おにぎりの先の故郷

トイレに行きたくて目を覚ました。

南無瀬組から支給された携帯電話で時間を確認すると、深夜三時。

まだ朝は遠い。


布団から起き上がり、のろのろと部屋を出る。

淡い電灯が廊下を照らしていた。

南無瀬邸は凶悪犯罪を取り締まる南無瀬組の本拠地。

犯罪が時間を問わず発生する限り、南無瀬邸の灯りが消えることはない。


えーと、トイレはっ……と。

ここでの暮らしにも慣れ、広大な南無瀬邸を迷わず歩けるようになった今日この頃。

ふぁ~とアクビしながら目的地に向け歩きだそうとして。


「三池氏」


「ひえっ!」


背後からボソッと声を掛けられ、俺は跳び上がった。


「な、あ、椿さん? 脅かさないでくださいよ」


深夜のひっそりとした廊下、そこにいきなり出現したオカッパ髪の女性。

ホラー映画さながらで、あわや膀胱のロックが解除されるところだったぜ。


「一人でトイレに行くのは危険。私も付いていく」


この歳になって女性に連れられトイレに行くのは……と躊躇う。が、言ったところで素直に引っ込む人ではないのは百も承知だ。


「じゃあ、お願いします」

余計なやり取りをするよりさっさとトイレに行きたい。俺は椿さんをお供に廊下を進みだした。


「そういえば音無さんは?」


「凛子ちゃんは寝ている。今は私が三池氏の護衛をする時間」


「え、就寝中の護衛もやっていたんですか? それじゃあ昼間のお仕事に影響があるんじゃ」


「問題ない。護衛と言っても半分寝て半分起きての半覚醒状態で行っている。三池氏が寝返りを打てば起きるくらいに設定。身体の負担はそれほどない。凛子ちゃんも同じことが出来る」


パソコンの省エネモードかな?

椿さんも音無さんも知れば知るほど人外だな。

 


トイレで用を足し、廊下で待っていた椿さんの下へ戻る。

なんだかバツが悪い。


「三池氏、どうかした?」


「いえ、あの……この状況って、夜中のトイレが怖いから親に付いてきてもらった子どもみたいで、ちょっと恥ずかしいなぁと思いまして」


まるで一般的にありそうな話のように語るが実体験である。

小さい頃の俺は、よく両親にトイレまで連れて行ってもらっていた。

父さんも母さんも寝ているところを起こされて嫌だっただろうが、文句を言わずに俺の手を引いてくれたものだ。


「そう……」

椿さんは、俺のどうでもいい言葉を軽く流す――と、思いきや。


「拓馬、またトイレに行かないよう出すもの全部出した? それに手は洗ったの? 濡れた手はタオルで拭かなきゃダメよ」


「うわっ、母親のようなことを言わないでくださいよ」


しかも演技が巧い。本当に母親から注意された気分になったぞ。


「……ふふ」

あ、普段の表情の乏しい顔に戻った。もう少し見ていたかったのに残念。



意外と技巧派だった椿さんに戸惑いつつ、俺は自分の部屋へ帰る…………その途中。


ん? 台所の電気が点いているな。それに物音と人の気配もある。


「こんな時間に料理ですかね?」


「南無瀬組には夜勤の人もいる。夜食?」


ちょいと台所の中を覗いてみると、そこには似つかわしくない人物が立っていた。


「おっさ……っと、陽之介さん」


「おや、三池君じゃないか。こんな時間にどうしたんだね?」


「俺はトイレの帰りです。それより何をしているんですか?」


「ははは、おかしな質問だね。台所でする事と言えば料理に決まっているじゃないか」


家事全般を黒服さんに任せ、ひなたぼっこが趣味のおっさんが料理ぃぃ?


「なんだね、その疑わしい目つきは。ごほん、まあ君が言いたいことは分からんでもない。僕が台所に立つことなど滅多にないことだからね」


滅多というか絶無だと思っていました。


「もうすぐ妻が市内の出張所から帰ってくるのだ。一度、お風呂に入って着替えをするためらしい。疲れた彼女に何かお腹の足しになるものを作りたくてね」


この南無瀬邸は社員寮みたいな役割を果たしており、南無瀬組の実務は領内に点在する出張所で行われている。

妙子さんは今晩のように陣頭指揮のため出張所に詰めることもあるのだ。


「それで妙子氏に料理を。美しき夫婦愛」


「そう言ってもらうと照れくさいじゃないか。僕がこう料理をしようと思ったのも三池君のおかげなのだよ」


「俺の?」


「男性アイドル事業部の責任者として日夜活動しているとね、労働の大変さが身に染みて分かるのだよ」


男性アイドル事業部の責任者の仕事と言えば、真矢さんから送られる書類を精読し、重々しく判子を押すこと。あと全手動専用人型握手機になること。

労働量はさほどないと思うのだけど、それで労働の大変さを身に染み込ませるとは綿のような吸収性だな。


「今まで妻の仕事に理解が不足していた自分を恥じて、少しでも力になりたい。これはそのための料理なのだよ」


見上げた心意気である。

そんなことを言われたら、おっさんが作っている幾何学的な形のおにぎりも立派な料理に思えてくる。

凄いな、あれ。どうやって握ったんだろう?


「屋敷に戻ってくるのは妙子さんだけなんですか?」


「ん? 他にも何人かいるらしいと聞いたが」


「じゃあその人たち分は俺が作りますよ」


南無瀬組の黒服さんたちにはアイドル活動で頼りまくっている。少しは恩返ししないとな。


「三池氏が料理を!?」


「なにビックリしているんですか。これでも一通りの物は作れるんですよ」


うちは夫婦共働きだったから、子どもの俺が夕食を作ることもあったのだ。


「じゃあ、陽之介さんに倣って俺もおにぎりにしますかね」


炊飯器に不慣れなおっさんがご飯を炊き過ぎていたため、黒服さんの分を作る量はちゃんとある。


えーと、それとパジャマのままでおにぎりは握れない。


「エプロンってどこにありますか?」


「そこの戸棚の横にあるのだよ」


おっさんの指さす場所に、南無瀬組台所班の人たちが使っているエプロンが数着掛けられていた。

どれを使おうか……シックな物から派手な物まで多様な柄のエプロン。

お、割烹着まであるじゃないか。誰が着るんだ、これ?


適当なエプロンを付け、手をしっかり洗い、おっさんの隣に立つ。


「男性が二人並んで料理……くぅ、カメラを持って来なかったのが悔やまれる」


よし、椿さんは放っておいて料理だ。


手に塩を付けて、炊飯器から大皿に移した白米を適量取る。

握るポイントは握ろうとしないことだ。矛盾した言い方かもしれないが、要は力を入れず形を整えることに集中すればいいってこと。

ふんわり優しく、これが大事。


「上手いものじゃないか」

と、感心するおっさんにおにぎりの手ほどきをしながら黒服さん分を作った。

調子に乗って冷蔵庫にあった具材を色々取り入れたのだが、やり過ぎたかもしれない。

不知火群島国の人の口に合うか心配だ。

不味いとか言われて、余ったらどうしよう……という心配は。



「三池さんの手で作られたおにぎり!? 死んでも食べなきゃ! そして三池さん成分摂取しなくちゃ!」


屋敷に戻った黒服さんたちが我先におにぎりを争奪する姿で杞憂だと分かった。

ふ~、良かった良かった。



普段は粛々と動く黒服さんたちが、あそこまで我を出して食べている姿は微笑ましい。

中には咽び泣くように食べている人がいるが、ほ、微笑ましい。

永久保存と呟きながら腐るの上等でタッパーに入れている人もいるが、微笑ましいんじゃないかなぁ。

黒服さんに混じってさも当然のようにモグモグ食べている椿さんは別に微笑ましくねえや。



「うおおおおおおお、あたいは感動したぁ!」


一方おっさんは、と言うと。

最愛の夫によるサプライズ料理、というのが妙子さんの琴線に触れた、というか琴線を掻き鳴らしたらしく熱烈な包容を受けている。


凄いなぁ、人間の身体ってあんなに綺麗な「く」の字を描けるんだなぁ。


ミシミシとおっさんの背骨から鳴っちゃいけない音がしているが、夫婦間のスキンシップに立ち入るのは野暮なので傍観に徹しよう。

それにしても見事な鯖折りだ。



まあ、何はともあれみんな喜んでくれて良かった。

疲れて帰った時に待ってくれる人がいて、その人から親切を受けた時ほど癒されることはないからな。


俺もそうだ。

事務所の後輩たちのデビューが決まって、先を越されたと傷心で家に帰った時も家族はいつも通り「おかえり」と言って迎えてくれたっけ……


トイレのこともあってか、今夜は妙にセンチメンタルだ。

タクマとしてデビューしてある程度生活が安定してきた。それで日本のことを想う余裕が心に出来たのかもしれない。



……俺、いつかは日本に戻れるのかな。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




翌日。


「静流ちゃん、どうして!? どうして起こしてくれなかったの! あたしも三池さんのおにぎり食べたかったあああうぐぁああ!! もうこれあたしたちの友情に亀裂が入る案件だよ!!」


「落ち着いて。そしてよく考えて欲しい。凛子ちゃんが同じ立場なら、わざわざ私を起こして有限な三池氏のおにぎりを分け与える?」


「それはない!」


「つまりそういうこと」


「ちくしょおおおおおおお!!」


隣室から聞こえる音無さんの慟哭に、耳を塞いでいると


「拓馬はん、ちょっとええか?」真矢さんが訪ねてきた。「会ってほしい人がいるねん」


「いいですけど、どなたですか?」


「拓馬はんをCMに出したいって人や」


俺をCMに……!

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