第310話 『刃』、頑張る③

 沈黙が続く。

 コウタは手を差し伸べたまま、固まっていた。

 ジェシカが、全く反応しないからだ。


(え、えっと……)


 内心で焦る。

 自然と頬に汗が伝った。


(ま、まずいかも。先走って、本音を言いすぎたかな……?)


 自分は結局のところ、学生に過ぎない。

 現時点では、アシュレイ家にお世話になっている居候同然の身だ。

 そんな自分の身も満足に世話できない未熟者が何を言っているのか。

 そう思われたかもしれない。

 だけど、


(それでもボクは……)


 コウタは、真剣な眼差しでジェシカを見つめた。

 彼女は、コウタにとって、さほど拘る理由もない人だ。

 少なくとも、メルティアやリーゼ。アイリやリノに比べると、すでに大人の女性であることもあって、優先順位は低いと言えるだろう。

 彼女は、恐らく一人であっても、自分でどうにかする。

 そう思える女性だ。


(だけど、きっと、その『一人』がダメなんだ)


 ――あの偽りの世界で。

 残影の男に追いつめられて、涙を流していた彼女。

 コウタは、あの時の幼い少女のような姿が、彼女の本当の姿のように見えた。


 ――彼女は、今も泣いている。

 コウタは、ずっとそんな想いを抱いていた。

 まるで故郷を失った時のコウタのように。

 彼女は、今もたった『一人』で泣き続けている。

 そう感じていた。


 幼かったコウタは、救われた。

 アベルに。ラックスに。アシュレイ家の皆に。

 何よりも、メルティアのおかげで救われた。


 だからこそ、今度はコウタが救いたいと思った。

 泣いている彼女に、手を差し伸べたいと思った。


「……ジェシカさん」


 コウタは告げる。緊張の混じった声で。


「どうか、ボクの手を取ってくれませんか?」


 ジェシカは少し俯いたまま、無言だった。

 風が吹き、鳥達が羽ばたく。

 そうしてしばらくして、


「……コウタさん」


 ジェシカは、ゆっくりと顔を上げた。

 彼女は神妙な声で語り出した。


「私の手を取れば、それは私のすべてを受け入れることになります。私の過去も未来も。それでもよいのですね」


 それは警告だった。

 彼女の手は血に塗れている。それでもその手を取るのか。

 しかし、それはコウタにとって些細な話だった。

 すでに彼は、妖しの《星》さえもその手に掴んでいるのだから。


「はい。覚悟は出来ています」


「…………」


 コウタの返答に、ジェシカは沈黙した。

 そして、

 ――そっと。

 ジェシカは、コウタの手を取った。


「……ジェシカさん」


 コウタは、ホッとしたような笑みを見せた。

 すると、ジェシカが口を開いた。


「我が君よ」


「……え?」


 ジェシカは、真っ直ぐな眼差しでコウタを見つめた。


「今ここに誓います。私、ジェシカは今日より御身の『刃』となることを」


「………え、え?」


 ジェシカは、さらに『宣誓』をする。


「我が身、我が心は余すことなく御身の物です。暗殺、護衛、または、私などでよければ夜伽であっても、いつでもお命じくださいませ。我が君」


「ジェ、ジェシカさん!?」


 コウタは、飛び跳ねるように立ち上がった。


「な、何を言っているんですか!?」


「……我が君」


 ジェシカは、微笑みを見せつつ告げた。


「私の手を取ると言うことは、こういうことなのです」


「い、いや! 違いますよ! ボクはただ――」


 と、言い訳しようとするコウタに、


「……コウタさん」


 ジェシカは、あえて彼の名を呼んで言う。


「嫌ならば、私の手を放しても構いません」


「…………」


 そう告げられて、コウタは言葉を失った。

 真剣な顔で、ジェシカを見つめる。

 そして――。


「……分かりました」


 コウタは答える。


「ボクはあなたの手を放しません」


「……ありがとうございます。我が君」


 ジェシカは、穏やかに微笑んだ。

 年上の女性の微笑みに、コウタはドキッとした。

 ――が、すでに慌てた様子で念押しする。


「だ、だけど、暗殺とかはなしですよ。そんなことを、もうあなたにやらせるつもりはありませんから。それに『我が君』とかもやめてください!」


「はい。承知いたしました。二人きりの時以外は、今まで通り『コウタさん』とお呼びします。ですが、少し安心しました」


「え? な、何をですか?」


 コウタが恐る恐る尋ねると、ジェシカは悪戯っぽく双眸を細めた。


「夜伽の命を、否定されなかったことです」


「ジェシカさん!?」


 コウタは目を見開き、口をパクパクとさせた。

 すると、ジェシカは、


「ところで我が君」


「え、は、はい?」


「こうして主従を結んだのは良いことですが、残念ながら、現在、ロイヤルティポイントが著しく足りていません」


「ロ、ロイヤルティポイント?」


「簡単に言えば、『忠誠値』です。我が君」


 色々と吹っ切れたジェシカは、コウタの手を放して、両手を彼に向けた。


「ロイヤルティポイントの蓄積のために、私の頭をナデナデしてください」


 ………………………………。

 ………………………。

 ………数瞬の間。


「ジェシカさんまでメルみたいなこと言ってきた!?」


 コウタは絶叫した。


「……ダメなのですか?」


 ジェシカが顔をかなり赤くしつつも、少し拗ねたように告げる。


「私の手を取ってくださったのではないのですか?」


「うぐっ」


 それを言われると返す言葉がない。


「……我が君」


「わ、分かりました」


 コウタは大きく息を吐きつつ、覚悟を決めた。

 続けて、長椅子に座るジェシカの前に立つ。

 両手をゆっくり彼女の頭に近づけた。流石に緊張しているのか、ジェシカはジェシカで膝の上でギュッと拳を固めていた。

 そうして――。


(……柔らかい)


 コウタの両手の指先が、彼女の黄色い髪の中に入った。

 以前、一度だけ彼女の頭を撫でたことがあるので知っていたが、毛先が少し乱れているので堅いイメージのあるジェシカの髪質は、実は柔らかい。

 サラリとした髪質のメルティアやリーゼ、アイリとは違う。どちらかと言えば、ふわりとしたリノの髪質に近い。

 何というか、こうして両手で触れていると、まるで、モフモフの子犬にでも触っているような感覚だった。


(なんかフータロウみたいだ)


 コウタは、懐かしさを覚えた。

 クライン村にも子犬がいた。コウタによくなついていた子犬だ。

 名前はフータロウ。幼馴染の一人が飼っていた子犬。

 本当に懐かしい。

 コウタは、微かに笑みを零す。

 そんな懐かしさのためか、コウタの手は少し乱雑な動きになった。

 それこそ、まるで子犬に対するような動きになっていた。


 ――わしゃわしゃわしゃ、と。


「え? わ、我が君?」


 当然、ジェシカは困惑した。

 正直に言えば、もっと優しいのをイメージしていたのだ。


「わ、我が君、あ、や……」


 ジェシカが声を零すが、ある意味、思い出に浸っているコウタには聞こえない。

 時折、頬や耳などにも触れる。本当に子犬を扱っている動きだ。


「や、やあ、はうっ、あうっ……」


 自らが望んだことであり、コウタを制止できないジェシカ。

 彼の胸板を両手で何度も押そうとするが、その都度、引っ込める。

 結局、されるがままとなり、彼女は徐々に声を発さなくなった。

 そうして愛撫は、実に数分間も続いた。


「……あ」


 ようやく、コウタは夢心地から正気に返った。

 ――しまった。

 完全に童心に還っていた。自分は何をしているのか。


「す、すみません。ジェシカさん」


 慌てて手の動きを止めてジェシカに謝罪した、その時だった。

 ――がくんっと。

 突如、ジェシカの首が、後ろに傾いたのだ。

 コウタは「え!?」と驚きつつも、咄嗟に彼女のうなじに片手で支えた。

 そして――。


「えっ!?」


 目を見開き、仰天する。

 間近で見たジェシカの顔が、凄いことになっていたのだ。

 瞳は潤みを帯び、視線は虚ろで遠くを見ている。少し艶めいた唇は半開きだった。体もまた今にも崩れてしまいそうなぐらいに脱力しきっている。

 これは、完全に蕩けてしまっている状態だった。


(うわっ!? うわっ!?)


 コウタは焦った。

 次いで、周囲を見渡す。庭園の遥か遠くには数人だが人影も見える。

 これはまずい!

 これは誰かに見せてはいけない顔だ。特に異性には。


 ――いや、実のところは違う。

 コウタ自身は未だ自覚はないが、正確には誰にも見せてはいけないではない。

 これは、だった。


 コウタは彼女の後頭部を両手で支えると、そのまま胸に抱き寄せた。

 とにかく、顔を隠さなければならないと思ったからだ。

 ジェシカは完全に酩酊状態だったが、それでも女の本能か、コウタの背中をギュッと掴んだ。大瀑布の勢いで貯蓄されていくロイヤルティポイント。

 そうしている内に、ジェシカは、徐々に正気を取り戻していった。


「だ、大丈夫ですか? ジェシカさん?」


「は、はい……」


 コウタの胸の中でジェシカが頷く。

 コウタは、ホッとした様子で彼女を離した。


「す、すみません。どうも変なことしたみたいで」


「い、いえ。私が要望したことですから……その」


 ジェシカは俯きつつ、告げる。


「つ、次も、今のでお願いします」


「い、いえ、その、そ、そうですね……」


 コウタは何も言えなくなった。

 二人は沈黙する。と、


「そ、そろそろ、私は行きます」


「あ、は、はい」


 ジェシカが立ち上がり、コウタは頷く。

 そうして、ジェシカは何度もコウタに頭を下げて、


「それでは失礼します。我が君」


「あ、はい。じゃあ」


 コウタも、ぺこりと頭を下げた。

 ジェシカは、駆け足で庭園内を走っていった。

 コウタは、そんな彼女を見送るだけだった。

 ただ、両手に彼女の感触だけを残して。

 ………………………………。

 ………………………。



「……ウム」


 その時、庭園の繁みの中に潜む集団がいた。

 紫色の鋼の騎士。ゴーレム達だ。


「……コウタ、オソルベシ」


「…‥ダガ、コレデ、カクシンシタ」


「……ウム。ヤハリ、ジェシカニハ、ワンコノ、ソヨウガアル」


 数機のゴーレム達が頷いた。


「……デハ、イコウ」


「……ウム。オタカラヲ、テニスルタメニ」


 言って、こっそり彼らは走り出す。

 かくして、九枚目、十枚目を入手するために彼らは動き出した。



『な、何だ! 貴様らは!』


『……ワレラ、ジェシカタイ!』


『ジェ、ジェシカ隊? 何故、私の名を冠している!?』


『……サア、コレヲ、キルノダ!』


『な、何だ!? 何なのだ!? そのふざけた衣装は!?』


『……スベタハ、コウタノタメダ。コウタガ、ノゾンデイル』


『え? わ、我が君が……?』


『……ソウダ。サア、コウタノタメニ、キガエルノダ』


『わ、我が君のために……?』



 果たして、どんな衣装で、どんな写真を撮られたのか。

 それは、彼らにしか分からないことだった。

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