第397話 御子の使命⑤

 そこには、闇があった。

 深い、深い闇。

 まさしく黒一色で塗りつぶされた世界だ。

 生物の姿もない静かな世界。

 そこに、彼は居た。


 ただ一人――いや、一頭のみでそこに存在した。

 真紅の鱗に、山河さえも上回る巨躯。

 四肢と巨大な竜尾。さらには三つの鎌首を持つ獣。

 全身に無数の傷を持つ怪物だった。

 その六つの瞳に睨み据えられれば、人など消し飛ぶかもしれない。

 傷ついてなお、それほどの威容を放っていた。

 だが、この孤独な世界においては、彼に威容にひれ伏す者もいない。


『…………』


 彼は無言のまま、山脈が如き竜尾を揺らした。

 仮にステラクランならば、大気を震わせ、大地を鳴動させるような所作も、この世界では何の意味もない。とても虚しく感じる。


『……ムウ』


 実に退屈そうに、彼は嘆息した。


『……流石二、タイクツダ』


 ゴフウッ、と。

 膨大な炎の息を零し、思わずそう呟く。

 この世界は、次元の狭間と呼ばれている。

 異界同士の間にいつしか生まれた世界。

 何もなく、ただ魂のみが行きかうだけの場所だ。


 ――魂の回廊。

 そのようにも呼べる場所なのだが、そこに居座る彼自身には、死の概念がない。


 肉体が激しく損傷したとしても、故郷へと渡ればいずれ癒える。


 死とは、別世界への旅立ちだ。

 生の限られた者には旅立つ前の世界に戻ることなどできないが、異界渡りと呼ばれる権能を持つ彼にとっては、自在に行き交うことが可能だった。

 何度でも戻れる。何度でも蘇る。

 それゆえの不死である。


 だが、とある世界で心臓を射抜かれた時、彼はその力を『奴ら』に妨害された。

 結果、彼は異界――故郷へと渡ることが出来ず、このどこでもない狭間で、魂から再生することになってしまったのである。


 異界渡りの権能を持つ彼も、この狭間の回廊に迷い込んではどうしようもない。そもそも、ここはいかなる異界にも属さない場所なのだから、渡りようがない。


 彼は、この牢獄に囚われてしまった。

 もう数千年にも渡ってである。


 永遠の命。無敵の巨躯。無双の爪牙。

 それらも、この世界においては無用の長物であった。


『……忌マワシキ、「奴ラ」メ』


 牙を軋ませ、かつての敗北を思い出す。

 あの頃の自分は、怒りと憎悪に囚われていた。

 彼の世界で起きた、あの悪夢。

 どうしても『奴ら』が許せず、『奴ら』に関わるモノをすべて滅ぼそうと考えていた。

 世界を滅ぼし続ければ、いずれ『奴ら』へと届くと思っていた。

 だが、その結果、『奴ら』の中では、唯一の例外とも言えた『彼女』とまで対峙することになったのである。


 ……愚かだったと思う。

 そのため、まだ若き魔王であった友まで巻き込んでしまった。


 とある世界にて、見初めた青年だった。

 その生き様に心打たれ、異例中の異例だったが、彼とは交友があった。

 だからこそ、彼は母とも呼べる『彼女』を裏切ってまで、自分に味方してくれた。


 あの戦いの果て、彼は一体どうなったのか。

 それだけは、ずっと気がかりであった。

 不死の自分と違い、恐らく、彼の死は免れない。

 だが、その魂まではどうなったのか。


 友の行為は極刑に値する。その魂を消されてもおかしくない。

 けれど、慈悲深い『彼女』ならば、もしくは――。


『……詮ナキコトカ』


 考えても、こればかりは知ることも出来ない。

 とはいえ、この世界で許されるのは思考だけなのも事実だ。

 考えてしまうのも、仕方がないことだった。 


『……退屈ハ、魔王モ、コロスカ』


 そんなことを呟く。

 と、その時だった。


『……ヌ?』


 おもむろに、大河のような三つの鎌首を動かした。

 一瞬だけ、遥か先に光が見えたのだ。


『……光ダト?』


 彼は、巨躯から巨大な翼を生やして、光の元へと飛んだ。

 音よりも遥かに早い飛翔だ。

 それでもなお遠いが、近づくほどに、その光ははっきりと目に届いた。

 あれは、数千年間において初めて現れた導きの光だった。

 そうして、


『……コレハ……』


 三組の双眸を細める。

 辿り着いた先。そこには小さな光があった。

 微かではあるが、とても暖かい光だ。


『……命ノ、匂イ?』


 絶大な自信を誇る嗅覚が、そう告げている。


『……新タナ、命ノ概念ガ、ウマレタノカ?』


 いずこかの世界で、全く新しい命の概念が生まれた。

 その輝きが、彼をここに導いたのである。

 彼は、恐る恐る巨大な掌で光を囲った。

 すると、


 ――寂しい。寂しい。寂しい――


 そんな声が耳に届いた。

 それは、少女の泣き声だった。

 彼は訝しみつつ、さらに光に掌を近づけた、その瞬間。

 彼の意識は、光に包まれた。

 ………………………。

 …………。


 

 気付いた時、彼は見知らぬ部屋の中にいた。

 かなり驚く。かの牢獄から飛び出たことにも驚いたが、それ以上に、自分が入れるような部屋があるということにだ。


「……ココハ……」


 彼がそう呟くと、


「――起動しました!」


 不意に、少女の声が聞こえてきた。

 次いで、少女が顔を覗き込んでくる。


 ――何という巨大な少女か!

 彼は驚いた。

 まだ幼い少女だが、その頭のサイズは、彼よりも大きいのではないか?


「成功です! 遂に成功しました!」


 紫がかった銀髪の少女は、ネコミミを、ピコピコと動かして喜んでいる。


「……ヌ?」


 彼は首を傾げた。

 違和感を覚えて、両手で首に触れる。おかしい。首が一つしかない。

 いや、そもそも手が小さい。何故か紫色の鎧を着ているようだ。


「……ヌヌ?」


 困惑する。

 ここまで来ると、流石に自分の体が全く別物になっていることに気付く。

 山脈のようだった自分の巨躯に比べると、恐ろしく小さくなっているのだ。

 すると、


「良かった。本当に良かった」


 ぎゅうっと。

 幼い少女が、彼に抱き着いてきた。


「あなたは私の初めての子です。だからお願いです」


 彼女は言う。


「ずっと、ずっと私の傍にいてください」



 それが、あの子の最初の命令オーダー

 懐かしい。

 とても懐かしい言葉だった。

 悠久の時を生きた自分でさえ懐かしく感じるのは、その日から始まった忙しさゆえか。


 最初は彼だけだった。

 けれど、あの子は、沢山の兄弟たちを造ってくれた。

 彼をこの世界へと導いてくれた、新しい命の概念たち。

 我が愛しき弟たちである。


「……? どうかしましたか?」


 その時、少女が屈みこんで声を掛けてくる。

 紫銀の髪と、ネコミミを持つ少女。

 初めて出会った日から、美しく成長した少女だった。

 彼にとっての救い主。守るべき者である。


「……ヌ。少シ考エゴトヲ、シテイタ」


「そうですか」


 彼女はそう呟くと、彼が座っていた長椅子に腰をかけた。

 彼は、横を見やる。

 それから、周囲にも目をやった。

 少年少女たち。ここにいる者のほとんどは、彼女の友人だった。


 かつて孤独だった幼い少女。

 成長した彼女は、沢山の友人に囲まれるようになった。


 けれど、その横顔は、とても暗い。

 彼は、少し申し訳ない気分になった。

 今回の件は、言ってみれば、自分の身内・・がしでかしたことだ。

 退屈がトラウマレベルで嫌いになった彼にとっては、実に面白い展開ではあるが、彼女にこんな顔をさせてしまうのは、どうにもいただけない。


「……許セ。メルサマ」


 彼は謝罪する。


「え?」


 少女は、キョトンとした表情で彼の方に振り向いた。


「唐突になんですか?」


「……今回ノコトハ、反省シテイル。ダガ、コレダケハ、知ルガヨイ」


「……? 何の話ですか?」


 話が見えない彼女は、小首を傾げる。


「……コウタノ、使命ニツイテダ」


「コウタの使命?」


「……ソウ。コウタノ使命ダ。コウタノ、一番ノ使命トハ」


 彼――零号は言う。


「……メルサマヲ、幸セニ、スルコトナノダ」

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