第六章 弟子、奮闘する
第143話 弟子、奮闘する①
「いやはや、良い国ですね」
緩やかな速度で進む馬車の中でその男は呟いた。
彼の視線の先には馬車の窓があり、その向こうには王都パドロの街並みが見えていた。
忙しく大通りを行き交う人々。人の出入りが多い飲食店。子供達が集まる露店の光景も目に入る。実に活気に満ちていた。
「流石はエリーズ国の首都。気候も良く、とても住みやすそうです」
続けて男がそう呟く。と、
「ははっ、気に入って頂けたのなら何よりです。グレッグ殿」
馬車の向かい側の長椅子に座る青年――ハワード=サザンがそう告げた。
それに対し、男――ボルド=グレッグはにこやかに笑う。
「ええ。伯爵閣下にご商品をお届けした今、出来ることならば、のんびりと散策したいところですね。そう思いませんか。カテリーナさん」
と、ボルドは隣に座る人物に声をかけた。
「ええ。私もそう思います。ボルドさま」
そう返事をするのは美しい女性だった。
年の頃は二十代半ば。美麗な顔には赤い眼鏡。亜麻色の長い髪を頭頂部で団子状に結っており、スレンダーな身体にはボルドと同じ黒服を纏っていた。
いかにも『出来る女』といった雰囲気を持つ女性である。
(……ふむ)
ハワードは彼女――カテリーナ=ハリスを一瞥した。
自己紹介の時、彼女はボルドの秘書であると聞いていた。事実、ボルドのスケジュールは彼女が管理しているようだ。
しかし、時折ボルドに向ける熱を帯びた眼差しは――。
(完全に『女』の目だな。察するにグレッグ殿の秘書兼愛人といったところか)
ハワードは内心でふっと笑う。
かつてはハワードもそちら方面で名を鳴らしていたものだ。
女性の心理はある程度観察すれば知ることが出来る。カテリーナ=ハリスが隠しきれない熱情をボルドに抱いていることは容易く察した。
(しかしまあ……)
ハワードはカテリーナを見つめて内心で苦笑する。
これほどまでに美しく若い女を愛人にするとはボルド=グレッグ。精力的なのは仕事に関してだけではなさそうだ。まあ、考えてみれば温厚そうに見えても眼前の男はかの《九妖星》の一角。これぐらいの覇気は当然なのかもしれない。
「ハリス殿にも気に入って頂き、光栄です」
ハワードはカテリーナに対して笑みを見せた。
そしてここで少し恩も売っておく。
「そうですね。折角の機会です。グレッグ殿達が心安まれるように最上級の宿を一部屋ご用意致しましょう」
「……え?」
それに対し、目を丸くしたのはカテリーナだ。
そして瞬時にハワードの言葉の裏の意味を理解したのか、一瞬分かりやすいぐらい顔を赤くするが、すぐに秘書の表情に戻り、
「いえ。伯爵閣下」
凜とした声で告げる。
「お気遣いは有り難く存じ上げます。ですが、お客さまであらせられる閣下にそこまでして頂く訳には参りません。宿は私の方で手配致します」
「ええ。そうですとも」
ボルドも恐縮そうに言った。
「お心遣い感謝します。ですが大丈夫です。この国には疎いですがカテリーナさんはとても優秀ですから。二部屋ぐらいならすぐに手配してくれますよ」
と、娘を自慢するように告げる。
(……おや?)
ハワードは内心で少し眉根を寄せた。
ボルドの口調がどうも部下と上司、男と女というよりも、まるで父親と娘といった雰囲気を宿していたからだ。
見るとカテリーナは不満そうな視線をボルドの横顔に視線を送っている。
これはもしかすると――。
(おやおや。そこまで初々しい関係だったのか)
あれは情を欲する『女』の顔ではない。
愛しい男に恋焦がれる『乙女』の顔だった。
どうやら犯罪組織といえども恋愛事ではそこまで爛れてはいないらしい。
(やれやれ。見抜いていたのは表層だけだったか。私としたことが。ふふっ、これでは女心が分かっていないと、またアイシャに馬鹿にされてしまうな)
ハワードは口元を片手で隠しつつ、ふっと口角を緩めた。
「そうですか。いえ、お気になさらず。では、宿はハリス殿にお任せしましょう。今はそれよりも――」
そう言って、面持ちも改めてハワードは懐から一枚の写真を取り出した。
「……ほう。これが」
その写真を受け取り、ボルトは双眸を細めた。
隣に座るカテリーナも鋭い眼差しで写真を一瞥した。
「ボルドさま。これが今回の
と、神妙な声で上司に尋ねる。ボルドは「ええ」と答えた。
「報告通りの外見です。間違いないでしょう」
ボルドは視線をハワードに戻した。
「ありがとうございます。伯爵閣下。それでこの
と、言いかけたところでボルドは言葉を止めた。
ハワードが「お待ち下さい」と止めたからだ。
若き伯爵は続けて告げる。
「所在は判明していますが、この
「なんですと?」ボルトは軽く目を剥いた。「いえ、サザン伯爵閣下。そこまでご迷惑をお掛けする訳には……」
「ご心配なく」
ハワードは笑う。
「丁度、私の利害とも一致するのですよ。ですからグレッグ殿」
そして暗躍が大好きな伯爵閣下は不敵な眼差しを向けて告げた。
「今はゆるりと時が来るのを待とうではありませんか」
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