幕間二 燃え上がる野心

第427話 燃え上がる野心

 シン、と。

 森に静寂が広がる。

 そんな中、ゆっくりと。

 とてもゆっくりと、二人の唇が離された。

 女性の口から熱い吐息が零れ、銀色の糸を引いた。

 男はニヤリと笑い、親指で女性の唇に触れて銀糸を拭った。


「少しは巧くなってきたじゃねえか。ホラン」


「………」


 男――ダイアン=ホロットの台詞に、女――ホラン=ベースは無言だった。

 ただ、ダイアンの腕の中で、あごを上げて睨みつけている。

 ダイアンは「ふん」と鼻を鳴らして、彼女の乳房をより強く掴んだ。

 ホランは小さく呻いた。そんな彼女にダイアンは尋ねる。


「お前が処女を捧げた相手は誰だ?」


「………」


 ホランは、視線を逸らした。

 ダイアンは、続けて彼女の耳元で囁く。


「何も知らなかったお前に女の悦びを教えてやったのは誰だ? 最後まで拒んでいたキスを『どうかしてください』とせがんだ相手は誰だ?」


「………」


 ホランは、静かに唇を噛んだ。


「強がるなよ」


 ダイアンは、彼女の乳房を大きく動かし、指先でその感触を堪能する。

 彼女は、声を零さないようにより強く唇を噛みしめた。


「男の悦ばせ方だって丁寧に教えてやっただろ。これの使い方だってな」


「………ッ」


 彼女は目尻に涙を溜めて、身を震わせていた。

 だが、ダイアンの腕の中から逃げようとしない。

 ――いや、逃げることが出来なくなっていた。


「お前はもう俺の女なんだよ」


「…………」


 ホランは無言だ。ダイアンは鼻を鳴らした。


「お前が《女神の誓約》まで使ってそう誓ったからこそ、少しばかり早いと思ったが、あそこから出してやったんだぜ?」


 ――《女神の誓約》。

 それは《夜の女神》の名における神聖な誓いだった。

 主君と決めた者に絶対の忠誠を。

 もしくは、愛する人に永遠の愛を捧げる誓いである。

 儀式的な束縛はないが、宗教的な意味合いでは非常に重要な誓いだった。


「《夜の女神》に誓ったことを破る気かい? 聖アルシエドの騎士さまが?」


 クツクツと、ダイアンは笑う。

 それから視線を逸らすホランのあごに手をやった。

 強引にその唇を奪う。

 ホランは、微かに震えるだけで無抵抗だった。

 しばらく堪能してから、ダイアンは鋭く双眸を細めた。


「お前の強情なところは嫌いじゃねえぜ。おかげで、あの数ヶ月・・・は随分と愉しませてもらったしな。だが、そろそろ手間を取らせんじゃねえよ。いいか。素直に俺の頼み事を聞いてくれんなら、そこまで酷い扱いはしねえよ」


「………私は」


 そこで、初めてホランは口を開いた。


「……何をすればいいんだ?」


「お。少し素直になったな」


 ダイアンは笑みを見せる。


「なに。目的はあそこ・・・で話した通りだ。俺は王に成る」


「…………」


 沈黙するホランに、ダイアンは意気揚々に語った。


「そのためにはミュリエル殿下が必要なのさ。だが、あの女は俺よりも強えェ」


 言って、懐から翡翠の宝玉を取り出した。

 ホランが、ビクッと肩を震わせた。


「安心しな。お前には使わねえよ。ただ、こいつは定員が二人らしくてな」


 ダイアンは、かぶりを振った。


「これを使えば拉致るのは簡単だが、流石に元気一杯なお姫さまとタイマン張って勝つ自信はねえ。ここまで言えばもう分かるだろ?」


「………私に」


 ホランは、ギリと歯を鳴らした。


「姫さまを裏切れと? 姫さまに手傷でも負わせろと?」


「まあ、そういうこった」


 ホランを完全に離して、ダイアンは両手で肩を竦めた。

 彼女はグッと拳を固めた。


「そんなこと――」


「出来ねえとは言わせねえぞ」


 ホランの台詞を遮って、ダイアンは彼女の短い前髪を掴んだ。


「勘違いすんな。お前はもうお姫さんの騎士じゃねえ。俺の女なんだよ」


「………ッ」


 ホランは、さらに拳を強く握りしめた。

 しかし、反論はしない。ダイアンは彼女の髪を離した。


「まあ、仕掛ける機会はこっちで見極めるさ。それまでお前は親衛隊に戻ってろ」


「……分かった」


 言って、彼女は背中を向けて歩き出した。


「ああ。そうそう」


 その背中に、ダイアンは声をかける。


「今日から毎日、夜には俺のテントに来いよ。可愛がってやるからさ」


「…………」


 彼女は何も答えない。

 ただ、頷きはしなかったが、拒絶することもなかった。

 黙々と森の中を歩き続け、そのまま姿を消した。


「……強情だねえ。ホランちゃんは」


 ダイアンは肩を竦めた。

 すでに心は折れているというのに、いつも必死に声を押し殺そうとする。

 キスにしても散々拒み、耳元で『このまま孕みたいか』と脅すことで、ようやく自分から差し出したぐらいだ。

 本当に強情な女だった。まあ、今となっては過去の話だが。

 あそこで過ごした日々・・を思い出し、下卑た笑みが零れそうになった時だった。


「うん。下準備は順調に進んでいるようだね」


 不意に森の奥から声を掛けられた。

 ダイアンはハッとして、


「これは旦那!」


 頭を深々と下げた。

 そこにいたのは、黄金の髪の少年だった。


「……ふ~ん」


 少年は、ホランが去った方角を見やり、


「彼女が君の手駒?」


「ええ。まあ」


 ダイアンは頭に片手を置き、二ヘラと笑う。


「まだ少し意地を張ってますが、手間をかけただけあって調教は完璧ですよ」


 これも旦那のおかげです。

 と、再び頭を下げる。


「う~ん、えっと」


 すると、少年は困ったような表情を見せた。


「彼女を選んだのって、やっぱりあのお姫さまの側近だから?」


 その問いかけに、ダイアンは顔を上げて首を傾げた。


「ええ。まあ。俺の好みもありますけど、それが一番の理由っすね」


「うわあ、だとしたらごめん」


 少年は、手を重ねて謝罪した。


「君に上げるって言ったお姫さまだけど、ごめん。無理になったんだ」


「え?」ダイアンは目を瞬かせた。「それってどういう事っすか?」


「……ちょっと敵の中に見過ごせない相手がいてね」


 少年は言う。


「危険だと思って封印したんだ。その際、彼女も一緒にね」


「――ええッ!?」


 ダイアンは愕然とした。


「マジっすか!? それってこれと同じっすか!?」


 言って、翡翠の宝玉を取り出した。少年は「うん」と頷いた。


「僕は傍観するつもりだったんだけど、流石にね」


「……旦那がそう思うほどの化け物だったってことですか」


 ダイアンは、神妙な声で呟いた。


「けど、その化け物も封印は出来たってことっすよね。なら、お姫さまだけ出すってことは出来ねえんすか?」


「出来るけど、それはお薦めしないね」


 少年は、かぶりを振った。


「彼女には、彼の精神安定剤になってもらうつもりなんだ。それを無理に取り上げては、彼がどんな行動に出るか分からない」


「いや、行動って……」


 ダイアンは眉をひそめた。


あそこ・・・じゃあ何も出来んでしょう」


「……彼ならやりかねないんだ。僕の直感がそう告げている。追い詰めすぎると、何か恐ろしいことをやり遂げてしまうような気がする」


「…………」


 ダイアンは沈黙した。

 そして、


「そうっすか……」


 ボリボリと頭を掻く。


「旦那がそこまで警戒すんのなら仕方がないっすね。あの女のことは惜しいっすが、ここはプランを変更しますよ」


「そう言ってくれると有難いよ」


 少年は笑った。ダイアンは嘆息した。


「つうか、これでホランを堕とした意味が一気に無くなったっすね。まあ、それ以外でも使い道はある女ですけど……」


「君の国には、他にもまだお姫さまはいるんだろ?」


 少年は提案する。


「なら、今回は武勲を上げなよ。お姫さまの弔い合戦って奴だ。さっきの子にも協力してもらってさ」


「……まあ、次善策としてはそれが無難ですけど……」


 ダイアンは、翡翠の宝玉を自分の顔辺りまで掲げた。


「ところでこれ。もう少しだけお借りしてもいいっすか? 第一と第二王女を堕とすのにも便利ですし、あの綺麗すぎる王妃さんで今回ダメになった姫さんの代わりに愉しむってのもありかなって思っているんで」


 王宮掌握に王族の女を全員手籠めにすんのも良い手っしょ。

 肩を竦めて、外道な台詞を告げるダイアン。


「ああ。それなら別にいいよ」


 一方、少年は朗らかにそれを快諾した。


「どうせなら、君が死ぬ時まで貸してあげるよ。僕にとって人の人生なんて瞬くような時間だしね」


「あざーすッ!」


 陽気に感謝の言葉を告げるダイアンだったが、内心では冷たい汗を流していた。

 本能が、ずっと警告している。

 今ここでどれほど親しそうに会話をしていても、この少年の姿をした存在は、間違いなく化け物であると。


(だが、それでも構わねえさ)


 自分の野望に手を貸してくれるのなら、女神でも魔竜でも構わない。

 利用できるものならば、神であろうと利用するまでだ。


「君のその強かさは好ましく思っているよ」


 そんなダイアンの心情を見透かすように、少年は言う。


「ガンダルフが見せてくれる魂の輝きも興味深いけど、君の欲深い炎もまた面白い。君の成り上がり、見届けさせてもらうよ」


「……ええ。了解しやした」


 ダイアンは、翡翠の宝玉を覗き込むように双眸を細めた。

 それから不敵に笑い、


「旦那の期待にお応えしやしょう。俺の生き様を見届けてくだせえ」


 野心を禍々しく燃やしつつ、彼はそう告げるのだった。

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