第二章 とある幼馴染の憂鬱

第333話 とある幼馴染の憂鬱①

 コツコツ、と足音が響く。

 まるで鏡張りのような廊下を、一人の少年が歩いていた。

 年の頃は十六歳ほどか。

 燃えるような赤い髪と、同色の瞳。顔立ちも美麗だ。

 見事なまでに重心を掌握した体に覆うのは黒い騎士服と白いサーコート。そのコートの背には、紋章が刻まれていた。

 盾の形をなぞる黒枠の中に、神槍を片手に背を向ける《夜の女神》のシルエット。その女神の背を守るかのように、円の軌跡を描いた銀色に輝く七つの極星。


 ――《七星》の紋章。


 グレイシア皇国において、七人にしか許されていない最強の証たる紋章だ。

 それは、赤い髪の少年が、最強の騎士の一人であるということだった。


 ――アルフレッド=ハウル。

 皇国の若き騎士であり、皇国の名門・ハウル公爵家の次期当主でもある少年だ。

 そして、とある事件でコウタと友人になった少年でもある。

 アルフレッドは、無言で廊下を進んでいた。

 と、途中で、同世代の少女たちがこちらに向かって歩いてくるのに気付いた。

 白い上着ブレザーに、黒いスカートを履いた少女たちだ。

 上着の胸元には、大きく数字が刻まれた、この学校の校章が付けられている。

 刻まれた数字は二人とも『Ⅰ』。彼女たちが一回生である証明だ。


「ハ、ハウルさま!」「え? あ、アル……ハウルさま!」


 少女たちはアルフレッドに気付き、驚いたようだ。

 驚きすぎたのか、二人とも顔が紅潮していた。


「やあ。ごきげんよう」


 アルフレッドは、にこやかに笑って挨拶した。

 少女たちはますます赤くなって、


「ご、ごきげんよう、です」「よ、ようこそ学園へ」


 と、おどおどと応えてくる。

 彼女たちは、アルフレッドが通り過ぎるまでその場に固まっていた。

 アルフレッドは二人に軽く手を振って、そのまま廊下を進んでいった。

 後ろからは「な、なんでアルフ先輩が!」「あ、あれじゃない? 二回生の……」といった声が聞こえてくる。


(……アルフ先輩か)


 アルフレッドは苦笑した。

 自分が、母校であるこのアノースログ学園でそう呼ばれていることは知っている。

 愛称と先輩を繋げてくれた親しみやすい名前である。

 アルフレッドは、その名前を好ましく思っていた。

 しかし、後輩たちは面と向かっては、滅多にそう呼んでくれない。

 話をする時には、必ず「ハウルさま」と呼んでくるのだ。

 そのことは、少しだけ寂しく感じていた。在校生たちは、アルフレッドに対して、必要以上に距離を取っているような気がする。

 自分が在学していたのはわずか半年ほど。あまりに能力が突出しすぎていたため、祖父が学園に働きかけて、例外的に飛び級で卒業となってしまった。

 ある意味、母校では伝説的な先輩扱いになっているのだ。


(僕としては、出来れば普通に卒業したかったな)


 それが、アルフレッドの本音でもあった。

 稀代の天才である彼だが、その心は普通の少年でもあるのだ。

 母校に訪れると、いつもそれを思う。

 と、アルフレッドが感傷に浸っている内に、目的の部屋に到着した。

 大きな扉には『生徒会室』というプレートが設置されている。

 在学中は、一度も入室したことのない部屋だ。

 アルフレッドは、コンコンとノックした。

 すると、数秒ほど経って、


『どうぞ。鍵はかかっていませんので』


 そんな声が聞こえてきた。

 アルフレッドは、一瞬だけ眉根を寄せた。


(……本当に『彼女』の声だ)


 わずかにだが、躊躇する。

 少し入室するのに腰が引けた。

 しかし、いつまでも立ち尽くしていても仕方がない。

 アルフレッドは覚悟を決めて、扉を開いた。

 初めて入る生徒会室。

 そこは、相当に豪華な部屋だった。

 床には赤い絨毯。壁には巨大な書棚。十数人は入れそうな大きな部屋の中央には、来客用なのか、大理石の机と、二つの黒いソファもある。窓はとても大きく、その向こうにはバルコニーも見える。


(……うちの団長室より豪華だ)


 そんなことを思いつつ、視線を前に向ける。

 俗にいう執務席。そこには、三人の少女がいた。

 一人は執務席に座り、他の二人は立っている。

 執務席に座る少女を中心に、左右を守っているような印象だ。

 校章は『Ⅱ』。三人とも二回生だった。

 アルフレッドは、まず立っている少女たちを一瞥した。


 まず右側。整った顔立ちに、温和な表情を浮かべる彼女は、水色の髪をしていた。大腿部まで届いているとても長い髪だ。瞳の色も同色だった。アルフレッドに並ぶぐらいの高身長で、スタイルもよく、そのため、アルフレッドよりも少し年上に見えた。

 彼女は、アルフレッドと目が合うと、ニコッと笑ってくれた。


(確か、彼女は副会長だったか)


 アノースログ学園・二回生。

 名前は、フラン=ソルバだったはず。ソルバ伯爵家のご令嬢だと聞いている。


 次に左側。黒い瞳の少女だ。

 サラリとした同色の髪をうなじ辺りまで伸ばしている。彼女も綺麗な顔立ちではあるが、その表情は暗く、顔の左半分を髪で隠していた。

 身長はかなり低く、体つきは他の二人に比べると、かなり幼い。年齢的には十二、三歳ぐらいにも見える。首元をぴっちりと覆う黒い服は、インナースーツのようだ。大人しそうな印象のある彼女は、特に表情を変えることもなく、アルフレッドを観察していた。

 彼女も二回生。黒髪、黒い瞳からしてアロン大陸の出身者だろうか。

 帯剣する短剣も、黒い鞘の鍔のない短刀だった。

 名前は確か、アヤメ=シキモリだったか。

 学園長からは、生徒会の書記兼会計だと聞いている少女である。


 そして最後の一人。

 彼女を言い表すとすると、豪華絢爛。天を突く炎だろうか。

 腰まで伸ばした髪の色は、真紅とは違う明るい赤。まるで彼女の性格を表すように、ピンと一本だけ天に向かって跳ねているの癖毛が特徴的な髪型だ。

 顔立ちは非常に美しく、瞳の色は髪と同じ赤。勝気なその瞳の中に、炎でも宿すような眼差しでアルフレッドを睨みつけている。

 アルフレッドが豪華絢爛と評するだけあって、スタイルもまた抜群だった。

 流石にあれだけ大きいとやっぱり重いのか、執務席の上に、豊かな胸をずしりと乗せて肘を突き、指を組んでいる。

 アルフレッドは、彼女とだけは面識があった。


「……やあ」


 内心では少し腰が引けながら、アルフレッドは手を上げた。


「久しぶりだね。アンジュ」


 彼女は一瞬の間を空けた。少しだけ表情を険しくする。


「……ハウル騎士」


 彼女――アンジュ……アンジェリカ=コースウッドは、小さく嘆息した。


「お久しぶりです。しかし、今の貴方は公務で来られたのでは?」


「……う」


 出来るだけにこやかでいようとしていたアルフレッドは、頬を強張らせた。

 彼女は微笑む。

 まるで炎が揺らめいて生まれた陽炎のような笑みだ。

 幻想的にも見えるが、少し怖い。


「まあ、よいでしょう。久しぶりに知己と会ったのです。ですが、今後は、公私混同は控えてください」


「わ、分かった……失礼、しました」


 アルフレッドは顔を強張らせたまま、そう答えた。


(か、変わらないな。アンジュは)


 ――アノースログ学園の二回生。

 生徒会長。アンジェリカ=コースウッド。

 彼女の名を学園長から聞いた時は、アルフレッドは思わず胃が痛くなった。

 コースウッド侯爵家は、血統的にはハウル家の分家に当たる。しかし、商業で大きな財を成したコースウッド家は、今や、ただの分家とは言えず、主家であるハウル家にも劣らないほどの名門となっていた。

 そして縁戚である以上、当然ながら、彼女とは顔見知りだった。


 と言うより、俗にいう幼馴染なのである。

 幼少時は、よく遊んだ仲だった。

 だが、年齢を重ねるにつれて、やや疎遠となっていた。

 理由は幾つかある。

 ハウル家の現当主――アルフレッドの祖父と、コースウッド家の現当主――アンジェリカの父の仲が、現在あまり芳しくないこと。

 アルフレッドが、正式に騎士になって忙しかったということ。

 アノースログ学園が全寮制のため、アンジェリカと顔を合わせる機会自体が、かなり少なくなっていたこと。


 ただ、一番の理由は、実にシンプルだったりする。

 アルフレッドが、彼女のことを、とても苦手に思っているからである。

 今も、内心では冷や汗をかいていた。


(……アンジュか……)


 ズキズキ、と胃が痛んでくる。

 豪華絢爛なアンジェリカは、昔からとても勝気な性格をしていた。


『アルフレッド! ついてきなさい!』


 そう告げられたら最後、よく振り回されたものだった。

 幼少時は、もう、ほとんど主従関係のような間柄だった。

 そのため、どうしても、顔を合わせるのを避けていたところがあった。


(アンジュも、悪い子じゃないんだけど……)


 どうしても苦手意識は拭えない。

 たとえ、これほどの美少女であってもだ。

 今も、口調こそ丁寧だが、威圧感が滲み出ているような気がする。

 そもそも、アルフレッドの好みは大人しい子なのである。静かではあるが、いつも傍にいてくれて、時折、甘えてきてくれるような、そんな子が好きなのだ。

 アンジェリカは、アルフレッドの好みとは真逆のタイプだった。

 ――いや、アンジェリカと過ごしたから、タイプが逆になったのかもしれない。

 そんなことを考えていると、


「ハウル騎士? どうされました? 先程から沈黙されているようですが?」


 アンジェリカが、陽炎のような笑みを深めて再度尋ねてきた。

 幼少時のトラウマがフラッシュバックして、アルフレッドが青ざめると、


「まあまあ、アンジュ」


 隣に立つ少女――フランがアンジェリカを諫めた。


「ハウルさまも、久しぶりにあなたに会って緊張されているのよ。だから、そんなに目くじら立てないで」


「目くじらなど、立てていません」


 アンジェリカが、フランを睨みつけた。


「そもそも、緊張されるいわれが分かりません。先程も申しましたが、ハウル騎士とは知己の間柄なのですよ」


 彼女は、ふさあっと髪をかき上げた。


「七ヶ月と十五日ぶりの再会を喜ぶのならば分かりますが、どうして緊張されねばならないのです」


 その台詞に、フランは嘆息した。


「あなたのその姿勢が……まあ、いいわ」


 フランは額に手を当てて、かぶりを振った。

 その様子を一度も声を出さないもう一人の少女――アヤメは、横から見つめていた。

 一方、アルフレッドは緊張したままだ。

 やはり、この幼馴染は苦手だった。


「……まあ、良いでしょう」


 アンジェリカが、そんなアルフレッドを見つめた。


「ハウル騎士もお忙しいと聞きます。ここは本題に入りましょうか」


「あ、う、うん」


 アルフレッドは頷いた。


「分かったよ。じゃあ、本題に入ろう。アンジュ……コースウッド生徒会長」


 公私混同しないように、彼女を肩書で呼ぶ。


「ええ。そうしましょう。ハウル騎士」


 アンジェリカも、それに応じた。

 フランも面持ちを改めて、アヤメは表情のないままアルフレッドを見つめた。


「では、ハウル騎士」


 そうして、アンジェリカが指を組み直して告げる。


「先に迫ってきた、エリーズ国との交流会について話し合いましょうか」

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