ローゼの信仰

 娘の悲鳴でも聞かせればすぐに白状すると考えていた亜利奈たちは、それでも口をつぐむ執務官の姿に呆れ返ってしまった。


「もうさぁ、直接拷問しちゃおうよ」

 亜利奈が肩を竦めて言う。

「舌を噛まれては意味がありません。アペロさんを招いた方が効果的です。

 目の前で指の一本でも切り落とせば話す気になるでしょう」

「そんな、お願いです、見逃してくださいッ!

 い、幾らアペロの為でも、天上に背くなど、私には恐れ多くて……ッ!!

 …………――ハッッ!!」

 肝心な話を漏らしてしまったらしく、執政官は口を塞いだ。が、もう遅い。


「なるほど。光誕の教団ですか」


 その一言で勘づいたローゼが、忌々しそうに言う。

「迂闊でした。

 通りで、偽物にしては精巧な作りをしていると思えば」

「どういうこと?」

「借用書に使われていた印は偽物ではありません。

 国から教団に貸し出した、れっきとした〝本物〟なのですよ」


 教団はいわば国際組織と言える。イワン王国にとって、事務的な観点から見れば外側の集まりだ。それらが国の中で教会や礼拝堂を建てる際、王族の許可が必要となる。

 だが国教でもある光誕の教団が教会を建てるのに審議など必要なのだろうか?

 そういう考え方から、王族は代々、証明印の一つを教団の貸し出す慣例があった。

 天上に対する信仰心の厚さと全幅の信頼を証明する意味合いが強い慣例だ。

 当然、白いドレスを纏った〝聖女ローゼ姫〟も、大げさな式を開催し、尻尾を振るようにして教団に印を貸し出した。それを悪用されるとは、間抜けな話だ、と、ローゼは過去の自分を嗤った。


「私の印であれば現国王の父上の印より目立たず、しかも人々の信仰から教団が疑われることはあり得ないという腹なのでしょうね」

 ローゼは立ち上がると、執政官に詰め寄る。

「証拠は掴んでいるのでしょう?

 出しなさい」

「い、嫌だ……」

 執務官は頭振った。

「悪魔に加担して教団を売れば、天罰が下る!

 殿下、天上は全てを見ておられますぞ!!」

「……はぁ?」

 何を言い出すんだ、とローゼは眉をひそめた。

「人の印を勝手に使って、民から金銭を捲き上げているのは教団ですよ。

 天罰が下るのは教団の方でしょうに」

「教団は天上から啓示を受けた深い思慮あっての事……だがあなたは違う!

 信仰を失い、赤く染まったあなたは違う!!」

 執政官はここぞとばかりに唾をとばし、説教を始めた。

「あなたは自分の欲望に突き動かされているだけだ!! 天上は見ておられますぞ!!

 それが証拠に大聖堂は燃えてしまったではありませんか!!

 殿下、今こそ信仰を取り戻してください!!

 その邪悪な友人達と手を切る時です!!」


 ローゼの瞳の色が変わった。

 表情に柔らかい笑みを貼りつけ、その奥から滲み出る憎悪を伺わせ、

「なるほど。素晴らしい信仰心ですね」

 彼女は棚に隠された護身用のナイフを引き抜くと、執政官の喉に突き付けた。

 ヒィとえずく男に向かってこう言う。


「ならばその信仰心でこの刃を止めて見せてくださいませ」


 ローゼは笑い、男の首の薄皮一枚に浅い傷をつけた。

「あーあ。怒らせちゃった。しーらない」

 亜利奈は嘲笑し、ローゼの席に座ると、紅茶に口をつけその光景を愉しんだ。


「さぁ、どうしたのですか?」

 ふふふ、と、ローゼは微笑む。

「信仰の素晴らしさを証明して下さいませ。

 空の上から見下ろすあなたの神は、この刃を止められるのですか?

 娘が救えるのですか? 借金に追われる少女を救えるのですか?

 未来永劫、魔王として罵られ続ける呪われた運命を変えられるのですか?

 さあさあ、どうしたのですか。

 祈りなさい、救いを請いなさい、我を護れと懇願しなさい」


「でないとほら――ず・ぶ・り♪」


 切っ先が針くらいの傷をつける。

 ほんの僅かな出血が、執政官の喉を伝った。

 眼前に迫る狂気に、男の唇は青ざめて震えた。

「て、天上よ、我を護りたまえ、どうかこの悪魔から救いたまえ――ッ!!」

 執務官は絞った声で祈りを捧げるが、ローゼの刃は止められない。

「ほらほら、信仰が足りませんよ♪

 もっと真剣に祈らないと」

「ひいぃぃッ!!」

 ローゼは楽しむようにしてナイフの先を捻じる。

「で、殿下、もうお許しをッ!! お慈悲を――ッ!!」

「あらあら。許しを請う相手が違うのではありませんか?

 さぁさぁ、信仰はどうなさったのですか?

 早く神に祈りを捧げて大いなる奇跡でこの魔王を聖女に戻さないと!

 さもなくば喉に風穴が空きますよ」

「そ、そ、そんな無茶な――」

 涙を浮かべる男の姿を、ローゼはフッと鼻先で笑った。

「でしょうね。お前たちの唱える信仰なんて、そんな浅いモノですから。

 都合のいい時ばかりは正義を謡って相手を罵る。

 そのくせお前たちの神はただ見下ろすだけで何からも護ってくれない。

〝信仰を取り戻せ〟? あははは、笑わせないでくださいませ!

 いいですか? よーく見ててくださいませ。

 ローゼ=ヴォーヌロマネ・グラン・クリュ・イワンの信仰心なら――ッ!!」

 ローゼはおもむろに刃を振りかざす。ギラリと反射した光が輝く。

 その凶器は見下した男を貫く! とおもいきや――、

「しっかりとこの胸に宿っていますわ!!」


 なんとローゼは自らの手に突き立てたのだ。


 自分の手に自分の刃を刺す。その常軌を逸脱した凶行に、執政官はおろか、亜利奈ですら慄いた表情を見せた。貫通した刃から、ぼたぼたと出血し、ローゼ自身のドレスを濡らすが、赤一色に染められた彼女のドレスでは鮮血と見事に同化した。

「グウゥゥゥウゥッ!!」

 ローゼは噛みしめた歯の向こうで、押し殺した悲鳴を上げ、

「祐樹さ……まぁッ!!

 祐樹様祐樹様祐樹様ユウキサマぁッ!!」

 自分の〝神〟の名を連呼し、不気味な祈りを捧げる。まともな神経をしていれば激痛にのたうち回るのが当然だが、ローゼの精神に蠢く感情はそれを凌駕していた。

「ふーっ、ふーっ……、ふふふふふっ、どう、これが、こ、これが!

〝信仰〟なんですよッ!!」

 脂汗の滲む表情で、充血した眼から涙を浮かべ、ローゼは自分の行為に酔いしれて口が裂けんばかりの笑みを見せる。

「私の神様は……私の傍で見守ってくれる!!

 私に刃を恐れない勇気と、痛みすら越えた愛を授けてくれるッ!!

 お前たちの神様なんかとは全然違うッ!!」

「う、うあああああああああああっ!!」

 滑稽な事に、絶叫を上げたのは刀傷を負ったローゼでは無く、それを間近で見ていた執政官の方だった。得体のしれない怪物に変身した姫君を前に、彼は精神を病み、死相すら垣間見る顔になった。

「あっははははははははッ!! ほら、凄いでしょ、ほらほらッ!!

 ほらぁ! ごらんなさい、私の信仰の厚さをッ!!」

 ローゼは刃を引き抜くと、続けざまにもう一撃、


 ぐしゃり。


 っと、水気のある音を立てながら自分の手を貫通した。

 跳ねた血液が執政官の顔を染める。

「ぐぅぅあああああッ!! 祐樹様祐樹様祐樹様ぁッ!!

 ああ、こんなにも痛いのにあの人の事を想えばどおってことないのォッ!!」

 痛みに苦悶するどころか、頬を染め、どこかの誰かを想い恍惚とする。

 だらしなく空いた口からは涎が零れ、ギラギラとした眼光からは涙が零れ、そして天井を見上げると、

「……ああ、まだ足りない……」

 呟き、刃を引き抜き、

「私の信仰と忠誠を証明するにはこんな痛みじゃ足りないッ!!」

 三度みたび目も、躊躇なく自分の手を貫いた。

「あああああああああああッ!!

 祐樹様あああああああああああああッ!!」

 人間の所業では無い。ローゼは自分の中で渦巻く何かに、完全に支配されていた。

「く、狂ってる……狂ってるッ!!

 狂ってる、壊れてるッ!! お前ら二人とも狂っているゥッ!!」

 男は彼女たちをそう評価し、怯え、身を護るようにして縮こまった。

 そして小声で光誕の祝詞を呟き、目には見えない神聖な何かで救いを求める。

 だがその呟きはローゼの笑い声にかき消されてしまった。


「あちゃー、いや、なんていうか……。

 これは確かにイっちゃってるわ」

 見かねた亜利奈が駆け寄り、ローゼからナイフを無理やり奪った。

「か、返して、返しなさいッ!!

 私、まだやれる、まだやれるわッ!!」

 出血しながらローゼは凶器を亜利奈から奪い返そうとする。

 その切っ先で己に繰り返し試練を科そうと、血走った眼で叫んだ。

「私があんたよりも祐樹様を愛している事を証明してやるッ!!

 返せ返せ返せ……返せぇぇぇぇぇッ!!」


 パンッ!!


 亜利奈の平手がローゼの頬を打つ。

「脳汁垂らして何やってるのよ、イカレ姫。

 ユウ君が見たら泣くってこれは」

「……………………」

 ローゼは弾けた頬を摩り、虚ろな顔で呆然とすると、

「い」

 何度も突き刺した自分の手を庇い、

「ったああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 っと、激痛にうずくまった。

 正気に戻った瞬間、邪悪な祈りに対する当然の報いが訪れたのだ。

「馬鹿ね、痛いに決まってるじゃない。

 神経何本切ったのよ。ほら、手を見せて」

「――うぅぅぅッ」

 亜利奈はローゼの刺し傷に自分の手を添え、治癒の魔法を掛ける。

「痕が残らないようにするから、時間がかかるわ。

 しばらく痛むよ」

「だ――いじょうぶ……です、これしき」

 ローゼは歯を食いしばり、

「祐樹さんの事を想って付けた傷なら、――ふぅっ――、痛くても……ッ!!」

「ローゼちゃんはユウ君のモノなんだから、勝手に傷つけないでよね。

 まったく。脳ミソ弄らないと自制できないならそうするよ?

 こんなことしてなんになるのよ。ユウ君に嫌われてもいいの?」

「……………………」

 ローゼはむくれた顔でぷいっとそっぽをむくと、口を噤んでしまった。

 亜利奈は呆れた顔でふぅっとため息をつくと、

「わかってる。見せつけてやりたかったんでしょ。

 あいつらの神様より私達の神様の方が優れてること」

 と、宥めるような声で言った。

「……………………」

 ローゼは返事をしない。肯定をしなかったが、否定もしなかった。

「娘の命より大事そうに語られたり、信仰を取り戻せと吠えられたり。

 腹立つよね、ユウ君の方が素晴らしいのに。……あいつ殺しちゃおっか?」

 それを横目で見ていた執政官が、ヒィと悲鳴をあげる。

「ダメです。殺したら証明した意味が無くなります。

 あの男の記憶に一生消えない形で刻み込んでやりましたから」

「じゃあ今日の所は生かしとこうか」

 ローゼは頷き、そのまま黙って治療を受け続けた。




「それで、今日はなんの御用でしたか?」

 ローゼは癒えた傷の周りにある出血を布で拭うと、話を切り出した。

 隅で今だ怯える執政官を放置し、二人は席に着く。

「ユウ君がね、わらび餅を食べたいって」

「わらび……もち、ですか?」

 ローゼは首を傾げた。

「そのような食べ物は聞いたことありません」

「この世界にはないからね。だから作りたいんだけど、材料が無いの。でんぷんはジャガイモから採れるんだけど、大豆がどこのお店にも売ってなくて」

 きな粉の原料となる大豆は、イワン王国では栽培されていない。近年まではシドールから輸入していたのだが、国勢の悪化に伴い供給がストップしてしまったのだ。

 代用も容易ではないため、このままでは祐樹にわらび餅を食べさせてあげられない。悩んだ亜利奈はローゼを頼ってきたのだ。


「ローゼちゃん、どうにかして手に入らないかな?」

 亜利奈がそう言うと、ローゼは頷いた。

「わかりました。

 祐樹様のためなら、シドールから大豆を産地ごと頂きましょう」

「……産地ごと、って。

 わらび餅のために戦争でもする気?」

「まさか。〝戦争〟ではありません。

 そんなことはじめたら祐樹様が悲しみます」

 ローゼはカップに口をつけ、言った。




「代りに〝侵略〟をしちゃいましょう♪」

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