【壊れた少女、その思惑】

この部屋に入る瞬間、いつも物悲しさを覚えてしまいます。


天道家次女、歌流羅かるら様のお部屋。

何年も主が戻っていない場所を掃除するのは、さほど大変ではありません。


棚や窓枠に積もったホコリを拭い、掃除機をかければ済みます。だのに、時間がかかってしまうのは、歌流羅様を思い返し、ついつい手が止まってしまうからでしょうか。


不思議な方でございました。


自己主張の激しい天道家の皆様の中で、彼女はまったく自分を出しませんでした。置物のように静かに佇んでいるばかりで、その胸の内は私であろうと測りかねる始末。


しかし、こと演技に関しては、どんな賞賛の言葉も陳腐と化す名演を見せ、天道家の隆盛ぶりを世間に示したものでございます。


あれは、演じると言うより、空の器にその時々のキャラクターを詰めるようでした。

歌流羅様が残していった私物の多くは、かつて出演したドラマや舞台に纏わるものばかり……番組関係者からプレゼントされたものです。

封が開けられていないグッズの数々が、演じ終わったものに無関心な歌流羅様の心を表しております。


歌流羅様がいなくなった理由は公表されていません。推測をすることは出来ても確信に至るのは不可能です。


「歌流羅のことは忘れなさい。紅華くれか咲奈さくな、これからは私たち三人で天道家を盛り立てていきますわよ」


歌流羅様の失踪直後、不安げな妹様方に祈里きさと様は強い言葉をおかけになりました。

あの様子からして、祈里様だけは何か事情を知っているのかもしれません。



ともあれ、天道家は三人体制となり――やがて祈里様が婚活を理由に引退。

現在は紅華様と咲奈様で芸能活動に従事しております。


まだ十代のお二人だけで天道家の看板を背負うのはお辛いことでございましょう。


歌流羅様がいてくだされば、天道家はもっと盤石であったのに。

あの方は、今、どこで何をしているのでしょうか……?




――と、しおらしい感想をたわむれに述べましたけど、実のところ歌流羅様の足取りはバッチリ把握しております。


私が愉悦源を逃がすわけありません。

歌流羅様が如何に姿をくらまそうと、私の情報網をもってすれば行方を知るなど造作もないこと。


とは言え、私は無力で無害ないちメイド。

歌流羅様をどうこうするつもりはありません。

それに、今は泳がせていた方が、後々たのしいことになりそうですし……うぷぷぷ。





さて、今日も今日とて業務終了です。

通常でしたら帰宅するのですが、本日は残業します。


今夜は咲奈様とタクマさんの共演ドラマの放送日! 特にタクマさんはドラマ初出演ということで興味が尽きません。


この一大イベントを観賞しつつ、祈里様たちのご様子を観察せずして、何が天道家のメイドでございましょうか!


本当でしたら、咲奈様の連れとして撮影現場に行きたかったのですが、よりにもよって祈里様の捨て試合お見合いと同日になってしまいました。


お見合いのフォローは私の職務。誇りあるメイドとして、仕事放棄はありえないこと。泣く泣く祈里様を優先したのでございます。


あ、お見合いの結果については言わずもがな。分かりきったことを口にするのは面倒です。



祈里様、紅華様、咲奈様が、大型テレビの置かれた居間のソファーに陣取ります。

私は背後に控え、主人のカップに紅茶を注いだり、お菓子の補充をするなど都度つど動きます。


「い、いよいよでございますわね」


男性に関してはフニャフニャ女郎に成り下がる祈里様。今も元気に震え声になっておられ、大変喜ばしい。

お手も震え、カタカタとカップを鳴らしながら紅茶を飲んでいらっしゃいます。


むせて紅茶を吐き出せばうぷぷなのに……と期待してしまった私をどうかお許しくださいませ。


「はん! タクマの奴がどの程度やれるのか、見せてもらおうじゃないのっ」


「タクマお兄ちゃん、とっても頑張ったんだよ。きっと、紅華お姉さまもビックリするんじゃないかな?」


「へえ、面白い。あたしのライバルになれるか判断してあげるわ。まっ、拍子抜けする出来だったらあたし自ら演技の手ほどきをするのもヤブサカじゃないわね」


「ダメだよ、紅華お姉さま。タクマお兄ちゃんには、頼れるレッスントレーナーがいるみたいだから、お姉さまの出番はないの」


「なにそれ初耳。誰よ、レッスントレーナーって!」


「う~ん。わたしもトレーナーさんの名前までは知らないの」


「ふん、トレーナーか。気に入らないわね」


紅華様と咲奈様がタクマさん談義に華を咲かせています。

攻める紅華様を、やんわり受け流す咲奈様。

事情を知る者からすれば、実に微笑ましいやり取りでございます。


「……紅華も咲奈も、タクマさんと親しいのね」


一人蚊帳の外だった祈里様がぽつりと呟きました。

お美しいブラウンの長髪を指でくるくる巻きながら、子どものようにイジケています。

表情は恨みがましく、私のツボに刺さりまくりです。


「っ、いや親しいと言うか、あたしは東山院でたまたま顔を合わせたくらいで」


「わたしもお仕事を一緒になったくらいかな。個人的に仲が良いわけじゃないの」


「……残念ですわ。二人のつてでお見合いが出来ればと期待したのですが」


「ごめん、祈里姉さん。力になれなくて」

「本当にごめんなさい」


「いい、いいのですわ。私は自分の力で栄光を掴んでみせますから」


おお、三女と四女が、長女を行き遅れにしようと力を合わせています。


祈里様がタクマさんとくっ付けば、姉妹制によって紅華様と咲奈様もタクマさんを婿に出来ます。けれどその場合、第一夫人は祈里様……タクマさんの一番になろうと画策するお二人には歓迎したくない未来でしょう。


暗躍と下克上の香りがたまりません。これほどの高密度愉悦臭を提供してくださり誠にありがとうございます。





ドラマが始まると、それまで姦しかった祈里様たちはテレビに集中するようになりました。


タクマさんの出演シーンになると、途端に――


「ひぃひぃ、ふぅふぅ」「お、おろろろ」「え、エロすぎますわ……」

祈里様はうるさくなり。


「その喋りは何よ、滑舌をもっとさ」「今の動きは及第点ね」「つか、設定年齢もっと上げなさいよ、お兄さんよりおじさんよ」

紅華様は採点を始め。


「ふんふん♪」

咲奈様は共演の余裕かニコニコと観賞しています。


それにしてもドラマに男性が出演する。しかも、絶世の美青年が……良い時代になったものです。

これでまた不知火群島国の女性が、いえ全世界の女性が狂うことでしょう。


私の胸と、私の非公式タクマ本がアツくなります。



「もうすぐタクマお兄ちゃんの晴れ姿が出てくるよ」

咲奈様が、自慢げに言います。


晴れ姿。ドラマの番宣で『タクマが刺激的なニューファッションを披露! (*心臓の悪い方は用法用量を守ってご視聴ください)』と強調していたものですね。


咲奈様は「ネタバレになるから内緒」とプロらしく守秘義務に忠実なため、タクマさんがどんな格好になるのか私たちは知りません。

どれほどのものか網膜に焼き付けさせていただきましょう。



やがて――

物語は一番の山場を迎えました。


主人公チームを応援するため、タクマさんは………………



…………はっ!?


いけません、私ともあろう者が一瞬意識が飛んでしまいました。


タクマさんがサラシでお胸を隠し、全体的に軽装で非常に扇情的な出で立ちに変貌しておられます。


「ぶごぼっ、げほほげほ、き、気管が……」


祈里様は飲んでいた紅茶を噴き出し、ソファーから崩れ落ち悶えております。

はいはいお約束。期待していたリアクションですが、タクマさんの台詞が聞き取りにくいのでお静かに。


「ばっ! な、なにしてんのよ! もっと自分の身体を大切にぃ」


紅華様は赤髪と肌の区別が付かないほど、朱色に染まっています。


そして、咲奈様は。


「ふんふん♪」


変わらずニコニコ顔のままです。内容を知っていたとは言え、この余裕は一体……



薄々感じていたのですが、最近の咲奈様は不自然です。


一時はブラコンに目覚め、タクマさんに「タッくん! タッくん!」と迫り、無理矢理世話を焼こうとしていたのに。

このドラマの収録後から、咲奈様は「タクマお兄ちゃん」呼びに戻り、姉として積極的に動こうとしていません。


私の愉悦センサーも、この事態に対し感度不良を起こしています。


咲奈様、あなたの中で何が終わり、何が始まったのでございましょうか。





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆





ドラマが終了しました。

振り返ってみると、咲奈様のシーンとタクマさん関連しか思い出せません。それだけに衝撃的な内容でございました。


それにタクマさんに熱烈応援された影響か、身体の内からかつてない力が湧いてきます。今なら一時間で屋敷中の掃除をこなせそうです。


このドラマ、思った以上に危険なものでは……?


「部屋に戻るわ」

紅華様が立ち上がりました。ドラマは当然録画していますから、これから自室で心行くまで再視聴する気でしょう。


「あの応援スタイル、育児に応用出来ないかな」と、こぼしながら去っていきました。


「…………」

祈里様は失神しておられます。ソファー下のカーペットにうつ伏せになり、まったく動きません。想定通りです。


お部屋まで運ばなければ。力が溢れる今の私なら労せず出来そうです。


祈里様を抱えようとした時でございます。


「ねえねえ、祈里お姉さまのことは一旦置いておいて、ちょっと付き合ってくれないかな、わたしの部屋まで」


咲奈様が、あのニコニコ顔で私を見上げてきました。


「え、ええ。承知しました」


薄ら寒い。形容出来ないプレッシャーに押され、私は一歩下がってしまいました。







「もしもし、タクマお兄ちゃん! ドラマ、みた? 最高だったね! 特にタクマお兄ちゃんが力いっぱい応援するところ。お姉さまたちも熱中してみていたよ!」


『お姉さまって、紅華や祈里さんだよね。どう評価していたかな?』


「絶賛だよ。二人とも言葉にならないくらい!」


『そ、そう? ふぅ、良かった』


「タクマお兄ちゃんはすっごい人なんだから、もっと自信もって大丈夫だよ~」


咲奈様とタクマさんがテレビ電話をしておられます。

私は画面に映らないよう隅で待機中です。

あのお二方、ドラマに出てきた兄妹のように仲睦まじく映りますね、一見は。


「わっ、もうこんな時間! タクマお兄ちゃん忙しいでしょ、そろそろ電話きった方がいいかな?」


『あ、その前に今度のレッスンのことだけど……俺、来週の真ん中なら空いているんだ。どうかな?』


「わたしも空いているよ! 久しぶりのレッスンだね。よ~し、頑張ろうっと!」


『はは、ありがとう。楽しみにしているよ』


「うん! ……ふゎぁ、あ、ごめんなさい。何だか眠くなってきちゃった」


『もう遅い時間だから仕方ないさ。じゃ、またね』


「うん、さよなら~」


ピッ、と画面からタクマさんの姿が消えました。と、同時に眠たげな咲奈様の表情も消えました。

タクマさんとお話をしていて眠気を感じるなどありえません。演技だったのでございますね。



「タッくんって可愛いよね」

切れた携帯を見ながら咲奈様が呟きます、『タッくん』と……


「可愛いからたくさんの人たちに狙われているの。今回のドラマ撮影で分かったんだけど、タッくんの傍にいるには何も知らない子どもの方がいい。そうしないと邪魔モノたちの足の引っ張りに巻き込まれちゃう」


「子どもの方がいい、でございますか。しかし、それは咲奈様の主義に……」


「ええ、わたしはタッくんをお姉ちゃんとして包み込みたいの、優しく、大事に、トロトロになるほど。でも、これまでのように『タッくん! タッくん!』と無理にお姉ちゃんを押し付けても周囲の反感を呼んで、タッくんを困らせるだけ。そもそも、はしゃいで姉を気取るだなんて、まさに『子どものやること』よ」


さ、咲奈様? 十歳にしては深すぎる見識ではございませんか?


「わたしね、壊れたの。タッくんに応援された時に、子どもだった心を粉々に壊されちゃったの……だったらもう、大人になるしかないよね」


そう言う咲奈様は、遥かに年上の私を唸らせる大人びた微笑を浮かべております。年齢詐称にも程があります。


「これからは大人として子どもを演じるわ。メスの匂いがなによ、そんなものはタッくんを想う気持ちでねじ伏せるわ。わたしはなる、周囲を欺き、タッくんを安心させる妹キャラの天道咲奈に……でも、妹で満足する気はサラサラないの。さっきの電話みたいに自分からガツガツとは行かないけど、タッくんの方からわたしを求めるよう誘導していくつもり。わたしを頼ることに抵抗を感じなくして、ゆっくり依存させていく。そうすればわたしの姉欲を解消することが出来る」


「ちゃ、着眼点はよろしいですが、遠大な計画でございますね」


「そうね。これはあくまで、わたしが成長するまでの話よ……タッくんを受け入れる身体が出来上がれば反転攻勢に出る。本物の大人になったわたしなら、周囲の邪魔なんて物ともせず、大手を振ってタッくんを包み込めるから」


レベルが高すぎて、理解の許容量をオーバーしています。咲奈様、恐ろしい人っ! 


「でね、わざわざ、あなたにこんな話をした理由は分かる?」


「これまで通り祈里様の婚活を遅延させること。また、咲奈様とタクマさんの会話に入って、ガツガツ出来ない咲奈様に代わってタクマさんの誘導に一役買う事……でございますか?」


「合格。もちろん協力してくれただけのリターンは用意するからお願いね」


「か、かしこまりました」


簡単に「うぷぷぷ」出来ないモンスターを前にして、私はうやうやしく頭を下げる他ありません。


「そんなにキンチョーしないで! 一緒にタクマお兄ちゃんと楽しくお喋りしよっ!」


また、あのニコニコ顔です。メスの匂いは感じ取れない、完全なまでの無垢な笑顔……これを意図的に作り出すとは、咲奈様の演技力は格段に上がっているようでございます。

歌流羅様ほどではないにしろ、歴代の天道家の人々を超えているやもしれません。


「ふわぁ……子どもは子どもらしく、そろそろ寝ようかな~」

咲奈様がキュートな欠伸をなさいます。本当に眠いのかは、私の観察眼では読み取れません。



「では、私は失礼させていただきます」


「おやすみ~」


「お休みなさいでございます」


私は深々と礼をすると、咲奈様の部屋から退散しました。


はぁ、どっと疲れました。数カ月前は純真な少女だった咲奈様が、ここまで香ばしくなられるなんて。

女は男によって変わる、と言いますが変わり過ぎでございます。

それだけ、タクマさんの魅力が反則的だったと……


「まあ、これはこれで愉悦でございますね」


何はともあれ、咲奈様がアブノーマルな世界へ進出して行くのは素晴らしきことでございます。

万歳三唱でお見送りする所存です。


さて、すっかり遅くなってしまいました。早く帰宅するとしましょう。


屋敷の戸締りを確認した私は、紅華様にご挨拶をした後、帰途につきました。


ふふ、今晩は朝までタクマさんの出演シーンをエンドレス視聴ですね。楽しみでございます――と。


「おや?」

頭の片隅で何か引っかかるものを感じました。そう言えば、何か忘れているような…………あっ。





居間で失神している祈里様を、放置したままでした。

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