幻視

 さっきの声の主は確実に優夜たちの様子がおかしくなった原因だ。試す? 何を仕掛けてくる気だ? 優夜たちの変化を考えると精神に影響を及ぼすモノ、精神操作の様な能力で俺を自分の手駒にする? 優夜たちは俺と姫様を別の存在と認識していたから幻視を見せる能力も持っているのか? 能力が複数あるのか、影響を及ぼしている存在が複数なのか…………。


「ワタル? 大丈夫? さっきから様子が変よ」

「今はなんとか、ただ、優夜たちに影響を及ぼしてる魔物が接触して――っ!? うわぁああああああああ! く、来るなぁああああああ!」

 声のする方を見てそれの存在を確認したと同時に、俺に縋り付いているそれを押し退けた。

「きゃあっ! もう! どうしたのよ? ワタル、急になんなの?」

「ハァ、ハァ、ハァ…………」

 なんであの娘がここに居るんだ!? あの娘は死んだんだ、魔物には死者まで動かす能力があるのか?

「ワタル? あなた本当に様子が変よ、なにかあったの?」

「来るなっ! 来ないでくれ!」

 死んだんだ、君は死んだ。あの時と同じ状態の少女がこちらを虚ろな瞳で見つめている、内臓を締め付ける様な感覚に襲われて吐き気が上がって来る。なんでここに居るんだ? あの時村のおっさん達に連れ帰ってもらってその後埋葬した。村を出る時に骨壺を掘り返して連れて来たけど、ここには骨壺を持ってきてなんかいない、なんで急に!? 俺に恨み言を言う為に姿を現したのか? 目を逸らしたいのに逸らす事が出来ず、痛々しい姿を凝視する。

 肉の削げた頭部と胴体、腹は裂け内臓が引きずり出された様に飛び出て、辛うじて皮一枚で繋がっている様な状態の左腕と右脚に絡んでいる。なんでこんな……。


 あの時何もせずに立ち去った自分の罪を突き付けられて、頭を思いっ切り殴られた様な衝撃で眩暈がして、胸を刺す痛みに身体が支配される。さっきの、優夜が言った、魔物に日本に帰してもらうってのを否定したからか? 帰れるかもしれないチャンスを選ばなかったから現れたのか? 帰れるとしても、この世界の大勢の人の生活と引き換えにだ。俺には出来ない、これ以上誰かの人生を狂わせる罪を負いたくない、そんなモノ耐えられない。


「ワタル、顔が真っ青よ。あなたには今何が見えているの? 私の事はちゃんと分かる? 私はティナよ。さっきまで一緒に居たでしょう? テラスでお茶して、その後修練場で戦って、さっきまで氷と冷気を操る子を止めようと一緒に戦っていたでしょう? 分からなくなっているの? 私が別の存在に見えているの? 声は聞こえてる? 私はティナよ、私はあなたを傷付けないわ。だから落ち着いて」

 どう見てもあの少女の亡骸にしか見えない存在が、自分は姫様なんだと主張してくる。落ち着け? こんな状況で? 無理だ、俺は自分の犯した罪の結果をまざまざと見せつけられて平静を保っていられる様な強い人間じゃない。胸を刺す痛みは増していくし、吐き気も増して呼吸もし辛い。


「ワタル――」

「来るなっ! 頼むから、来ないでくれ。自分の罪くらい分かってる、俺があの時行動してたら何かが変わってたかもしれない、君は死なずに済んだかもしれない。そんな事何度だって考えた、寝ていてもあの時の光景が何度も繰り返し夢で再生される、贖わなくちゃいけないのも分かってる。帰すから、ちゃんと帰すから、だから…………今は消えていてくれ」

 骸の少女が近付こうとしたのに反応して全身を帯電させて拒絶を示す。

 分かってる、苦しかったのも、辛かったのも、痛かったのも、怖かったのも、あいつ等から聴き出して分かってる。自分の居場所から突然引き離された悲しみも分かってる、だからこれ以上俺を追い込まないでくれ、必ず帰すから、だからこれ以上は止めてくれ、気が狂って頭がおかしくなりそうなんだ。


『ならば、行動して示してみよ、邪魔な者を排除して封印石を壊してみせろ! 俺をこの忌まわしい地から解放すれば元の世界に帰りたいという貴様の望み、叶えてやろう』

 声が頭の中に響く、俺に封印石を壊せと命令してくる。

 それをしたらこの世界の人が……大多数の人間なんて知らない、でもあの村の人たち、ミンクシィの人たち、そしてリオ、俺に優しくしてくれた人たちの不幸を望むなんて出来ない。

『貴様も怯者か、やはり人間など役に立たぬか? なら動かざるを得ぬ様にしてやろう、こいつらは殺したくて仕方ないだろう?』

 っ!? 声がそう言ったと同時に、目の前に居る存在が少女の亡骸から糞親父に姿を変えた。いつの間にか忘れていた殺意が甦ってくる、もう俺の中から消えたんだと思っていた。

 もちろん許しはしてないけど、もうどうでもよくなって失われた感情だと、でも確かにこいつは殺したくて仕方がなかった奴だ。姿を見た瞬間にどす黒いモノが溢れてくるのが分かる。


「わた――」

「っ! 気安く俺の名前を呼ぶなぁあああああ!」

 気付いた時には電撃を放っていて、奴は俺の目の前に倒れ伏していた。殺した? 憎く、腹立たしく、昔は毎日こいつとその両親を殺す事だけを考えていた。それを殺した…………。

「うっ……ぅ、ワタ、ル…………」

 まだ生きて――っ!? 今一瞬奴の姿に姫様の姿が重なって見えた。何が起こっている? …………そうだ、魔物……声の主は対象の見えているモノを別のモノに認識させる事が出来た…………なら俺が攻撃したのは糞親父じゃなくて姫様?

「姫様?」

「気付い、たのね……まったく、死んじゃって、たら、どうする気、だったのかしら?」

 糞親父が姫様の様な口調で、姫様の声で喋る。なんで疑わなかった? 可能性は考えられたはずなのに…………。

「姫様、状態は? 俺、今姫様が別の人間に見えてて、少しでも気を抜くとまたそいつだと思い込んでしまいそうなんです」

「あまり、良くはないわ。身体が痺れて上手く動かないみたい。他のモノはどう? 別のモノ、変なモノに見えてたりする? もし、他に異変が無いのなら、あっちの二人を止めて、今は冷気も氷槍も止んでるわ。捕まえるなら今しかないの」

 そう言われて、岩陰から後ろを確認したら噴き出す冷気も氷槍も止んでいた。周囲を見回してみても特に異常なモノは見えない。姫様の姿だけが別のモノへと認識させられている、気を抜けばまた殺意が溢れて攻撃しかねない。離れないと、ここに居たらマズい。次は止まれる自信がない、それに優夜たちを捕まえないと。


 岩陰から出てかまくらに近付いて、帯電させた剣で斬り裂く。早く捕まえて終わらせないと、まだまともな判断が出来る内に、これ以上自分が異常な状態になったらさっきの優夜みたいに無差別に暴れかねない。

「優夜、大人しく――っ!?」

「っ! 僕たちに構うなって言っただろっ!」

 放たれた冷気に電撃をぶつけて防いだ。あ~あ、まただ、今度は優夜があの奴隷商に見えてる。手を繋いでいる相手は瑞原なんだろうが、まだ無傷な状態のあの少女に見える。声の主は『こいつらは』と言った。だから他も変化していると考えるべきだった、わざわざ瑞原を無傷の状態の少女に変えて見せてるのは、早く殺さないとまた繰り返される、と焦らせて殺意を助長させるためか?


 本当に気が狂いそうだ、心が奴隷商を殺せと、少女を助けろと叫んでいる。それを理性がこれはまやかしだと抑え付ける。駄目だ……殺意が増してくる、あの時助けられなかった後悔と苦しみが、今ならやれるという意識を膨らませる。この状態でちゃんとした力の加減が出来るのか? 少しでも殺意に傾けば殺してしまいかねない、そんな状態で気絶に止める事が出来る、って自信は無い。

 マズいな、優夜たちの方も俺が別の存在に見えてるんだろうし、精神にも影響を与えられていたら俺の言葉が届く可能性も低い。俺自身も上手く喋れるか怪しいものだ、感情が殺意で埋め尽くされていく様な感覚、早く奴隷商から少女を引き離さないとまた同じ後悔と罪の苦しみを背負う事になるという焦りが俺を動かそうとする。

「また航と同じ能力……なんなんだよお前はぁああああ!」

「っ!」

 優夜が放った冷気を、自分の周囲に電撃を障壁の様に張り巡らせて防ぐ。こんな使い方も出来るのか…………この方法なら俺でも対抗出来そうだ。

 相手が攻撃してくるんじゃこちらも能力を使うしかない、でも使えばつかう程に殺意を抑え込もうとしていた理性が薄れていく気がする。


「防いだ? なんなんだよさっきからお前は! 僕たちの邪魔をするな! 僕たちは帰るんだ! 日本に……そうだ、封印石を壊さないと、約束を果たさないと帰してもらえない…………」

 そう呟いた優夜が氷槍を生成して封印石へ放つ。それに合わせて優夜と封印石の間に入って氷槍を斬り裂く。

 本当に良い剣だ、俺なんかの力でも氷槍を破壊出来るし、ナハトが頼んでくれて付加してもらった紋様のおかげで実力以上に動けもする。能力を使うと理性が削られるのなら、極力使わず二人を捕まえるしかない。異常な状態だったから殺しました、なんてのは御免だ。

 誰かの死を背負う様な事を繰り返して堪るか!

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