第5話 魔窟館のお姫さま③

 その少女は、とても美しかった。

 綺麗な顔立ちに長いまつ毛。その肌は白磁にように透き通っており、薄く紫がかった白銀に近い色――紫銀とでも呼べそうな色の髪をうなじ辺りまで伸ばしている。

 しかも、その柔らかそうな髪には猫に似た耳まであり、ピコピコと動いていた。

 彼女は獣人族の血を引くハーフでもあるのだ。

 まるでお伽話から出て来たような、幻想的な美しさを持つ少女。


 メルティア=アシュレイ。

 年齢は十四歳。四大公爵家であるアシュレイ家の一人娘であり、次期当主。

 コウタにとっては、幼馴染同然の少女である。


「……メル。またこんな時間に寝て……」


 コウタは呆れたように嘆息し、片手を額に当てかぶりを振った。

 肩を露出する白いブラウスと、膝を少し越える辺りまでしかない黒いタイトパンツを身につけたメルティアは、コウタの入室に気付く様子もなく、華奢な肢体には似つかわしくないほど大きな胸を規則的に上下させて眠り続けていた。


「メル~。起きてよ」


 かなり大きな声でコウタは呼びかけてみたが、彼女は無反応だ。

 コウタは仕方がなくベッドに寄ると、ケーキの箱をちょこんと端っこに置き、白いシーツの上を這うように進んだ。

 それから、仰向けで眠るメルティアの顔を覗き込んで再び声をかける。


「メル! いつまで寝てるのさ!」


 少し強めに言うが、メルティアに反応はない。

 ただ猫耳だけがピコピコと動いていた。


(……あれ?)


 コウタはそこで気付いた。

 どうも少し変だ。瞼を閉じる彼女の表情が何故か強張っているような気がする。

 そもそも、メルティアの猫耳は起きている時にしか動かないはずだ。


「……メル。実は起きているでしょう」


 コウタがそう尋ねると、メルティアはわずかにその細い肩を震わせた。

 どうやら当たりのようだ。

 コウタはその場で胡坐をかくとベッドの上に座り込み、彼女の反応を待った。

 しばし訪れる静寂。ゴーレム達が働く音だけが響いた。


 そして十数秒後。

 メルティアはすうっと瞼を開けた。

 それから上半身を起こして内股でベッドの上に座り込むと、少しだけ冷めたような印象を持つ金色の瞳で、じいっとコウタを見つめる。


「メ、メル……?」


 猫耳同様、獣人の血が色濃く出た獣のような眼差しに、コウタは少し緊張する。

 そしてコウタより頭一つ分背の低い少女は淡々と告げた。


「……コウタは意気地なしです」


「……へ?」


 いきなりそんなことを言われ、コウタは目を丸くした。


「え? それ、どういう意味さ?」


 そう尋ねると、メルティアは肩を落とした。大きな胸もたゆんっと揺れる。

 次いで、ふうっと小さく嘆息し、


「何度か既成事実の罠――もとい、チャンスは上げているのに……。毎回緊張している私が馬鹿みたいです」


 メルティアは責めるような眼差しでコウタを睨みつけた。


「コウタには『ボクがアシュレイ家の家督を奪ってやる!』という気概が圧倒的に不足しています。それでは困ります」


 そう言って、ぶすっと頬を膨らませて不貞腐れるメルティア。

 対し、納得いかないのはコウタの方だ。


「……なんだよそれ」


 ムッとした表情でメルティアを睨み返す。


「寝ているメルを暗殺でもしろって言うの? 流石に怒るよ」


 次期当主であるメルティアが死ねば、アシュレイ家の家督は空席になる。

 そうなれば、きっと親交の深いコウタが養子になることを望まれるだろう。

 しかし――。


「あのね。ボクはアシュレイ家の養子になる気なんてないよ。君の代わりに家督を継ぐなんて恩知らずな真似をする気はないよ」


 と、はっきりと告げるコウタに、メルティアは本日最大の溜息をついた。

 どうしてこの状況で『暗殺』や『養子』などの言葉が出てくるのか。


「別に暗殺や養子だけが家督を継ぐ方法じゃありません。もっとシンプルかつ、正攻法な手段があります。具体的に言えば私を手ごめ……」


 そこでメルティアは言葉を止めた。

 冷めたような金色の眼差しが、少しだけ大きく開く。

 少年の前で言葉にしたことで、初めてを想像したのだ。

 すると、急激に恥ずかしくなってきた。

 髪に隠れた人の耳も赤くなる。

 そうだった。コウタに家督を継がせるためには彼と……。

 メルティアの鼓動が激しく高鳴る。

 今更ではあるが、少し先走りすぎたかもしれない。


(ま、まあ、亡きお母さまは十八歳の時に私を生んだと聞いてますし、ま、まだ十四歳の私達には早いかもしれません……)


 そして白磁のような頬を真っ赤に染めて俯き、もじもじと足を動かした。

 猫耳まで連動するようにピコピコと盛んに動いていた。


「……? どうしたの、メル?」


 不意に挙動不審になった少女に、コウタが眉をしかめる。

 すると、メルティアはぶんぶんと頭を振って――。


「い、いえ、もうこの話は終わりです。それよりもコウタ」


 気を取り直してメルティアは尋ねる。


「今日はこれからどうします? 《ディノス》のメンテナンスをしますか? それとも先にケーキを食べますか?」


 まるで新妻のような台詞を告げてくるメルティアに、コウタはにっこりと笑い、


「うん。そうだね。じゃあ、ケーキにしようか」


「了解です。四号、八号、十六号」


 と、メルティアは視線を道具の山の方へ向けて、ゴーレム達に声をかける。

 機体番号を呼ばれた三機は清掃作業をやめ、振り向いた。


「紅茶の用意をお願いします。あと、テーブルもそこら辺にあるはず」


「……ラジャ」「……マカセロ」「……ヤレヤレ、ダゼ」


 何やら一機だけ反抗的だったようだが、三機はそれぞれ行動し始めた。

 紅茶を準備しに行く四号。テーブルと椅子を探す八号。

 そして、コウタの持ってきたケーキの箱を回収する十六号。

 と、その様子をベッドの上から見ていたコウタが、ふと首を傾げた。


「ねえ、メル」


 それからメルティアの方を見やり、


「どうしてボクがケーキを持ってきたことを知っているの?」


 お土産の話はまだしていなかったはずだが……。


「ああ、それですか」


 すると、メルティアはキョロキョロと周囲を探した。そして近くに落ちてあった石板のような道具を両手で拾い上げると、


「ででーん」


 大きな双丘をたゆんっと揺らして石板を天にかざした。


「作品ナンバー458。その名も《コウタ探索機》です」


 唐突にそんなことを告げる。

 当然ながらコウタは困惑した。


「なにそれ? なんでボクの名前が付いてるの?」


 というコウタの質問に、メルティアは瞳を輝かせた。


「よくぞ聞いてくれました。コウタは《万天図》は当然知っていますね?」


「ん? そりゃあ知ってるよ。鎧機兵の基本機能の一つで、敵機や味方の恒力値や居場所を調べるやつでしょう?」


 要するに、すべての鎧機兵に備えられたレーダーのような機能だ。

 鎧機兵の操手であるコウタが知らない訳がない。


「はい。その通りです」


 メルティアは笑顔で頷いた。


「このコウタ探索機は、その《万天図》を応用したものなのです。コウタの服に忍び込ませた小指程度の発信機を、この受信機の地図モニターで確認できます。これでどんな時でもコウタの居場所が分かるのです。コウタがケーキ屋に寄っていることもそれで知りました。とても役に立つ優れモノで――」


 と、そこでメルティアの説明は遮られた。

 笑顔のまま青筋を立てたコウタに、両頬を摘まれたからだ。


「……あはは、あのねメル」


 続けて少年はメルティアの頬をいじり回す。


「一体どこにそんな発信機を仕掛けたのかな? 一応ボクにだってプライバシーはあるんだよ。さあ、今すぐ取り外すんだ」


 言って、むにゅうっと頬を伸ばすコウタ。

 しかし、メルディアは目尻に涙を溜めて告げる。


「ことわるでふ」


「何でさ!? 取り外してよ!?」


 と、そんな風に二人がじゃれ合っていたら、


「……ケーキ、ジュンビ、デキタ」


 不意にそんな声をかけられた。

 二人が振り向くと、そこにはベッドの端に両手を置いたゴーレムがいた。

 部屋の奥を見ると引っ張り出されたテーブルがあり、その上には紅茶、ケーキが用意されている。随分と仕事の早いゴーレム達だ。


「あ、ありがとう」


 コウタはメルティアの頬から手を離してお礼を言う。

 しかしゴーレムは返答もなく背を向けた。きっと本来の業務に戻るのだろう。

 礼など不要。彼らは実に有能かつ愚直な仕事人なのである。

 ただ、去り際に「……リアジュウガ」と小さく呟いたのは何だったのだろうか。

 コウタは眉根を寄せてメルティアに尋ねる。


「ねぇメル。『リアジュウ』って何?」


 するとメルティアも小首を傾げて。


「分かりません。独自に成長する彼らは時々私も知らない単語を呟くのです」


「へえ~、不思議だね」


 と、のほほんとやり取りする二人。


「ま、いっか。とりあえず今はお茶にしようか」


「了解です。冷めるといけませんし」


 そう言って、コウタ達はベッドから下りてテーブルの席に着いた。

 そして二人は楽しげに談笑した。

 これが騎士見習いの少年と、魔窟館の少女の日常。

 こうして今日も日が暮れていく。


「けど、メルって本当によく食べるよね」


「当然です。私の脳にはカロリーが多く必要なのです」


 苦笑を浮かべるコウタをよそに、メルティアはせっせとケーキを口に運ぶ。

 日が落ちて不気味さが増す魔窟館。

 しかし、そこにいる二人はいつまでも楽しそうだった。




 が、一方その頃――。




 アシュレイ家の本邸にて、一人の男が眉をしかめていた。


「……やはり来たか」


 悩ましげにそう呟くのはアベル=アシュレイ。

 メルティアの父であり、アシュレイ家の現当主だ。


「さて。どうしたものか……」


 そこは彼の執務室。アベルは執務席の椅子に寄りかかり嘆息した。

 その手には一通の手紙を握りしめている。


「旦那様。いかがなされましたか」


 すると、執務席の前に控えていた執事長のラックスが声をかけてきた。

 七十代近いとは思えないほど背筋が伸びた老紳士であり、アベルの父の代から仕えてくれている執事でもある。


「いや、予想していた手紙が来たのさ」


 言って、アベルは手紙を机の上に置き、すっとラックスに差し出した。

 老紳士はその手紙を手に取り、「拝読します」と断りを入れて目を通した。

 そして十数秒後、彼もまた眉をしかめた。


「旦那様。これは……」


「まあ、当然と言えば当然の内容だな」


 アベルは苦笑をこぼして天を仰いだ。

 ラックスは手紙をそっと机の上に置いてから後ろ手に構え、主人に尋ねる。


「どうなされますか。旦那様」


 すると、アベルは渋面を浮かべた。


「どうもこうも正直私には何も出来んよ。あの子は頑固だからな」


 と、呟いてから、ふっと笑う。


「まあ、こうなると思ったからこそ、コウタを騎士学校に行かせたのだがな」


 主人の独白に、ラックスは眉根を寄せた。


「……やはりそうでしたか。旦那様のお考えには私も賛同いたしますが、コウタさまご自身はあまり気乗りされていないのでは? 養子の件も断られていますし」


「ふん。コウタは少々生真面目すぎるのだ。だが、メルを嫌っている訳ではない。その逆も然りだ。今日も別館に寄っているのだろう?」


「はい。庭師がそう申しておりました」


 ラックスの報告に、アベルは笑みをこぼす。


「だろ? 何の心配はないさ。アシュレイ家は安泰だよ」


 そう嘯いて、アベルは再び手紙を手に取った。

 そしてもう一度手紙に目をやり、


「……しかし、この内容を知ればコウタは黙っていないだろうな」


「そうでしょうな。きっと何かしらの行動をされるはず」


 と、ラックスも同意する。

 アベルは自嘲するように笑った。


「……まあ、それも構わんか」


 そしてアシュレイ家の当主は、手紙を投げ捨てて呟く。


「あの子をどう御するのか。ここはコウタのお手並み拝見といくか」

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