第292話 黄金の魔王②

 夜の浜辺。

 数瞬の沈黙。

 ――プシュウ、と。

 悪竜の騎士の胸部装甲が開いた。

 そこには黒髪の少年と、その背に掴まる菫色の髪の少女の姿があった。

 コウタと、リノだ。


「……覚悟だって?」


 コウタが答える。


「そんなもの、とっくに出来ているよ」


「ふん。そうか」


 ラゴウは、視線をコウタの後ろのリノに向けた。


「姫もそうですかな?」


「……うむ」


 リノはコウタの肩に両手を乗せて立ち上がった。


「わらわはコウタと共に行く」


 彼女は、はっきりと宣言した。


「今日よりわらわは《黒陽》の娘でもなければ《水妖星》でもない。ただのリノ=エヴァンシードじゃ」


「……そうですか」


 ラゴウは双眸を閉じて嘆息した。

 こうなる予感はしていた。

 だからこそ、こうして臨戦態勢で待っていたのだ。


「それを主君がお認めになられると?」


 ラゴウはリノに問う。


「……認めんじゃろうな」


 リノは渋面を浮かべた。


「父上のことじゃ。何がなんでもわらわを連れ戻そうとするじゃろうな」


 自分に対する父の溺愛ぶりは、よく知っている。

 それこそ公私混同など歯牙にもかけずに。

 下手すれば《九妖星》を総動員してでも、リノを取り戻そうとするだろう。


「それでも、その少年と共に行くと?」


「……うむ。そうじゃ」


 リノはコウタの肩を強く掴んだ。


「それでも、わらわはコウタの傍にいたい」


「……少年」


 ラゴウは、無言で視線をコウタに向けた。


「ヌシの覚悟はどうだ。覚悟は出来ていると言ったな。それはどれほどのものだ?」


「…………」


 コウタは沈黙した。

 一秒、二秒と経つ。

 そして――。


「……素直に言うよ」


 コウタは口を開く。


「どう足掻いても《黒陽社》すべてを敵に回せば、ボクの親しい人を全員守り切ることは出来ない。たとえ兄さんやアシュレイ家の後ろ盾を得たとしてもだ」


「……犠牲が出るのはやむを得ないと?」


 ラゴウは眉根をひそめた。


「意外な台詞だな。いや。それほどまでに姫を手に入れたいということか?」


 それはそれで覚悟とは言える。

 失う覚悟だ。

 この少年はそこまで覚悟している。

 そう思ったが、少年が続けて語った言葉は予想外のものだった。


「犠牲がやむ得ないなんてある訳ないだろ」


 コウタは告げる。


「ボクは何も失いたくない。メルも、リーゼも、アイリも、ジェイクも、シャルロットさんも、ご当主さまも、兄さんも、サクヤ姉さんも、ジェシカさんも」


 そこで、肩に乗ったリノの手に触れる。


「勿論、リノもだ」


「……コウタ」


 リノは、ギュッとコウタの肩を強く掴んだ。


「……では、どうするつもりだ?」


 ラゴウは怪訝な顔で尋ねる。


「我らを敵に回せば犠牲者が出る。そう言ったのはヌシだぞ」


「……そうだね」


 コウタは、ラゴウを睨み据えた。


「だから、ボクは今ここで宣言するよ」


「……宣言だと?」


「うん。宣言だ」


 コウタはそう反芻するとリノの手を取り、自分の前に移動させた。自分は少し後ろに移動してスペースを空ける。

 ちょこん、とコウタの前に座るリノ。コウタは「コ、コウタ?」と困惑する彼女を後ろから肩と腹部を覆うように強く抱きしめた。


「――コウタ!?」


 唐突な抱擁に、リノの顔がボッと赤く染まる。

 コウタ自身も相当恥ずかしかった。

 しかし、ここではっきりと宣言しておかなければならない。

 明確に自分の意思を示さなければならない。


(……よし)


 コウタは大きく息を吸った。

 そして、


「――《水妖星》リノ=エヴァンシードは、ボクが貰う」


 強い覚悟を乗せて、その言葉を紡いだ。


「異論があるのなら幾らでも言え。狙うならボクを狙え。受けて立つよ。だが、もしお前達がボクの大切な人達にまで牙を向けると言うのなら――」


 そこで、コウタは殺意さえ宿した眼差しをラゴウに向ける。


「ボクもお前達に牙を向ける。一人傷つけられたら百の施設と百の人間を潰す。二人傷つけられたら千の施設と千の人間を。そしてもし、メルを傷つけたら――」


 魔竜の少年は、淡々と宣言した。


「ボクは生きている限り、お前達を潰し続ける」


「……それはまた剛毅な台詞だな」


 ラゴウは少年を見据える。


「我らを容易く屠れる弱者とでも思っておるのか?」


「そうは思ってないさ。けど、お前は忘れていないか?」


「……なに?」


 ラゴウは眉根を寄せた。

 コウタはリノを抱きしめたまま語る。


「《悪竜》は世界を敵に回した存在だ。弱者も強者も灼き尽くした災厄だ。そしてお前はボクをこう呼んだ」


 一拍置いて。


「『《悪竜》を現世に顕現せし者』と。ボクはお前達だけの災厄になる。その二つ名に恥じない行いをするだけだ」


「……そうか」


 ラゴウは苦笑を浮かべた。


「それは贈った人間としては不謹慎ではあるが嬉しくもあるな。だが」


 双眸を細める。


「それには、まず災厄と呼ぶに相応しいだけの力を示す必要があるな」


「……分かっているよ」


 コウタは、リノの肩をポンと叩いた。

 リノは「……う、うむ」と振り向いた。


「リノ。そろそろ本番だ。話した通りに頼むよ」


「う、うむ。分かっておる。任せよ」


 彼女はのぼせたように赤くなった顔を、パンと両手で叩いた。

 次いで、リノは体を翻すと大きく息を吐き、


「勝つぞ。コウタ」


 ぎゅうっとコウタの首に抱き着いた。

 コウタは穏やかな顔で「うん。必ず勝とう」と応える。

 リノはニカっと笑うと、コウタの後ろに戻った。

 その様子に、ラゴウは眉をしかめた。


「姫も戦闘に参加させるつもりか?」


「そうなるよ。けど、直接彼女に戦ってもらう訳じゃない」


「……? どういう意味だ?」


「直接戦うのは、ボク――《ディノ=バロウス》だけってことだ」


 言って、コウタは愛機の胸部装甲を下ろした。

 ラゴウはまだ腑に落ちない様子だったが、些事と判断する。

 自分も愛機の胸部装甲を下ろした。

 同時に《金妖星》の両眼が赤く光り、断頭台を肩に担いだ。


『まあ、仮に姫が戦闘に加わっても構わんがな』


 リノはラゴウと同格の戦士。

 だが、それでもなお、ラゴウの覇気は揺るがない。

 たとえ《妖星》クラスが二人相手であっても怯むことはない。


『吾輩は《黒陽》さまの第一の臣。忠義においては他の《妖星》にも譲らぬ。その吾輩が姫をみすみす奪われるなど許しがたい不忠だ』


『……相変わらず古風だな』


 一方、《ディノ=バロウス》も、処刑刀を静かに薙いだ。


『けど、忠臣だろうが、リノはボクが貰う。彼女の手を離す気なんてないよ』


 ――ズシン、と。

 一歩、前に踏み出した。


『ふん。奪わせると思うか?』


『奪うよ。何としてでも』


 二機が互いに一歩、二歩と前に進み出る。

 そして――。


『では行くぞ。《悪竜顕人》コウタ=ヒラサカ』


『来い。《金妖星》ラゴウ=ホオヅキ』


 かくして。

 因縁の二人は再び対峙するのであった。

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