シンアイの入口

「四ヶ月間お疲れ様!! タクマ君が我が社と共に駆け抜けたこの四ヶ月は、まさにエンターテイメント! 輝かしき日々だった! この炎情、大いに熱くさせてもらったッ!」


大きなグラスを掲げ、炎ターテイメントテレビの炎情社長が気炎を上げる。

その場に集まった俺たちはその迫力に押され、若干口元を引きつらせた。


「今夜は無礼講だ! 大いに食べ、大いに飲み、語り合おうッ! では乾杯!!」


「「「「乾杯!」」」


こうして始まった食事会。

発案は炎情社長だった。中御門における俺のアイドル活動が軌道に乗り、炎ターテイメントテレビの業績は飛ぶ鳥を落とす勢いである。

そんな中「一度タクマ君の労苦をねぎらいたいッ!」と言う炎情社長の誘いで、俺たちは料亭に招かれた。如何にも政財界の重鎮たちが会食に使いそうな場所だ。座り心地の良い畳が気を和ませ、南無瀬邸のような日本 (っぽい)庭園が目を楽しませてくれる。もちろんセキュリティは万全で男性用トイレも設けられた一流店だ。


「ここらで拓馬はんに媚び売って、炎ターテイメントテレビ以外の局に流れんよう牽制したいとちゃう?」と、招待に対して懐疑的な意見を出していた真矢さんだったが、炎情社長の前では「社長はんの計らいで随分やりやすぅ活動出来とるわ。ほんま感謝ですわ」と腹芸に徹している。ううむ、大人のやり取り。


「どうしたタクマ君ッ、箸が進んでいないぞ! 遠慮せずにどんどん食べてくれ!」

炎情社長は見本を見せるように、大皿から唐揚げを摘まみ、豪快に口へ持って行く。

常に戦隊ヒーローみたいなマスクをしている社長だが、今は口の部分だけパカッと開き、素肌を露わにしていた。ああいう機構になっているんだなぁ。


暑苦しい言動からして社長は分厚い唇やいかつい顎をしているのでは? との俺の予想は見事に砕かれた。口紅もしていないのに艶やかな桃色の唇に、スラッと通った顎筋。顔半分も見えていないが、社長は美人を感じさせるパーツをお持ちだった。

一体どんな素顔をしているのだろう? そもそもなんでマスクをしているのだろうか?


前々から抱いている疑問を肉料理と一緒に呑み込んでいると――


「ところでタクマ君ッ! 急な質問なんだが……」

珍しく炎情社長が言いにくそうに尋ねてきた。

「天道祈里が君に迷惑を掛けてはいないかッ?」


「祈里さんが、ですか?」


「うむ! 彼女を炎ターテイメントテレビで起用すると認めたのはこの炎情だッ! 天道祈里に対する不平不満はこの炎情にぶつけてくれ!」


不平不満なんて、そんな大層なものは――


「はっきり伝えた方がいいですよ、三池さん。あのエロゲー仕様の相手をするのは色んな意味でツラいですから」


隣の音無さんが口を挟むように、不平不満はあるにはある。


テレビ局の控え室で会ったのを皮切りに、祈里さんとは何度も偶然・・遭遇している。主に局内でだが、たまにロケ地でも「あら、お散歩していたらまさかタクマさんに会えるだなんて幸運ですわ」と現れるので、もう笑うしかない。


相変わらず台本ありきで会話を仕掛けてくる祈里さん。その台本のクオリティは上がる一方だ。最近では、このタイミングでダンゴたちがツッコミが入れるだろうからこう返事しよう、と周囲の反応まで見越した台本を用意してくるので脱帽したい気分になる。


さらに時折発生する選択肢。

「タクマさんは海と山、休暇で行くならどちらがお好みですの?」

と祈里さんが質問すると、後ろに控えるメイドさんがサッと二枚のプラカードを持ち上げる。


プラカードには、『山ルート ↑』『海ルート ↑↑↑』と書かれている。

なんだあの選択肢の横にある矢印は? 

もしや好感度アップの表示なのか、俺はヒロインが祈里さん固定のゲームをやらされているのか。

この場合、『海ルート』を選ばないと祈里さんは、しょんぼりしてしまうのか。


と、このように祈里さんに出会ったら最後、非常に気疲れする会話をしなくてはならないのだ。不平不満がないと言えば嘘になる。


「なるほど……まさか、そこまで拗らせているとはッ!」

俺の話を聞いた炎情社長が天を仰いだ。そうしたくなる気持ちはよく分かる。


「天道家は芸に生きる家系。そのためか非常にキャラクターを大切にしているッ! 『凡人になるくらいなら変人になれ』、あの家の者なら普通に言うだろう。しかし、天道祈里の変人ぶりは些か目に余るッ!」


憤る炎情社長に「その上、祈里さんはパンツァーなんですよ。俺のパンツに興味津々なんです」と言ったらどんな顔をするのだろう。いや、マスクをしているから顔は分からないが、激しく狼狽するのでは……試してみたくなる気持ちをグッと堪える俺である。


「復帰後の仕事ぶりに定評がある祈里氏、なお仕事以外は不審者の模様」


椿さんがため息混じりに言うように、祈里さんの仕事ぶりは素晴らしいのだ。


祈里さんはどの芸能事務所にも属さず、フリーという立場で芸能界に復帰した。出る番組は、俺と同じく炎ターテイメントテレビのものだけ――という所に肉食臭を感じるがともかく。


天道家の長女のカムバック。このニュースは大きく取り上げられ、「婚活が上手く行かず、男を諦めて芸の道で生きると決意したのでは?」と世間では同情的に受け入れられた。特に未婚者が多いネットの掲示板では温かく迎えられたと言う。


元トップアイドルなら大御所待遇のギャラで仕事を得るに違いない。みんなそう思っていた。しかし、祈里さんは格安のギャラでドラマの端役や、深夜バラエティのコメンテイターなど形振なりふり構わず活動を始めた。

どんな仕事でも全力で、共演者はもちろん新人スタッフにも礼儀正しく接する。現場での評判は上々らしい。


「使いやすい人材、とスタッフに思われればそれだけ多くの仕事が舞い込む。それらをこなしていった先に、拓馬はんと共演するチャンスが生まれる。天道家側はそう計算しとるんやろな」


「祈里氏は二十七歳。時間がない。自分を安売りして、最短ルートで三池氏と濃厚に絡もうと画策している」


祈里さんの腹の内は、真矢さんや椿さんの読み通りだろう。だとしてもトップアイドルとしてのギャラやプライドをかなぐり捨てて、ひたすら芸能活動に励む祈里さんに尊敬の念を覚えてしまう。

『俺が祈里さんに好印象を抱く』というのも天道家側の計算に入っているのかもしれない。それでも俺は祈里さんに敬意を払いたくなった、あの珍妙な選択肢付き会話劇は除いて。



「タクマ君に確認しておきたい」炎情社長が両肘をテーブルに突き、顔の前で両手の指を絡めた。どこぞの特務機関の司令がやりそうなポーズだ。


「君は天道祈里と深い仲になる気はあるのかッ!?」


「「「あ゛っ?」」」

その瞬間、真矢さんや音無さん、それに組員さんたちから殺気が立ち上った。俺はトイレに立ち上がりたくなった。


自身に集中するガン飛ばしもなんのその、炎情社長の燃えっぷりに鎮火の兆しはまるでない。


「南無瀬組諸君らの怒りはもっとも! だが、君を起用する炎ターテイメントテレビの責任者として訊いておきたいッ!」


凄まじくシリアスな空気を発していらっしゃる。こういう人には至極真面目に答えるのがマナーだ。


「祈里さんはアイドルとして尊敬しています。ですが、男女の仲になろうなんて思えません」

南無瀬組や俺のファンやファザコンとブラコンが凶行に走るのは目に見えているしな……やだ、よくよく考えなくても俺の周りバイオレンス過ぎ。


「そうか……タクマ君の気持ちは分かったッ! ならば、天道祈里との接触は極力抑えた方が良いだろう」


「ええ、下手に希望を持たせるのは残酷ですからね」


「それは大した問題ではないッ! 天道祈里の打たれ強さは昔から姉妹一と言われていたッ! 君が関わろうと放っておこうと、彼女は君の前に立ちはだかるだろう」


ダメじゃん、それじゃ。


「問題は天道祈里が婚活を中断したことにあるッ! 見方によっては彼女が次代を遺すのを諦めたと思うだろう――すると、危険な者たちが現れるのだッ!」


危険な者たち? 俺や真矢さんや音無さんが首を傾げるが、炎情社長はさらに叫ぶ。


「奴らの攻勢に巻き込まれないためにも、タクマ君は天道祈里と距離を置くべきだろうッ!」


「そんなことを突然言われても……そもそも何ですか、危険な者たちって?」


「うむ、それは――」


俺の質問に炎情社長が重々しく返答しようとした、その時。


「やっやっ、待たせたね」

部屋の障子を開け、軽々しい口調とステップで寸田川先生が入ってきた。


「ゲッ!」

天敵の登場に真矢さんが心底嫌そうな顔をする。


「仕事が延びちゃって遅れてしまったよ。ごめんね、タクマ君。あっ、中御門ライフ四カ月達成おめでとう!」


「ありがとうございます」


俺のお疲れ様会には、炎情社長の希望で寸田川先生も参加することになっていた。

社長曰く「最近の先生はタクマ君を主役にする脚本が上手くいかず、行き詰まっている。ちょっとした気晴らしをさせたいのだッ!」ということらしい。寸田川先生にはなんだかんだ世話になっているし、同席について文句はない。

そう言えば、へらへらしながら空いた席に座る先生の動作には精彩さが欠けているな。


「店員さんッ! いま来た彼女にビールをッ!」


「ちょ、社長はん。拓馬はんの居る場所で酒は御法度やで!」


素面しらふでも俺に酔いしれて襲い掛かって来る肉食女性たち。もし、彼女らが酒に酔ってしまえばただでさえ弱い理性が死滅してしまうかもしれない。そんなわけで俺の前では禁酒が厳命されている。

南無瀬邸には料理酒以外の酒はない。


「心配いらんッ! むしろ先生は酔った方が安全だッ! この炎情が責任を持とう!」


なぜか自信満々の炎情社長に押され、寸田川先生の前にビールが置かれた。


「あーボク、お酒は好きだけど止めておこうかな。ほら、飲んだら性格が変わっちゃうし」


「そう言わず一杯どうだ先生ッ! 気分転換には酒が一番だぞっ!」


「社長がそこまで勧めるなら……」

ビール瓶を開けて、チビチビ飲み始めた寸田川先生。彼女の変化は急速かつあからさまだった。


ビールを一口飲んだ途端、寸田川先生はリトマス紙のごとく顔色をサッと変えて。

「…………恥の多い生涯を送って来ました」

いきなりの懺悔である。


「ボクはいつも卑猥な作品ばかりを世に出して、子どもたちの情操教育に悪影響を及ぼしてきました。性癖を捻じ曲げてしまった婦女子諸君も多いと思います。なんとお詫びを言ってよいやら……おうおうおう」


「どうしたんですか寸田川先生、常識的な事を言い出しておかしいですよ!?」

急激な変化に俺や周囲が戸惑っていると、炎情社長が解説してきた。


「寸田川先生は良い意味で酒癖が悪いのだッ! 酒乱ならぬ酒治と言うところか。彼女の中の理性や良心はアルコールによって生成されるのだッ!」


「はぁ、凄い特異体質ですね」


「そして、こういう時の先生は名作製造機と化すッ!」


炎情社長は部屋の隅に机を配置し、その上にノートパソコンを置いた。


「さあ先生ッ! 思いのままに書いてほしいッ! いつもの君が書く脚本とは真逆の物語を! 高尚かつ情操教育に適し一本通った性癖を貫く真っ当な物語をッ!」


「えっ? ここでやるん?」真矢さんが俺たちの気持ちを代表して尋ねる。


「うむ、酔っぱらっている間が勝負だッ! 急いだ方がいい!」


「後悔の念を力に変え、人間の在り方を問うストーリーを書かせてもらいます」


寸田川先生はふらふらとノートパソコンの前に移動した。あんな調子で執筆なんて出来るのか、というのは俺の杞憂だった。


マシンガンの発射音と聞き間違えるくらい激しいタイピング音が部屋に響く。人間業とは思えない速度で寸田川先生は脚本作りを始めたのだ。早すぎて指が見えん。


「調子、いいです。これならタクマ君が初主演するに値する名作が書けそう」

相変わらず酒で顔を真っ赤にし、猛烈に作業する先生の姿は修羅であった。すっかり自分の世界に入っているようで、ぶつぶつ独り言をおっしゃっている。


「いつものボクじゃ書けない話ですね。タイトルは未定ですけど、テーマは決まりました。そう……周りを親しみ愛すること……『親愛』」


親愛か……シンアイ・・・・ねぇ……

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