第265話 炎より続く明日⑤

 コウタは、兄と視線があった。

 しかし、いざとなると言葉が出てこない。

 なにせ、兄弟として会話するのは、本当に久しぶりだ。


 ――八年間。


 コウタに色々あったように、兄にも多くの出来事があったのだろう。

 兄も、とても言葉に迷った顔をしている。

 いつしか、ミランシャやリーゼ達も周囲に集まっていたのだが、事情を知る彼女達としては、ただ神妙な顔をするしかなかった。

 事情をまだ知らないユーリィや、サーシャ達は困惑が続いていた。

 沈黙は続く。と、


「頑張ってください。コウタ」


 メルティアが両手で、コウタの背中を押してくれた。

 コウタは、一歩前に出た。

 見ると兄の方も、オトハに「しっかりしないか。クライン」と背中を押されていた。

 二人は、改めて向かい合う。

 そして――。


「ああ~、そうだな……」


 おもむろに、兄はボリボリと頭をかいた。

 コウタは緊張する。が、


「人参は……」


 一拍おいて、


「人参は、食べれるようになったか?」


(……え?)


 そんなことを聞かれて、コウタは目を丸くした。

 兄はさらに聞く。


「嫌いだったろ? 昔は」


「……うん」


 コウタは、頷いた。

 確かに、あの甘すぎる感じが苦手だった。

 今となっては兄と義姉サクヤしか知らないことだ。


「けど、今は食べれるようになったよ。お世話になってるアシュレイ家に、そんなことで迷惑をかけられないし」


「……そっか」


 兄は、口元を綻ばせた。

 続けて尋ねてくる。


「どうだ? 騎士学校の方は楽しいか?」


「うん」


 コウタは頷いた。


「信頼できる友達が沢山できたよ」


 本当に多くの友人ができた。彼らとの出会いは、宝物だ。


「特に、リーゼとジェイクは本当に頼りになるんだ」


 そう告げると、ジェイクが気恥ずかしそうに頭をかき、リーゼは深々と頭を下げた。


「ん。そっか」


 兄は優しげに目を細める。

 しかし、コウタにも不満はある。


「けど、流石に、さっきのは酷いよ」


 先程までの模擬戦。

 試練はいい。兄がコウタを想ってくれてのことだと理解している。

 しかし、だ。

 コウタは頬をかいて、小さく嘆息する。


「そりゃあ、最初に挑んだのはボクの方だけどさ。何も、あそこまでボコボコにしなくてもいいじゃないか。メルも乗っていたのに」


 コウタの一番大切な人を怖い目に遭わせたのは、やっぱり納得いかない。


「ははっ、悪かったな」


 兄は朗らかに笑った。

 クライン村にいた頃のように。

 二人ともすでに他人行儀な雰囲気はなかった。

 だからこそ、ユーリィ達は怪訝そうな顔を浮かべていたが。


「そういや」


 メルティアの名を出したためか、兄はコウタの後ろに立つメルティアに目をやった。


「確か、アシュレイ家に助けてもらったんだよな」


「……うん。たまたま通りがかったアシュレイ家のご当主さまに。けど、あの日、ボクを守ってくれたのは――」


 あの炎の日。自分を守ってくれたのは――。


「叔父さんと、父さんだった」


 拳を静かに固める。

 あの日のことは、今でもはっきり思い出せる。


「叔父さんは、ボクを地下倉庫に避難させてくれた。自分は死ぬのを覚悟して、外からドアを閉めたんだ。父さんは……」


 父は、レオス=ボーダーの前で散った。


「ボクと叔父さんを逃がすために、一人でレオス=ボーダーに向かっていった。農作業用の鎧機兵で」


「……そう、か」


 兄は、そう呟いた。


「母さんだけは、結局、どんな最期だったのかは分からなかった」


 遺体は見つかった。

 けれど、クライン村で見つかった遺体は、すべて焼死体だった。判別できたのは大人か子供かだけ。誰が母なのか、息子であるコウタでも分からなかった。


(……母さん)


 コウタの肩がわずかに震える。と、


「そっか……」


 兄も、辛そうに唇を嚙んでいた。

 コウタも拳を強く固めた。

 と、その時だった。

 背中から手の感触が伝わってきた。


(……メル)


 振り向かずとも分かる。メルティアだ。

 コウタの心情を察した彼女が、支えてくれているのだ。


(ありがとう。メル)


 コウタの顔からわずかに険がとれる。

 すると――。


「お前は強くなったよ、コウタ」


 兄は、笑った。


「本当に誇らしいぞ」


 そう言ってくれた。

 はっきりと。


(……兄さん)


 コウタは顔を上げた。

 そして、ニコリと笑う。


「……うん、ありがとう。兄さん」


 一瞬の沈黙。

「え?」と呟くユーリィの声が聞こえてくる。サーシャ達も「は?」と呟いている。

 ルカとリーゼ、アイリは指を目元に当てて涙ぐんでいた。

 ジェイクはふっと笑い、ゴーレム達は「「「……オオオ」」」と騒いでいる。

 ミランシャとシャルロット。そして恐らく兄から事情を聞いていたのだろう。オトハは兄弟の再会に優しく微笑んでいた。

 ここまで本当に長い道のりだった。

 けど、ようやくここまで辿り着けた。

 あの炎の日の先。続く道に辿り着いた。


「……良かったですね。コウタ」


 メルティアの手の温もりは、今もコウタの背中に伝わっていた。


「……ウム! ヨカッタナ! コウタ! アニト、サイカイデキタ!」


 その時、オルタナがルカの肩から空高く飛翔した。

 コウタが空を見上げると、鋼の鳥が上空で円を描いていた。

 すると、


「お前にまた会えて嬉しいぞ。コウタ」


 不意に兄は、ガシガシ、とコウタの髪をかき回した。

 昔から、よくやってくれたことだ。

 兄は笑って、尋ねてくる。


「さあ、兄ちゃんに聞かせてくれ。エリーズ国でのお前の暮らしを」


 コウタは顔を上げた。


「うん。分かったよ、兄さん」


 大きく頷く。

 そして、コウタもまた笑った。


「それじゃあ、まず何から話そうか」


「おう。そうだな。けどその前に」


 兄は、「ユーリィ」と自分の『娘』に手招きをした。

 ユーリィは困惑しつつも、兄の元に来た。

 すると、兄は彼女の足からかかえて、抱き上げた。


「ア、アッシュ?」


 ユーリィがさらに困惑する。と、


「コウタ。改めて紹介するぞ。俺の『娘』のユーリィだ。可愛いだろ?」


「あ、うん」


 コウタは、ユーリィに頭を下げた。


「改めまして、ユーリィさん。コウタ=ヒラサカと言います。その、兄がいつもお世話になっています」


「……兄って?」


 ユーリィは自分の保護者の肩に右手を置き、青年を見つめた。


「これって、どういうことなの? アッシュ?」


「ん? ああ。コウタは俺の実の弟だ。前に弟がいるって言っただろ?」


 その台詞に、アリシアとサーシャが「「えええッ!?」」と愕然としている。ロックとエドワードの方は、唐突すぎてポカンとしていた。

 ユーリィもまた、唖然としながらも、コウタの方に目をやった。


「け、けど、死んだって言ってなかった?」


「おう。生きてたんだ。流石は俺の弟だよな」


 兄は、ユーリィを抱きしめたまま、二カッと笑った。

 コウタは、少し気まずそうに頭を再び下げた。


「その、すみません、ユーリィさん」


 少し間を開けて、


「本当なら、もっと早く名乗るべきだったんですけど、兄とは、ボクも八年ぶりの再会だったので、ちょっと言い出す機会が難しくて……」


 そう告げるコウタに、ユーリィは言葉もなく目を見開いていた。

 彼女は、自分を抱き上げるアッシュと、コウタを何度も交互に見た。

 そして――。


「………」


 不意に、睨み付けるような視線をコウタに向けた。


「え、えっと……」


 わずかに敵意に似たようなものを感じて、頬を引きつらせるコウタ。

 彼女は、プイッと視線を逸らした。

 次いで、彼女は兄の首元に両腕を回すと、ぎゅうっと抱きついた。


「おい? ユーリィ?」


 兄は目を丸くする。


「どうしたんだ? お腹が痛いのか?」


「……うるさい」


 顔を兄の首元に深く埋めて、ユーリィはそれだけを告げた。

 後はもう無言だ。


(……う~ん。嫌われたのかな?)


 遂に、兄とは再会できた。

 けど、新しい家族と打ち解けるのは、まだ少し時間がかかりそうだ。

 そんなことを思う、コウタであった。

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