自分の右腕を突き出した。


『この手! この手の所有権をお前に渡すからぁ!』


『……え?』


 目を丸くするコウタに、彼女はさらに叫ぶ。


『明日は左手! けど、私が勝ったら右手は取り戻す! いいなっ!』


『いや、「いいな」って、なにその怖いルール』


 コウタは困惑した。

 ともあれ、翌日も決闘をした。

 重い鎧が敗因だと思ったのか、翌日の彼女は騎士服だった。完全武装だった昨日は分からなかったが、凄くスタイルが良い。まるでしなやかな豹のようである。

 ただ少し既視感を抱いた。彼女は誰かに似ているのだ。


(あ、そっか)


 オトハ=タチバナだ。兄の恋人である。

 肌や髪の色、身長は違うが、見事なスタイルも凛々しい顔つきもどこか似ている。

 ただ、似ているのは容姿と性格までだった。

 その力量は、未来の義姉には遠く及ばなかった。

 なにせ、あの義姉は今のコウタよりも強いのだから。


 閑話休題。

 その日の決闘も、結果は同じだった。


『ふぐう……』


 優しく床に倒されて、顔を両手で覆ってエルは呻いた。

 翌日から、彼女は自分の体を細かく分割して賭けるようになった。

 ただ、そこから彼女は日に日に弱くなっていった。

 少しずつ失う恐怖と焦りから、ロクに睡眠も取っていないようだった。

 結果、コウタが、彼女の体の所有権を全部得るのに一週間かからなかった。


 もう賭けられるモノがない。

 その日、彼女は憔悴しきった顔で自室に戻った。


 そうして夕食時になっても、彼女は食事に来なかった。

 流石にコウタも心配になって、初めて彼女の部屋へと行った。

 ノックをするが返事はない。取っ手を掴むと鍵もかかっていなかった。

 コウタは、不安になって部屋に入った。


『――ひ』


 そこにはベッドの縁に腰を掛けて、怯え切っているエルの姿があった。


『……エル?』


 コウタが目を剥くと、彼女は喉を鳴らしてこう告げた。


『き、来たのか。う、うん。分かっている。私は負けたから。これからお前に何をされるのか、私も女だから、その、知識はある……』


 指先を組んで『け、けど』と呟き、肩を震わせた。


『自分より強い男なら構わないと思っていた。望むところとまで思っていたんだ。けど、これから知らない男に触れられると思うと……』


『…………』


 コウタは沈黙した。そうして小さく嘆息した後、


『……隣。少しいいかな?』


 彼女に許可を取って、エルの隣に腰をかけた。


『改めて名乗るね。ボクの名前はコウタ=ヒラサカって言うんだ』


 そう切り出して、彼女に語り掛けた。

 幼馴染のこと。学校のこと。友達のこと。故郷のこと。兄のこと。

 主に自分の話だった。

 エルは、静かにコウタの話を聞いていた。


『ボクは君を傷つけることはしないよ』


 コウタは優しい笑みを見せて、そう宣言する。


『だから怯えないで。エル』


『……コウタ』


 エルは、初めてコウタの名を呼んだ。


『ありがとう。けど、コウタ……』


 エルは、コウタの手を取った。

 そして恐る恐るとだが、自分の頬に触れさせた。


『コウタを蛮族と呼んでごめんなさい。けど、ケジメは必要なんだ。私は負けて、この体はコウタの所有物になったのは事実なのだから』


『……いや、その件ならもう反故にしてくれていいよ。というより、是非とも反故にしてください。お願いします』


 コウタが引きつった顔でそうお願いするが、エルはかぶりを振った。


『ダメ。これは約定だから。今さらながら理解したんだ。私には覚悟が足りていなかったって。口先だけで決闘の重さを軽んじていたんだ』


 瞳をゆっくりと細めて、


『……うん。私は負けた。私はもうコウタのモノなんだな。この心も』


 自分の胸元に片手を当てた。


『これからの私の人生はコウタと共に在る。コウタに服従する。この体もコウタから預かった管理者・・・として、いつも綺麗にしておく』


 ふうっと熱い吐息を零した。

 そこで、彼女は少しうつらうつらと船をこぎ始めた。

 連日の決闘。睡眠不足も祟って、体力も精神力も限界が来たのだろう。

 何より今、思い詰めていたモノが消えたことが大きかったのかも知れない。

 本当の覚悟を決めた時、心の重さがすっと消えたのだ。


『エル? 大丈夫?』


 コウタは、彼女の肩を支えた。

 彼女は、トロンとした眼差しをコウタに向けた。

 自分よりも強くて優しい少年。自分の主人・・だ。


『……コウタさま……』


 熱の籠った声で、その名を呼ぶ。

 そして彼女はこう宣誓した。


『《夜の女神》の御名の前に誓います。この体も。騎士の誇りも。この心も。私のすべてをコウタさまに捧げることを』


『……え? 《夜の女神》?』


 コウタは一瞬キョトンとしたが、ハッとした。


『ええッ!? エル!? 今、《女神の誓約》をしたの!?』


『うん……』


 エルは、こくんと頷いた。


『した。あとこれも誓う。私はコウタの子を産む』


『――エル!?』


 コウタはギョッとするが、エルはそこでカクンと頭を揺らした。

 完全に意識を失ったのだ。

 そのまま、コウタの腕の中に倒れ込んでくる。


『エル!? ちょっと待って!? なんてことを宣誓するの!?』


 そう声を掛けるが、その夜、疲れ切った彼女が目覚めることはなかった。

 コウタの腕の中で安らかな寝息を立てていた。

 かくして。

 吹っ切れたように、彼女がデレ始めたのは翌朝からだった――。

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