第101話 遭遇④

 ――王都パドロには、大きな公園が幾つかある。

 エリーズ国は元々領土内も都市内も、豊かな自然に囲まれた王国だ。

 そのためか、公園はちょっとした森林のようになっている。木々に覆われた公園は所々に木漏れ日が差し込み、石畳で舗装された噴水がキラキラと輝いている。どこかホッとするような光景が眼前に広がっていた。

 木々の間からは、チチチと小鳥の鳴き声も聞こえてくる。

 しばしその声に耳を傾ける。


「……綺麗な国」


 そして、ポツリと少女の呟きが零れ落ちた。

 メイド服を身に纏う幼い少女――アイリの声だ。

 彼女は二機のゴーレム達と共に、公園に設置された長椅子の一つに座っていた。

 購入したケーキの箱を傍らに置く彼女を中央に、ゴーレム達が左右に座っている状態だ。彼らの場合は足が届かないため、椅子に乗っかるように座っている。

 コウタの提案でこの公園で休憩することになったのだ。ちなみに、発案者であるコウタは今、アイリのために公園内の露店までクレープを買いに行っている。

 その時、彼女達の前を親子連れが歩いていった。

 若い母親と、アイリより少し幼い程度の少女だ。この時間は人通りも少ないため、アイリの視線は自然とその親娘の方に向いた。


「…………」


 アイリは無言で、その様子を見つめていた。

 少女の方は甘えん坊のようで、母親の手をずっと握りしめている。

 終始、笑顔のまま若い親娘は公園を横切っていた。


「……フクチョウ」「……ドウシタ?」


 少しだけ気落ちした様子のアイリに気付き、ゴーレム達が声をかけてくる。アイリは微かに苦笑を浮かべた。まったくもって彼らは凄い。人間顔負けの気遣いをしてくる。


「……ううん。何でもないよ」


 アイリは微笑んで答える。

 親娘の様子から少しだけ故郷の頃を思い出したのだが、それは過去のこと。

 いつまでも引きずっていても仕方がないことだ。


「……それよりコウタ遅いね」


「……ウム。フクチョウ、マタセル。コクカクモノダ」


「……コウタハ、キョウカラ、チョウカキュウヘイ」


「……降格なのに『超』が付くの?」


 アイリはくすりと笑う。と、そんな時だった。

 不意にバサバサと、木々に止まっていた鳥達が羽ばたきだしたのだ。


「……え?」


 目を丸くするアイリ。

 木々のざわめきは一向に収まらない。もしかすると何かの異常の前触れなのかと不安になり、アイリはキョロキョロと周囲を見渡したが、残念ながら人はいない。コウタもまだ戻ってくる気配はなかった。

 アイリは怖くなり、長椅子から立ち上がろうとする――と、


「……ぬふ」


 唐突に人の声が響いた。

 アイリは心臓が掴まれたように驚く。そして唖然とした表情で前を見やると、三セージルほど先に一人の紳士がいた。

 黒い貴族服と纏い、ステッキをつく男。獅子のたてがみのような髪と顎鬚が特徴的な男性だ。年齢は五十代ほどか。筋肉質な大柄な体格と、青い双眸を持つ人物である。

 しかし、そんなことは、アイリにとってどうでもよかった。

 何故なら、さっきまで確かにそこには人がいなかったはずなのだ。

 この男は一体いつ現れたのか。アイリは小さく喉を鳴らした。


「……フクチョウ!」「……キケン! ハナレテ!」


 その時、ゴーレム達が長椅子から飛び降りた。異常性を感じたのは彼らも同様だったらしい。彼女を守る護衛としてアイリと男との間に割って入った。


「……ほほう」


 その様子に男が青い双眸を細めた。


「ただの人形ではないなと思っていたが、よもや独立して動けるとはな。少々驚いたぞ。大した人形どもだ」


「……ッ!」


 アイリは息を呑む。

 まさか、一目でゴーレムが人間でないことを看破するとは。


「人形に守護されし乙女か。ぬふ、ますますもって興味深いな」


 男は杖をコツコツとつき、アイリに近付いてくる。


「……フクチョウニ、チカヅクナ!」「……ヘンタイメ!」


 言って、駆け出す二機のゴーレム達。足こそ短いが、基本形態のゴーレム達は決して鈍足ではない。その気になれば一歩で一セージル以上を跳躍することも出来るのだ。

 ゴーレム達は数瞬もかからず男との間合いを詰めた――が、


「ぬふ。中々勇ましいではないか人形ども。だが、しばし大人しくしておれ」


 男はそう言って杖を振るった。

 コン、コンと軽快な音が響く。重い打撃ではない。男は杖先で軽くゴーレム達の兜を小突いたのだ。するとどうしたことか、急激にゴーレム達の動きが鈍くなった。

 それでもアイリを守るため、前に進もうとする二機だったが……。


「……ウ、ウゴカナイ?」「……ニ、ニゲテ、フクチョウ」


 遂には動く事もままならなくなったのか、ゴーレム達は前のめりに傾くと、ズズンと想像以上に重い音を鳴らして石畳の上に倒れ込んだ。

 アイリの顔が青ざめる。と、男はふっと相好を崩して、


「まあ、そう怯えるな。乙女よ」


 そう言って、硬直して動けないアイリの隣に腰を下ろした。

 その様子は皮肉にも、並んで長椅子に座る親娘のようにも見えた。

 しかし、実際はそんな暖かい状況ではない。


「怯えた顔では我の『作品』には相応しくないからな」


 と、杖をつく男が告げてくる。

 アイリは恐怖を押し殺して男に目をやり、睨みつける。


「……あの子達に何をしたの?」


「ほう、自分よりも人形の心配か? 優しいな乙女よ」


 男は倒れてもなお、ジタバタと手足を動かすゴーレム達を一瞥するが、


「なに。破壊した訳ではない」


 すぐに興味も失せたように呟くと、アイリのあごに手をやった。

 見知らぬ男にあごを上げられ、アイリは硬直する。


「……ぬふ」


 獅子のような男は笑う。


「間近で見ると、想像以上に美しい。お主、《星神》であろう」


「――ッ!」


 アイリは目を見開き、息を呑んだ。

 自分の素性を見抜かれている。

 しかも、わざわざ《星神》であることを確認するという事は……。


「……あ、あなたは人買いなの?」


 思わずそう尋ねた。

 男の様子に、かつて自分を故郷の村から攫った連中の姿を重ねたからだ。

 だが、アイリの質問に対し、男は「……ふん。あんな連中と一緒にされては心外だ」と言って不愉快そうに渋面を浮かべた。

 続けてアイリのあごを掴む指先に力を入れ、「聞け。乙女よ」と告げる。

 少し痛みを感じ、アイリは眉をしかめた。


「我は女神の使徒にして『芸術家』よ。光栄に思うがよい。お主は我の目に適ったのだ」


「……目に、適った?」


 アイリの反芻に男は満足げに頷く。


「ああ。その通りだ。本来、我の『作品』となるべき少女は十七から十八歳ほど。最も生命力に溢れ、美しくなる時期なのだが……」


 そこで一拍置いて、両目を細める。


「お主は特別だ。正直かなり驚いたぞ。まさかこのような地に、《夜の女神》の写し身であるかの『聖女』にも劣らぬほどの逸材がいようとはな」


 と、アイリには理解できない台詞を呟き、獅子のような男はくつくつと笑う。

 アイリの背中に凄まじい悪寒が走るが、恐怖から動くことも出来ない。


「残念ながらお主ほど幼くては我の食指も動かぬ。他の娘のように快楽という慈悲を与えてから『作品』に仕上げるといったことは出来ぬが、まあ、案ずるな」


 すっとアイリのあごから手を離し、男は言う。


「苦しみはない。お主はただ、今日より永遠と成るだけだ」


 そして男は右手の指先をアイリの額に向け、ゆっくりと近付けていく。


「……あ、ゥ」


 アイリは目を見開いて呻いた。

 きっと、この指先は死を招くものだ。

 それが分かっているのに、未だ身体が動いてくれない。

 逃げ出したいのに何も出来ない。

 男の獣のような眼差しが、アイリを縛り付けていた。

 アイリの目尻に少しずつ涙が溜まっていく。すると男は、


「そう怯えるな」


 優しい口調で言う。


「我も残念で仕方がないのだ。出来ることならば、お主とは十年後に出会いたかった。しかし、出会ってしまった以上、仕方あるまい。十年後もお主が同じ輝きを放っている保証など誰にも出来んのだからな……」


 と、理解不能な自分の都合だけを語った、その時だった。

 男の指先がピタリと止まる。

 ――ざわり、と。

 不意に空気が変わった。


「……な、に?」


 男は双眸を大きく見開いた。

 全身を突き刺す凶悪なこの気配。それは――殺意だった。しかも、恐ろしいまでの濃厚さだ。まるで刃だらけの牢獄にでも閉じ込められたような圧迫感だった。

 ぞわぞわと肌が泡立っていく。


「ば、かな……」


 冷たい汗を流しながら、男は静かに喉を鳴らした。

 この殺意には憶えがある。男にとって決して忘れる事も出来ない者と同じ気配だ。

 ――まさか、『あの男』がこの国にいるというのか……。

 獅子の相の男は立ち上がり、鋭い眼光で周囲を警戒した。

 すると、


「……うちの子に何をしているのかな? おじさん」


 唐突に、声を掛けられる。

 ハッとして声の方に目をやると、三セージルほど前の位置。皮肉なことに先程まで男が立っていた場所に、一人の少年がいたのだ。

 セラ大陸では珍しい黒髪黒眼の少年。腰に白い布を巻いた黒い服は、確かこの国の騎士学校の制服だったはず。ならばこの少年はエリーズ国の騎士候補生か。よく見ると、何故か足元にはクレープが二つ落ちている。


(……しょ、少年だと?)


 男は困惑して眉をひそめた。警戒していた『あの男』ではない。しかし、『あの男』のモノと見紛うほどの強烈な殺意は間違いなくこの少年から放たれていた。


「……コ、コウタ!」


 その時、少女が少年の名と思しき名前を叫んだ。

 すると、黒髪の少年は穏やかな眼差しで少女を見やり、


「……アイリ。もう大丈夫だからおいで」


 そう告げる。途端、少女は呪縛から解放されて駆け出した。


「う、ぐ」


 獅子の相の男は呻いた。

 このままでは折角出会った『作品の素材』を逃がしてしまう。

 あれほどの逸材と巡り会うことは滅多にない。出来れば妨害したいのだが、少年の殺意は未だ男の全身を突き刺していた。ここで下手に動くのはリスクが高すぎる。

 そうこうしている内に、少女は少年の元まで辿り着いた。


「……コ、コウタぁ」


 と、泣きだしそうな上げる少女の頭を少年はくしゃりと撫でる。それから少し身を屈めると彼女の大腿部に左腕を回し、怯える少女を抱き上げた。

 少女は黒髪の少年の首に両手を回し、「ひっく、ひっく」と声を上げている。少年は彼女を宥めるため、長い髪を撫で続けていた。一見すると隙だらけなのだが、それでも男は動けなかった。少年の鋭い眼光がずっと男を射抜いていたからだ。


 男はステッキを強く握りしめ、歯を軋ませる。

 少女を守護するその姿もまた『あの男』に重なった。

 そうしてしばらくすると、黒髪の少年は少し落ち着いた少女を地面に下ろした。それから右手で腰の短剣を引き抜いた。


「さて。おじさん」


 感情の籠っていない声で少年は言う。


「改めて訊くけど、うちの子に何をしようとしていたのかな?」


「……いやなに」


 男は肩を大仰に竦めた。


「少々道を尋ねただけである。我はこの国に来たばかりでな」


「ふ~ん。そう」


 黒髪の少年――コウタは地面に横たわって足掻く二機のゴーレムに目をやった。

 ゴーレム達は動けない状態であっても「……コウタ! キヲツケロ!」「……キケン! ソイツ、キケン!」と警告してくれている。


「とても道を聞いただけには見えないんだけど?」


「……まあ、色々とあったのだ」


 男は微かな苦笑を浮かべ、不意に後方に跳んだ。

 人間離れした跳躍で長椅子を越え、木々の間に吸い込まれるように身を隠す。


「――ッ!」


 コウタは一瞬追跡しようと踏み出すが、すぐに足を止める。

 あの男を捕えたいのは山々だが、今、最も優先すべきなのはアイリの安全だ。

 ここは迂闊にアイリから離れるべきではなかった。


『……ぬふふ』


 すると、どこからともなく声が響いた。


『騎士の少年よ。その歳でその殺意とはな。よもや、この国にもお主のような怪物がいようとは思わなかったぞ』


「……それは誉め言葉と受け取っていいのかな?」


 コウタは淡々と尋ねた。対し、周囲からくつくつと笑い声が届く。


『ああ、そう受け取ってくれ。その上、お主の殺意を黒犬どもが嗅ぎつけたようだ。不本意ではあるが、ここは撤退しよう。しかし――乙女よ』


 不意に呼びかけられて、アイリがビクリと肩を震わせた。


『この程度で我はお主を諦めたりはせぬ。お主はこの国における我の最初の「作品」となるのだ。ぬふふ、いずれ迎えに参る。また会おうぞ乙女よ……』


 一方的にそう告げて声は消えた。

 コウタは険しい面持ちで周囲を見渡した。森は静寂に包まれている。どうやら、あの不審者は完全にこの場から撤退したようだ。


「……逃げたか」


 コウタがふうと息を吐き、短剣を鞘に納める。と、


「……コウタ、あの人は」


 隣に立つアイリが、不安そうに口を開く。

 コウタはアイリの顔を見やり、


「うん。もう気配はない。逃げたみたいだ」


 と、笑いかけるが、そこでアイリが再び怯え始めていることに気付いた。

 コウタは黒い瞳を細めると、再びアイリを抱き上げてた。そして、


「アイリ。大丈夫だから安心して」


 そう言って、彼女をギュッと抱きしめ、ポンポンと頭を叩く。


「……コ、コウタ」


 か細い声で少年の名を呼ぶアイリ。

 コウタの声は普段以上に優しかった。しかも今は密着しているため、ほぼ耳元で囁かれてしまった。これは想像以上の不意打ちで、何よりも強烈だった。アイリの顔が耳まで真っ赤になる。トクンと小さな胸の内が跳ね上がり、「……うゥ」と呻き声が零れた。アイリの両手が何かを求めるように宙空を彷徨い、そしてメルティアに申し訳なく思いつつも、結局、安堵感からギュッと少年の首に抱きついてしまう。


「……コ、コウタは色々とずるい」


「え? 何が?」


 一方、コウタは首を傾げていた。アイリはぶすっと頬を膨らませる。

 どうも不機嫌なのか機嫌がよいのかよく分からないが、何にせよ可愛い妹分から怯えが消えたことだけは感じ取り、コウタはホッと安堵した。

 それから、アイリを地面に下ろして――。


「……だけど」


 不意に、表情を真剣なモノに改める。

 そして木々の奥を見やり、コウタは小さな声で言葉を続けた。


「今この国には、かなり厄介そうな人間が潜んでいるようだね……」

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