スイッチOFF


 ばつん。

「――ッ!」

 その瞬間、ローゼは頭の中で違和感を覚えた。

 眩暈? 頭痛? ――いや。

 もっと脳が弾ける、そんな錯覚をさせる不快な痛みだ。

 その違和感は刹那的なもので、すぐに消失した。

「……どうしたの?」

 ローゼの挙動に祐樹が案じた声をかけてくれる。

「いえ、……別に、」

 そう返事し、不安にさせまいと顔を上げたところで……、




 ローゼは自分の置かれている状況に竦み上がった。




 閉鎖的な闇の洞窟、朧げな火、燃やされている服、煙の臭い、埃と苔の臭い。

 背後に流れる絶え間ない水流の音がドーム状の空間に響き渡っている。

 にわかに感覚が広がったのか、様々な、そして余計な情報がローゼに降り注ぐ。


「あ……あ、れ?」


 そんな非日常の非常事態の中、この異様に薄手の服装は何からも守ってもらえないようなうすら寒さがある。得体のしれない場所に一人、取り残されたような、そんな恐怖が覆いかぶさる。彼女は怯えている自分自身に混乱し、さらに怯え、とどまるところを知らない震えで全身が強張った。


「お、おい? 姫?」

「あ、え? そ……の」


 祐樹を不安にさせまいと何か伝えようとするが、あれ? うまく言葉が出ない。

 それどころか――、瞳が熱を帯び、勝手に涙が溢れてきた。


「いったいどうしたんだよ、急に!」

「わ、わかりません……ぐすっ、私にも、っぅ、何が何だか!」

 なんで泣いているんだろう?

 ついさっきまで不安なんて無かったのに。

 この人と居れば何も怖くなかったのに!

 なのに、なんでこんなに震えているの!?

 急に失ってしまったような――。


 そこで、はっと、ローゼは気が付いた。


 自分襲うこの違和感の正体は、〝喪失〟だ。

 大事な物を失ったという空虚さだ。

 ――まさか。


 ナノマシンを……、止められた?


 そうだ、間違いない。

 ローゼを洗脳していたナノマシンが止められたのだ。

 だからついさっきまで、湧き水のように滾々と途切れることなく溢れて、ローゼの中を満たしていた、燃え盛るような想い、何も恐れない勇気、共に死ぬことすら喜びに変えられる情熱的な狂気が、


 ……ぽっかりと消えてしまったのだ。


 その虚ろな隙間に、鉄壁の愛情に阻まれて感じることのなかった、この状況への常識的な恐怖が、卒倒するほどに怒涛の勢いで雪崩れ込んでいるのだ。

 ……止められた……奪われたんだ。

 私の――〝信仰〟がっ!





 ど、どうなってるんだ……?

 ローゼ姫と、ついさっきまでお互い熱い視線を交わしていたような気がしたのに。

 それが急に泣き出してしまったぞ。


「姫……?」


 声をかけるが……、

 それが拍子になったように、姫はすとんっと膝から地面に崩れ落ちた。

 まるで何か、大きなものを失った、そんな感じの虚ろな瞳で天井を仰いでいる。

 おいおい、なんだっていうんだ。なんで急にそんな顔するんだ?

 ど、どうしたらいいんだ……?


 ――いや、落ち着けよ、俺。


 深呼吸しろ。俺が落ち着かないでどうする。

 急な変化はよくわからないが……姫は元々こういう脆い性格だったろ。

 何より女の子だ。

 ダンジョンに放り込まれた事実を今になって認識して、怯えを実感したんだ。

 俺が支えないと!

 まずは声をかけて……そうだ。

 こういう時は、イスキー邸でやったように、肌に触れてやるのが一番だ。

〝俺が一緒にいる〟って実感させてあげれば、きっと落ち着く。

「ローゼ姫、大丈夫だ。

 俺が絶対に――、」


『WARNING!!』


 ――っ!

 なんだよこんな時にっ!?


『モンスターが周囲にいます。

 警戒してください』

「じゃあ〝騎士の剣〟と〝新兵のすねあて〟を装備だよ!」

『ready……equip!』


 剣を構えて、息を整える。

 魔源の残量は……、

「きゅ、9%をッ!?」

 今までこんな数字見たことないぞ!

 バブルが1発打てたらラッキーじゃねぇか!

 なんでこんなに減ってるんだよッ!


 くそ、ただでさえだだっ広く、暗くて見通しの悪いこんな場所で戦いたくないのに!


 とにかく情報を掴みたい。E:IDフォンから魔源を数個取り出す。

 これを発光させて、周囲にばらまき、逃げる場所か、隠れる場所か、敵の位置か。

 なんでもいいから探りを入れたいけど……残念だが魔源は俺には使えない。

 この世界の人間の魔法にしか反応してくれないんだ。

 こんな状態の姫に頼み事なんて、気は引けるけど、今は彼女の助けが必要だ。

 屈みこみ、姫と目線を合わせて、

「姫、灯りだ。〝ライト〟の魔法で灯りが欲しい」

「……」

 ダメだ、こっちを見て、困惑するだけだ。

 もっとトーンを落として説得しないと……。

「二人でここから脱出するんだ。

 そのためにも姫の力が必要なんだ」

 その手をぎゅっと掴み、そういうと、〝必要〟のあたりで瞳に生気が戻った。

「――はい。わかりました」

 ローゼ姫は魔源を掴み、か細く〝ライト〟と唱える。

 魔源が光った。俺はそれを掴み、壁へ全力投てきする。

 これを繰り返せば……、ん?


 投げたはずの魔源がスルスルと壁を登って行くぞ。

 いや、何かがキャッチして持っていくんだ。

 虫のような形状の大きな顎で器用に掴み、そして何処かに消えていく。

 俺は懐中電灯を掴み、

「姫、もう一つ」

「はい」

 発光するそれをもう一つ投げ、その行く末を照らし観察する。


 八足のくの時に曲がった足、魔源を掴む大きな顎。

 蜘蛛だ……人間サイズの巨大な蜘蛛が、魔源を咥えて逃げていくんだ!

 それと入れ替わるように別の個体が壁の穴から這ってきて、


 ……――ッ!


 やばい、こちらを見てるッ!

 悪い予感の通り、ガッとそいつが跳ね、こちらに向かってきた。

 咄嗟に俺は握っていた未使用の魔源を地面に転がす。

 奴の気が一瞬、〝より美味しそうな餌〟に向き、それを捕らえようとしたところで、

「うおりゃあああああああああッ!」

 一気に詰め寄りたたっきるッ!!

 ぐちゃりと思ったより脆かった図体は砕け、死体は消滅し、

 ――かつん、と蜘蛛を稼働させていた魔源が落ちる。

 やったか――ぐぇっッ!?

 しまった、上からもう一体来て、一気に押しつぶされた。


 やっちまった――殺される……ッ!


 と、直感して肝を冷やしたが、どういうわけか一秒足らずで解放された。

 なんでだろ……あ。

 わかったぞ、あいつの狙いは仲間の魔源だったんだ!

 この蜘蛛たちは魔源を回収する魔物なんだ。

 そのあとそれをどうするつもりかはわからないけど……いや待て。


 じゃあなんで人間を襲ったりするんだ?


 魔源は電池みたいな消耗品で――、あッ!

「ローゼ姫ッ!」

 魔源はこちらの世界の人の体内に宿っている。

 こいつらの狙いは俺達じゃない、姫一人だッ!!

 振り返ると、姫の背後から一匹が迫り、そして――、


 白い糸を吐き出した……ッ!


 騎士の剣をぶつけろ、目くらましでいい!

 そんで、――走れ、間に合えッ!!

「『スキル』――〝ストライク・バブル〟!!」

 バブルバリアで姫を包む。

 呆然としていた姫が、握っていた魔源を落とす。

 あんな所に落としたら群がって来ちゃうだろッ!

 拾って、そんでどっかに捨て――、


 魔源を掴んでいた手、いやその手首に激痛が走った。


「――イッッ!?」

 がぶりとでかい蜘蛛の顎が、手首に突き刺さっている。

 出血して、血液が肩まで滴ってきた。

 あーもー。こいつ、勘違いしやがったな……?




 絶望すると、人間、案外冷静になれるんだな。

 ここからどうすればいいのか、わりと素早く悟った。



 姫が、信じられないものを見た、そんな表情でこちらを見ている。そんな彼女を、最後に張ったバリアが守ってくれてる。他の個体がそっちに気が行かないあたり、バブルは魔源を感知する器官も妨害してくれているみたいだ。

 だけど長くは持たない。かといって、腕がやられ、E:IDフォンのマナ残量が少ない今、姫のバリアが消える前に俺がこいつらを対処する方法は思いつかない。

 てかね、そもそもこの手の魔源を手放したくても、こいつに手ががっちり咥えられてて抜けないんですよ。もう片方は武器を手放して素手だしさぁ――……。


 万策尽きた。あーあ。これはもう、ダメだ。

 だからせめて、E:IDフォンを姫に渡さないと。


 身に着けるためのリストバンドを、口で器用に剥がして地面に落とす。


 それから。

 ここから一人で脱出しなきゃいけない彼女を、奮い立たせないと。

 それに多分、これが最後の言葉になるし。

 ずっと言えなかった事、ちゃんと言わないと――。




「ローゼ姫。愛してるよ」




 俺が一緒にいるとか。絶対守るとか。

 そんな言葉の代わりに、こんな事しか言えないなんて。


「……ごめんな……っ」


 なっさけねぇよ――ッ!! くそったれッ!!



「ゆ……うき……様?」


 祐樹が蜘蛛の怪物に連れていかれた。

 ローゼはただ一人、この場所に残されてしまった。

 そして魔物達は引き潮のように姿を消した。

 しんと静まり、騒乱の代わりに水の音だけが辺りを満たしている。


「え……?」


 自分を突き動かしていた狂気と同時に、愛おしい人も失ってしまった。

 怒涛の出来事に、ローゼの認識はついていけない。


 あの愛おしい人が……愛おしい人?


 OFFになった自分に、祐樹をそう呼ぶ資格があるのか?

 首輪を失った飼い犬は、忠犬を自負できるのか?

 彼が死ぬその瞬間を目の当たりにし、一歩も動けなかった自分がそんな事を考えていいのか?

 唐突な自問にローゼは答えを出せない。

 そもそも私は祐樹を愛しているのか?

 それは何をもって?

 だってもう奪われたのよ。〝それ〟を〝全部〟。

 奪われた……いいえ、置いていかれた?

 祐樹が私の傍以外で死んだ……?


 ……頭が痛い。痛い、痛い――。


 ぐちゃぐちゃに絡まりだした思考が、痛みとなって顕在化してきた。


「ああああ……あああああッ!!」

 頭が痛い、どうしよう、頭が痛い。

 スイッチがOFFとなったローゼの情緒はいとも簡単に制御不能と陥った。

 すがる先が分からなくなったローゼは、もうこれを止められなかった。










『ってか、ローゼちゃん、いつまで泣いてんのよ。

 話が進まないんですけどー』


 ……そこに彼女の亡霊が現れた。

 アチート・バルサ・トラディツィオナーレ・メリー。

メリー大公の娘で、ローゼのいとこの少女が、酷く派手な、まるで情婦のような衣装で立っていた。

 彼女のサイズは異様に小さく、まるで手のひらに乗る小動物のようだ。


『さっさと、脱出するわよ。

 このE:IDフォンを手に取って。わかる?

 スマホ……あー、こっちはスマホもないか』

 彼女は勝手な調子で仕切る。

 そして。


『あと、祐樹クンの事は早めに忘れるのマジ推奨。

 大丈夫、男は星の数ほど居るって!』


 ローゼにそう言い放った。

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