失われていくものと希望

 嫌な空気だ。蟲が背中を這い回るような不快感、これ以上進めば何かを失ってしまいそうな得体の知れない恐怖、そんなものがこの廃都には渦巻いている。王城に近付けば近付くほどにそれが濃くなる。

「陽動は上手く行っているようだね」

 引き付けは全軍を四つに分けて北はクーニャ、西は紅月、東は優夜たち、南はアマゾネスと惧瀞さんを加えた隊が行っている。東からは更なる冷気が北と西からは炎による熱波が流れてくる。

「それに加えてフィオ達の感知能力の高さもある。王城までは大した問題はないだろ」

 四方からの襲撃に混乱した魔物が犇めいているがフィオ達四姉妹が敏感に敵を察知して戦闘を避けるルートを進んでいる。

「つってもよぉ……この空気どうにかならねぇのかよ胸糞悪い。臭いも最悪だ」

 不快そうに唾を吐き捨てる導は王城を睨みながら身体を揺すっている。たしかに、得体の知れない空気とは別に魔物の獣臭と喰い散らかされたものの死臭が混ざりあって鼻の奥を刺激して眩暈すら起こしそうだ。

「空気は大本を潰すまでどうにもなるまい。無駄口を叩かず進むことだ」

「んだよ兄貴、そんなに……おいてめぇ、レールガンとかいうのであの城ぶち抜けねぇのかよ」

「そんなの試す気はない。町に結界が張ってあるなら城にも何かしてあるって考えるのが普通だろ。迂闊な事して反撃食らいたくないんでね」

 もうミシャの時のような事は御免だ。それを警戒してるから戦車の砲撃も城には向けてないんだしな。

「チッ、使えねぇやつ――」

『っ!?』

 巨大な獣の不吉な咆哮が北の空に響き渡る。クーニャのものではないそれは毒島が圧殺した存在を思い起こさせて――西にも異常が現れた。


 煌々と燃え上がっていた西側の空が黒に塗り潰されている。闇――一切の光を通さないような闇が広がり巨大な壁の如くこちらにも迫りつつある。

「全員掴まって! 目立つとか言ってられないわ、一気に城まで跳ぶわ」

 側面から迫る闇から逃れるためにティナの能力で城門まで跳ぶがそれを目敏く見つけた量産型のディアボロスの群れが集まり始めた。

「鬱陶しいことだ。鏖殺してやろ――」

「行ってくださいッ! ここは僕らが絶対に通さない!」

 東側から氷の津波に乗って現れた優夜が氷槍を無数に発生させてディアボロスの群れを地上に縫い付けた。

 異常に気付いた一部の魔物が集まり始めている、瑞原に強化された優夜の能力は絶大だがこの町に犇めくもの全てが押し寄せたら――。

「ワタルさっさと行け!」

 風の刃が群がるゴブリンを切り刻み黒狼の爪がオークの喉笛を切り裂いた。

 光る障壁が闇を押し止め投剣が舞い飛びコボルトの首を掻き切る。

「ほいほいほ~い、今日はめんどくさいとか言わないよ~」

 暢気な掛け声と共にオーガの頭の上を跳び渡って金色の破壊を齎す。

「ハッ、いつもそうやってりゃちったぁ使えるやつだってのに――デカいだけで俺に勝てると思うなよ牛野郎がァ!」

 自分の身体ほどの棍棒を断ち切り倍以上もあるミノタウロスの体を二つに割る剛撃、戦いに愉悦を感じている笑みに魔物がたじろいだ。

 浮遊する銃器から弾丸の雨が降り注ぎ一度に多くを討ち取り自身に襲い掛かるものは回転する浮遊剣でなますぎりに。

「航君頑張ってくださいね!」

「ワタルよ、すぐにでも首魁の首を持参せよ。さすれば望むままに可愛がってやろう」

 妖艶に笑うロフィアと明るく笑う惧瀞さんたちに見送られて俺たちは城門を抜けた。


「ワタル駄目だぞ、あんな女私は許さないからな! まだクジョウの方がマシだ。絶対に断る……ん……だ、ぞ……?」

「そうよ! おっぱいは十分足りているは……ず、よ?」

 どうしたんだ? 城内に入った途端に二人が――いや、俺以外の全員が呆気に取られたようにぽかんとした表情に変わった。

「どうした? ティナ? ナハト――」

「気安く呼ぶなッ薄汚い人間が!」

「っ!?」

 ナハトに呼び掛けた瞬間炎が視界を覆った。

「ナハト、ここどこなの? なんで私たちこんなところに?」

「分からん。だが人間が居るのを見るところこいつらに何かされたと考えるべきだろう」

「おい何言って――」

「おいおいエルフだぜ兄貴! うひょー初めて見た。しかも黒白セットかよ。どこだか分かんねぇけど持って帰っていいよな?」

「…………好きにしろ」

「んじゃま、手足潰しときますか」

「やめろッ!」

 導が黒炎を発生させようとした瞬間ナハトとティナに飛び付いて視界から外した。

「放せッ! 汚らわしい人間風情が私に触れるな!」

「分を弁えない野蛮な生き物、私に触れた事を後悔させてあげるわ」

 ナハトから腹部に蹴りをもらいティナの刃が左肩を掠めた。

 何がどうなっている? 幻覚を見ているのか精神に影響を受けたか? 優夜たちの件があるし対策として加護を施したタリスマンを潜入組は持っているのに――まさか全員この状態なのか?

「フィオ――」

「フィオ、アリス、リエル、シエル、そこの男二人を捕らえろ。使えるかもしれん」

『はい』

 っ!? 毒島のを受けて四人が俺と天明に襲い掛かる。フィオもアリスもその瞳に俺を映しても俺を見ていない。これは優夜たちの時のような理性が外れたとかじゃない、まるで記憶が無くなったような――出会う前の状態に戻っているのか? なんで俺だけ――レヴィリアさんのくれたアミュレット……これの力か? エルフの力で防げないものもハイエルフの力なら可能ってことか。

「君、何か事情を知っているか? 俺にはここがどこかも何故彼らに狙われるのかも分からないんだ」

 天明お前もか……いやでもこいつは昔から俺を知っている。性格からしても敵対はしない!

「天明俺だ、航だ。簡単に言えば俺たちは敵の術中に嵌まった。お前らは恐らく記憶を消されてる。ここに居る全員は本来味方だ」

「航!? ――いやでも面影が……しかしエルフも味方とは……一体どういう状況なんだ?」

 混乱しながらも天明は双子と斬り結び戟と棍を捌いていく。話をしたいが息つく暇もなくフィオとアリスに絡み付かれる。

「っ! 全員聞け! 俺たちは敵同士じゃない! 魔物を倒す為にここに来たんだ!」

「人間と協力が必要な程の魔物が居るはずないでしょう! 魔物は私たちが封じているのよ、馬鹿にしないで!」

「くだらない徒言を――そんな言葉で私たちを惑わせられるものか!」

 誰も彼も関係なく赤い炎が包み込む。それを黒炎が阻むが聖火との相性が悪いのかたち消えた。

「チッ、なんだあの炎! 黒炎なら食らえるはずだろ!?」

「導、黒い方は諦めろ。殺せ」

「しゃーねぇな」

「ッ! やめろ! ナハトに――俺の大切なものに触れるな!」

 黒雷の閃光で目を眩ませた隙にエントランスの大階段の陰にナハトを引っ張り込んだ。


「二度もこの私に――その首刎ねてやる!」

 黒刀をすれすれで回避したがナハトを助けようと俺の背後に跳んだティナの突きが脇腹を掠った。

「航! くそ……この子たち強い――ここまで俺についてくるなんて」

「天明! その双子と男二人任せられるか? リーゼントの方は存在を喰らう黒炎使い。能力発動時にオーラを纏う、オールバックの方は生物を圧殺する。予備動作はない、絶対に視界に入るな。二人とも眼鏡で視力を強化しているから並みだと思うな」

「そりゃまた……随分と難しい注文をするな――でも久々に再会した友人の願いだ、なんとかしよう! 隙があれば拘束する、それでいいか?」

 双子を大剣で払い遠ざけると大きな刃に身を隠しながら毒島の背後を取ろうとしている。

「ああ頼む! こっちもなるべく早く終わらせる」

「終わらせる? 人間風情が私たちに勝てるつもりか!」

「今の二人に何言っても理解してもらえないかもしれない。だからナハト、俺はお前を負かす。負かしてもう一度俺に惚れさせる」

「……汚らわしい人間が戯言を――やってみろ、この身は私より強いまだ見ぬ夫のものだ。貴様ごときに敗れるものか!」

 ナハトは俺に触られた事に怒り疑問すら投げ捨てて居るようだがティナの方は違和感を持ったようだ。ナハトが自分より強い男を夫にするというのはエルフの間で知れ渡っていても人間が知っていれば不思議に思うはずだ。

「っとに……ちょっと待ってくんねぇか――無理な相談か」

「ブスジマ様が直々に見てる前で敗北なんて許されないのよ。役立たずと見限られたら終わりなのよッ」

 アリスの大鎌をレーヴァテインで流すがその隙を狙ってフィオが距離を詰めてくる。そこを一網打尽にしようとナハトの炎が雪崩れ込んでくる。


 敵の城のエントランスは味方同士の乱戦で滅茶苦茶な状態を繰り広げていた。

「どうした! 私を負かすんじゃないのか! 出来もしない事を吐く惰弱な男ごときが……ふざけた報いは受けてもらうぞ」

 記憶を失っても経験は失われていないようで初めて会った頃とは違う格段に速い踏み込みで斬撃を放ってくる。ナハト特有の動きを流しきれずに受けて弾かれた先でティナの刺突の上を短剣とレーヴァテインで転がり押し倒した。ティナの方は内に湧いた疑問が足枷になっているようで精彩を欠いている。もしかしたら――。

「ティナ、着ているコートの紋章がなんだか分かるか?」

「紋章? こんなもの見覚えない……なんで私はこんなものを――」

「ティナから離れろ不埒者めッ! やはり、やはり貴様らは私たちエルフををするために襲ってくるのだ。忌々しい人間共め!」

 ティナにのし掛かってた俺の腹を蹴り上げて転がすとティナを引き起こした。ティナはナハトのコートにも目をやり次いで俺やフィオ達にも目を向けると何が正しいのか分からなくなった様子で後退った。

「隙あり、お前ら黒いの遠ざけろ!」

 嫌そうに導を一瞥するとフィオ達はナハトを蹴飛ばし遠ざけ足止めする。そして混乱しているティナを導の目が捉えた。

「させねぇよ!」

 巻き起こった黒炎からティナを庇いながら調度品の陰へと逃げ込んだ。ヤバいな……みんなを狙われると雷迅使ってても動きが制限される。しかも今ので左手に違和感が……すぐに振り払ったってのにこれかよ。

「あなた……なんで……?」

「大切だからだ。好きな女を守りたいのは男として当たり前だろ? 今俺を信じられなくてもいい、でもあっちの男たちの能力は警戒してくれ。ティナがぐちゃぐちゃに潰されるのも存在を喰われて虫喰い状態になるのも見たくないからな。頼む、余計なことはせずに自分の身だけ守っててくれ、対処法はさっきの聞いてただろ?」

「どこ、行くの?」

「ナハトを助けないとな? 記憶失っててもあの二人のコンビネーションは半端ないからな……ティナ、意味分かんないだろうけど俺たち家族だったんだぜ。そのコートはその大切な家族からの贈り物なんだ。今に疑問を感じるなら考えてみてほしい、信じてるぜ

「あっ、ちょっと――」

 警戒と嫌悪の視線――ああ、話してると泣きそうだ。敵の仕業と分かっていても誰も彼もが俺を覚えていない、大切な人達の記憶から存在を消される事がこれほど辛い経験だとは知らなかった。

「フィオアリスやめろ、ナハトは家族なんだぞ。フィオは家族欲しがってただろ? 同じ名字とかな。俺たちが――俺が家族だ。うちの名字は如月だ。こんなところで躓いてる訳にはいかないんだ。帰ったら二人とも如月フィオと如月アリスになるんだからな!」

『っ!?』

 毒島という恐怖に支配されながらもこの言葉は二人にとって衝撃だったらしく完全に動きが停止した。

『家族……? なにそれ…………?』

「っ! やめろナハト、二人は武器を下ろしてるだろ」

「黙れすけこましめ! 少しは、ほんの爪の先程くらいはお前の強さを見直してやったところだったのに……私の気持ちを返せ!」

「悪いな、返すどころかナハトの気持ちこころは俺が全部もらう」

「……ク、クク、クックククク、こんなに狂った人間は初めてだ。お前みたいな軟派な男に出来るものかッ」

 怒りに任せて加速し接近したナハトが一刀のもとに俺を斬り伏せるべく身を低くして抜刀した。フィオ達の横槍さえ無ければ――。

 横一文字に流れる黒刀の刃を伏せて躱し足を払って倒したナハトの左の首筋にレーヴァテインを向けた。

「俺の勝ちだ。もう一度俺の嫁になってくれ」

「ふざけるなッ! 私は傷一つ負っていない、こんな敗北があるものか!」

 焦り、苛立ち、不安、困惑、恐怖、そして感心だろうか。それらが綯い交ぜになったようにナハトは叫び黒刀を振るう。やっぱあの時と同じに意識を奪うしかないのか。

「ごめんナハト、少しだけ眠ってくれ」

 感情の乱れで粗くなった一刀を抜けて背後から抱き締めて意識を奪った。

「ティナ、ナハトを頼む」

「頼むってあなた……エルフを奴隷にしたいんじゃないの?」

「するかよ!? 言ったろ、家族なんだよ。人間もエルフも混血者も関係なくな、そういう関係だったんだぜ俺たち――だからさぁ、やめないか? 二人共」

 困惑から抜けた二人は武器を構えて俺を見据えている。

「訳の分からない事を言って……混ざり者に家族なんていない。ただ人間に使役される道具でしかないんだから!」

 相変わらず馬鹿みたいな速さで巨大な鎌を振り回す。回避も流す事も出来るがあのパワーだけは――大振りの隙をカバーするようにナイフと蹴りの連撃が来る。

 タナトスだけは警戒しておかないと、ここが終わりじゃない――まだ始まってすらいない。

 厄介だなあのガントレット……打ち合った瞬間に電撃を流す事も出来やしねぇ。

「もらったー!」

 もらっちゃ駄目じゃね!? 命じられたのは捕獲だろ。フィオの重い蹴りに打ち上げられた俺を追って跳んだアリスの一振りを剣二本で受けるが腕力の差はどうする事も出来ずに床へと叩き落とされた。

「あぁ~しんどい。やってくれるぜディーの奴……顔も知らんけど絶対にぶん殴ってやる」

「なにぶつぶつ言ってるの? あなたはこれで終わりよ。動けないように手足を折ってあげる」

 俺の背後に回ったアリスが逆に構えた鎌の峰で左腕を折りにきた。マズっ――まだ叩き付けられた衝撃から回復してねぇ――。


 左腕を折られるという刹那に右腕を掴まれて引かれた。必然狙いのズレた一撃はカラドボルグに当たり俺の手から弾き飛ばした。

「ティナ……? なんで?」

「知らないわよ! でもあなたを見てると心がざわざわするの――いいえ違うわね、辛そうな顔をしてそれでも戦っているあなたを助けたいと思ったのよ。端的に言うと惚れたのよ!」

「っ! はははははははっ! ティナっぽい」

 笑いがこみ上げる。記憶もないくせに、人間は敵って状態のくせに、それでも俺の味方をしてくれるのか。

「笑うことないでしょ! 私だって変だと思ってるわよ……こんな美人に惚れられたのよ? 小躍りしながら歓喜しなさい!」

「へいへい、嬉しくて泣きそうだよ……ありがとう」

「な、なにも本当に泣かなくても――可愛い子ね。あなたの背中は私が守るわ、思う通りに戦いなさい」

「それはいいがナハトどうした?」

「隠してきたから心配しないで集中しなさい」

「そんじゃま頼むぞティナ、こいつらの目を覚まさせる」

 ティナが加わった事に警戒を強める二人に対峙する。

 外でも戦いが続いてる。急がないと――。

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