第99話 遭遇②
「……ふう」
と、零れ落ちる少女の呟き。
次いで「………はぁ」という大きめな溜息も零れ落ちた。
そこはレイハート邸の一室。リーゼの私室だ。
「……どうしてこんなことになったのでしょうか」
リーゼはしかめっ面を浮かべる自分の顔を見据えて呟く。
真っ白なドレスを纏った彼女は今、大きな鏡台の前に座っていた。
「ご気分がすぐれませんか? お嬢さま」
と、尋ねるのは、リーゼの背後に立って彼女の長い蜂蜜色の髪をクシで梳かすメイド服の女性――シャルロット=スコラだ。年齢は二十代半ば。藍色の髪を持ち、少し冷淡な物腰ではあるが、美女と呼ぶに相応しいだけの美貌を持つ女性である。
「お嬢さま」
シャルロットは淡々とした声で主人に再び問う。
「今回のハウル家の応対、それほどまでに気が進みませんか?」
「………ええ、そうですね」
リーゼは眉尻を下げた。
「正直、気が進まないのは事実ですわ。お父さまは友誼を結ぶだけでいいと仰っていましたが、まるで見合いでもする気分です」
「……確かにそうですね」
シャルロットはクシを動かしながら微かに首肯する。
――グレイシア皇国の名門。ハウル公爵家の応対。
先日、父から聞いた話を、悩んだ末にリーゼは受け入れた。まあ、すでに来訪は確定していたので、いずれにせよレイハート家の一員として挨拶はしなければならない。ならば友誼を結ぶことも大したことではないと考え、承諾したのだが……。
「お父さまは絶対に企んでいましたわ」
リーゼはぶすっとした表情で呟く。
次いで深々と嘆息し、
「どうしてわたくしが父の名代なのですか」
と、愚痴も零した。
どうも思っていた事よりも、遥かに重い役割を父は命じて来たのだ。
簡潔に言えば、父があまりにも多忙であるため、リーゼがレイハート家の当主代行としてハウル家の応対を一手に引き受けることになったのだ。
従って今日より数日から下手すれば数週間。リーゼは他国の少年の『ご機嫌取り』をしなければならない。憂鬱になるのも仕方がなかった。
「絶対、父はこの期間に親しく――それ以上の関係になればいいと考えています」
「…………」
リーゼの推測に、シャルロットは無言だった。
その可能性は大いにあり得すぎて、気休めの言葉も思いつかない。
「お受けになった以上、仕方がありません」
なのでシャルロットは気休めの言葉の代わりに、現実的な提案をする。
「ここは前向きになられるのがよいでしょう。旦那さまの仰られた通り、かの皇国において十代にして騎士を担う少年です。お嬢さまにとって得られるものが多いのは間違いないと思われます。それに……」
ピタリ、と髪を梳かしていたシャルロットの手が止まる。
リーゼは「……シャルロット?」と従者の名を呟き、振り返った。
「それに……何ですか?」
「……正直、私個人としては、その少年と会うのが楽しみでもあります」
と、藍色の髪のメイドは本音を零す。リーゼの目が大きく見開かれた。
「それはどういう意味ですの? いえ、あなたも騎士学校の出身。やはり今も騎士の道に興味があるのですか?」
シャルロットはリーゼが通うエリーズ国騎士学校の卒業生だ。
様々な事情があって今でこそレイハート家のメイドをしているが、その実力は卒業時に次席を取るほど優秀だった。もしかすると、今もなお騎士に対する憧憬のような感情を抱いているのかもしれない。一瞬そう思ったのだが……。
「……え?」
リーゼはすぐに愕然とした表情を浮かべる。
「シャ、シャルロット!?」
ガタン、と椅子を揺らして立ち上がった。
――珍しい。これは実に珍しいものを見た。
「ど、どうしたのですか!? シャルロット!?」
思わずそう尋ねてしまう。
なにせ普段は無愛想と言ってもいいシャルロットが、不意に視線を逸らし、微かにではあるが頬を赤らめたのだ。それは、彼女のことをよく知らない人間から見れば気付くこともない変化だ。しかし、付き合いの長いリーゼからすれば一目瞭然だった。
この無表情で無愛想な――されど姉のように慕う女性が。
初めて……出会ってから初めて『乙女の表情』を見せたのである。
「え、えっと、シャルロット……? そ、その、もしかしてあなたは、ハウル公爵家の跡取りのことを……」
話の流れからしてその可能性を考えたのだが、
「それはありません。次期当主殿とは面識さえありませんから」
シャルロットはあっさりと否定した。
しかし、そこで終わらず、わずかに俯いて言葉を続ける。
「……風の噂では、『彼』はグレイシア皇国の騎士になったと聞きました」
「……『彼』?」
眉根を寄せるリーゼ。
「私の知る『彼』の実力ならば、騎士団でも相当な知名度を得ていることでしょう。ですから同じ皇国の騎士、それもハウル家の次期当主ならば、きっと『彼』のことを……もしかすると面識さえもあるのではないかと……」
シャルロットの台詞は、最後の方になるとほとんど独り言に近かった。
そんな従者を驚きの表情で見つめながら、リーゼは確信する。
――間違いない。これは『コイバナ』だ。驚くべきことに、色恋沙汰に一切興味がなさそうに見えたあのシャルロットに想い人がいたのだ!
「あらあら、シャルロット」
キラキラと蜂蜜色の瞳を輝かせてリーゼは言う。
「その話、詳しく聞かせて頂けますか?」
一方、シャルロットは、ほんの少しだけ頬を引きつらせた。
これもまた、非常に珍しい光景だった。
リーゼが上品に口元を押さえて笑みを零す。彼女の眼差しは興味津々だった。
(……これは失敗してしまいました)
内心で結構焦り始めるシャルロット。
まずい、まずい、まずい……。
主人である少女の興味が、件の来訪者よりも自分の方へと完全に向いてしまった。
これは、かなりまずい状況だった。
元来シャルロットは色恋沙汰が苦手だった。特に自分自身の事になると不器用すぎて失敗談しか語れない。そもそも今まで一度も男性と付き合った事もないのだ。そのため、年上の見栄もあってリーゼに対してはその手の話をしたことはなかったのだが、もしかすると『彼』の近況が聞けるかも知れないと浮かれた気持ちが失態を招いてしまった。
「うふふ。さあ、聞かせてもらえますわよね。シャルロット」
リーゼはこの上なく乗り気だった。
シャルロットは無愛想な顔に一筋の冷や汗を流して後ずさる。一方、リーゼは髪とドレスの裾を揺らして立ち上がり、ググイッとメイドに詰め寄った。
「一体どんな殿方ですの? お優しい方ですの? いえ、さきほど騎士になったと仰ってましたわよね。ということは、お強い方ですの?」
いよいよリーゼの質問攻めが始まった。
否応なくシャルロットの脳裏に『彼』と過ごした数日の記憶がよぎる。
――ほんの一時ではあるが、二人だけで過ごした時間のことを。
『ははっ、何を言ってんだよ。うちの子に比べればそんなの無愛想にも入んねえよ。スコラさんは充分魅力的な人さ』
かつて『彼』が言ってくれた言葉まで蘇ってきた。
言葉も出せず、カアアァと頬が熱くなる。思わずメイド服のスカートの前を両手で握りしめ、シャルロットは藍色の前髪で瞳を隠すほど深く俯いた。
「……まあ!」
姉のように慕う女性の見たこともない仕種に、リーゼは目を丸くした。
これはますますもって興味深い。
ここはより詳しく聞き出さなければ――。
と、思った時だった。
コンコン、とドアがノックされた。
リーゼとシャルロットはドアの方に目をやった。
すると、ドアの向こうから「お嬢さま。お客さまがご到着されました」と声が聞こえてくる。どうやらハウル公爵家一行が訪れたようだ。
(やれやれですわ。タイミングが悪い)
リーゼは内心では不満に思うが、そこは英才教育を施された公爵令嬢。ましてや今はレイハート家の名代だ。すぐに気持ちを切り替える。
「……では、お嬢さま」
シャルロットの方もすでに普段の表情に戻っていた。
リーゼも真剣な面持ちで「そうですわね」と頷く。
そしてレイハート家の当主代行はドアに向かって進み出る。
「では、お客さまを出迎えましょか」
二人は大きな階段を降りていく。
絨毯を敷き詰めた廊下に足音はしない。シャルロットを後方に従えたリーゼは、階段の途中で玄関口である大ホールを見下ろした。
その場所にはレイハート家の執事長と、二名の客人の姿があった。
一人は黒い執事服を着た人物。グレイの髪と鋭い面持ちが印象的な青年だ。
出で立ちが騎士ではない。恐らくハウル家の執事だろうか。
リーゼはもう一人の人物に目をやった。
赤いサーコートに、黒い騎士服を纏う少年。凛々しい顔立ちと、烈火を彷彿させるような赤い髪と同色の双眸を持つ、若い騎士だ。
彼はレイハート家の執事長と談笑をしていたようだった。
「ようこそおいで下さいました」
リーゼは彼らに声をかける。
三人は大ホールへと続く階段――リーゼの方に視線を向けた。
リーゼはシャルロットと共に階段を降りると、優雅にドレスの裾を掴み、挨拶をする。
「お初にお目にかかります。わたくしの名はリーゼ=レイハートと申します。誠に失礼ながら現在不在の父に代わり、ご挨拶を申し上げます」
「丁重なご挨拶、ありがとうございます」
すると、赤い髪の少年は一歩進み出て恭しく頭を垂れた。
「お初にお目にかかります。私の名はアルフレッド=ハウルと申します。この度、急な訪問にも拘わらず、寛容なご対応、誠にありがとうございます」
と、紳士的な応対をする少年。リーゼは柔らかく笑い、右手の甲を差し出した。
淑女に対する礼儀としてアルフレッドは彼女の甲を取り、口づけをする。
数瞬の沈黙の後、
「では、アルフレッドさま」
リーゼはレイハート家の名代として告げる。
「ご滞在中はこの館を我が家としてお使い下さい。ご必要な物があればなんなりと仰っていただければご用意いたします」
対し、アルフレッドは頭を上げて感謝の言葉で応える。
「重ねて感謝します。リーゼさま。至らずご迷惑をお掛けしてしまうかもしれませんが、何卒宜しくお願いします」
こうして二人の公爵家の人間は、にこやかな出会いを果たすのであった。
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