第140話 乙女の園②

 一方、その頃。

 多くの人が行き交うとある大通りにて。


「……ふう」


 彼女は小さく息を吐いた。


「随分と時間がかかってしまいましたね」


 続けてそう呟くと、一旦足を止めて重いサックを背負い直した。

 歳の頃は二十代半ば。藍色の髪が美しいメイド服の女性だ。

 リーゼに専属で仕えるレイハート家のメイド――シャルロット=スコラである。


「少々詰め込みすぎましたか」


 そう言って再び歩き出すシャルロット。サックを背負った彼女はアシュレイ邸へと続く歩道を進んでいた。今回のアシュレイ邸への宿泊に向けて主人に不自由をさせてはいけないと宿泊品を準備していた結果、少し出遅れてしまったのだ。

 巨大なサックを背負うメイドはかなり目立つのか、行き交う人々がまじまじと彼女に視線を送るが、シャルロットは気にせず歩を進めていた。

 このペースならあと十分もあればアシュレイ邸の正門に到着するはずだった。


(それにしても……ルカ=アティスさまですか……)


 ふと、シャルロットは思う。

 主人の後輩となる少女。すでに彼女のことは調べていた。

 セラ大陸から海を越え、遙か南方にある離島の小国――アティス王国。

 小国ではあるが、主人の後輩は歴とした王女さまだったのだ。

 そのことを主人である少女に伝えると「あらまあ、そうでしたの」と、実に平然としたものだった。誰に対しても平等であり、相手の身分によって態度を変えたりしないところは主人の美点だった。


 一方、シャルロットとしては内心ではかなり動揺していた。

 とは言え、相手が一国の王女だからではなかった。

 主人同様、シャルロットも相手によって態度を変えるような真似はしない。

 ただ、彼女の祖国の名に本当に驚いたのだ。


(こんなこともあるのですね)


 思わず嘆息してしまう。

 ――アティス王国。

 それは最近、赤い髪の異国の少年から教えてもらったばかりの国の名前だった。


(まさか『彼』が今いる国の王女がエリーズに留学しているなんて……)


 こればかりは本当に想定外だった。

 人の縁とは実に不思議なものである。

 しかし、考えようによっては、これはとても良い機会でもあった。

 サックを再び背負い直して、シャルロットは思案する。

 いずれにせよ、アティス王国には一度赴く予定だったのだ。その国の王女が知り合いであるのなら『彼』の所在地を探す時も色々と手助けしてくれるかもしれない。そのためには主人のみならず自分自身も王女と親しくなっておく方がいいだろう。

 そう考えれば、今回の出会いは本当に僥倖だった。


(まあ、少々打算的な考えではありますが)


 歩きながら、自分の不純さにシャルロットは少しだけ気落ちした。

 が、すぐに無表情のままかぶりを振る。

 自分はもういい大人だ。これぐらいの狡さは許されるだろう。


「それにこの件がルカ王女の不利益に繋がる訳でもありませんしね」


 と、言い訳のように呟く。

 そうやってサックの重さを感じながら、歩を進めること十分。

 シャルロットの正面にようやくアシュレイ邸の正門が見えてきた。

 そしてそこには――。


「……ヨクゾキタ。乙女ヨ」


 グッと親指を立てるゴーレムが一機待っていた。


「……零号さんですか」


 シャルロットは微笑んだ。

 待っていたのは零号だった。他のゴーレム達は見分けがつかないシャルロットだが、彼だけは分かる。何故ならヘルムに小さな金の王冠をかぶっているからだ。

 零号はガシュンガシュンと足音を立ててシャルロットに近付くと、おもむろに彼女から荷物を預かった。シャルロットは優雅に頭を下げる。


「ありがとうございます」


「……気ニスルナ。シンシノ、ツトメダ」


 と、サックを両手で担ぎ上げて零号が言う。


「……ウム。デハ参ロウ。乙女ヨ」


「いえ。乙女はやめて下さいませんか? 私はもう二十代半ばですし」


 と、そんな会話を交わしつつ。

 メイドとゴーレムは正門をくぐった。



       ◆



「へえ~。ルカ嬢は今、自分の鎧機兵を自作してんのか」


 と、ジェイクが感嘆の声を上げる。

 そこはメルティア工房。声を上げたジェイクを始め、主賓であるルカ、館の主人であるメルティア。リーゼにコウタと全員がその場に座り込んでいた。

 彼らの周囲にはスナック菓子やケーキ。紅茶やアイスコーヒー、ジュースなどが小さな机の上に乗せられて置かれている。その場にはゴーレム達もいて、談話に加わるものやお菓子類を補充するものなど様々な行動を見せていた。


 公爵令嬢が二人もいて、招く客人は王女であるとは思えないぐらい実にフランクな歓迎会ではあるが、そこはあくまで学生である立場を優先した。

 ルカが王女であることはすでに全員が知っていた。しかし格式張った歓迎より、こちらの方がルカに楽しんでもらえると先輩なりに考えたスタイルだった。事実、ルカはずっと笑みを絶やしていなかった。


「はい。故郷の機体なんですけど、この国で知った幾つかの技術を織り込んで、色々と改造したん、です。もうじき完成します」


 と、ルカが嬉しそうに自分の愛機を語る。

 話の内容がどうしても鎧機兵に偏るのは彼女の愛敬か。


「そうですか。では完成したらお披露目してくれますか?」


 と、コウタの右隣に座るメルティアが言う。


「あっ、はい! 見てくれますか!」


 輝くような笑みを見せてルカが返答する。と、


「それは楽しみですわね。新しい機体を見る時はやはりドキドキしますわ」


 コウタの左隣に座るリーゼが口元を片手で押さえて告げる。


「……うん。私も見てみたい」


 最後にそう声を上げたのは胡座をかくコウタの膝の上にちょこんと座るアイリだ。


「い、いや、あのさ……」


 その時、コウタが恐る恐る口を開く。


「ルカの機体を見るのはいいけど、どうしてみんなボクを拘束するの?」


 そして、心底困惑したコメントを発した。

 コウタの膝はアイリに抑えられているが、両手はそれぞれメルティアとリーゼの柔らかな手でずっと掴まれていた。正直、身じろぎも出来ない状況だ。

 何故、彼女達は自分の周囲にだけ集結しているのだろうか……。


「いや、あのなコウタよ」


 その様子をまじまじと見やり、ジェイクは深々と溜息をついた。


「そいつはいわゆる三竦みって奴だ。いいか。下手に抵抗するな。悪化するぞ。今は黙って受け入れていろ」


 親友として鈍感すぎるコウタに忠告する。

 コウタは未だ状況を全く掴めていなかったが、これまでジェイクが忠告する時は正しいことばかりだ。なので親友を信じ、「わ、分かったよ。ジェイク」と答えて、大人しくこの状況を受け入れることにした。


 すると、ルカはクスクスと笑い、


「みんな仲良しさんなんですね。だけど――」


 そこで異国の王女さまは初めて鎧機兵以外のことで興味を抱いた。

 その視線はメルティアの紫がかった銀髪に向けられている。


「……? どうしましたか? ルカ?」


 メルティアが小首を傾げて尋ねた。


「私の髪に何かついていますか?」


「い、いえ。その……」ルカは一瞬口ごもるが、意を決し言葉を続けた。「お師匠さまはもしかして《星神》のハーフなの、ですか?」


「……え」


 唐突な問いにメルティアは目を丸くした。

 が、すぐに少し躊躇いがちに答えた。


「私自身はハーフではありません。ハーフは私の父になります」


「そ、そうなん、ですか?」


 と、ルカが驚いた表情でメルティアを見つめた。

 一方、メルティアは視線を少し伏せて、


「やはり、ルカも気になりますか?」


 左手で自分の髪を一房触り、か細い声でそう呟く。

 自然とコウタの手を握る右手の力が強くなった。

 彼女が最も嫌なことは自分の容姿に興味を抱かれることだ。


「……メル」


 勿論、コウタはすぐさまメルティアの心情を察する。

 ルカに悪意などないことは、コウタもメルティア自身もよく理解しているが、それでもフォローを入れずにはいられない。

 コウタはすぐに口を開こうとしたが、その前にルカが語り出した。


「す、すみません。変なことを聞いて。実は私のお姉ちゃん――幼馴染の一人が《星神》のハーフなん、です」


 その台詞にメルティアは目を軽く剥いた。


「……え」「へ? マジか」


 と、沈黙してたリーゼとジェイクも呟く。

 コウタも驚き、膝の上のアイリも目を丸くしていた。


「お姉ちゃんもとても綺麗な銀髪だったから、もしかしたら、お師匠さまもそうなのかなって……」


「そうだったのですのか……」


 メルティアは吐息を零した。


「確かにそれは気になりますね。《星神》のハーフはかなり少ないと聞きますし」


 そう独白してから、メルティアはルカに微笑んだ。


「その人も苦労を?」


「は、はい」ルカは眉根を悲しそうに落とした。「ハーフは《星神》の偽物扱いを受けることがあって……」


 その話はよく聞く。《星神》のハーフは髪の色は受け継いでも《願い》を叶える異能までは受け継がない。そのため、紛い物や偽物扱いを受けることが多いそうだ。

 身近で陰険な実例を挙げると、メルティアの父・アベルなど、貴族連中にその扱いを露骨に受けていたそうだ。

 場の空気が沈んでくる。それを感じ取り、ルカは慌てて声を上げた。


「け、けど、お姉ちゃんは優しくて明るい人なんです。お師匠さまにも似てますよ」


 ……特におっぱいとか。

 内心ではそんなことも思うが流石にそれは口にしない。


「そ、そうですか……」


 メルティアはまだ少し頬が強張っていたが、折角ルカが空気を払拭しようとしてくれたのだ。それに乗っかることにした。


「そうですね。ハーフでも明るく前向きな人はいますよね」


「……うん。そうだよ」


 アイリがメルティアを見つめて言う。


「……私に至っては《星神》そのものだし。色々あったけど今は幸せだよ」


「え? そうなの? アイリちゃんって《星神》なの?」


 今度はルカが目を丸くした。

 そうして、にこやかに歓迎会は再開された。

 この場にいる人間は誰も他者の容姿や生い立ちなど気にもしない。


(ははっ、やっぱりみんないい人だな)


 コウタは騒がしくなった工房を見つめて思う。

 本当に彼らは誇れる友人達だ、と。

 ただ、その時、


(……それにしても《星神》か)


 ふと、こうも考える。

 脳裏に浮かぶのは長い黒髪が美しかった義姉の姿だ。

 彼女は村の中でも並ぶものがいないほどの美しい人だった。その微笑みは義弟である自分でも見惚れるぐらい綺麗で……とても神秘的だった。


 ――そう。まるで《星神》のように。


 もしかすると義姉もまた……。


(いや、まさか、ね)


 根拠のない自分の考えを鼻で笑い、コウタは再び歓迎会に興じるのだった。

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