第58話 暗き洞から生まれしは――。④

(明らかに動きが変わったな、サザン伯爵)


 愛機・《ディノ=バロウス》の中でコウタは眉をしかめていた。

 目の前には怒涛の連撃を繰り出す、白い騎士の姿がある。

 上段の斬撃。全身で反転した横薙ぎ。目を瞠るような刺突。

 どれもこれもが必殺の刃だ。

 しかし、《ディノ=バロウス》は、そのすべてを弾き返した。

 怖ろしく速く、洗練された技ではあるが、『あの男』に比べれば一歩劣る。

 コウタが、危機を感じるほどではなかった。


(――いや、違うか)


 少年はすっと目を細めた。

 伯爵の攻撃は、本来ならば危機を抱くレベルなのだろう。しかし、それが大したことがないように思えるのは恐らく機体のせいだ。

 コウタの愛機・《ディノ=バロウス》と、伯爵の愛機である名前を知らない機体。

 両機の性能差が、あまりにも開き過ぎて攻撃に影響が出ているのである。

 事実、伯爵の機体は、すでに悲鳴を上げている。

 遥かに格上である《ディノ=バロウス》の攻撃を凌ぎ続けたこともあるが、それ以上に伯爵の操縦速度そのものについてこられなくなってきているのだ。


(限界はもう近いな)


 ――ガギンッ!

 襲い来る下段からの斬撃を軽々と横に弾き、コウタは伯爵の機体を見据えた。

 白い騎士は、両腕両足の各関節から白煙を上げ始めている。

 完全にオーバーヒート直前の状態だ。


(あの機体は長くは持たない。多分そろそろか)


 コウタは強く操縦棍を握りしめた。

 もはや決着の時は近い。ならば、きっと伯爵は――。

 と、考えていた時、不意に白い騎士は後方へと大きく跳躍した。

 そしてその場で刺突の構えを見せる。

 接近戦を捨てて遠距離戦……などでは当然ない。

 コウタは、改めて白い騎士を見据えた。


(最後の攻撃か。あなたの本質を見極めさせてもらいます。サザン伯爵)




(――なんと言う事だ!)


 その時、ハワードは心底不服そうに表情を歪めていた。


(《ラズエル》が、こうも不甲斐なく感じたのは初めてだぞ!)


 現在、彼の愛機は、刺突の構えで悪竜の騎士と対峙している。

 本当は、もっともっと宿敵と戦っていたい。

 積年の想いを吐き出すには、まだまだ語り足りなかった。

 しかし、無情にも愛機である《ラズエル》が、それを許してくれなかった。

 格上の敵相手に限界を超えて戦い続けた結果、全身にガタが来たのだ。

 もはやハワードの感覚に《ラズエル》は追いつけなくなっていた。


(くそッ! 何故私は、もっと強力な鎧機兵を用意していなかったのだ!)


 ハワードは、ギシリと歯を軋ませる。

 このままでは、オーバーヒートで停止するのも時間の問題だった。

 だが、そんな間抜けな結末だけは断じて許容できない。

 そんな決着は、ようやく出会えた宿敵に、あまりにも無礼だからだ。


(……くそ、仕方あるまい)


 ハワードは決断する。

 ならば、《ラズエル》がまだ動ける内に、雌雄を決するしかない。


(心から不本意だが、決着をつけさせてもらうぞ。宿敵よ)


 無言のまま、《ラズエル》が重心を沈めた。

 切っ先は悪竜の騎士の喉元。そこに、彼の最強の闘技をぶつける。

 ――そう。まさしく全身全霊を以て挑むのだ。

 ほんの数瞬だけ、森は静寂に包まれた。

 そして、ハワードの裂帛の気迫が静寂を破る!


『行くぞ! 悪竜の騎士!』


 同時に雷音が轟く。《ラズエル》が両足で《雷歩》を使用したのだ。

 さらに、両肩からも莫大な恒力が噴出される。

 もしも恒力を視認できる者がいたら、その姿は、大きく翼を広げているように見えたことだろう。恒力の翼は《ラズエル》を羽ばたかせた。

 かくして、まるでかき消えるような速度で《ラズエル》は突進する!

 技名はない。ただ、速いだけの刺突である。

 だが、それは、かつて一度も破れたことのない必殺の一撃だった。


(これでどうだ! 我が宿敵よ!)


 ハワードは不敵に笑った。現状これ以上の技はない。

 この技ならば宿敵にも通じる。彼はそう確信していた――が、


「な、なに!?」


 愕然として目を瞠る。

 悪竜の騎士は、この最速の刺突を左腕一本で――より正確に言うのならば、左手で大矛の先端を掴み取ったのである。

 バチバチバチッ――と火花が散る竜牙を思わせる掌と大矛の刃。

 しかし、流石の怪物も《ラズエル》の渾身の刺突の威力を、左腕だけで抑えることは出来なかったようで、巨体が後方に押しやられた。


「むううう!」 


 歯を軋ませるハワード。

 ここで押し切れれば、まだ勝算はある。

 この左手さえ振りほどけば、大矛の刃は宿敵の胸を貫くはずだ。

 ハワードは、オーバーヒートを覚悟して、さらに加速しようとした。


 ――が、その時だった。

 どうしてか、悪竜の騎士が纏う炎がいきなり収縮したのだ。

 一瞬だけ訝しむハワードだったが、その事を考える余裕など彼にはなかった。

 直後、《ラズエル》の突進が、ガクンッと止まってしまったからだ。

 どうやら、突進を力任せに抑えつけられたらしい。

 信じ難いことに、この悪竜の騎士はまだ全力ではなかったのだ。


(この膂力で、まだ全開ではなかったのか!)


 ハワードは驚愕と共に、歓喜に震えた。

 全くもって、我が宿敵はどこまで底なしなのだろうか。

 一方、悪竜の騎士は、大矛の先端を掴んだまま《ラズエル》を見据えていた。

 その右手には処刑刀が握りしめられている。

 この間合いならば、いつでもトドメを刺せるだろう。

 ハワードは、ふっと口角を上げた。

 もはや決着はついた。後は甘んじて最後の刃を受け止めるだけだ。


『ふふっ、この勝負、お前の勝ちだ。トドメを刺すがいい。悪竜の騎士よ』


 と、ハワードは宿敵に語りかける。

 正直、全力を出し切ったとは言い難いが、それでも心は晴れやかだった。

 自分の負けだと素直にそう思えた。

 だが――悪竜の騎士は動かない。ハワードは怪訝そうに眉根を寄せた時、


『その声……もしや、あなたはサザン伯爵ですか?』


 初めて悪竜の騎士が言葉を紡いだ。

 そこでハワードは、今更ながら思い出す。

 そう言えば、この怪物は人が搭乗する鎧機兵だったのだと。

 しかも、この声には聞き覚えがあった。


『その声は……まさか君は、ヒラサカ君か?』


 確か昨日出会った少年。アシュレイ家の使用人を名乗る少年の声だった。

 すると、悪竜の騎士はゆっくりと頷いた。


『はい。先日お会いしたヒラサカです』


 そこで、悪竜の騎士は大矛の先端を離した。


『申し訳ありません。まさか、サザン伯爵ご自身が戦場におられようとは……。敵の一人と誤認した無礼な振る舞いをお許し下さい』


 と、少年は謝罪の意を込めた言葉を続ける。

 対するハワードは、流石に呆気に取られていた。

 これほどまでに凶悪な機体。あれほどの卓越した技量を持つ者が、まさか十四、五歳程度の少年だったとは、想像もしていなかった。


(しかも『誤認』しただと……?)


 にわかに信じ難い言葉である。

 ハワードの愛機・《ラズエル》は、見事な装飾が施された荘厳な機体だ。

 盗賊が扱うような鎧機兵とは明らかに一線を画す。

 それを誤認するなどあり得ない。

 だが、互いに敵味方の確認を取らなかったのも事実であり、何より攻撃を先に仕掛けたのはハワードの方だった。少年の言葉を頭ごなしに否定はできない。


(そういうことか。この小僧、さては私を計ったな)


 ハワードは、すぐに少年の思惑を見抜いた。

 恐らくこの少年は今回の一件を訝しみ、一計を謀ったのだ。あえて剣を交えてハワードの意図を探ろうとしたのだろう。剣は口よりモノを語る時もある。


(やってくれるな)


 若き伯爵は、皮肉気に笑った。

 しかし、その件で何かを語ろうとする前に、少年は言葉を続けた。


『重ねてお詫びします。ですが伯爵。未だこの森には敵がいるようです。私はそちらに向かおうと思います。ではこれにて失礼を』


 そう一方的に告げると、炎を纏う悪竜の騎士は現れた時と同じように、地面を粉砕して飛翔した。その姿はまるで紅い流星だ。

 ハワードは、半ば唖然としてその光景を見つめていたが、


「くく、ふはははははははっははは――ッ!」


 突然、堪え切れなくなったように笑い出した。

 愛機の胸部装甲ハッチを開け、夜空に向かって笑い続ける。

 そうして数十秒が経ち……。


「くくく、まさか私の宿敵があんな少年だったとはな……」


 そう呟いて、青年は《ラズエル》から降りる。

 そして悪竜の騎士の消えた方向に、ハワードは目をやった。

 出会った時から興味深いとは思っていたが、運命とは分からないものだ。


「しかし……」


 そこでハワードは、広場に横たわる機体に視線を向けた。

 かつての部下――ワイズが眠る大破した鎧機兵だ。


「……《悪竜》をおびき寄せた、か」


 ハワードの脳裏に、ワイズの言葉が蘇る。

 ワイズが死の間際に言ったことは、紛れもなく真実であった。

 そしてもう一つ。


『くははは、ははははッ、あんたは、きっと、俺に感謝、するぜ。てめえの、心に、俺の名を、刻みつけて、やらあ……』


 あの男は、そんなことも言っていた。


「ふふ……」


 ハワードは不意に笑う。


「ああ、その通りだな。グリッド=ワイズよ。我が宿敵を導いてくれたことを心から感謝するぞ。お前の名前は決して忘れない。確かに私の心に刻まれたよ」


 そう呟き、若き伯爵はしばし機体の残骸を見据えた。

 そして夜空を見上げて――。


「くく、ふははははははっはははははははははははははははははははっははははははははははははははははははははははははっははははははは――ッ!」


 誰はばかることなく、哄笑を上げるのだった。



       ◆



(なるほど。ああいう人だったのか)


 その頃、コウタは愛機の中で苦笑を浮かべていた。

 それは何とも複雑な表情だった。


「……コウタ?」


 すると、彼の苦笑に気付いたメルティアが、不思議そうに尋ねる。


「結局、何か分かったのですか?」


 コウタがサザン伯爵と戦ったのは、剣を通じて伯爵の心を探るためだ。

 しかし、そもそも騎士でも戦士でもないメルティアには、剣で語るなどと言われても正直ピンとこない。こればかりは、コウタに直接訊くしかなかった。


「う~ん、そうだね」


 それに対し、コウタはあごに手をやった。

 伯爵と会うのは二度目だ。一度目の時は、とにかく『喰えない人物』と言う印象を抱いたのだが、今日の伯爵はかなり様子が違った。


(かなり意外な太刀筋だった……)


 コウタは、伯爵の斬撃の一つ一つを思い出す。

 小細工は一切ない。誠実ささえも感じる真直ぐな太刀筋だった。


(剣技だけで見ると、正々堂々とした実直な人だと思うけど)


 どうも、それだけで語れる人物ではなさそうだ。

 腹が読めない策士にして、実直な騎士。

 そんな矛盾した人物。それがハワード=サザンという男かもしれない。


(いずれにせよ、多分油断してはいけない人だ)


 コウタは密かにそう判断する。と、


「……コウタ? どうしました?」


 沈黙が続くコウタに、メルティアが小首を傾げた。

 いつしか思考に没頭してしまっていたようだ。


「ああ、ごめんメル。うん、そうだね」


 コウタは、ふふっと笑う。

 そして黒い双眸を細めつつ、こう答えるのだった。


「まあ、変な人だったよ。けど、嫌いではないかな」

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