【天道紅華の渇望】
あたしは、父から褒められたことがない。
延びに延びている祈里姉さんの婚活とは違い、母の代の婚活はスムーズに済んだらしい。
父はアイドルに夢中な、男性としては珍しいアイドルオタクだ。
もちろん天道家のファンで、要するに天道家にとって都合の良い存在が父だった。
そんな父を早々に見つけた
父は母たちの芸能活動を大いに応援した。
舞台やドラマで母たちが輝く瞬間こそ、自分の人生の絶頂だと信じて疑わなかったのかもしれない。
だから……
父は、娘であるあたしたちにも父親としてでなく、アイドルオタクとして接していた。
天道家の子どもはまず舞台に立つのが習わしになっている。テレビや映写機が発明されるずっと以前から芸の世界に君臨する天道家ならではの
三歳で初舞台を踏んだ歌流羅姉さん。その時の役は『悪霊に憑りつかれた子ども』という難しいものだった。
あたしは生まれていなかったので聞いた話になるけど、歌流羅姉さんの演技は劇場を恐怖のどん底に落とし、観客の度肝を抜く真に迫るものだったらしい。
あの時は、救急車と霊媒師を呼ぼうか本気で悩んだ。父はそう語り、すっかり歌流羅姉さんのファンになってしまった。
で、三女のあたしだが……秀才の祈里姉さんと化け物の歌流羅姉さん、優秀な姉たちと比べるとどうしても見劣りしてしまった。
祈里姉さんが一回聴いただけで歌い上げる曲で、あたしは何度も音程を外してしまったし。
歌流羅姉さんが一回読んだだけで記憶し演じてみせた脚本で、あたしは何十倍も読み込むのに時間がかかってしまったし。
母が言うには、あたしの才能や実力は平均的な天道家の子どものそれだったようだ。
しかし、たまたま今代の天道家が平均より抜きん出ていたため、あたしは五歳を前にして落伍者のような扱いを受けた。
当然、父はあたしに愛情を注いでくれなかった。
男の仕事は子育て、というのは世間の常識で天道家では通じない。
父は相変わらず母たちを追っかけ、あたしたちの世話はメイドがやっていた。
あたしは父の料理すら食べたことがない。
人工授精で生まれた子は言うだろう。
何を贅沢な、父親がいるだけで十分幸せだろうって。
違う、父親がいるからこそ辛い。
手が届くところにいるのに、凄く遠くに感じる。その距離が辛いんだ。
あたしは努力した。
才能が足りないのなら、努力で補うしかない。
姉さんたちより習得に五倍時間が必要なら、五倍努力する。
幼い頭ではそうするより他の方法が思いつかなかった。
祈里姉さんが部屋でぐっすり寝ている時間でも、歌流羅姉さんがボーと空を見ている時間でも、あたしは歌い演じ己を高めることを怠らなかった。
そうしている間に
あの子の才能もあたしより上だったらしく、それに生来の愛想の良さもあって父から可愛がられていた。
それを横目にあたしはさらに自分を追い込んだ。
姉さんたちに比べて二年も遅かったけど、舞台の主役になれた。
モデルとしてティーン雑誌で表紙を飾った。
テレビの仕事もちょこちょこと舞い込み始めた。
上っている、あたしは確実にアイドルとして上っている。
実力も知名度も上っているのだ。
父が可愛がってくれる、その域まであたしは到達する、もうちょっとで届く。
これで、あたしも父に褒めてもらうんだ!
よくやった、って頭を撫でてもらうんだ!
今まで飢えていた愛情を注いでもらうんだ!
でも。
そうなるより先に――父はあたしの前から消えた。
これも天道家の習わし。
母の代が不知火群島国の芸能界にいると、あたしたちの代の邪魔になったり悪影響を及ぼす。
先を行く者が、後の者の道を塞いではいけない。
先代は今代が成長したと判断したら、不知火群島国を出て活躍の場を海外に移す――そう、天道家では決められていた。
父は母たちに付いて海を渡り、あたしの前から消えた。
あたしは、父から褒められたことがない。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「では、今日の練習を終わります。明日はリハーサル、明後日は本番です。各自、先ほど指摘した問題点を解決しておくように。また、体調管理はしっかり行うように。当日に風邪だなんて許しませんからね」
東山院中央高校の体育館で行われた稽古は東山院
「お疲れ様でした!」
三十人に及ぶメンバーはシャワー室へ向かいながら、親しい者同士で反省点を洗う会話をしている。
本当に熱心だ、真剣さと必死さが部外者のあたしにも十二分に伝わってくる。
「ふぅ~」
一仕事終えた疲れを息にして、やたら綺麗な体育館の天井に向け吐く。さすがはお嬢様学校の東山院中央高校、あたしがアイドル活動の片手間に通っていた高校よりずっと質の良い施設だ。
こんなお嬢様たちでも婚活に苦労するのか、世知辛いなほんとに。
「紅華さんの目から見て、本日の私たちの動きはいかがでした?」
芽亞莉さんが尋ねてきた。激しい練習の後なので、額に汗が浮かび頬が紅潮している。
彼女はあたしより一つ下の年齢だけど、領主の娘だからか貫禄がある。それに大口のクライアントだ、自然と畏まった態度になってしまう。
「想像以上です。学園祭みたいなものかなと思って受けた仕事だったんですけど、皆さんの練度はすでにダンス大会の全国レベルに匹敵しています、それも優勝を狙えるほどの」
「かの有名な紅華さんにそこまで評価していただけるなんて、有り難いことです。他のメンバーには聞かせられませんね、慢心を誘ってしまいそう」
今回のあたしの仕事は、芽亞莉さん率いる婚活チームの賑やかしと言っていい。
コンテストの一チームの持ち時間は十五分、その中であたしの出番は五分だけだ。一曲歌うだけでいいし、目立ち過ぎないよう激しい動きもしない。
あくまで主役は芽亞莉さんたちで、あたしの歌に合わせて華麗なダンスを披露する。
バックダンサーならぬメインダンサーというやつだろう。
「正直、あたしがいなくても皆さんなら優勝を狙えるのではないんですか?」
「そんなことはありませんよ。どのチームも強力な助っ人を用意しているはずです。打てる手は全て打たないと、勝つことは出来ません。それに紅華さんほどの大物アイドルを呼ぶことは、私たちの財力とコネを示すことになります。男子の皆さんへのアピールポイントになるのです」
なるほどねぇ……
「一週間スケジュールを空けました。全力でこの仕事に励んでください!」
マネージャーが鼻息荒く持ってきた話だったんだけど、かなりのお金を事務所はもらったようだ。
「心配があるとすれば、どこかのチームがタクマさんを呼んだ場合ですね……彼が出てくる状況は」
「はん! タクマが出てきても関係ないわ。芽亞莉さんたちとあたしでねじ伏せてやりましょう!」
「く、紅華さん……?」
思わず声を荒げたあたしに、芽亞莉は困惑したようだった。
いけない、タクマを想うとあたしは苛ついてしまう。
あいつは敵だ。
あたしが血のにじむ努力の果てに手にした人気アイドルの称号を、男というだけで簡単に得た。
苦労知らずめっ!
咲奈と共演した舞台の映像を観たけど、大したことはない。
役に成りきれていなくて、役を張り付けているだけだ。時々素の自分を漏らしていたし、実力は素人に毛が生えた程度と言っていい。
あと何故か最後にパンツ見えていたし。
咲奈や祈里姉さんがあいつにご執心なのも面白くない。
もしだ、もしあいつと祈里姉さんが結婚してしまったらどうなる?
世界で唯一の男性アイドルを奪った、って風評被害をあたしまで受けてしまう。
そんなことになったら、やっとたどり着いた今の地位がパアになるかもしれない……それじゃあ父が不知火群島国に帰ってきてくれたとしても、褒めてもらえないじゃないか!
だから、タクマは敵!
絶対に心を許してはいけない敵!
あんな奴にあたしは絶対に負けない!
「あっ、ごめんなさい。熱くなってしまって……とにかく、タクマが出てきても倒す。ねっ、弱気にならないで。芽亞莉さんにも本気で結婚したい人がいるんでしょ?」
芽亞莉さんが幼なじみに熱心なのは、ここに来て数日のあたしの耳に入るくらい知れ渡った話だ。
今日の昼間も幼なじみの所へ行っていたようだし、何が何でも結婚したいのだろう。
「……はいっ!
「め、芽亞莉さん? だ、大丈夫だから。あたしも本気でサポートするから大丈夫。大丈夫よ、ねっ! きっとコンテストで優勝してその斗武君と結婚出来るわ」
芽亞莉さんの背中からドス黒い瘴気みたいなものが上り始めたので、慌てて抑える。
「……はっ! す、すみません。私、変なスイッチが入ったみたいで」
うん、ガンガン入っていたよ。クライアントじゃなかったら距離を置きたかったよ。
これも聞いた話なんだけど、昔は良好だった芽亞莉さんと幼なじみの仲は、最近ではギクシャクしているそうだ。
幼なじみが突然結婚拒否を始めて、芽亞莉さんとしては訳が分からないとか。
「紅華さんのおっしゃる通りです。コンテストで優勝すれば、斗武の近くにいられる、そうすればきっとまた私に心を開いてくれます、きっと」
自分に言い聞かせる芽亞莉さん。
東山院に来るまでのあたしだったら、ここまで男性を想う気持ちに共感出来なかっただろう。
でも、今なら少し分かる。
「じゃあ、あたしはお
「はい、お疲れさまでした」
シャワーを借りて身を清め、あたしは東山院中央高校を出た。
ホテルまで送ろうとするマネージャーに寄りたい場所がある、と頼み車を走らせてもらったのは……
昨日、あたしは運命の人と出会った。
あの人……あたしを初めて褒めてくれた男性。
父にすら褒めてもらえなかったあたしに、
「これからも頑張ってください。ファンとして、あなたをいつも見守っていますよ。
そう言って、温かい微笑みを送ってくれたお方。
あの人にまた会いたい。
その一心で、ついついまたここに来てしまった。
本当なら昨日連絡先を聞いておきたかったのに、恥ずかしくて逃げてしまったあたし。ほんとバカ……
今日もいてくれないかな、いて欲しい。
あの人にこのまま会えないで終わるなんて耐えられない。
「……あっ」
さんざんコロシアムの中を探し回り、もうダメかと思った時。
あの人の背中を見つけた。
広くて、力強くて、何よりあたしが理想とする父のように温かい背中。
「……っ! おやっ?」
その人はあたしを見て驚いたが、すぐに笑ってくれた。
「天道紅華さん、またお会いしましたね」
ああ……ミスターさん。
あたしの父になってくれるかもしれない人。
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