第43話 越境都市「サザン」②

 グリッド=ワイズには悪夢がある。

 真っ暗闇の森の中。煉獄の鬼にずっと追われ続ける夢だ。

 昨晩もうなされた忌々しい悪夢。

 これは、実体験から来る恐怖の夢だった。


「……くそ、そういうことか」


 カツカツ、と革靴を鳴らして、ワイズはサザン邸の廊下を進んでいていた。

 刀傷の刻まれたその表情は、苛立ちで歪んでいる。

 昨日、突然痛み出した古傷。その時はただ困惑するだけだったが、一晩経って冷静になってみると、その原因には思い当たることがあった。


(あの黒髪のガキの雰囲気が『奴』と似てやがったんだ……)


 ワイズは足を止めて右目を押さえた。

 この傷は五年ほど前に、とある傭兵に刻まれたものだった。

 当時、ワイズは仲間と共に、人身売買を主に野盗のような暮らしをしていた。

 グレイシア皇国領の、ある山の麓に拠点を構え、団の規模もかなり大きくなったのでそろそろ裏組織として地盤を固めようと考えていた矢先のことだ。

 その傭兵の噂を聞いたのは。


(……ふん。何が『子連れ傭兵』だ)


 当時を思い出し、ワイズは舌打ちする。

 その傭兵は、当時まだ十代の少年だったのだが、何故か、九歳ほどの少女を連れている奇妙な人物だった。だから、付いたあだ名が『子連れ傭兵』だ。


 しかし、そのこと自体はどうでもいい。

 ワイズが興味を抱いたのは、その傍らにいる少女の方だった。

 傭兵の妹かどうかは知らないが、彼女は途轍もなく美しい容姿をしていた。

 そのため、彼女は《星神》ではないかという噂が流れていたのだ。


 ――《星神》。それは人の間からごく稀に生まれる異能者。他者の《願い》を聞き入れ、叶えるという神秘の種族である。


 能力自体には制約も多く万能とは言い難いが、その全員が美しい容姿をしており、裏社会では破格の額で取引されるだった。

 ワイズ達は考えた。もしその噂が事実なら裏社会に進出するために、ぜひとも手に入れておきたい。そして、その少女を守るのは傭兵といってもガキ一人。数で押せばどうにでもなる。まあ、噂が嘘でもあの少女の容姿ならば高値で売れるのは確実だ。


『まあ、俺らが裏社会で成り上がるためだ。悪く思うなよ坊主』


 それが待ち伏せた森の中で、ワイズがその傭兵の少年に告げた台詞だった。

 そして、今でも後悔する言葉でもある。

 ワイズは知った。世の中、とんでもない化け物がいることを。

 何より、獣の巣に手を出すことが、どれほど怖ろしい事なのかを思い知った。

 その傭兵は表情を消すと、おもむろに少女を左腕で抱き上げた。そして反りの入った変わった短剣を抜くと、右腕一本でワイズ達をし始めたのだ。


 次々と斬り伏せられるワイズの仲間達。

 ワイズの右目の刀傷は、その時刻まれたものだった。

 このままでは全滅する。そう察したワイズ達は慌てて鎧機兵戦に切り替えた――が、それがさらにまずかった。敵の傭兵も鎧機兵を喚び出したのだ。

 その後は殲滅の続きだ。傭兵の操るまるで煉獄の鬼を彷彿させる黒い鎧機兵は、罪人を喰い殺すように容赦なく仲間達を葬っていった。


 結局、ワイズは大半の仲間を犠牲にして、命からがら逃げ延びたのだ。


「……ちくしょう! あの化けモンが!」


 ワイズは伯爵邸の廊下の壁を、ドンと殴りつけた。

 今思い出しても、恐怖と怒りが溢れ出て来る。

 ほぼ壊滅状態になったワイズ達は、もう皇国内にいるのも危険だった。アジトを掃い、皇国から逃げ出すしかなかったのだ。

 そうして、ボロボロになった状態で隣国であるエリーズ国に逃げ込み、紆余曲折の果てにサザン伯爵に拾われ、今に至るのである。


「……あのガキは」


 ワイズはぼそりと呟く。昨晩出会った黒髪の少年。

 あの少年は、ワイズ達を壊滅させた忌まわしい傭兵を思い出させたのだ。

 背丈は違う。歳も違う。筋肉の付き方も違うし、顔立ちも違う。髪の色も違ったので似ている点は非常に少ない。強いて挙げれば瞳の色だけは同じだった。

 しかし、それでもあの少年が放つ気配のようなモノが、とてもよく似ていたのだ。

 そのため、ワイズの古傷が疼きだしたのである。


「……くそが。嫌なこと思い出させやがって」


 あの一件は悪夢に見るほどのトラウマだ。

 忘れられるのなら、すべて忘れたいというのに、不愉快な事この上なかった。

 ワイズは「くそ」と、再び苛立ちを吐き捨てた。

 と、その時。


「……お頭」


 廊下の向こう側から、一人の男が近づいてきた。

 禿げた頭と猫背が目立つ三十代の男。ワイズの昔からの部下だ。


「あン? ガデスか。どうした?」


 ワイズがそう問うと、ガデスと呼ばれた男は「実は」と話を切り出した。


「さっき斥候から連絡がありやした。例の小娘ですが、どうやら何か用でもあるのか、このサザンへ向かっているそうっす」


「……なに?」ワイズは眉根を寄せた。


「何人でだ? メイドも同行してんのか?」


 その問いに対し、ガデスは首を横に振った。


「いえ、メイドの姿はないそうです。同行者は黒髪のガキ一人だそうっす」


「ッ! なんだとッ!」


 ワイズは、ギロリとガデスを睨みつけた。

 過剰な頭目の反応に、ガデスは少し目を丸くした。


「ど、どうしたんでお頭?」


「なんでもねえよ。それより黒髪のガキと小娘だけか……」


 ワイズは、しばしあごに手を当て考え込み……。


「よし。決めたぞ。ガデス」


 そして、おもむろに口を開く。


「野郎どもを集めろ。このサザンで小娘を攫うぞ」


「……え?」ガデスは唖然とした声を上げた。


「このサザンで仕掛けるんで? リスク高くねえっすか? あのひと気のない別荘でメイドともども攫っちまった方が確実だと思うんですが……」


「ここは旦那の領地だ。いくらでも融通は利く。それに、街中での拉致の経験がねえ訳でもないだろ。ヘマさえしなければ街でも別荘でも同じことだ」


 と、ワイズは部下の忠言を一蹴した。

 しかし、ガデスもワイズの野盗時代からの部下だ。

 納得のいかない作戦には反論もする。


「いや、ですがお頭。俺らのご褒美っていうメイドは屋敷の方にいるんですぜ? 二度手間になるんじゃねえっすか?」


「ガデス。てめえの言いたい事は分かる」


 ワイズは内心で苛立ちを抱きつつ、ボリボリと頭をかき、


「多少の手間は承知の上だ。俺の直感が告げてんだよ。あのガキは多分強えェ。絶対に邪魔になる。つうか、無性にムカつくんだよ」


 と、最後に感情を露わにしてワイズは言う。しかし、あの小僧が小娘やメイドを拉致するのに邪魔になるだろうと思っているのもまた事実である。

 そもそもあの傭兵と同じ気配を持つ人間だ。どんなくわせ者か分からない。

 後顧の憂いはない方がいいに決まっている。


「メイドの方は後でも構わねえ」


 そして、ワイズは右目を押さえて吐き捨てる。


「小娘を確保してから拉致しても遅くはねえしな。それより今はあのガキだ。嫌な事を思い出させやがって……何者かは知らねえが、ぶっ殺してやるよ」

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