金烏

野月よひら

01


 夕焼け小焼けで日が暮れて

 山のお寺の鐘が鳴る





 車を降りると、蝉時雨が和也を包み込んだ。


 駐車場の、灰色のコンクリートは、卵を落とせば目玉焼きが焼けるのではないかと勘ぐるくらいには熱されている。

「あっちぃ……」

 冷房で慣らされた体が悲鳴を上げていた。一気に吹き出した汗は、拭えど拭えど止まるどころか更に吹き出す始末である。


 夏休みを利用して、母の実家に遊びに行くのが和也の常であった。

 車で、約二時間半。同じ関東地区でも、ここまで来るのはちょっとした小旅行だ。

 車窓から見える景色は長閑なものだった。田圃には、稲がその実を膨らませて風にそよいでいる。茄子や、トマト、トウモロコシがたわわに実った広い畑。

 長い上り坂をぬけ、左に曲がり、少し走らせたところに、母の実家があった。

 平屋建ての家は、達也のそれよりも随分広い。

 車に鍵をかけ、両親は早々と家に入った。妹の南もちょこちょこと後を着いていった。

 和也は大きく伸びをする。

 ずっと同じ姿勢で固定されているのも、疲れるものなのである。

 くるりと振り返ると、緑の稜線が、目に眩しい。その山間から、ちらりと入道雲が覗いていた。


 暑い。


「よう」


「わ!」


 声をかけられて振り返ると、真っ黒に日焼けした顔と目が合った。

「タツ兄!」

「久しぶり」

 従兄の達也だ。去年見た時と違って、随分と日に焼けている。

 達也は、母の姉、伯母夫婦の一人息子であった。若い頃に家を出た母と違い、伯母は家業の農業を継いだのだ。

 中学二年生。和也の二個上であった。


「上がれよ。スイカ冷えてっから」

「おう」


 縁側に腰掛けて、和也はスイカにかぶりつく。じゅわりと染み出た瑞々しい果汁が口の端から零れ、喉を伝った。

「んめえ」

「な」

 達也も同じようにかぶりつき、器用に種を庭に吐き出した。

 南は顔中べとべとにしながら夢中の体で食べている。

 居間から歓声が聞こえてきた。どうや母校がヒットを打ったようだ。

「相変わらずだな」

 顔を見合わせ、苦笑いする。

 甲子園好きの親たちには申し訳ないが、和也は野球にはそこまで関心がない。どちらかというとインドアで、家で本を読んだり、ゲームをしたりする方が性にあっていた。

 達也も、中学に入ってからはサッカーに執心しているというのだから、なんとも名前負けな二人であった。

 妹の南が、マネージャーになることを、両親は早くも期待しているようである。

「そうだ」

 達也が唐突に声を挙げた。



「見つけたんだ、俺」

「何を」

「じいちゃんの、アトリエ」


 こっそりと、囁くように告げられて、和也は、思わず瞠目した。

 達也と和也の祖父は画家で、既に故人である。とはいっても、和也は小さい時にちらりと姿を見た限りで、ほとんど面識がないと言っても過言ではなかった。

 随分と変わり者であったのだ。たまに会ってもむっつりと黙りこくり、いつも変な匂いをさせていた。和也は幼心に、嫌われているのだと思い、密かに傷ついていたのだが、後から聞くとそれが通常であったのだというから驚きである。


 祖父は、ほとんど家には帰らず、どこかに構えたというアトリエに籠り、ひたすら絵を描いていた。

 そのアトリエの場所は、家族も知らなかった。祖父はアトリエの場所を知られるのを異様に警戒し、画商は勿論、長年連れ添った祖母にすら、話したことはなかったのだと聞いている。


 そんな祖父が亡くなったのは二年前であった。家の前で倒れていたのを発見されたのである。心臓麻痺であった。

 葬儀を済ませた後、家族総出でアトリエの場所の情報を、探しに探し、そして諦めた。


「きっとじいちゃんのお導きだよ」

 祖母がため息まじりにつぶやいたのを、和也はよく覚えている。

「探すな、っていうことなんだろうねぇ」

 結局、そのアトリエに関する情報は、一切掴めないままであったのだ。

 しかし、この従兄あには、その場所を見つけたのだ、という。

 本当なのだろうか。


「どこにあったんだよ」


 そう尋ねると、達也はにやりと笑い、顎で後方をしゃくった。

「え」

 意味深な笑みに、和也は青ざめる。

「もしかして」

「おう」

「タツ兄、入ったのか!?」

「おい! 声がでかいぞ!」

 和也は慌てて口を押える。幸いなことに、甲子園の歓声にかき消され、その声は両親たちまで届かなかったようであった。

 彼が示す方には、裏山があるのだ。小さなこんもりとした山であるが、いわゆる『禁足地』というものらしく、足を踏み入れてはいけないと言われている場所であった。和也も、両親や、伯母夫妻から耳にタコができるくらいに忠告されている。

 当然、達也もそうであるはずだ。

「今から行こうぜ」

「はぁ!?」

「なに、もしかしてビビってんの」

「ちげえよ!」

「じゃ、決まりな」

 達也は、にんまりと笑った。





 裏山はこんもりとした円錐状の形をしている。それほど大きくはないが、ほとんど人が立ち入らないこともあって、道という物が存在しないに等しかった。


 藪をかき分けて二人は進む。


 午後の陽ざしも、茂った木々に遮られて、幾分その強さを和らげている。落ち葉の積もった土に、柔らかく降り注ぐ木漏れ日。

 油蝉は鳴りを潜め、ツクツクボウシの物悲しい声がじゅわりじゅわりと響いている。

 先頭を歩く達也に置いて行かれないように、和也は歩く。

 ふかふかの土だ。靴が沈むようなその感覚が新鮮だった。

 どこかに湧水があるのかもしれない。水の音が微かに聞こえる。


 鳥の鳴き声。

 木々をわたる風の音。

 二人分の足音。


「ついた」



 そのアトリエは、木々に溶け込むように佇んでいた。



 洋風のコテージである。

 元は白いペンキで塗られていたのだろう、その外観は、木製ということもあるのか、劣化が激しい。剥げかけたその白の上を、緑の蔦がびっしりと覆っている。

 扉は茶色の木製で、丸い曇りガラスがはめ込まれていた。

「ほら」

 達也は指さした。

 その硝子窓の下に、赤で描かれた家紋のようなもの。

「じいちゃんの、雅号だ」

「ガゴウ?」

「ペンネームみたいなもん」

「へえ……」

「お前、知らないの?」

「俺、じいちゃんに、あんまり会ったこと、なかったし」

 家孫と、外孫の違いは、こういう所で如実に出るのだろう。

 そうか、と達也は頷いた。

「じいちゃんの作品にはみんなこれがついてる」

 大きな丸の中に、図案化された鳥が飛翔している。カラスのようだ。大きな翼を広げ、今まさに飛び立とうといった風情である。

 文字というよりは絵のようなそれを見て、和也は首を捻った。

「これ、読めんの?」

「キンウ、だって」

「キンウ? なにそれ」

「俺に聞くなよ」


――あれ?


 違和感を覚え、和也は目を瞬かせた。


 足が、一本、多い。


「タツ兄、これ」

「ほら、行くぞ」


 和也の訴えを無視するかのように、達也は扉に手をかけ、ゆっくりと、押した。錆びた金属特有の音を発し、じわじわと開いていく。

 光が、暗い部屋の内部を四角く切り取り、少しずつ面積を広げていった。


 中は、広かった。


 入ってすぐは小さいホールのようになっている。吹き抜けの広間の、その中央には上へと続く大きな階段。一度踊り場を挟んで左右別れ、更に上に伸びている。その先は、闇に沈んでいて良く見えない。恐らく、二階部分は回廊のようになっているのだろう。


「……すっげぇ」


 達也が、口をあんぐりと、開けている。それを見て、和也は首を捻った。

 この反応は、怪しい。

「タツ兄、一回来てるんじゃねえの」

「いや、正直に言うと」

「なんだよ」

「中に入ったのは、今日が初めてだ」

「は……はあ!?」

 バツの悪そうな顔をする達也に、思わず突っ込んだ。


 そのときだった。


「――え?」

 階段の踊り場。その上半分が闇に沈んでいる。

 その闇にまぎれるようにして。



 足が。


 ちらりと、見えた。


 裸足だ。

 膝小僧から下の、やせ細った。


「おい、どうした」

 和也は瞬いた。


――いない。


そんなはずはない。さっきまでそこの、踊り場の上に。


「誰か、いる」

「はあ?」

「今、そこに、足が」


「お前、やめろよな~」

「え」

「そういうこと言ってっと、本当に出んぞ~」

「ちがう、タツ兄」

 達也は笑って取り合わない。

「ほら、行くぞ」

「あ、タツ兄!」

 こんなところで、置いて行かれたらひとたまりもない。


――きっと、見間違いだ。


 達也はずんずん中へと入っていく。


 仕方ない。


 和也もは恐る恐る、と言った風情で中へ足を踏み出した。




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