第八章 《悪竜》と《妖星》のダンス

第84話 《悪竜》と《妖星》のダンス①

 ゆっくりと。

 まるで深海に沈んでいくかのように、その鎧機兵は降りて来た。そして地上から一セージルほどの位置でピタリと止まり、ゆらゆらと尾びれを揺らした。

 周囲の《黒陽社》の鎧機兵達は静かに武器を掲げ、主君である機体を迎え入れる。

 コウタ達は緊張した面持ちでその光景を見つめていた。


『う、そだろ……。何なんだよこの恒力値は……』


 その時、私設兵団の一人が愕然とした声をこぼした。

 コウタは《万天図》を起動させる。

 ブンと起動音を立て、外景を映し出す胸部装甲の内側、その右側面部に円形図が表示される。そこには周辺の鎧機兵の位置を光点で、恒力値を数字で記されていた。

 当然、眼前の宙に浮かぶ鎧機兵もその感知対象だった。

 ちらりと《万天図》を一瞥し、コウタは渋面を浮かべる。

 これは予想通りと言うべきか。

 異形の機体の恒力値は、実に凄まじかった。


(……恒力値、三万六千三百ジンか)


 グッと操縦棍を握りしめ、コウタは鋭く目を細めた。

 やはり三万超え。彼女自身が名乗った通り、この異様な機体もまたあの黄金の鎧機兵と同じく《妖星》の名を持つ存在か。


『……ふふ、どうした? 《悪竜顕人》よ』


 と、リノが愉快そうに声をかけてくる。


『少々ギャラリーが多くて緊張しておるのか? ふふ、ならばお主の仲間にはこの場から退散してもらおうかの』


 そう宣告して彼女の機体――《水妖星》が片腕を上げた。

 すると同時に、リノの配下の黒い鎧機兵達が一斉に武器を構えた。その上、先行していた馬車から数人の黒服が降りてくる。どうやらあの馬車自体が伏兵だったらしく、彼らはそれぞれ鎧機兵を召喚した。これで数の上ではコウタ達を凌駕されたことになる。


『さて。お主の仲間にはこ奴らとでも遊んでもらおうか。わらわ達の逢瀬の邪魔になるであろうからな』


 と、リノが語る。その直後、《水妖星》が腕を下ろした。


『『『うおおおおおお!』』』


 途端、《黒陽社》の鎧機兵達がなだれ込むように襲い掛かってくる!

 ――ただし、《ディノス》以外に対してだ。


『く、くそ!』『みんな! 迎撃するぞ!』


 かくして各自戦闘を開始した。鳴り響く剣戟音。私設兵団はすぐさま迎え撃つが、士気と数。共に圧されるため、彼らは劣勢に立たされていた。


『――クッ!』


 そんな中、ラックスが呻く。

 そして彼の愛機、《疾風》が刀を手に駆け出そうとする。目的はコウタの護衛だ。

 あの宙に浮かぶ異様な機体は明らかにコウタを狙っている。危険な兆候だ。アベルより託された少年を放っておくことなど出来なかった。

 しかし、そんな彼を止めたのは、コウタ自身だった。

 援護を拒否するように、背を向ける《ディノス》が処刑刀を横に薙いだのだ。

 思わず《疾風》はたたらを踏む。

 が、付き合いの長いラックスは、すぐにコウタの意図を理解する。

 現状、私設兵団は苦戦を強いられている。そこへ《ディノス》に次ぐ戦力である《疾風》まで欠ける訳にはいかない。そうなれば敗北は必須だ。

 ここはコウタの護衛よりも、私設兵団の援護に回るべきだった。


(……しかし)


 ラックスは操縦棍を握りしめて逡巡する。が、近くから聞こえる部下達の悲鳴のような声と、彼自身にも敵機が接近していることから決断する。

 アシュレイ家の執事長は、宙に浮かぶ水色の機体を睨みつけた。

 不本意ではあるが、この鎧機兵の相手は次期当主に願うしかない。

 《疾風》は刀を静かに握りしめた。


『――ご武運を』


 ラックスは《ディノス》の背にそう声をかけ、接近する敵機の方へと向かった。

 そうして戦場は激しさを増して拡大する。

 剣戟音が鳴り響く中、《ディノス》と《水妖星》の二機は静かに対峙していた。

 しばし続く沈黙。それを先に破ったのはリノの方だった。


『ふふっ、恒力値は六千四百ジンといささか低いが、《悪竜顕人》とはよく名付けたものじゃのう。ラゴウのセンスも捨てたものではないか』


 尾びれを揺らして《水妖星》が《ディノス》を凝視した。

 そしてその操縦席の中でリノは皮肉気に笑う。


『全くもって良い趣味をしておるな。その機体からして、やはりお主は《ディノ=バロウス教団》の信者なのか?』


 と、ほぼ興味本位だけで尋ねると、《ディノス》がかぶりを振った。

 そして主たる少年は、初めて彼女に向けて言葉を発する。


『いや、違うよリノ。ボクは信者なんかじゃない』


 一拍の間。


『……な、に?』


 ポツリと零れる少女の呟き。

 まだ名乗ってもいないのにいきなり名前を呼ばれ、リノは困惑した。

 どうして自分の名を知っているのか。

 訝しげに眉をしかめて悪竜の騎士に目をやる。

 が、そこで彼女はハッとする。


(いや待て! そもそも今の声は――)


 紫色の瞳を大きく見開く。

 その事実に気付き、リノは唖然とした。

 ――そうだ。今、目の前の悪竜の騎士が発した声。

 それは、誰よりも愛しく思える声だった。その声はのものだったのだ。

 この国で出会い、自分のすべてを奪って欲しいと願った……。


『お、お主は……』


 リノは動揺と共に声を張り上げた。


『コ、コウタ……? まさかコウタなのか!』


『……うん。そうだよ』


 言って、《ディノス》が首肯する。

 それから、竜装の鎧機兵は静かに《水妖星》を見据えて。


『その声、やっぱり君だったんだね。まさか、君があのラゴウ=ホオヅキと同じ《九妖星》だったなんて……』


 と、コウタが呟く。出会った時から只者ではないと悟っていた。だが、まさか彼女が自分の知る最強の男と同格の人間だったとは思いもよらなかった。

 いや、それ以前に、天真爛漫な彼女が犯罪組織に身に置いているとは……。


『は、ははは……あははははははははははははははっははははははははははっははははははははははっははははははっははははっ!』


 その時、不意にリノは大きな胸元を片手で抑えて笑い出した。

 軽く涙を滲ませるほど彼女はご機嫌だった。


『はははっ、何という事じゃ! お主が《悪竜顕人》じゃったとはの! 良い! 実に良いぞ! これでわらわの望みにもかなり近付いた!』


 と、意気揚々と叫ぶ少女に、コウタは眉根を寄せる。

 彼女の言葉の意味はよく分からないが、今はそれよりも問わずにいられない。


『どうして君は《黒陽社》なんかに……』


『ん? 何じゃコウタ? わらわの事が知りたいのか?』


 その呟きを聞き、リノは表情を改めて《ディノス》を――その操縦席にいる愛しい少年を見つめる。そして――。


『ふむ。わらわはな……』


 リノはふうと息をつき、語り出す。


『生まれた時から《黒陽社》におった。《黒陽社》の社員もそうじゃが、裏社会の人間とて当然家族はおる。わらわの場合、両親ともに裏社会の人間じゃった。生まれ落ちた場所が最初からドス黒い。わらわはそういった人間の一人なのじゃ』


 そこで彼女はふっと笑う。


『特に、わらわの父上はその地位も性格も特殊での。わらわは父上から徹底した教育を受けた。要するに悪のエリートというやつじゃのう』


 そして今や《九妖星》の一角じゃ。

 そう言葉を締めて《水妖星》は大仰に肩をすくめた。


『………リノ』


 コウタは《ディノス》の中から《水妖星》を見つめた。

 それはありふれた話だった。表の世界でも自分の子供に幼い頃から技術を叩きこむ職人などがいる。裏社会で同じことを行っていてもおかしくない。

 だが、それでも彼女が犯罪組織に所属するなど、あまりにも似合わないと思う。

 ――いや、絶対に相応しくない。


『君は今の自分の仕事に納得しているの? どんな地位についても結局は犯罪者。決して誇れるようなことじゃない』


 ズシン、と愛機を一歩前に踏み出させてコウタが問う。


『ふむ。そうじゃのう……』


 対し、リノは一瞬だけ双眸を細めた。


『確かに誇れるような仕事ではないの。じゃがなコウタよ。仕事とは本来生きるための術であり、生き甲斐などではないのじゃ』


 そして彼女は極論とも呼べる持論を述べる。


『職業に貴賎はない。それはと言う事じゃ。あるのは、ただの需要と供給だけじゃな』


『…………』


 コウタは無言だった。

 どうやら、彼女は『仕事は仕事』と割り切っているようだ。

 歪んでいるようにも思えるが、そこには信念めいたものも感じ取れる。


(……これは投降の説得は無理か)


 コウタはそう悟った。そんな少年の心境をリノも感じ取る。

 彼女は苦笑じみた笑みを見せた後、


『さて。おしゃべりはここまででよかろう。なにせ、お主はこの国の騎士。わらわは犯罪組織の幹部なのじゃ』


 まるで歌うように呟く。


『互いの立場がある。ならばやることは一つであろう』


 宙空で泳ぐように大きく愛機を揺らめかせ、リノは語り続ける。

 コウタは無言だった。

 リノは苦笑した。あの優しい彼のことだ。投降の説得が不可能と悟った今でも、リノに剣を向けるべきか迷っているのだろう。わずか一日足らずの短い付き合いだが、それを理解できるぐらい彼女は少年を強く、真摯に想っている。

 だが、今リノが知りたいのは、彼の穏やかな心根ではない。

 ――《悪竜顕人》。

 その仰々しくさえもある二つ名に、相応しいだけの苛烈な力だ。


『では、コウタよ。お主の今の力量、最後に確かめさせてもらおうかの』


 リノは笑みさえ浮かべて、そう宣言するのだった。

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