第11部

プロローグ

第328話 プロローグ

 夜の海。

 月明かりに照らされた甲板。さざ波の音が耳に届く。

 とても静かな夜だった。


 そんな中、一人、甲板の手すりに手をついて少年が海を見つめていた。

 黒髪と黒い瞳が印象的な、エリーズ国の騎士学校の制服を着た十六歳の少年だ。


 ――コウタ=ヒラサカ。


 この鉄甲船で、離島の小国・アティス王国から帰国中の少年である。

 コウタは、ずっと海の向こうを見据えていた。

 正確には、その先にあるアティス王国だ。

 兄と、義姉――義姉たちと呼ぶべきだろうか?――がいる王国だ。

 ほんの一日前までだが、コウタは懐かしい気持ちで目を細めていた。

 長年行方不明だった兄と再会した国。

 あの国では、本当に色々とあった。


 兄との再会と、新たな出会い。

 義姉との再会もあったし、大切な子とも再び出会うことが出来た。

 さらに戦いにおいては、兄との試合。

 宿敵との再戦。

 そして、怨敵との決着。

 大きな戦闘だけでもそれだけある。

 それ以外にも、とても記憶に残るイベントも多々あった。

 本当に、濃厚な日々だった。


「……兄さん」


 コウタは、目を細めて笑った。


「全然変わってなかったなあ」


 幼い頃から、その背中をずっと追ってきた兄。

 再会した兄は、容姿こそ変わっていたが、その本質は変わっていなかった。


 ――強く、優しく。

 コウタが尊敬していた頃と同じままの兄だった。


(まあ、傍に女の子がいっぱいいるのも変わらなかったけど……)


 コウタは、ポリポリと頬をかいた。

 あの国で出会った人たち。

 その中でも印象的なのは、女性たちだった。

 兄の養女に、兄の愛弟子。有名な女性傭兵に、侯爵家のご令嬢。

 再会した中には、あの国の王女さまに、昔、故郷で少しだけ自分の家に滞在したことのある懐かしい女性の姿もあった。

 その全員が、兄に想いを寄せているとのことだ。

 兄のモテっぷりも相変わらずだった。


(それに加えて、サクヤ姉さん、ミラ姉さん、そして――)


 そこで双眸を細める。

 出会いもあったが、別れもあった。


(……シャルロットさん)


 彼女のことを思い出す。

 コウタの級友であるリーゼの専属メイド。

 彼女が最も信頼し、姉のように慕っている女性は今、この船に乗っていない。

 アティス王国に――兄の元に残ったのだ。

 彼女もまた、ずっと兄のことを想い続けていたらしく、今回の機に兄の傍にいることを決断したのである。


(……リーゼ、大丈夫かな?)


 コウタは、リーゼのことを心配した。

 シャルロットのことは寂しいとは思うが、心配まではしていない。

 兄が傍にいるからだ。彼女はきっと幸せになると思う。

 シャルロットに想いを寄せていた親友――ジェイクの心境にはハラハラするが、親友は強い人間だ。今は流石にヘコんでいるようだが、いずれ持ち直すだろう。

 しかし、リーゼは出立する直前に大怪我をしたこともあり、頼れる存在がいなくなって不安に思っているのではないかと心配だった。


『……コウタ君』


 旅立つ前に、シャルロットにも頼まれていた。


『どうか、お嬢さまのことをよろしくお願い致します』


 深々と頭を下げるシャルロットに、コウタは強く頷いた。

 リーゼには本当に多くのことでお世話になっている。

 今回、彼女が重傷を負ったのもある意味ではコウタのせいだ。彼女のことはこれまで以上に気遣うつもりだった。


「うん。少しリーゼの様子を見に行こうかな」


 そう呟いて、振り向いた時だった。


「おお。ここにおったか。コウタ」


 ばったりと、彼女と視線がぶつかった。

 年の頃は十四~五歳ほど。

 美麗な顔立ちに、同年代よりもかなり低身長ではあるが、抜群のスタイル。

 ネコ耳を彷彿させるような癖毛がピンと立つ、緩やかに波打つ淡い菫色の長い髪。首には蒼いチョーカーを着け、少し大きめのワンピース型の蒼いドレスを身に纏っている。


 ――リノ=エヴァンシード。


 アティス王国で再会した少女だ。


「探したぞ。コウタ」


 リノは、ニカっと笑った。

 天真爛漫な彼女らしい笑顔だ。

 コウタも、つられるように笑った。


「リノ。どうかしたの?」


「ん。なに」


 リノはにこやかな笑みのまま、コウタの右腕を両手で掴んだ。


「ただコウタに会いたくなっただけじゃ。部屋に行っておらんかったからの」


 言って、すりすりと腕に頬擦りしてくる。

 その際に豊かな胸も押し付けられるので、コウタとしては赤面ものだった。


「ちょ、ちょっとリノ……」


 彼女が自分に好意を抱いてくれてることは、流石に理解している。

 しかし、こうも堂々としたスキンシップだけは苦手だった。


「なんじゃコウタ」


 すると、リノは悪戯っぽく笑った。


「まだ慣れんのか? 困った旦那さまじゃのう」


 そう告げて、自分の胸元に片手を当てた。


「わらわのすべてはコウタのモノ。わらわはコウタの女じゃぞ。自分の女相手に緊張してどうする」


「い、いや、リノ」


 直球すぎる彼女の愛情に、コウタは耳まで赤くした。

 一方、リノは「ふふん」と鼻を鳴らして。


「だから、早くわらわを抱けと言っておるのじゃ。さすれば、この程度で緊張することもなくなる。そもそも、お主はわらわを《黒陽社》から強奪したのじゃぞ。わらわの居場所はお主の傍だけじゃ。そろそろ名実ともにわらわを自分のモノにせんか」


「うう……」


 コウタは、渋面を浮かべて呻いた。

 リノの言っていることは、大体正しい。

 確かに、自分はリノを《黒陽社》から奪い取った。

 彼女はこれまでのすべてを捨ててまで、自分の傍にいてくれる選んでくれたのだ。

 奇しくも、兄の傍にいることを選んだシャルロットのように。

 そしてコウタ自身にも、彼女に強い愛情を持っている。

 それでも、コウタは彼女の想いに応えることを躊躇っていた。


 理由は、いくつかある。

 まだ自分が自立していない未熟者であること。

 兄が聞いたら呆れそうだが、恋愛経験が皆無で完全にヘタレていること。


 しかし、一番の理由は、


「……コウタ」


 リノが、コウタの首に両手を回して微笑んだ。


(……リノ)


 本当に綺麗な子だ。

 吸い込まれそうな紫色の瞳。ふっくらとした桜色の唇。

 そんな彼女が、憂いを帯びた眼差しで口付けを待っている。

 普通の男ならば、抗うことなど出来ないだろう。

 そしてコウタも普通の少年だ。

 抗うことは、難しいはずなのだが――。


『……コウタ』


(――はうっ!)


 脳裏に、青筋を浮かべて、ピコピコとネコ耳を揺らす幼馴染の顔が浮かんだ。

 それだけで、コウタはネコに睨まれたネズミのように動けなくなる。


「……む」


 そういった時は、リノもすぐ気づく。

 コウタが今、誰の顔を思い浮かべているのかも。


「……やれやれ」


 コウタの首筋から手を離して嘆息する。


「またギンネコ娘か。あやつめ」


 ブスッと頬を膨らませた。

 どうも、あの女の呪縛は、コウタの魂の根っこにまで浸透しているようだ。

 流石は幼馴染といったところか。

 これを打ち破るのは、リノであってもかなり時間がかかる。


「まあ、よい。少しずつではあるが、硬直時間も短くなっておる。わらわの魅力で時間をかければいずれは解けよう。ところでコウタよ」


 リノは、少し緊張が解けたコウタの顔を見つめた。


「先程、お主はどこかに行こうとしていなかったか?」


「あ、うん」


 コウタは頷いた。


「リーゼの部屋に行こうと思っていたんだ」


「蜂蜜ドリルかの?」


 リノは眉をひそめた。


 ――リーゼ=レイハート。

 ギンネコ娘と自分を除けば、最もコウタの近くにいる女だ。


 エリーズ国の四大公爵家の一角、レイハート家の令嬢。

 まるで妻のごとく、公私に渡って、コウタを支え続ける娘だと聞いている。


 正直、ムムっとする女だ。

 スタイルこそ自分やギンネコ娘には及ばないが、相当な美貌を持つ女でもある。


「何故、あの娘の所に行くのじゃ?」


「うん」


 コウタは再び頷いた。


「リーゼはこないだ大怪我をしたしね。シャルロットさんももういないし、不安がっていないかなって……」


「ふん。あれがそんなか弱い女か」


 リノは鼻で笑った。


「華奢に見えても、あの娘も相当強かな娘じゃぞ。いらぬ心配じゃ」


 出なければ、コウタに見初められたりしない。

 コウタ自身に自覚はないかもしれないが、コウタが見初めた女――いま傍にいる女たちは、例外なく、何かしらの厄介なモノを抱えた傑物ばかりだ。まだ幼いロリ神アイリでさえ腹に一物を抱えていると、リノは睨んでいる。


 ――《悪竜》の花嫁たち。


 自分自身も含めて、そんな名称が思い浮かんだ。


「確かにリーゼは強い人だけど」


 そんなリノの心の内には気付かず、コウタは笑った。


「それでも時々不安そうな顔も見せるんだよ。シャルロットさんの存在はそれだけ大きかったんだよ。だから、出来るだけ気遣ってあげたいんだ。特にリーゼには、今回の旅はもちろん、学校でもいつもお世話になっているし」


「……ふむ」


 コウタの台詞に、リノは興味深そうに呟いた。


「……『学校』か。そういえば、コウタもあの娘も、ギンネコ娘も学生じゃったな」


「うん。そうだよ。あ、そうだ。リノ」


 コウタは頷く。それから少し躊躇うように、密かに考えていたことを告げた。


「実はね。リノ ボク、エリーズに帰ったら、ご当主さまにリノが学校に通えないか相談するつもりだったんだ」


「は? なんじゃと?」リノは目を丸くした。


「わらわが、学校にじゃと?」


 それは考えたこともなかったことだった。


「いや、多少の興味はあるが、流石にそれは意味がないじゃろう。こう言ってはなんじゃが、わらわの知識は学生レベルではないぞ」


「はは、確かに、リノって凄く頭がよさそうだもんね。けど、別に学校は知識だけを学ぶところじゃないよ」


 コウタは、リノの両肩にポンと手を乗せた。


「もっと色々なことも学べるはずだよ」


「う~む、しかしのう……」


 唐突過ぎて困惑するリノに、コウタは笑った。


「ゴメン。ちょっといきなりすぎたかな。う~ん、だったら」


 そこで、懐かしむように目を細めた。

 そうして、


「うん。じゃあ、リノが、もっと学校に興味が持てそうな話をしようか。そうだね、あれは『2の月』の中頃だったかな。ボクの学校で交流会があったんだ」


「交流会じゃと?」


 リノは、まじまじとコウタを見つめた。

 コウタは「うん」と頷いた。


「そう。ボクの学校と――皇国の『アノースログ学園』との交流会の話だよ」

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