元老院の影


 その狭い部屋はイワン王城の中心部にある。

 キュール高原の羊毛を使った肉厚で最高級の絨毯が支えるのは、重厚な四角のテーブル、それに負けないほど格式ばった六脚の椅子だ。天井にはイワン王国の紋章が描かれ、その下には大きなシャンデリアが吊り下げられていた。

 部屋がやや圧迫感を感じるほど狭い理由は、なるべく大声を出さないようにするための配慮だ。さらに、見事な造形が彫り込まれた木目の壁の向こうでは、魔術によって音が漏れないよう遮断されている徹底ぶりだ。

 そこで、


「近頃の殿下の有り様は、目に余る!」


 ……声を上げないよう配慮されているにも関わらず、その罵声は響き渡った。


 ここは元老院室。


 イワン王国の貴族の中から、投票によって決められた代表たちが集まり、政治について討論するための部屋だ。


「エル伯爵。言葉を慎め」

 最奥に座る壮年の皺を刻んだ体格の良い男が低い声で咎めた。王族の親戚であり、この場でも大きな発言力を持つソシエテ=ド・レコルタン・ミレジメ・メリー大公。

 ドゥミ嬢の〝父親〟に当たる人物である。


 その隣に、ふくよかで、やや頬肉の垂れ気味の老人が笑みを讃えて、

「まあしかし、あのドレス、あの赤はのぅ。

 年寄りにはちと、見にくくていかんの」

 最年長のエービス=ドラフト・ポロクロベル・レミアム・ビアード公爵だ。

 この老人は経済界の重鎮達と繋がりがあり、その影響力は計り知れず、また常に笑んでいる底の知れなさから、「彼の機嫌が小麦の値段を決めている」、そんな噂があり、それはそこはかとなく真実味があった。


 ビアード公爵の対に座っている、面長で細めのカイゼル髭が印象的な、この中では比較的若い初老の貴族は、スタウト=イスターオ・エル伯爵。最初に声を上げた男だ。

「ドレスなどどうでもいいのです!

 問題はガルバトス領だ! 我々に何ら相談も無しに隣国を属州に編入するなど!

 これでは私の立場は無い!」

 エル領といえばイワン最大の港が含まれ、そこを任されているのは諸外国との外交の番を一任されているに等しい。それだけにローゼ姫の勝手は許し難かった。


「どうでもよくなどありませぬ」

 エル伯爵の隣、白髪のトロヤンス=シュリヴォ・ヴィツァ・ラキヤ伯爵は敬謙な信者であり、光誕の教団との繋がりが深く、その声明を代弁することも何度かあった。

「未婚の姫殿下が白を着用されるのは、天上に対し穢れの無い潔癖を証明するもの。

 その証を破るのは、自らが純潔でないと言い捨てるような行い。

 イワン王国の信仰が疑われます」

 この場においては、彼こそが天上の地上代行者なのである。




 彼らこそがイワン王国元老院最高議員。

 表向きは〝投票によって集まった〟として貴族勢の意志を反映しているように振る舞っているが、元よりその力は絶対であり、彼ら以外が選ばれる事はあり得なかった。


 そんな権力の猛者が集まる中、空席が二つ。


 以前はその一つに軍人の長としてイスキー公爵が腰かけていたのだが、あの事件以来この場に出てくる事は叶わなくなってしまった。もう一つは官僚の代表として召喚される執政官メッシュの席だが、元老院議員ではない彼は常に出席しているわけではないので、ここが空いたままなのは珍しくはない。


「ラキヤ伯爵、何も教団が姫のドレスの色を決めているわけではない。

 あれは国民への象徴としての白だ。

 それに、今は姫が赤を召す事で国民は勇気づけられている」

 メリー大公はそう反論した。

「しかし、天上はそうはお考えには、」

「経典のどこにも〝赤を着る女性は処女では無い〟などと書かれてはいない。

 所詮は慣例に過ぎない。天上のご意志にすり替えないで頂きたい」

「ふむ」

 ラキヤ伯爵はしばし口を噤むと、

「天上にこの国の潔癖を祈りましょう。

 ああもっとも、大聖堂は焼けてしまい今はありませんね。

 あろうことか、殿下の目の前で」

「何が言いたい?」

「我が領の家畜が魔物らしき影に食い荒らされたという報告もあります

 これらの厄災が、天上からのお示しでなければいいですがね」


 ラキヤ伯爵は不満を滲ませながらもこれで非難を控えた。

 が、立腹が収まらないエル伯爵は違う。


「いずれにせよ、このまま姫の勝手を許しては次は何をなされるか見当もつかない!

 ガルバトス領の件でシドールとの緊張はさらに深まってしまったのです! かの国ではローゼ姫が兵をみせしめに惨殺し領主を脅した、などと流説されている始末!」

 メリー大公は「馬鹿げてる」、と噂を一蹴するが、エル伯爵は、

「これが国の信用に障れば、二国間の問題ではなくなります!

 私は殿下に対し、元老院としてご意見を差し上げるべきだと考える!」

 と強く訴えた。


「うーむ……」

 メリー大公は悩む。


 元老院が政治の判断を王族に意見として述べる事は多々あるが、姫の単独行動を咎め立てするような前例はまずない。特に、不安定な今の情勢でそんな意見を出せば、王族と貴族の対立を演出し、国民の不安を不必要に煽ってしまう可能性がある。

 しかし彼らの意見ももっともだった。このまま元老院という機関を無視されて勝手をされては、各領土の貴族たちに示しがつかない。

 悩む大公は「ローゼ、流石に庇い切れんぞ」とぽつりと呟いた。


 そこで、ここまで笑みを浮かべてただ聞いていたビアード公爵が、

「ほっほっほっ、まあまあエル侯爵。

 姫殿下もイスキー邸でいろいろあったから、少々混乱しておられるのじゃろうて」

 そう口を挟んだ。


「婚約者の反逆に、聖堂の火事と立て続けに起きて、驚くのも無理はない話。

 それにほれ、なんやかんや、ガルバトス領を盾にすることでシドールは我が国には手出しできんようになったし、何事も悪い事ばかりじゃなかろうて」

「し、しかしですね……」

「うむ、侯爵の言っている事も正しい。問題は解決せねばな。

 はて、姫が妙な動きをしはじめたのはいつぐらいだったかのう。

 アー、確か、」

 そう、老人らしい物忘れの素振りを見せると、




「あのユウキとアリナかいう二人組と付き合い始めたころじゃったの」




 元老院室にちょっとした緊迫が走る。

「あの妙な外国人が、殿下に何か吹き込んでいる、と。

 公爵はそうお考えで?」

 エル侯爵の問いかけに、老人は、

「さて、まあ、時期は重なるかの」

 と言葉を濁すに留まった。

「では奴らを謀反人として逮捕しましょう。

 そして証拠が固まり次第、至急国外に追放を!

 そうすれば姫殿下のお考えも改まるはず!」

 エル伯爵が勇んで言うが、

「まてまて。彼らはイスキー邸で姫を助けた、名誉市民だぞ。

 国の認めた市民権を持つ者を、根拠なく逮捕などできん」

 メリー大公が諫めるように言うが、ラキヤ伯爵が、

「根拠は天上への離反で十分でしょう。

 そもそもあの者たちは正しい信仰を持っているのでしょうか?」

「まあまあ、お二方。落ち着いて」


 ビヤード公爵はまたほっほっほと笑むと、

「手はすでに打ってあります故、ご安心なされよ」

 

「手……とは」

 誰となくそういうと、

「なに、姫君は昨今、勇者バッカスの痕跡に興味を持たれているご様子。

 差し出がましいようじゃったが、ガルバトス領にあるとされる遺跡について、お耳に入るよう手配をしたまで」

 公爵は笑みの向こうで、権力者として邪悪な一面を覗かせて、

「まあもっとも、使いには不慣れなメイドを使った故。

 お伝えした内容に誤りがあったやもしれんがの」

 また、ほっほっほと笑った。




 おそらくあの二人は道中で〝事故〟に遭うのだろう。

 メリー大公は友人を亡くすローゼを思うとやや胸が痛み、うぅんと唸ったが、ビアードが動いた以上、もうメリーでもどうにもならない。

 ……むしろ、立場を省みず、勝ってばかりするとこうなる、という見せしめにはちょうどいいのかもしれない。

「ローゼ。高い授業料になったな」

 大公は諦めきったため息をついた。







 そのころ、城下町の路地裏を、浮遊する霧が駆け抜けていた。

 ミストだ。彼女は霧状のまま、墓場から祐樹と暮らすの家へ移動していた。

 家の裏路地で実体化し、隠しておいた服を取り出してそれを身に着ける、


 と、


 ――ガシャーンッ!


 何かが割れる音が響いた。

『あーッ! おまえなぁ!』

『ご、ご、……ごめんなさいいっ!』

 祐樹の叱責と亜利奈の謝罪が響き渡る。

 大方、亜利奈が祐樹の気を引くために皿でも割ったのだろう。

 そういう挑発の仕方しかできない女だ。

 中でローゼの声も聞こえる。あいつはまた来たのか。

 賑やかしいその外で、ミストの胸はズキズキと痛んだ。

「……ユウ君……」




(苦しいんだ)

 あの夜の祐樹の声が耳につく。

(亜利奈、ローゼ……それからミスト。

 みんなの気持ちは嬉しい。だからみんな傷つけたくない。

 だんだん、どうやって接したらいいのかわからなくなる)

 ミストは何となく、それが祐樹の偽物であることに気付いていた。

(苦しいんだ……)


 だが、その気持ちは彼の本心を投影している確信があった。

 それを聞いたミストは心が裂けそうになった。

(助けてくれ)

 たくさんの想いに引っ張られ、彼は引き裂かれそうになってるのに、彼の優しさが誰の手も振りほどけない。いや、振りほどけばそれがまた後悔として彼を傷つける。

 ミストの手が怒りに震えた。

 憎い。

 そんな事に気づかず、祐樹に甘え続けるあいつらが憎い。


 そんな想いに囚われたそこで、チェイサーと出会った。

 彼女のおかげで亜利奈の正体を思い出した。

 ――いや。怪物に変えられたことは恨んでなど居ない。

 ミストは彼女の前で宣言した通り、今の自分の変容は全て祐樹の為に自ら望んだ事だと胸を張って言える。

 だが奴のやり方は、奴の計画は。

 優しい祐樹を苦しめるだけだ。それが何よりも許せない。


 ミストは深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。

 私が、やるんだ。私がユウ君を幸せにしてあげるんだ。


「私が……」

 あいつらを引き剥がして、私があの人を救う。

「私が、私が、私が……私だけが彼を……」

 亜利奈と、ローゼを彼から引き剥がして、彼の中に巣食うトラウマと後悔と未練を記憶ごと全部消し去り、迷いのなくなった彼と幸せに暮らす。


 私の創った幸せの中で、彼が微笑み続ける。


「ふふ……っ」

 その様を想像すると、高揚感で笑みが零れる。

 ああ、そのためになら。

 さらなる怪物にだってなってみせるわ……。




 ミストはすぐやって来るであろう未来を頭に描きながら、上機嫌で帰宅した。

 大好きな人は、そんなミストを笑顔で迎えてくれた。

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