南無瀬組の朝

目覚めは気持ちの良いものだった。

はて、いつから我が家の煎餅せんべえ布団は上質な羽毛布団へとチェンジしたのか……微睡まどろみの中でそんなことを思っていると


「あっ、起きました? おはようございまーす!」


隣からやたらハイテンションな声が投げつけられた。

それで思い出す。ああ、俺は男女比が狂った世界に迷い込んでしまったんだと。


むくりと起き上がり「おはよう、ございます」と隣室の音無さんに挨拶。

彼女の後ろには布団の中で横になった椿さんが見える。今は音無さんが監視役、椿さんが休憩のようだ。


「ううう、男性の寝顔を見た上に男性の初めての相手になれた、あたし光栄です」


「初めての相手、それって!」俺は急いで股間を確認する――良かった、ジョニーに争った形跡はない。


「あっ、すいません。男性が朝初めて会った相手になれたって意味ですよ」


「はぁ、そうなんすか」


紛らわしい。男とコミュニケーションを取ることにどんだけプレミアが付いてんだ、この世界は。


「じゃあ、あたしは三池さんが起きたことを屋敷の人に伝えてきます」


音無さんが廊下へと消えていく。

確かにいなくなったのを確認、さらに布団の中の椿さんが寝ていることも確認。

それから隣室へと続く障子をしっかり閉めて、俺はパジャマを脱ぎにかかった。

今までのパターンから推測する……この後、部屋着に着替えようとしたらまた音無さんたちと一悶着になるだろう。


「あたしのことは気にせずどうぞ脱いでください。えっ、廊下に出てろって? いえいえ、廊下からでは三池さんのピンチに気付けない場合があります。心配いりません、あたし目は閉じてますから」

「凛子ちゃん、それでは薄目で見ていると誤解される。しっかり後ろを向かなくては」

「そっか、あたしってばウッカリ」

とか言いながら手鏡をこっそり持つ2人……という妄想。


うわぁ、めっちゃありそう。


別に着替えを目撃されても気にしないが、あの煩わしいやり取りを寝起きで行うのはげんなりしてしまう。

なんで、音無さんが不在で椿さんが夢の中の間にとっとと着替えてしまおう、というわけだ。


パジャマを脱ぎパンツ一枚に、それからシンプルなシャツとジーパンを装着。どちらも前の晩に南無瀬家から支給されたものだ。

もしかしておっさん用か、あまり深く考えないようにしよう。


着替えが終わった所で廊下から足音が聞こえ、次いで音無さんの快活な声が障子を越えてくる。


「三池さん、食事の用意があるそうなので大広間に来てください」


「はーい、了解っす」


「じゃ、あたしは静流ちゃんを起こしてから行きま……ってきゃああ!!」


隣室から悲鳴が上がる。


なんだどうしたっ!?

俺は障子を開け、音無さんと椿さんの寝床に踏み込んだ。



こ、これはっ!?


凄惨な光景だった。

血に染まった布団、その中で見るも無惨に横たわる椿さん。


今の今までただ寝ていたはずなのに、いったい何があったんだ!?

急転直下のサスペンス展開に俺は混乱する――


「どうしたの静流ちゃん! 鼻血がドバドバだよ!! それでいてどうして幸せそうなの!」


「……が、がん……ぷ……くぅ」


――こともなく、狸寝入りして人の着替えを覗いた愚か者の末路を、呆れた目で見るのであった。






俺が一宿一飯の世話になっている妙子さん率いる黒服の団体は『南無瀬組』と言うらしい。


南無瀬組の仕事は南無瀬市を中心に島内で起こる犯罪の取締りである。

取り締まりなら警察の仕事じゃないの、と疑問に思うところだが、その辺は区別されているそうだ。

簡単に言えば、南無瀬組は強行犯係のように凶悪犯罪専門。妙子さんが指揮を執り、迅速かつ柔軟に犯罪者を追うスペシャリスト集団で、市民にも犯罪者にも恐れられているらしい。

お縄になりそうな見た目をしている南無瀬組こそお縄を掛ける方なのだから笑える。




起きる時間が遅かったため、朝食兼昼食となった食事を大広間でいただく。

宴会が出来そうなほどのスペースに膨大な数の畳が敷かれている。

配膳係の黒服さんは広間の外で待機しているようで、ここには俺たち三人しかいない。人口密度が薄すぎて逆に息苦しい。

咀嚼音が広間中に響きわたる気がして、アゴの操作が慎重になってしまう。


こう神経が敏感になってしまうのも、ひとえにこれからの展望が見えないからだ。


「三池さん、そんなに思い詰めなくても大丈夫ですよ。何があってもあたしたちが付いていますから」


と、音無さんからフォローが入るが、そうは言われてもなぁ。


ここは完全アウェイなわけだし、日本に帰れる見込みがまったくないし、妙子さんマジ極道だし。

ポジティブになれる材料がどこにもないじゃないか。


「無問題。別にとって喰われるわけでは……あっ」


いや喰われるわ、この人は男だったわ、性的に喰われるわ……ってな顔で言葉を止めるのはやめてくれよ、椿さん。



気まずい雰囲気で食事を終えると


「いよぅ! 昨晩はお疲れだったね」


南無瀬のドンこと南無瀬妙子さんがご光臨なされた。

その後ろにはおっさんが続く。


「……あぁ……うぁ……ううぅ」


一晩で人間がここまで変貌するとは驚きだ。

おっさんはゾンビとして生まれ変わっていた。いや、ゾンビだから死んでいるのか。

とにかく精も根も尽き果てた有様である、昨晩解散した後いったい夫婦間でどんなやり取りが繰り広げられたのであろうか。独身の俺ではうかがい知れない深淵だ。



「よっと」

「……あぅ……」


対面する位置にドカッと腰を下ろす妙子さん。しゅるしゅるとうなだれ落ちるおっさん。

似たもの夫婦から最果ての地にいる二人だ。



「改めて礼を言うよ。昨晩はうちの旦那を助けてくれてありがとう。世話になったね」


「い、いえいえ。男性を守るのは女性の義務。あたしたちは男性身辺護衛官ですから尚更です」


珍しく音無さんが恐縮する。椿さんもコクコクと首肯している。


「ほら、あんたもちゃんとお礼を言いな」


「……あ、あり、がとう、ございま……す」


おっさんよ、そんな風前の灯火の顔で感謝されてもまったく助けた気分になれないぞ。



椿さんが挙手して。

「昨晩のことで疑問。なぜ男性である陽之介氏が単独であの路地にいたのか」


「それについては南無瀬家の恥を晒すことになるんだが、まあ説明しないのは不義理だねぇ」


言い淀む妙子さんだったが、完全に口を閉ざすことはしなかった。





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




昨日、おっさんと妙子さん、それに護衛役として組の数名は買い物のため街へ出ていた。ちなみに南無瀬組にはダンゴの免許を持った者がいるため、外からダンゴを雇うことはないらしい。


夕食を男性入店可の豪華レストランで済ませていた時のことだ、おっさんがトイレに立った。

当然、ダンゴも付き従ったがさすがにトイレの中まで入るわけにはいかない。

ダンゴはトイレの前でおっさんが出てくるのを待っていた……が、待てども待てども扉は開かない。


これはおかしい、と思い店員に事情を話してトイレを開けると、そこにおっさんの姿はなかった。

いくらセキュリティの整った店とはいえ、内側からは脆いものだ。おっさんはまんまとトイレの窓から外へと逃亡していた。


それからは大騒ぎ。

顔を真っ赤にした妙子さんはダンゴへの叱責をそこそこに、組員を総動員して大捜索を行ったそうだ。

だが、どれだけ探してもおっさんは発見されない。

その時、おっさんはあらかじめ隠し持っていた深めの帽子やグラサン、マスクなどで軽い変装をしてバスに乗って港方面へ向かっていた。妙子さんの予想を超えた距離を移動していたわけだ。


それで深夜になっていよいよ最悪の事態が脳裏をかけ巡っていた時、警察からおっさんが見つかったとの連絡が入った。

うちの旦那はこちらで回収する、文句があるなら後日聞いてやる、と南無瀬組の権力をもって警察の動きを封じてから妙子さんたちはあのファミレスに急行した、とのこと。


にしても、おっさんはなんで逃げたんだ?

妙子さんや組の人たちを相手取っての逃亡劇、大層な理由がなければやろうとは絶対思わないだろ。


と、いう内容を俺の持ちうるボキャブラリーの限界まで丁寧語に加工して質問すると、おっさんがぽつりと呟いた。


「娘に会いたかったんだ」と。


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