第306話 乙女たちは迷う③
――およそ十分前。
ジェシカは大庭園の中を歩いていた。
目的は一つ。ただの時間潰しだ。
サクヤと共に、会議室まで訪れたジェシカ。
しかし、流石に会議に出るまでは筋違いだった。
そこに参加してもいいのは、彼に想いを寄せる者だけだ。
ジェシカは部屋の外で待つことにした。
だが、そこは王城内。
それも一般人は立ち入り禁止されている三階のフロアだ。
メイドや執事が廊下を通る度に、ジェシカは不審の眼差しを向けられていた。
(これはまずいか……)
このままでは、騎士を呼ばれてしまいそうだった。
ジェシカは不本意ではあるが、とりあえず二階に移動することにした。
三階以下のフロアは一般人にも開放されている。
廊下を歩き続けていると、騎士でで、メイドや執事でもない一般人とすれ違った。ここならば、ジェシカも不審がられないだろう。
しかしながら、ここではサクヤに何かあった時にすぐには動けない。
ジェシカは、せめてサクヤのいる会議室が見える場所に移動することにした。
それが、この大庭園なのである。
(ここなら、少なくとも戦闘があれば気付けるしな)
足を止め、庭園から城の一角に目をやる。
流石に戦闘はないと思っている。しかし、それでも万が一はあるものだ。
(ここで様子を見つつ、一時間ほど時間を潰すか)
そう考えて、再び歩き出した。
広い庭園。人の姿はさほどない。
とても静かで、穏やかな空間だ。
それゆえか、ジェシカは落ち着かない気分になってきた。
自分が異物のような感覚を覚えてきたのだ。
(私には似合わない世界か)
自嘲の笑みを零す。
所詮、自分は血塗られた女だ。
こんな平穏な場所が似合うはずもない。
ジェシカは徐々表情を消して、迷路のような道筋を無言のまま歩き続けた。
気晴らしと呼ぶにはどうかもしれないが、神経を研ぎ澄ましてみる。
広がる感覚。人の声はおろか、虫の動きまでも掴めてきた。
自分の暗殺者としての感覚は鈍っていないと実感する。
と、その時だった。
「やれやれ。何とも仏頂面をしておるのう。折角の美人が台無しじゃな」
背後から、不意にそんな声をかけられた。
(――な、なに!?)
感覚を研ぎ澄ませていたにも拘らず、全く気配を感じなかったのだ。
ジェシカは即座に振り返って間合いを取ろうとしたが、
「……あ」
そこで足を止める。
「リ、リノさま……?」
「うむ。奇遇じゃな。ジェシカよ」
両手に腰を当てたリノが、ニカっと笑った。
「ど、どうしてあなたが……」
ジェシカが困惑する。
気配が掴めなかったのは当然だ。
目の前の美しい少女は、可憐な容姿からは考えられないが、犯罪組織・《黒陽社》の九大幹部の一人。《九妖星》の一角なのだから。
その実力はまさに怪物級。
所詮は暗殺者に過ぎないジェシカが、太刀打ちできる相手ではない。
しかし、まさかこんな場所で出会うとは――。
「リノさま。何故ここに?」
「ん? わらわか?」
リノは、あごに指先を当てた。
「決まっておろう。コウタがここに居るからじゃ」
「は、はぁ……」
ジェシカは困惑した顔を見せる。
「その、ここは王城ですが大丈夫なのですか? 堂々と入って」
そう尋ねると、リノは苦笑した。
「それを言うのならお主もそうであろう? まあ、よい」
そこでニヤリと笑う。
「わらわなら大丈夫じゃ。すでに《黒陽社》は先日に退社しておる。その際に《水妖星》の称号も返上した。王城への入場許可もルカ義姉上から頂いておるぞ。今のわらわは何のしがらみもない、名実ともにコウタの正妻なのじゃ」
「………え」
ジェシカは唖然とした。
リノは、ふふんと鼻を鳴らす。
「まあ、コウタは奥手でまだわらわには手を出しておらぬが、それも時間の問題じゃな。かくして、わらわはコウタの女として《黒陽社》から奪われたという訳じゃ」
少女の台詞に、ジェシカは流石に愕然とした。
「本当に《黒陽社》を辞められたのですか!?」
思わず声を上げる。
まさか、そんな事態になっているとは思いもよらなかった。
一方、リノは満足げに頷く。
「そういうことじゃ。それよりジェシカよ。お主こそどうしてここにおる?」
と、今度はリノが質問した。
ジェシカは困惑しつつも「じ、実は……」と話を切り出した。
リノは「ふむふむ」と耳を傾けて。
「なるほどのゥ」
会議室のある城の一角に目をやった。
「義姉上達も、いよいよ意志を統一するという訳か」
「正直、どのような結論になるのかは私には予測も出来ないのですが……」
ジェシカは何とも言えない表情を見せた。
「ふん。それはわらわにも分からぬわ」
リノは腰に手を当てた。
「こればかりは、義姉上達と義兄上の問題だしのう。それよりもジェシカよ」
「……なんでしょうか?」
ジェシカがキョトンした顔でリノを見やる。と、
「お主はどうなのじゃ? あれからコウタと進展はあったのかの?」
「う、それは……」
言葉を詰まらせる。
全く会う機会がなかった訳ではない。
しかし、ほぼ一瞬で挨拶するぐらいしかしていないのが現状だ。
進展などしている訳がない。
「やれやれ。お主は」
そんなジェシカの心情を見抜き、リノは嘆息した。
「そんなことでどうするのじゃ」
そしてジェシカのために、あえて厳しい言葉を告げる。
「はっきり言って、お主が一番出遅れておるぞ。ギンネコ娘はもちろん、蜂蜜ドリルにもな。いや、それどころかロリ神にも後れを取っていると言えよう」
「――九歳児にさえですか!?」
ジェシカは、目を剥いた。
リノは「……うむ」と神妙な顔で頷く。
「どこか吹っ切れたような覚悟を見せる蜂蜜ドリルも侮れぬが、あのロリ神も中々の曲者ぞ。幼さを武器にして、常にコウタに甘える機会を狙っておる。己の年齢や立場を十全に掌握しておるのじゃ」
ジェシカは言葉もなかった。
「ジェシカよ」
リノはさらに告げる。
「コウタの『刃』になりたいというお主の望みはわらわも理解しておる。協力もしよう。しかし、お主の望みはそれだけではなかろう? 本音としては、やはりコウタの寵愛を受けたいのではないか?」
「………う」
「このままではお主は『刃』にさえなれぬぞ。もっと攻めに入れ」
と、忠告してから、
「それに、コウタ成分もすでに枯渇しておるのじゃろう? 次にコウタに会った時は思い切って甘えてみよ」
「あ、甘えるって……」
ジェシカは、言葉を詰まらせた。
「わ、私はコウタさんよりも結構年上なのですよ。リノさま達とは違いますし、甘えるのが似合うような人間では……」
「体裁など気にするでない」
リノは、大きな胸を支えるように腕を組んで告げる。
「どれほど気丈な女でも、好きな男の前では甘えたくなるものじゃ。そこには年齢も関係ない。自分の気持ちに素直になれ」
「……リノさま」
ジェシカはわずかに俯いた。
「案ずるな」
リノは、そんな彼女の肩をポンと叩いた。
「コウタは、わらわを《黒陽社》から強奪した男じゃぞ。わらわ達が愛する男は、お主を受け止める度量を充分すぎるほど有しておる。きっと優しくしてくれようぞ」
「…………」
ジェシカは沈黙して答えない。
「やれやれじゃな」
リノは苦笑を浮かべた。
「まあ、よく考えるのじゃ。自分の想いと向き合うのじゃな。では、わらわはそろそろ行くぞ。わらわも散策の途中なのでな」
言って、リノは庭園の中を歩いて行った。
ジェシカは、しばらく彼女の背中を見送っていたが、
「……甘えるなど、私には……」
大きな溜息をつく。
流石にそれは自分には無理だ。
自分はすでに二十代。十代の少年に甘えるなど出来るはずもない。
「……私は彼の『刃』。それだけでいいんだ」
言って、ジェシカも歩き出す。
しかし、その足取りはとても重かった。
ジェシカは俯きつつ、足を進めていく。
と、そうこうしている内に庭園の縁に辿り着いた。
青い空と、この国の景観が一望できる場所だ。
ジェシカは空を見上げた。
「私は……」
と、呟いた時、
(………え)
ふと、近くに気配を感じた。
横を見やると、近くに少年の姿があった。
ジェシカは目を丸くする。
(え? え?)
思わず硬直すると、彼が口を開いた。
「ジェシカさん……?」
――と。
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