【南無瀬真矢の生き甲斐】
「落とし前、やと?」
へろへろになっていた口調を何とか正す。
「そう。南無瀬組男性アイドル事業部の鋼の掟『タクマに手を出さない』、これを作ったのは真矢氏だった。にも関わらず抵触する行為を働いたのも真矢氏。今の私たちは飼い主に手を噛まれたような心境。このまま真矢氏の所行を見過ごすわけにはいかない」
「せ、せやかて。うちは拓馬はんの練習に協力していただけで……」
「そのような戯れ言、凛子ちゃんを見てもまだ言える?」
「音無はんを?」
組員さんの列が割れ、後方から一人の女性がおぼつかない足取りで部屋に入ってきた。きちんと歩けるように椿さんが横から支える。
「ご覧の有様」
音無さんなの……?
女性の姿形は音無さんだが、目が違っていた。
普段、無駄にランランと目力の強い瞳が、ハイライトをなくして虚ろになっている。
目が死んでいる、という表現がこれほど当てはまる目を、私は見たことがない。
「凛子ちゃんは真矢氏のあられもない声を聞いて、いち早く現場に駆けつけた。そして、ドアの隙間から覗いてしまった。自分が提案した幼なじみ物を演じる三池氏と真矢氏を」
「大きな星が点いたり消えたりしている。アハハ、大きい……電球かな」
音無さんが虚空を見つめて意味不明な言葉を吐いている。
病院を勧めたくなる光景だ。
「信じて待っていた、幼なじみに起こされる生唾シチュエーションを他人に取られる……その『
「……分かった、落とし前を受けるわ」
変わり果てた音無さんを前にして弁明は無理だ。
そう悟った私は潔く刑に服すことを決めた。
「諦めが良くて助かる」
「で、うちは何をすればええ?」
せめて人間としての尊厳を考慮する落とし前だったらいいなぁ。
毛布やシーツで隠しているが、すでに今の私は尊厳を無くしているのだ。もうこれ以上文明人らしさを捨てることは避けたい。
どんな鬼畜な要求をされるのかと、心と身体を構えていた私だったが、椿さんの話は意外なものだった。
「今回の音声ドラマを必ず成功させてほしい」
「なんやて? そら、うちは拓馬はんのマネージャー兼プロデューサーや。頼まれんでも、元から成功させるつもりやで」
「そして、続編を作ってもらう。私たちの希望シチュで」
椿さんがそう言うと、後ろの組員さんたちが次々と声を上げた。
「イチャイチャ姉弟物で!」
「違う、兄妹物が鉄板だ! 妹が可愛くて仕方ない感じが最高!」
「暴行されかけていた男子を救助して家に連れ込む系こそジャスティス」
「だがちょっと待ってほしい。男性のお世話係からの見初められ大勝利も捨て難い」
「間柄はどうでもいいからお医者さんごっこでオナシャス!」
「ベッドシーンだけ抜き出すのはいかんのか?」
「お、幼なじみを……今度はあたしが、幼なじみを……」
みんな、普段は寡黙に仕事をしているけど、こんなに溜まっていたのね……
あと音無さん、本当は正気を保っているんじゃないの?
「要望は分かったわ。続編は前向きに検討しとったし、おそらく実現出来るやろ。ただな、シチュエーションがどうなるかはファンの意見もあるし了承は出来んで」
「理解している。希望はあくまで希望。ただし、今度三池氏の練習相手になるのは私たちの中から選ぶ」
そうか、狙いはそこか。
「練習をやるにしても、パートナーは拓馬はんが決める。こっちの好きには出来んで。まっ、拓馬はんに練習相手としてみんなを推薦するくらいは、うちの方でやってみるわ」
「
落とし前の件は、とりあえず穏便に済みそうだ。
ふぅ……良かった。
あ、でもこれだけは言っておかないといけない。
「これは経験者としてのアドバイスというか、警告なんやけどな」
私は、全員を射ぬくように見据えた。
「拓馬はんの練習相手は天国であり地獄でもあるで。想像してみ、極上の男性が熱烈なお誘いをかけてくる。据え膳食わぬは女の恥とは言え、食べたら人生終了や。みんな本能を押さえつける自信はあるか? うちはダメで縄に頼ってもうた。半端な理性なら降りた方が賢明やで」
ゴクリと唾を呑み込む音が響く。
そうだ、拓馬くんの相手になるなら悟りを開く聖人クラスになれ。それが無理なら自分用の拘束具を用意することだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
後日。
音声ドラマの収録が、南無瀬市のあるスタジオで行われた。
「よっしゃ! 俺、いけますよ!」
拓馬くんは気力充実。
この日のために百回以上台本を読み込んだそうだ。彼が持つ台本はボロボロになっていた。
時間にして十分程度の内容のドラマ。
スタッフの話では、通常の収録なら一時間もあれば終わるらしい。
しかし、拓馬くんの収録は難航した。
理由として、拓馬くんが自分の演技に納得出来ずに何度もリテイクをお願いしたのが一点。
これは別に大きな問題じゃない。やればやるほど演技は良くなっていったし。
だが、彼が巧く甘い囁きをすればするほど、スタッフの中で意識を失う者やトイレに駆け込む者が増えた。それによって収録は何度も中断してしまった。
収録時間が延びた主要因はこれである。
南無瀬組の面々には、あらかじめ対策として興奮抑制剤を服用させていたので、何とか持ち場を離れずに済んだ。
そうしなければ、音無さんや椿さんあたり暴走していただろう。
「……」
「……」
薬アリでも顔を真っ赤にしてタギっている二人を見て、私は自分の対策の正しさを確信した。
何はともあれ、音声ドラマは完成した。
これをすぐにファン向けに売ることはしない。
まずは、モニターに聴かせて反応を見なければ――
と、いうことで市内のカプセルホテルを貸し切っての聴取会を開く。
音声ドラマの内容からして、ファンの大半が寝ながら聴くことが予想される。
そのため、モニターには一人一人カプセルホテルの簡易ベッドに入ってもらうことにしたのだ。
「あ、マネージャーさん。今日はよろしくお願いします」
「先日はタクマさんの写真、ありがとうございました。あいつらも中毒に耐えて頑張っています。それで、この音声ドラマってのを聴けば中毒が治るんですよね?」
委員長さんと姉小路さんを含め、モニターは二十人呼んでいる。
「モニターのみなさん、今日は集まっていただきありがとうございます。聴取の前にお茶のペットボトルをご用意しております。お取りください」
音声ドラマを聴くと脱水症状を起こす人が現れるかもしれない。水分補給は大切だ。
また、モニターにはあらかじめ着替えを持ってくるようにも連絡をしておいた。
「どうして聴取会で着替え?」と疑問に思う人もいるだろうが、拓馬くんの音声ドラマを聴けば嫌でも理解出来るはずだ。
私物、ペットボトル、ポータブルプレイヤー、イヤホンを持ったモニターたちがカプセル型の簡易ベッドスペースに入っていく。
カーテンが引かれ、中の様子が見えなくなったところで私はストップウォッチのボタンを押し、時間を計測し始めた。
開始直後。
カプセルの至るところから嬌声や喘ぎヨガりの声、それに「タクマくぅぅぅん!!」と絶叫が聞こえてきた。
ドタドタと狭い内部でのたうち回る音もする。
ふむふむ、想定通りの反応だな。
十分後。
音声ドラマは十分で終わる。
そろそろベッドから出てくる人がいてもおかしくない時間だ――などと、私は微塵も思ってない。
三十分後。
案の定誰も姿を現さない。
女なら黙って周回プレイ。拓馬くんの音声ドラマは中毒の塊だ。一回で解放されるものじゃない。
一時間後。
ぽつぽつと数人が出てきた。みんな憔悴しきった顔だが、とても晴れやかな風にも見える。ちゃんと着替えも済ませているようだ。
二時間後。
まだ出てこないカプセルが数個ある。
組員さんがノックしても反応がない所は、カプセルホテルの従業員さんにお願いして開けてもらう。
カプセル内はどこも意識を失った女性が横になっていた。
みんな幸せそうに逝っている。
姉小路さんも意識を刈り取られた一人だった。
彼女のカプセルからはモニター開始早々に音と声がしなくなっていた、強気そうだけど中身はピュアなんだなぁ。
で……三時間後。
最後まで開かずのカプセルとなったのが、委員長さんの所だった。
開始からずっと音と声が止まない。
ヒョロっとした見た目なのに凄い体力だ。
お楽しみ中を邪魔するのは気が引けるけど、そろそろ出てもらわないと。
私は何とも言えない気持ちで、強くカプセルをノックした。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「メチャクチャ
「あちきは……あきちは……うう、タクマさん」
モニターに使用後の感想を聞き取る。
やはり販売の前にモニターしたのは間違いでなかった。
このまま売り出したら朝からベッドに縛られ、登校、出勤出来ない人が多数出てきてしまう。
不知火群島国の経済活動に深刻な影響が出る。どうしたものか……
朝起こしに来る音声ドラマだけど、夜に聴くのを推奨するか。
早々に第二弾として、幼なじみと一緒に登校する話を拓馬くんに作ってもらうか……あっ、それだと音声ドラマを聴きながら町を歩くトリッパーが現れ、交通事故が多発するかも。
ううん、難しい。
拓馬くんの活動はいつも難題に溢れている。
でも、負けない。
彼が挫けないために私たち南無瀬組がサポートするんだ。
拓馬くんが生き生きとアイドル活動する、それを支えるのが私の生き甲斐なのだから。
そして、願うことなら彼の望むことをしてやりたい。
私は委員長さんと姉小路さんに言った。
「今日はお疲れさん。貴重なご意見ありがとな。次は拓馬はんのサイン会を予定してるから、またモニターよろしゅう」
サイン会。
俺はファン参加イベントを開けない、と拓馬くんが残念がっていたのを思い出す。
そんなことはない。私たちが必ず拓馬くんの望みを叶えてみせる。
ええ、どんな手を使っても。
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