第7話 憧れの再会
ギャグ三昧、猫三昧で半年があっという間に過ぎた。
彼岸の明けに蒔さんの妹である茜さんから電話がかかってきた。
「久しぶり。詩瑛ちゃん元気ー?」
「あっ、はい。久しぶりです。そちらこそ元気そうで何よりです」
「もう、他人行儀すぎるよ。今年も行こうか」
「はい、一人だと心細いし、茜さんがいてくれて私は嬉しいです」
「ありがとう。姉さんったら早すぎるわ」
「そうです……よね。車が嫌いになりました」
「大丈夫?スコーンとしてちゃダメよ。
明日墓の前でしっかり話聞いてあげるから。ね?」
「何時ぐらいにします?」
「3時かな。姉さんおやつ大好きだったし。真夜中の3時じゃないぞ」
「そうですね、午前3時は怖すぎる。それじゃ昼の3時に」
「うん、久々に詩瑛ちゃんをミルフィーユしたいな」
菓子にまつわるダジャレを言うのは、茜さんがパティシエで、
やはりダジャレを好む血を引いているからか。
少しでも私を元気付けようと、暗くなりすぎないようにあえて言っているのだろう。
茜さんは先に来ていた。ゴシゴシ涙を拭って、
「もう少しデザート食べさせてあげたかったな」と言った。
茜さんは長身で、白色のワンピースに身を包んだ若々しい女性だ。
「モンブランよく食べてました」
「栗野なだけにね。ケーキの中で一番好きだったのかな」
墓前に林檎と、さくらんぼのゼリーを置き、黙祷した。
ああ、息ができなくなりそうだ。一緒に店をやりたかったし、
まだ知らないことも多くあったし、一緒にいたかったし、
まだ教えてほしいことも多くあったし、もっと花のダジャレを聞きたかったし、
何より私の負担を減らしてくれた。力になっていた。
もう一度生きようと思った。
頭を撫でてくれたその手が温かくて、花を見ているときと
同じような気分になったのです。
少しずつ、柔らかい声や仕草の一つ一つが思い出せなくなっているのが虚しくて、
私の中でのあなたの濃度が薄くなっていくのが耐えられない。
どうせ誰も自分を見放したままだろうと思っていた。
孤独と絶望に苛まれて、自己嫌悪をして、
他の人と同じように普通に物事が達成できないのか不安だった。
怒られ、小言や皮肉を言われ、嘲られてきた中で、
あなたは暖かく見守ってくれていた。
枯れそうな花が息を吹き返したような感覚。
確かに眩い彩色をあなたは施した。
ふとあなたの笑顔が浮かんできて、
もう一度目の前でいつまでも浮かべて欲しいのに、もういない。いない。
あなたは枯れてしまった花を触りながら、涙をこぼしていたけれど、
あなたの挙動の全てから優しさが滲み出ているのは
きっとそういうところからなのでしょう。
人を虐めて、夢を奪い、動物を捨て、老人を殴り、人の死を不謹慎に笑う、
そんな人間ばかりがいるものだと思っていました。
しかし、誤りでした。
虹を追いかけるような、光を見据えた人間もいるのだと
あなたやそこにいる茜さんを見て、実感しました。
光は少し翳ってしまったけれど、まだ射しています。
ほのかに朗らかな灯が。嘘臭いなと疑いすぎて、
暗黒に呑まれてしまう錯覚をして、冷や汗をかいたりすることもあります。
古傷がしくしく痛むこともあります。
胸が苦しくなって、頭がぼうとして、無様な昔の自分と対峙するのが辛くて、
ホワの顔を眺めていると、猫になってしまった気分になって、辛さを忘れられます。でも、時々は過去の自分を蒔さんのダジャレで励ましてやりたくなります。
へこた蓮華草忘れてませんよ。
しっかり生き抜いて、あなたの元に行く時が来て、
新しい花の種類が発見されていたら、その花の名を蒔さんに教えますね。
私が泣き止んで平常に戻るのを待って、
「姉さん、泣いているときに花をくれたな。店は今どんな感じかな」
と茜さんは聞いてきた。私は言葉に詰まった。
店の運営は全て映に任せていて、この半年間、特にトラブルは発生せず、
万事快調に進んではいるけれど、
断りもなく赤の他人に全てを一存している現状が何となく申し訳なくて、
言いづらい。
「横ばいで、順調に行ってます」
「ホッとして良いのか悪いのか。ふふっ、横ばいって。
でも下がっていないから良いよね」
店に携わっていないことを隠してしまった。
帳簿を見る限りではやや黒字といった状態だった。
裏切ってしまったような罪悪感がのしかかって、息苦しい。
「顔色悪いよ?元気出してクレープ」
茜さんの細い腕が私の体を包む。
蒔さんによく似た優しい匂いがして、緊張の綻びが解けて和んだ。懐かしくなった。甘えたくなった。寄りかかりたくなった。
「どんどん駄目になっている気がする。どうしたらいい?」
「駄目になんかなってないよ。今は疲れているだけだよ」
言葉が沁みていく。私は本当に駄目になってないのだろうか?
明日からは私も仕事をしよう。蒔さんが寂しく花を撫でているような気がする。
「余裕ができたらうちのケーキ食べにおいでよ」
別れ際、茜さんは嬉しい言葉をかけてくれた。今すぐ行きたいけれど、我慢して休んだ分頑張ろう。
色が何色にも集まって、きゅうと胸が締め付けられる。
目に映る色が水のように精神に染み込んで感情に変わる。
映に仕事を復帰することを伝えると、
「わかった。詩瑛ちゃんいないの?と聞かれまくって、答えるの億劫だったし、手間が省ける」と言った。
素直な奴じゃないのう。
お客さんと会うのも話すのも久しぶりで、
値段を間違えたり、水をこぼしたり、
蒔さんに教わっていた頃みたいにミスをしてしまった。
そんな日もあるだろうと言い聞かせた。
夕方、橙色の光が射しこんできて、すがすがしく暖かいものがこみあげてきた。
彼岸の余韻が残っているのか、涙がつと零れてきて、夕日がにじんだ。
ぼやけて絵の具をこぼしたみたいな陽。
胸の中に広がるほわほわとした気持ちは、
どこか懐かしく貴重なものだった。できればずっとこの橙色で満たされていたい。
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