止まるローゼ、昇るミスト



 否定的な会話だったとはいえ、話し相手を得たことでローゼは幾ばくかの落ち着きを取り戻した。E:IDフォンを手に取り、祐樹がそうしていたようにリストバンドを腕に巻き付け、出発の準備を整えていく。

 まずは脱いだドレスを収納したい。だが、取り出す動作は経験があるのだが、仕舞う方法はよくわからない。見よう見まねで選択項目を立ち上げるが、祐樹の国の言葉で綴られており、まったく意図が掴めなかった。


 困ったな、あまり時間をかけたくないのに。


『あーあ。E:IDフォンに閉じ込められるとか。

 ピネガーちゃんってばつくづくあの学園との因果ヤバいわー』

 ピネガーと名乗った、妖精のような姿の未来のアチートが、いつの間にやら肩に乗っかって物思いに浸っている。

 もしかしてこいつが使えるんじゃないか?

「ピネガー、ドレスを片付けたいの。

 できるかしら?」

『え、ああ、うん。おっけー』

 すると彼女は存外素直に指示を聞いてくれた。

 やはり、ローゼには敵意は無い様だ。

『えーっと、これをこうして、っと!』

 思った通り、E:IDフォンは彼女の制御下にあるらしい。ピネガーはなにやらブツブツ呟く。と、ピーっという甲高い音が響いて、ドレスが消滅した。

 うまくいったようだ。

『ふふん、ちょろいちょろい』

「そこのバスタオルもお願いね」

『えー? タオルぐらい捨てとけばよくない?』

「未来のタオルはこちらのものとは比べ物にならないくらい質がいいの。

 ちゃんと回収しておかないと、あの人が入浴するときに困るわ」

『〝あの人〟ねぇ……』

 不服を滲ませながらも、ピネガーは指示を果たしてくれた。

『ねぇローゼちゃん、祐樹クンはお亡くなりになったんですけど。

 ピネガー的には現実逃避はほどほどにしてほしいけどなー』


「いいえ。彼は生きているわ」

 ローゼには確信があった。

「あれは〝スパイダーギャザー〟。

 人を誘拐して、その魔源を吸い尽くし、他の動力に転用するための魔物よ」


 魔物は本来、生物の形状をした魔法兵器だ。

 古来から戦争の度、開発、製造された。野生化したものは手に負えない数が野放しになり人を襲っているに過ぎない。そして兵器である以上、何らかの目的を持って活動している。スパイダーギャザーは戦場で敵兵から魔源、すなわち命という動力源を回収する目的で造られたと言われている。集めた動力で他の魔物を補給し、敵が壊滅するまでは半永久的に戦いを続けられるように設計されているのだ。


「魔源を奪われた人は死に至る。

 でも祐樹様はあちらの世界の人間だから、そもそも体の中に魔源を持ってはいないわ。運悪く結晶を握っていたため毒牙にかかってしまったけれど、あの魔物達には彼の命までは奪う理由が無いのよ」

 ピネガーはちぇっと舌打ちをして、

『知ってたか。相変わらず勉強熱心だね』

 どうやら彼女も祐樹が生きている可能性は判っていたらしい。


「だってほら、千年後の教科書によれば、魔王妃ローゼは数多の魔物を自在に操ったそうじゃない。未来の魔王として魔物については予習をしておいたの」

 ローゼはこの発言を質の悪い冗談のつもりで口にしたが、それがピネガーのカンに触ったらしく、

『このままじゃ自分が魔王にされるって知ってて、それでもあいつを助けに行くの?』

 棘のある口調でそう言った。

「祐樹様はそんな事を望まないわ。あなたは彼の事を誤解しているのよ」

『ですよねー。

 私たちの人生をめちゃくちゃにしたニッカも、表では清廉潔白ぶってたわけですし』

 ピネガーの物言いには腹が立つが、彼女は千年も前に一度騙された身、そう簡単に他人を信用はしないのだろう。それに、理解してもらう理由もない。

 ローゼは彼が残した剣を拾い上げ、懐中電灯を掴み、進む準備は整った。

 電灯の光が僅かに行く先を照らす。


 どんな魔物が向かってくるかわからない未知の先を――。


『マジの本気でこの先に進む気?

 何が待っているかもわからないのに?』

「ええ。行くわ。彼が助けを待っている」

『ふぅん』

 ピネガーは鼻を鳴らした。


『そんなに震えているのに?』


「…………」

 彼女の指摘に、ローゼは反論できなかった。

 実際、気を張って勇ましくしていられるのはせいぜい首から上くらいで、体が怯えでいうことを聞いてはくれないのだ。スイッチをOFFにされた今、怪物を目の前にしても笑顔で突き進むあの狂気が消沈して、残されたのは臆病な本能だけだ。こんな状態でさっきの蜘蛛に遭遇したら……想像しなくても結末は見えている。


 なおのこと心が震えた。


『ねー、ローゼちゃん。この川を下れば安全に麓の村へ出られるんだけどさぁ』

 肩の上で囁きが聞こえる。

『一旦は脱出しちゃおうよ』

「彼を置いてはいけないって言っているでしょう」

『今のローゼちゃんが頑張っても、ぶっちゃけ彼を助けることはムリじゃない?』

「それは……」

 言いよどむローゼに、ピネガーは被せる様にして、

『てかね、祐樹クンは魔源を奪われないかもしれないけど、腕を貫通してたし。

 あの出血じゃあ……ねぇ?』

「言わないでっ!」

 魔物の牙に貫かれる祐樹の姿がフラッシュバックし、ローゼは耳を塞いでかぶり振った。ピネガーはどうどうとあやす素振りを見せて、

『ごめんごめん、今のはNG。ま、ローゼちゃんが頑張らなくても、ミストちゃんとかほかの子がきっと彼を救ってくれるよ。あの子は強いよー』

「人任せになんてできないわ、一刻を争うのよ!

 今彼を助けられるのは私しかいないの!」

『んー、そうかなぁ?

 ローゼちゃんは、好きって気持ちを奪われて混乱しているだけみたいな?』

 その一言に、正直、はっとなった。

 気持ちのどこかで、自分が彼への好意を失いかけて、彼の傍に居ないとそれが進行していく、そんな錯覚に近い焦りがあったのは事実だ。

「……そんなこと、ないわ」

 口先だけの否定は、ローゼ自身にも力のなさが伝わった。

『本当に? 断言できる?

 私が仕えていた魔王妃は自分のやっていることがまったく見えていなかったよ。

 洗脳されるってそういうことだもん。

 ローゼちゃんがそうじゃないって、どうして言い切れるの?』

 答えられない問いかけに、ローゼは俯く。

『彼女は一度だけ倒されたわけじゃないのよ。

 グレンの名声を未来に呼び起こすため、何度も蘇ってグレンの後継者に討たれるの。

 魔王になんてなったらそんな無様な生き方が待ってるんだよ』

 ピネガーの言葉に、だんだんと自分の向かう先が見えなくなっていく。

 祐樹はともかく、亜利菜が目論んでいた未来の姿がそこにあったからだ。

『でも、今ならまだやり直せる。正気を取り戻せる。

 この川を下れば、魔王にならず、グレンの手にも落ちず、ただ歴史の1ページとしてWIKI、じゃない、教科書に肖像画が残るそんな未来が歩めるんだよ。

 惜しまれながら没して、お墓には〝美しきイワンの女王、ここに眠る〟って。

 そんな感じの賛辞が刻まれるの。素敵じゃない?』

 そのために私が来たのよ、と、力強くピネガーは言う。

 創成神候補だという彼女であれば、あの怪物の亜利菜とも渡り合えるかもしれない。

 ローゼはふとそんな事を考えてしまった。

『イワン国民のローゼ姫が、異世界から来た、本来ここに居ないはずの人のために命を懸けるなんて馬鹿げてる。そう思わない? 国王の伯父さんもきっと心配してるよ。

 もちろん、この世界の私……アチートも』

「……」

 提示されていた選択に心が揺らぐ。

 ローゼは唇を噛み締め、黙した。

『ねーねー。

 ローゼ姫は賢いから、何が一番正しいのかはもうわかってる感じ?

 そんでさ、ローゼちゃん、もう一度聞くけど――……』




『本当に彼の事が好きだったの?』

「――……」

 振り返り、地下水脈を眺める。澄んだ水面には、偽りから始まった恋心を失い、自分がどうするべきなのかわからなくなっていた姫君が、ゆらゆらと映っていた。




 暗殺者を始末した亜利菜は、祐樹と合流しようとE:IDフォンを手にして、ぞっと肝を冷やした。


 彼のE:IDフォンの反応が途絶えている。祐樹の現在位置を見失ったのだ。

 何者かにジャックされただろうか。

 しかし、この古い時代にそんな芸当ができる人間なんているはずがない。

 ……いやまて。一人心当たりがある。

 ピネガーだ。あの女はローゼフォロワーズの一人で、千年後の知識もある。

 祐樹に敵意を持っているようだったし、もしかしたら……。


 そんな思案を一瞬で駆け巡らせ、亜利菜は首を横にふった。

 そんなことよりも、この妨害された環境で祐樹にもしものことがあったら。

 それが一番重要だろう。

「ごめんね、ユウ君。亜利菜が離れすぎちゃったから、怖い想いをしてるよね」

 謝罪を口にし、亜利菜は行動を開始した。


 が、すぐに足を止めなくてはならなくなった。

 快晴だったはずの天気が瞬く間に濃霧に変わっているのだ。

 手を伸ばすと自分の指先が見えなくなるほどの真っ白な空間に、亜利菜は眉を八の字にした。

「まあ大変。山の天気は変わりやすいから。

 ……なんて言うと思ったの?」

 そう言いながら、亜利菜は嘆息を吐いた。

「ミストちゃん、忙しいの。ユウ君との連絡がつかないの」

「……」

 いらつきはむなしく響き、霧の向こうからの返事はない。

「なんなの? 亜利菜の食事に毒を仕込んだのは別に怒ってないし、あの気持ち悪い二口女とこそこそなんかやってたのも文句言ってないじゃない」

「……」

「あーもー! ほんとにどいつもこいつも!

 なんでみんなして亜利菜の言うこと聞いてくれないかなぁ!」

 思う通りいかないといわんばかりに、亜利菜は後頭部をかきむしる。

「亜利菜の代わりにユウ君に手料理を食べさせてあげて、帰ってきた彼をおかえりなさいして癒してあげるのがあなたの役目なの! わかってるんでしょ? 二人ともユウ君の為に用意したおもちゃなんだから、亜利菜の計画通り大人しく自分の役割に徹していればいいのに! それで幸せになれるのに、いったい何が不満なの?」


「あなたのその身勝手な計画が、ユウ君を苦しめているのにどうして気づかないの?」


『ready』


 深い霧の向こうから聞き覚えのある待機音声が響き、亜利菜の表情が歪んだ。

「Elixir-Replica System《エリクサーレプリカシステム》……?

 ちょっと!

 なんでユウ君のE:IDフォンをミストちゃんが持ってるわけ!?」

「フェンリル・ランサーッ!」

 質問を無視して、武装の宣言が響く。

『〝フェンリル・ランサー〟

 Make it to equip!』

 霧の向こうから殺意を感じ、亜利菜は上半身をのけ反った。

 その鼻先すれすれを、凍てついた槍が通過する。

 その冷気にあてられ、おさげの先が氷屑となって散った。


 チッと舌打ちをした亜利菜の背後から、数本の奇怪な腕が伸びる。

 壊死したように血色のないその異形物体は、亜利菜を狙った槍を素手で掴み取った。

 その途端に腕が氷結する、が、その犠牲によって敵の得物の拘束に成功した。亜利菜は脚部に力を籠め、仰け反ったままというおよそ不自然な体勢から、地面に対して水平のまま跳躍してみせた。体幹や筋力をどれほど鍛えても不可能そうなこのジャンプも、彼女には造作のない動きなのだ。


 霧で霞む視界の向こうで、槍が役割を諦め霧散する光景を垣間見て、亜利菜は臨戦態勢を取る。予想外の事態に、亜利菜の表情は焦りの色を見せていた。

「ミストちゃん、答えなさい!

 ユウ君に何をしたの!? 彼に何かあったら許さないから!」

 空気がおかしい。

 水分を多分に含むそれから、灼け付く気体に変わっている。

「許さない? 許せないのは私の方よッ!」


 これでは霧ではなく煙だ。


「私があなたからユウ君を解放してあげるの!」

 轟くミスト宣告に、亜利菜は嘲笑で返した。


「ああそう、じゃあミストちゃんには退場してもらうわ。

 血迷ったあなたじゃユウ君を幸せにできないもの!」

「果たしてそれはどうかしら?」


 煙が舞い上がり、そして集結していく。

「退場するのはあなたよ。

 私はあなた以上の力を手に入れたの!」

 それは一人の少女の姿へと変貌を遂げていった。

「私は彼の願いを聞き入れて、彼を幸せにしてあげられる。

 身勝手に彼を苦しめるあなたとは違う!」


 人間態に戻ったミストはいつもとは違っていた。


 額には小さな宝石をU字型にちりばめた、きらきらと輝くティアラ。

 鼻、口元、顎のラインをメッシュの透けた生地が覆う。

 胸は光沢のある艶やかでタイトな布を纏うが、肩甲骨、背筋、臍下せいかは外気にさらしたまま露出していた。

 下半身はハーレムパンツという一見ゆったりとしていながら足首を締めて固定した着衣を着ていた。両手に持つ明るい色のケープを翻すその姿は、さながら、亜利菜たちの世界の中東国の踊り子のようだった。


「なにそれ。露出癖拗らせてベリーダンサーになっただけじゃない」


 亜利菜はミストの姿を侮蔑を交えて形容したが、本人は首を横に振った。


「ユウ君の世界で願いをかなえる魔人を〝ジン〟っていうそうね。

 私、それになる。

 3つじゃ足りない、あの人の願いを全部叶えてあげる!

 全部、全部……ぜーんぶ!」


 くるりとステップを踏みながら、夢想して恍惚となる。

 空を仰ぎながら彼女は名乗った。


「私は〝ジン・ミスト〟!

 ユウ君専用のランプの魔人なのぉッ!」

 ふざけた格好だが、これは厄介かもしれない。

 亜利菜はもう一度舌打ちをした。

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