椿静流の過去
芸能界の大家・天道家の燦然たる歴史の中でも一際輝いた
彼女は僅か三歳で初舞台を踏み、『幽霊に憑りつかれた子供』という難しい役をこなし、観客を恐怖のどん底に落とした。
その技量と才能からして、まさに演じるために生まれてきた存在と言えよう。
――だからこそ、彼女は難病を患ってしまったのである。
椿さんが南無瀬組を退職し、港への道すがらで音無タクシーにまんまと拉致された――その五日前のことだ。
世界を股にかける名女優・天道美里さんがムスコンとM属性を得てメガ進化した、忌むべきパイロットフィルム撮影が終わって、俺は音無さんに質問した。
「音無さん、教えてください」
「はいはい、なんでしょ?」
「さっきスタジオで、椿さんの過去を訊くのに『適任の人』がいるって言ってましたよね。誰なんですか?」
俺は椿さんの過去と相対しようとしていた。
「静流ちゃんの過去を知ったら、責任を取ることになっちゃうかもしれませんよ。それでも良いんですか?」
音無さんも俺を制止させる事を言うが、声色は明るい。
「社会的に褒められなくても、重い責任を取ることになっても構いません。『適任の人』を紹介してください」
「わっかりました! ちょうど近くにいると思うんで、あたしに付いて来てください!」
音無さんは喜々と、そしてちょっぴり羨ましそうに快諾して案内を始めた。
そして、やって来たのが炎タメテレビの社長室だ。
「壮健のようだな、タクマ君! 聞けば天道家対決に巻き込まれ、両方のパイロットフィルムに出ると! この炎情、上映会では刮目させてもらおう!」
訪れた俺たちを部屋主の炎情社長は、毎度のごとく暑苦しく迎えた。
だが。
「突然の来訪を許可して頂き、ありがとうございます。本日は天道歌流羅についてお聞きしたく伺いました」
と、こちらの目的を告げるや否や炎情社長は「ふむっ……ついにこの時が来たか……」
いつもの熱血ボイスを抑えて――
「歌流羅のことを伝えるのでしたら語り手は私の方が適しています。はじめまして、かつて天道家に名を連ね、一身上の理由で家を捨てた
同一人物とは思えない穏やかな声で挨拶した。
下はレディスーツで上は戦隊ヒーローマスク。
そんな不審者の皮を(物理的に)被っていたのは、椿さんと同じく天道家から離れた女性だったのだ。
怪しげなマスクで顔は分からないが、きっと他の天道家の人々と同様に眉目秀麗なのだろう。
「て、天道律さん? まさか炎情社長が元・天道家だったなんて……」
驚愕する俺だが、妙に納得もしていた。
以前「私たちに力を貸してください、歌流羅!!?」とパンツァーこと祈里さんが椿さんに懇願する場面で、なぜか同席していた炎情社長。あれは偶然ではなく、同じ一族だったからか。
それにだ。
姉妹制を抜けて別人になるためとしても、ヒーローマスクを被るのは変態の所業である。
変態と言えば天道家である。
つまり、律さんは天道家である。
うむ、完璧な三段論法だ。
「うちら南無瀬組の口から拓馬はんに説明するのもええけど、当事者やないさかい憶測が混じってしまうし、何よりデリケートな問題や。ここはやっぱり……」
気まずそうな真矢さんからのバトンパスを律さんは受け取り。
「ご配慮ありがとうございます。私は歌流羅と同じで元・天道家。彼女の過去を語るのなら是非私がやらせてもらいます」
「すみません、社長の過去を無遠慮に掘り起こす真似をして……」
ヒーローマスクの奥から漏れる貴婦人オーラに圧倒的な違和感を抱きつつ、俺は謝罪する。
「いいの。天道律は随分昔に捨てた名前ですけど、ひた隠しにはしていません。社長とあろう者が己のプロフィールを隠蔽するわけにはいきませんでしょ?」
律さんは一旦言葉を切って――「歌流羅は解離性同一障害でした」
そう言った。
「かいりせい、どういつ障害?」
「精神障害の一種やな。たしか、自分が自分でない感覚になる難儀なもんやろ」
「はい。ただ、あの子の場合は少々事情が異なりますけれど」
律さんは俺たちにも分かるよう噛み砕きながら病気について教えてくれた。
解離性同一障害。
まるで外から自分を眺めるような感覚に苛まれ、自分が自分ではない離人感に苦しむ精神障害。
原因は幼少期の身体的虐待や愛情不足と言われているが、ともかく。
天道歌流羅は、解離性同一障害の亜種を患っていた。いつからかは分からない。もしかしたら初めて舞台に立った頃からかもしれない。
「歌流羅の言葉を借りると、あの子の中には管制室がありました」
『外から自分を見る』一般の解離性同一障害と違い、歌流羅は『内から自分を見る』感覚に苦しんでいた。
三歳でデビューしてから、歌流羅は舞台にテレビに映画に引っ張りダコで、同時期に複数の役を掛け持ちするのが普通だった。
歌流羅は憑依型の役者で、画面には表れない役柄の細かな趣味趣向までトレースして演じる。それが彼女の高い演技力の秘訣なのだが、まったく違う役を掛け持ちするとなると混乱してしまう。
そのため歌流羅は自分の中に管制室を作った。
AのドラマにはAのデータを。Bの映画にはBのデータを。
管制室の仕事は役のパーソナルデータを記録し、必要な時に身体に反映させること。ゲームのセーブ&ロードを管理するようなものだ。
これによって歌流羅は多数の役に翻弄されることなく、高い質の演技を保つことが出来た。
管制室は内側から歌流羅を管理し、適宜データを肉体(素体)に送っていた――らしい。
「って言われても俄かには信じられませんよ」
『へーそんなことが出来るなんて凄いなぁ』と、簡単に納得できない。俺だって役者の端くれだ。いくら天道歌流羅が天才天才と持て
「タクマ君の気持ちは分かります。私もそうでした」
律さんが寂し気に笑った、気がした。マスク越しでも感情表現が上手い人だ。
「私は姉たちや妹と比べて優秀ではありませんでした。常に自分は芸能活動に向いていないのでは、と不安を抱えていて……そんな私にトドメを刺したのが歌流羅だった……私の方が何十倍も稽古して場数を踏んでいるのに、歌流羅は私を易々と超える演技を見せつけました。同じ天道家でも
強い光は深い影を落とす。
強烈な光の登場に律さんはどれほどの絶望を抱いたのだろうか。察して余りある。
「そんな暗い顔をしないでください。天道家から出たのは結果的に良かったのです。長年の重りから解放されて……何が天道家よ、芸能界の大家と言っても所詮メディアにヘコヘコする犬でしょ。テレビ局側に立ってギャフンと言わせたる……と、何だか弾けちゃって、なんやかんやで社長職に至るほど成功できました」
「律さん……」
なんか急にツッコミ所がボコボコ発生した気はするが、今の律さんが幸せならOKじゃないかな。
ヒーローマスクを被るほど弾けてしまった彼女に、俺は生温かい視線を向けた。
「話を戻して四年前のことです。歌流羅が私を訪ねて来ました。元・天道家の私を頼る時点で、歌流羅の中には天道家を捨てる気持ちがあったのかもしれません」
不知火の像を獲得して、国を代表する名役者にまで昇りつめた天道歌流羅。
しかし、彼女の身体は限界を迎えていた。
長年人格を入れ換えていた弊害か、歌流羅は慢性的な頭痛に苦しみ、頻繁に体調を崩し始めていた。
そこまで聞いて、俺は「そういうことか」と確信を得る。
以前、病床の椿さんが漏らしていた「バグった」の意味。
あれは人格の出し入れが上手く行かなくなったことを指していたんだ。
「歌流羅は家族には相談せず精神科に掛かり、自分が解離性同一障害だと知りました。医者は彼女にしばらく演技するのを止めるよう忠告したそうです……が」
「が、何ですか? 忠告通りにいかなかったから歌流羅さんは天道家を出たんですよね?」
「あの子はもう……演じることを止められなくなっていたのです」
「な、なぜ? 歌流羅のままで治療すれ……ば……あっ……」
また、椿さんが話していたことを思い出す。
そうだ、椿さんはこう言っていた――「私には自分が無い」と。
まさか……歌流羅は『天道歌流羅』という人格すら一つの役柄としていたのか……
三歳で舞台に立った歌流羅。自我がハッキリしない頃から役者になってしまった故に、彼女はOFFの状態を持っていないと。そんな馬鹿なっ!
「あの子は天才過ぎたのです。しばらく精神科に通ったそうですが『本来の自分』を見つけられず……私は天道家から距離を置くことを勧めました。あの家に居れば『演技』から離れることが出来ませんからね」
「ちょうどその頃です! あたしが静流ちゃんと会ったのは!」
俺の背後で聞き役になっていた音無さんが元気に口を開く。
「初めて顔を合わせた時の静流ちゃんったら『私は空っぽだから』って思春期特有のアイタタな発言をしていたんで、『うるさいっ! あたま空っぽの方が夢やら何やら詰め込めるでしょ!』と設定を付けまくってやりました。椿静流って名前はもちろん好物やダンゴ志望とか色々と……で、二人で南無瀬領に引っ越して心機一転ガンバローってことになったんです」
恐るべし、シリアス絶対コロコロウーマンの音無さん。
だが、意外と有効な手だったのかもしれない。病気の根本的原因は潰せなかったが、ひとまず歌流羅を天道家や演技から遠ざけて、人格を『椿静流』に固定したわけだし。
「あの子が南無瀬領のダンゴ訓練校に入る、と言って別れを告げに来た時は驚きましたが、良き出会いをしたのですね」
律さんが(多分)眩しそうに音無さんを見つめる。
「ほんで南無瀬領で安定していた椿はんの体調やけど、天道家姉妹や先代との接触で『椿静流』の人格が揺れ、『天道歌流羅』の持病がぶり返したんか」
「ご推察の通りと思います。歌流羅の精神は確固たる『本当の自分』がない事で不安定になっています。治療するにはあの子が自分を見つけるか、あるいは形成しなければならないでしょう。けれど、私や多くの医師には出来ませんでした」
本当の自分か。
誰だって自分が何者かは分かっている。俺なら「俺は三池拓馬だ!」と胸を張って言える。しかし、椿さんはそんな当たり前の事に苦悩し、名や性格まで変えてしまった。
そして今回の事態だ。今、椿さんは頭痛や体調不良で苦しんでいる。このままでは、彼女はまた名と性格を変えた対処療法を取るのではないか。これまで椿静流が築いてきたモノを全てリセットして……
なんだよ、それ。
俺たちは四苦八苦しながらここまで来たじゃないか。
あの路地裏での出会いも、南無瀬領でのアイドル活動も、南無瀬市百貨店でのファン暴走事件で椿さんが俺の身代わりになったことも、コーホーコーホーと暗黒面に堕ちながら駆け抜けた性なる夜も、東山院や中御門のアウェーにおけるトラブルの数々も……貞操的に嫌なことも一杯あったけど、それも大切な思い出じゃないか。その場しのぎの治療でリセットしていいもんじゃねぇ!
何より、俺に散々セクハラしておいて勝手にリセットするんじゃねぇ!
「俺が、やります」
「タクマさん?」「拓馬はん?」
訝し気な律さんと真矢さんに宣言する。
「椿さんの、天道歌流羅の病気は俺が何とかします」
「せ、せやけど、どないするん? 精神障害とか素人がどうこう出来るものやない」
「心の病は対話を通して治療するものですよね。それだったら俺でも力になれるはずです」
「ですが、どんな医者でもお手上げだったのです。いくらタクマさんでも」
消極的反対の立場を取る周囲の中で。
「大丈夫です! やれます! むしろ三ぃ……ごほごほ、拓馬さんだからこそ出来ます! なんたって世界で唯一のアイドルで、いつだってあたしたちを振り回してくれるんです! 静流ちゃんの病気だってジャイアントスイングに振り回して遥か彼方にポイッですよ!」
音無さんが太鼓判を押してくれた。俺ならやれる、って全幅の信頼を寄せる顔つきだ。その期待に応えなかったら、黒一点アイドルの名が廃る。
「任せてください! 椿さんは俺たちにとって大事な人です。必ず助けてみせます!」
俺は高らかに宣言した。
「はぁ~~」と真矢さんは盛大に溜め息を吐きながら、
「まっ、拓馬はんは常識が通じんさかい、もしかしたらがあるかもしれへん」と困った顔で同調し、他の黒服さんたちも追従してくれた。
「歌流羅が天道家を出て中御門を旅立つ時は胸を痛めましたが……素晴らしき仲間に恵まれたのですね。私は姉妹制を脱退し、天職を得て幸せになりました。願わくば、あの子にも幸せを」
律さんの祈願を耳にしながら、『椿さんを救うぞ』と俺は決意を固めるのであった。
そう、救うぞ……と思ったんだ。
パイロットフィルムの撮影は終わったものの、日々の仕事は変わらず待ち受けている。それらをこなしながら、空いた時間に南無瀬組のみんなと椿さんの治療作戦を練っていく。
人権を無視するアイディアもワラワラ出てきて肝を盛大に冷やしたが、最終的には椿さんを救うためだと己に言い聞かせて準備を進めた。
そうして、現在。
目の前には椿さんが居る。
正確には、南無瀬組御用達の湾岸倉庫にて――
広さの割に数が少ない電灯が、薄暗く照らす中で――
鉄骨の柱に丈夫なロープで縛られ、未舗装の床に尻もちを突き――
「むぐぅぅ……ううぅぅんんん……むぅふぅう」と猿ぐつわを噛まされた椿さんが居る。
今の椿さんは身体と発言の自由を思いっきり奪われていた。
俺は『椿さんを救うぞ』と決意したはずなのに……真逆方向に猛進している。
どうしてこうなったのだろうか? 不思議だなぁ。
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