ファーストコンタクト


初めて由良様を見たのは、俺がアイドルになる決意をした『不知火の像の授与式』の映像データだった。

あの時は、芸能界でもお目にかからない超越した美しさに、惚けるより戸惑ったものだ。


天上人を体現するご尊顔。

背中から長く垂れる黒髪は水墨画の川のようにみやびである。


「中御門由良様ですね。本日はどういった御用向きでしょうか?」


緊張したおももちで真矢さんが応対を始める。

領主のザマスおばさんだろうとエセ関西弁を貫いていた真矢さんが、標準語を……由良様はそこまでの相手というわけか。


「本日は公開授業の件でお話ししたく参りました。お約束もせずに来てしまい、申し訳ありません」


公開授業か……たしか授業の前に由良様と電話で話したよな。俺は『ミスター』に扮しており、『タクマ』であることは隠していた。

だが、由良様がここに来たと言うことは……


「そのご様子ですと、由良様はミスターの正体をご承知なのですね?」俺の心を代弁するように真矢さんが訊く。


「ええ、妙子様から教えて・・・・・・・・いただきました・・・・・・・。拓馬様が噂のミスター様だったとは、まさかという気持ちです。外国人の拓馬様がこの国のために、あれほど尽力してくださって……なんとお礼を言えば」


由良様の目が潤んでいる。俺の行為に感動しているのか、嬉しいけど気恥ずかしいな。


「立ち話も何です。どうぞ、おかけください」


俺のベッドの前に椅子が置かれた。真矢さんの案内で由良様が着座する。ただ座るだけなのに、一挙手一投足が絵になって、俺の心臓が早鐘を打ってしまう。


「お、お越しいただきありがとうございます」

自分の声が上擦っている。

間近で見ると、本当に綺麗な人だ。アイドルとして鍛えてきた度胸が、由良様の前では役に立たない。


「拓馬様……あなた様のご助力がなければ、籠城事件は円満に解決せず、不知火群島国は危機に陥っていたかもしれません。誠にありがとうございました」


「国の危機だなんて、俺がやったのは教師の真似事だけですよ」


「いいえ。男子が容赦なくハントされ強制ゴールインしてしまう光景は、世の男性に多大な恐怖心を植え付けることでしょう。彼らが結婚に消極的になってしまえば、男女の溝は一層大きくなり、不平不満が世間に蔓延してしまいます。それを防いでいただいたのです。領主のワタクシが拓馬様に感謝するのは当然のことですよ」


俺の功績を熱く讃える中御門の領主様にして国の代表様。


なんか、由良様の好感度高くない? 

初対面のはずなのになんでだろう。

ひょっとして俺のファンだったりして……ってんなわけないか。

一国のトップが自分のファンだと思うなんて自惚れが過ぎるぞ、俺。



それからしばらく、俺と由良様は語らい合った。


彼女は、一言喋る間に一度は俺を褒める縛りでもあるのか、と疑いたくなるほど褒め殺しを仕掛けてくる。

俺の方は、ひたすら恐縮しながら「いやいや、、由良様こそお若いのに国を動かす立場で……」と由良様を褒め返す。


よく分からないヨイショ合戦は半時間ほど続いた。


その間、空気の読める真矢さんや黒服さんたちは、黙って俺たちの会話を聞いていた。

空気の読めない音無さんと椿さんは、相変わらず椅子に縛られたまま。由良様を威嚇いかくしないよう口にガムテープが何重にも貼られている。


「むぐうううーー!!」

「ふもっふぅーー!!」


「ふふ、拓馬様の弁舌は教科書に載るべき内容だったと思います。早速来年の教科書に――」


それにしても由良様はタダ者ではない。

ダンゴたちのあられもない格好が目に入っているだろうに、ドン引きしたりツッコミをすることなく華麗にスルーしている。

二十五歳と聞いているが、悠然とする佇まいには年齢を重ねたような風格があった。


「お名残惜しいですが、そろそろお暇させていただきます」

やがて由良様が椅子から立った。

「そうですか、残念です」


残念と言うのは社交辞令であるが、本音も混じっている。

由良様との語らいは、貞操の危機を感じない身体と心に優しいものだった。

未婚者と話す時、たいていの人が俺の方へジリジリ接近してくるのに、由良様は初期位置から動かなかったのだ。

舌なめずりも涎を流すことも、下半身をもじもじさせることもなく、優雅で清楚なままだった。


これには、ジョニーもニッコリである。

彼は『パターングリーン:肉食反応なしです』とパンツの中で分析していた。


「本日はお忙しい中、お時間を取っていただきありがとうございました」

「いえ、またお越しください……とは言えませんが、タクマにとって有意義な時間だったと思います。ありがとうございました」


由良様が真矢さんと会釈を交わし、握手している。

不知火群島国では、別れ際に握手をする習慣があるようだ。なら、俺も――


「これからもお仕事頑張ってください」

とベッドの上から身体を傾け、由良様に手を差し出す。


「……っ!?」

何がいけなかったのだろうか。小川のせせらぎの如し穏やかな由良様の表情が曇った。


唇を噛み、眉を八の字にして俺の手を凝視している。


一向に交わされない握手。

南無瀬組の面々も、由良様の変化に困惑し出した。


「ど、どうかしました?」

彼女は俺のことを嫌ってはいないはずなのに、握手を求める手は放置されている。

なんだ、俺は気付かないうちに失態を犯してしまったのか?


――と。


「あっ!」

病み上がりの上に、ベッドから上半身を傾け手を出す体勢が良くなかったのだろう。急に目眩を覚えた俺は前のめりに倒れかかった。

まずい、ベッドの下に落ちてしまう。


「拓馬様っ!」


俺を受け止め、落下を防いだのは由良様だった。

石のように動かなかった彼女が、誰よりも俊敏に俺を助けたのだ。

図らずとも抱き合う格好になった俺と由良様。

朝露に湿る花のような香りが鼻孔をくすぐり、彼女の流麗な髪が肌をくすぐる。


「拓馬君! 由良様! 大丈夫ですか!」

真矢さんや黒服さんが駆けつけ、俺はベッドの上に戻された。


「す、すみません。みなさん、ありがとうございます。それに、由良様……も?」


「あ、ああ……ああ……」

由良様の様子が尋常じゃない。鬼気迫る表情である。

俺を抱き止めた両腕を見やり、

「あぐぅぅ」

その腕で自分を抱きしめた。傍目で分かるほどぎゅっと。


わけの分からん状況だが、由良様が緊急事態だ。


「真矢さん! 急いで医者を」

「そうね。分かった」

「ひ、必要ありません!」


病室の電話を取ろうとした真矢さんだったが、由良様の絶叫で止められた。


「こ、これは……じ、持病のシャクです」

「シャクなら余計に医者を」

「いえ、ワタクシは自然治療派です。拓馬さんのお気持ちだけ受け取ります。そ、それでは失礼します!」


由良様が逃げるように病室を去っていく。最後まで自分で自分を抱きしめながら……


春風のように入室して、暴風として退室した由良様。

「な、なんや。あれ?」

エセ関西弁に戻った真矢さんが呆然としている。


「ふむ、あれが噂に聞く由良氏の男性恐怖症」

「つ、椿さん!」


ガムテープを口に貼られていたはずのツヴァキペディアが喋っている。


「ガムテープは? 何重にも貼られていたのに」

「舌で押し続けて剥がした。あの程度造作もない」


ちょっと何言っているのか分かりません。

人間やめている椿さんの生態については、無視を決め込むとして今は。


「由良様が男性恐怖症ってどういうことですか?」


「由良氏は二十五歳にして未婚。普通の領主ならありえない事。周りの者がお見合いを進めても拒否しているらしい。そのため、由良氏は男性恐怖症と陰で囁かれている」


男性恐怖症。この世界にそんな奇特な病気があるとは思わなかった。

彼女の美貌と性格を考えれば結婚していないのは、不自然だと思っていたが……


「あたしには分かりませんねぇ~。男性って美味しそうなのに、何が怖いんでしょ?」


当たり前のように話しているが音無さんだが、こちらもガムテープを自力で解除したようだ。

もうやだ、このダンゴたち。


「男性恐怖症が事実なら悪いことをしました。俺、謝罪をしないと」

「拓馬はんが出てきたら、由良はんの症状がぶり返すかもしれへん。ここはうちが、謝罪の連絡をしとくわ」

「……分かりました。真矢さんにお任せします」


とは言うものの、ほとぼりが冷めた頃に自分でも謝ろう。

近いうちに中御門に進出する予定だし、もしかしたら由良様に会う機会があるかもしれない。


俺に肉食反応を示さない『清楚』な方だからな、このまま一生さよならは寂しすぎる。




次の日。


「三池氏、面白いニュースを仕入れてきた」

「なんですか?」

「病院の駐車場の壁にヒビが入っていた。車が激突したのではなく、ハンマーで叩かれたような割れ方の模様」

「ひぃ、誰がやったか知りませんが怖いことをする人もいるんですね」

「話はそれだけじゃ終わらないんですよ!」

「凛子ちゃん……解説は私の専売特許。邪魔よくない」

「いっつも三池さんの耳を占領できるなんて思わないでね。あたしだってペロペロしたいんだから」

「ペロペロはダメですけど、『それだけじゃ終わらない』ってどう言うことですか?」

「ペロェ……あ、何でも壁の修理費と思われるお金が病院に届いたんですよ、匿名で」

「変な話ですね。ハンマーで叩いたってことは意図的でしょ。修理費を払うくらいなら壊さなきゃいいのに」

「同意」

「ですよね~」


ダンゴの二人と駄弁だべりながら、この世界は危険なのだと再認識する。

みんな、由良様のように『清楚』な人だったら世界は平和だろうに。

ままならないなぁ、と俺は病室の窓から見える青空を眺めるのであった。

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