口を開けた魔境

「帰りたい……というか帰してくれ」

「無理を言わないでください。そんな事をすれば私たちは首を刎ねられてしまいます。ご要望には可能な限り対応しますから我慢してくださいね」

 戦士には似つかわしくない柔らかな笑顔で微笑みかけてくる。アマゾネスの中ではリニスはかなり丁寧に俺を扱う、それには感謝しているがわんわん状態は辛いし飛び出してからそろそろ一日が過ぎようとしている、帰らないとまずいのだ。鎖を千切ろうとしても杭を抜こうとしても変化はない、何故剣を持ってこなかったんだ――って飛び出してきたからだ。自分の迂闊さに手を突いて落ち込む……今の姿はまさに犬、負け犬だろうな。

「あ~、元気出しなよ。危なかった娘も命は取り留めたんでしょう? もしかしたらもう目覚めてこの前の子供みたいに迎えに来ちゃったりしてね」

 だといいがな、ナハトのあの時の表情から考えて相当にヘビィな説明がされたって事で間違いないだろう。向こうの世界の医術で出来なくてもこの世界には覚醒者が居る、それでも尚可能性が低いと診断されたって事は簡単な事じゃない。ずっと待ち続ける覚悟だって必要だろう、だというのに俺は目覚めてからまだ一度もミシャに会っていない――。

「……お腹が空きましたね。何か希望のものはありますか?」

 腹が減ってはなんとやらとは言うが、正直そんな気分じゃない。目覚めないって事はミシャは食事すら出来ない、そんな事を考えると食欲など失せてしまう。

「ロフィア様は本気で悩んでおられます。共闘となれば直にワタルさんも解放されるでしょう、協力を申し出る相手の戦力を捕らえたままで話すという訳にはいかないですからね。それまで辛抱してくださいませんか?」

「俺は、帰る……う~……がーっ! くそっ! 何なんだよこのぶっとい杭は!? こんなもんぶっ刺すとか頭おかしいんじゃねぇの」

 鎖を引き杭を蹴り八つ当たりを繰り返す。本当にどうなってるんだ、全く、これっぽっちも動かない。

「頭おかしい…………」

「落ち着いてください! 室内で雷は止めてください! ロフィア様はそれほど長考なさる方ではありません。普段は即断即決が信条な方なので待つと言っても一日くらいなものです。どうかそれまでは――」

 舌打ちをして床に座り込んだ。力じゃどうにもならないのは分かった。なら電熱ならどうか……? 鎖を電熱で溶かす――無理だろうな。首輪も金属だ、溶けるほどに電熱を溜めれば首が爛れるくらいでは済まないだろう。負傷者が多いんだ、これ以上怪我を増やす訳にはいかない。結局ロフィアを待つしかないようだ。

「アリシャの能力は生物を治したりは出来ないんだよな?」

「……うん、無理。生き物に直接変化を与えるようなものは口にしても発動しないんだ。何度も試したから練度の問題でもないと思う」

 頭おかしい発言で落ち込んでいるアリシャの能力を再度確認するがやっぱりミシャを治してもらうのは無理か。俺に出来る事は何かないのか?

「ワタルさん、何かご要望はありませんか?」

「ミシャを治してくれ」

「……そちらの治癒能力者より優秀な能力者はまだアマゾーンにはおりません。だから残念ですけど――」

「俺を解放しろ」

「……ごめんなさい。他は――」

「無い」

「…………慰めは、必要ですか?」

 僅かに緊張した様子でリニスがそう口にした事でアリシャも顔を強ばらせた。そんなものをさっき会ったばかりの人間に求めるものか。俺は女好きなのかもしれないが薄情者ではない。こんな時にそんな事――。

「要らん、ほっといてくれ」

 そう言ってやると安堵と……あれは、僅かの……不満のようなものが入り交じった何とも言えない表情をしてリニスはアリシャと小声で何事かを相談し始めた。


「ん~? ここか? ――っ!お~っ! ワタル君じゃないか、なんでこんな所に居るんだ? あたしを迎えに来てくれたのか? 嬉しい~。それにしてもなんだこれは、家の中に妙なオブジェだな、というか邪魔だぞ」

 ロフィアを待ち続け苛立ちを募らせていると突然扉が開き顔を覗かせたリュン子が俺を見つけて顔をほころばせながら駆け寄ってきた。

「なんだこの鎖、これに繋がってるのか……そいっ」

『っ!?』

「馬二十頭分の重さの杭が子供に抜かれた!?」

「あなたは何者です!?」

 俺に飛び付こうとして首から垂れる鎖に気付き顔を顰めたリュン子は杭に抱き付くと一気に引き抜いた。開いた口が塞がらないとはこの事だろう、アリシャは呆然としリニスは目を見開きながらも警戒を露にした。深々と突き刺さりびくともしなかった物を軽々と……なんて怪力……力だけならフィオ達を余裕で凌ぐな……リュン子怖っ。

「何者って、レーヴァテインを見てお前達が製作者に武器を発注したいって呼びつけたんじゃないか。そんな態度なら注文受けないぞ――っ!? わわ、ワタル君!? どうしたの急に、あたしは嬉しいけど人前でこんな急に」

「助かったリュン子、ありがとう! 俺は帰る、あとよろしく!」

 リュン子を抱き上げて一頻り振り回すと解放して雷迅で飛び出した。アリシャは驚きから覚めておらずリニスもリュン子への警戒で引き止めるのに遅れた。あとは全速力でアマゾネスの村を駆け抜ける。疲労や負傷がどうとか言ってられない、次に捕まったらもっと厳重に拘束される可能性だってある。帰り着いてぶっ倒れてもいい、全力だ――いや、やっぱ倒れたら駄目だ。ミシャ達に会いに行かないと。

 ファーディンを倒した事でアマゾネスの意識にも変化があったようで村にいくらかこちら側の人間が入り込んでいるようだ。ロフィアの態度から考えると交流すらも難しいように感じていたが、険悪な空気もなく明るい雰囲気でアマゾネスと言葉を交わしているヴァーンシア人や日本人を見かける。なんだよこれ、こんな普通にしてられるなら俺も捕まえなくてもいいじゃないか。最初からこうなってれば無駄な諍いをする必要もなかったのに――。

「あっ、如月さんも来てたんですか! ちょっと聞いてくださいよ――」

「今忙しいんでさいなら!」

 ラビと親しげに並んでこちらに呼び掛けてくる宮園さんを素通りして村を飛び出して拠点を目指した。


 しかし拠点へと帰り着いた俺に待っていたのは無慈悲な現実だった。

 戦力外となったミシャは既にこの大陸から離れクロイツにある自衛隊の駐屯地内の病院へと移っていた。これは別にいい、当然だ。少なくともすぐに目覚める可能性がないんだ、戦場から離すのは当然だし俺だってそれを望む。俺が納得できないのはミシャに会いに行けないという事だ。今回は被害も多く当分の間は先へは進めないだろうと思っていた。ならその間ミシャの傍に居たっていいじゃないか、そう思うが二人の人物がそれを許さなかった。一人はクロイツの騎士団の団長、そしてもう一人はミシャの親父さんだ。ドゥルジがナハトの炎でかなりの深手を負っている事を考慮し敵の幹部クラスを削ぐ為にも補給を済ませ次第進撃を再開すべきというのが団長の考えで、多国籍軍の指揮官も概ねそれに同意している。そしてミシャの親父さんは娘を傷付けた俺を絶対に許さない、今後一切俺が近付く事を禁ずるとみんなに伝えて帰っていったそうだ。恨まれて当然だが……それでも俺はミシャに――。

「会いたい」

「我慢なさい、ミシャだって本当はワタルに会いたいはずよ。でもミシャのお父さんの気持ちも分かるし、それに今回は敵を取り逃がしてるの、いつ反攻に出てくるかも分からないわ。またあの死体の群れが増え続ける連鎖は絶つべきでしょう? ミシャの事はリオ達に任せなさい」

「でもティナ、俺ミシャにお礼も言えてない」

「もぅ……そんな顔しないで、ミシャも悲しむわ……そうね、強く想ってあげて。いつも私たちを想ってくれている以上に強く。そして祈って、ミシャが笑っている未来を。それがワタルがミシャに出来る唯一の事よ」

「そんな事だけ、なのか……?」

「あら、思いは馬鹿には出来ないわよ。ワタルはその強い思いで今まで守って、生き延びて来たんじゃないの? だったら信じて、そうすれば、ミシャだって目覚めるわ――もさ達だって居るんだから、そうに……決まってるわ」

 俺に言い聞かせながら自身にもそうしていたのかティナは言葉にするごとにその表情は不安から確信へと変えていった。

「そう、だな……わかった。俺も信じる。眠り姫を起こすのは少し先だ、もうミシャを戦場には連れていきたくないし、この世界から戦場を全てなくす」

「そうよ、その意気よ!」

 ミシャ少しだけ待っていてくれ、なるべく早く終わらせる。思いは熱となって全身に広がる、踏破した結界は三つ、あと少しで終わるんだ――違う、なにがなんでも終わらせる。誓いを胸に先へ進む事を決意した。


 補給と整備、失った人員の再編の完了を三日後としてその後すぐに出発する事が通達された。

 白穢病の患者はかなり減ったがそれでもまだ完治していない者も居る、そういった人達はここの拠点に残り完治後に合流となるそうだ。紅月や優夜もそこに含まれる、天明は身体強化の能力が関係しているのか予想されたよりも早くに回復して出発には間に合うようだった。ドラウトの騎士団的には一安心だろう、良くも悪くも天明を頼り支えにしている人が多い分天明の回復で士気は上がっていた。

「フィオ~、アリス~、調子はどうだ?」

「良い、出発には間に合わせる」

「間に合わせるって……自分の意思で病気がコントロール出来るなら誰も苦労しないって」

「私は間に合うはずよ。抗体っていうのがいっぱいあって回復が早くなってるんだって」

 元々は完治目前だったからかドゥルジが弱っているからなのか、アリスの回復は前回に比べて早かった。たしかに見た感じ白化箇所は無いような気がするな……それを言えばフィオもあれだけ白化していたのに今は殆ど見受けられない。やっぱこの娘は規格外って事なのかなぁ…………。

「ワタル、元気?」

「ん? ああ、ようやく怪我も治してもらったし大丈夫だぞ」

「……そうじゃない。来て」

 頭に疑問符を踊らせながらフィオのベッドの脇まで行くと手を引かれて頭を捕まえられた。胸に抱き頭を撫でるフィオは母性のようなものを醸し出している。俺の弱さは知っている、か。

「ミシャの事か?」

「ん、大丈夫?」

「大丈夫じゃないって言ったら?」

「いっぱい撫でていっぱいちゅーする」

 目を細めたフィオが冗談めかしてそんな事を言った。ちょっと魅力的なんですが。

「……大丈夫じゃない――」

「ワタル!」

 顔を赤くしたアリスに睨まれる。大丈夫なのわかってるんだろうな、フィオの方も確認したかっただけなのかもしれない。

「冗談だって、大丈夫だ。ちゃんと飲み込んだ、この戦いを終わらせてから会いに行く」

「そう……頑張ろうね」

「あーっ!? 結局ちゅーしたーっ」

「一回だけ」

 軽く触れるだけのキスをするとフィオは照れくさそうにチロリと可愛らしい舌を見せるのだった。


 出発前日、炎が全身を包み揺らめく、だがこの炎は俺を焼く事はない。ナハトの新たな力、ナハト自身は当初単に燃やし分けられる炎だと考えていたらしいが悪魔であるドゥルジへの効果の高さと奴自身の『聖火』という発言で思っていた以上に特殊な炎だと認識したそうだ。ドゥルジとの戦闘では聖火を駆使してあと一歩というところまで追い詰めていたらしい、だが聖火の使用は負担が大きいらしくドゥルジを燃やしきる前に力尽きた。ドゥルジはナハトが聖火の扱いに慣れていないのを見抜いていたようで守りに徹し全身が黒焦げになっても耐え続け逃走の体力を残しナハトが限界を迎えた瞬間逃げ去った。逃走は許したがドゥルジの装身具に生き物をゾンビ化させる力があったらしくそれを破壊した事でゾンビ騒動は収まったようだ。

「ナハト凄いな、全く熱くない。こんな炎の中に居るのに毛布にくるまっているような温かさだけだ。面白い体験だ」

「分かったからもう出ろ、私はワタルで試したくなどなかったのだ。なのに自ら炎に飛び込むなど…………」

 ドゥルジ戦からの数日で燃やし分けの精度は上がり、物であれば完璧と言っていいほどになっていた。あとは生き物でも大丈夫か確認する必要があると聞いて被験者を買って出た。ナハトは渋っていたし成功した今も渋っている。扱いが難しくコントロールがまだ不十分だというのが理由らしいが、俺はナハトなら絶対俺を燃やさないと確信してたからなぁ。

「俺はナハトなら大丈夫だと信じてたぞ?」

「うっ……嬉しいが本当に難しいのだ。まだ危険かもしれないから出てくれ、自分の炎でワタルを焼くなどあったら立ち直れない」

「いつになく弱気だな、平気だと思うんだけどなぁ」

「私の制御を離れても尚聖火として私が決めた対象以外を焼かない事もあれば制御を離れた途端に普通の炎のように無差別に燃え広がる事もある、扱いが難しい分集中力の持続にもまだ不安があるんだ。だから今日はこれで終わりだ。だがこれで生き物にも対応出来ると分かった、ありがとうな」

 何を照れているのか頬に朱が差している。年上のお姉さんだというのに可愛らしい女の子のような照れ顔が妙に面白かった。

 邪悪や不浄を焼き払う聖火か……ナハトの負担になってしまうがこの先更に別の悪魔が現れても対処しやすいのは大きな力になるだろうな、俺も頑張らないと。


「なんでこうなった…………」

「何が不満だ?」

 行軍中の車中、ロフィアが何の問題がある? とでも言いたげにこちらに視線を向ける。不遜な態度で足を向けられていれば誰だって不満だろうよ。それに両脇に居るフィオとアリスが殺気立っていて戦闘よりも疲れそうだ。まさか本当に出発に完治を間に合わせるとは……治ってくれた事は素直に嬉しいが――。

「そっすよ、何が不満なんすか。そんな羨ましい状況で」

「そうだそうだ、愛する者から引き離されてる俺たちに比べたら幸せ過ぎでしょうよ。ま、それでも俺たちは幸せですが」

『異世界最高!』

 前を見ろ! ハンドルを握れ! 運転席と助手席でハイタッチを交わす二人、元気な人達だ……西野さんは分からんでもないが、宮園さんはあんな扱いを受けていたのにラビでいいんだろうか? さっき聞いた話では正式にラビとお付き合いを始めたとか……俺も大概だが戦地でなにやってんの。

「主、こやつ喰ろうてよいか?」

「なら私が細かくする」

「私も手伝うわ」

 クーニャの不穏な発言に同調するようにフィオとアリスが得物に手を掛ける。それに反応してイェネがナイフを抜き放った。

「やめなさいイェネ」

「あ゛あ゛? 何をやめろって? その言葉はこの愚かなガキ共に言うべきだろうが」

『ガキ…………』

 このお馬鹿女! なんで自ら地雷原に飛び込んでんだ!? 飛び出さないように両脇の二人と膝に乗るクーニャを抱き締める。あかん……三人とも俺が目を抉られた件とロフィア達の態度で完全にキレてる。

「落ち着け、今は一応仲間なんだぞ」

 男への態度を軟化させた(らしい)ロフィアは指揮官たちと共闘の交渉を行い現在に至るが……どこが軟化してるの!? リニスの嘘つき!

「そういう事だ。残念だったな子供」

 こいつも地雷原に飛び込むのか!? なんでこいつら同じ車両なんだよ、おかげでナハト達は不満たらたらだったし、分けようぜ。こいつアマゾネスの頭だろ、こんな先頭に近い場所に居ていいのか?

「ふんっ、子供のくせに態度がなっていないな。主、やっぱり喰ろうてよいか?」

『なら私たちが――』

「あはは、面白いお嬢ちゃんたちね。ロフィア様を子供扱いなんて、でもそれ一番逆鱗に触れるからよした方がいいわ。それにしても馬とは乗り心地が全然違うのね」

 エピは心底おかしそうに笑っているが全然笑い事じゃないんですけど、信頼されてる近衛ならなんとかしてくれ。

「妾が子供だと? 笑わせてくれる。どこをどう見れば十七の妾が子供に見えるのだ? 医者に診てもらった方がいいのではないか童よ」

『十七っ!?』

 ロフィアは俺たちが驚いている事に多少の不満を見せつつも勝ち誇ったようにドヤ顔だ。驚いているのは思いの外年下だったからなんだが……フィオとアリスは悔しげに胸元をペタペタしている。(これが余計にロフィアを勝ち誇らせた)体型など気にしないクーニャだけが鼻で笑っている。

「ふん、その程度がなんだ? 儂など年が分からぬほど生きておるぞ」

 満を持してそう言い放ったクーニャだったが微笑んだリニスに軽くあしらわれてしまった。

「そうなの、お嬢ちゃんは凄いのね」

 リニスの対応でロフィア達は一切信じた様子がなくなりクーニャの機嫌は悪くなる一方だった。

「暢気っすね~、一応既に新しい結界内なんですけど――ま、無人機と千里眼で偵察した限りでは敵影無しなんですけど」

 俺たちは順調に進んだ――順調過ぎる程に敵に遭遇する事なく敵陣の深くまで入り込んだ。森を抜けてすぐから左手に見えていた超巨大湖が途切れてそこから伸びた川が行く手を塞ぐのが見え始めた頃、突如として人外魔境が俺たちの前に広がった。

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