ミストの言葉

 夕食のために食卓に座る。

 目の前にはカレーライスが用意されていた。

「どうかな、お口に合えばいいけど」

 エプロン姿のミストがはにかむ仕草で言った。その仕草は可愛らしいし、俺のために用意してくれたのかと思うと嬉しくなる。

 でも。


 ……この世界に米食文化なんてなかっただろ、確か……。


「こっちにお米なんてなかったよな」

 俺が聞くと、

「お米?」

 と、ミストは首を傾げた。順序が無茶苦茶だ。

 第一、このカレーもどう見ても日本人向けに改良された俺のよく知るカレーだ。

 仮に俺の知らない範疇でカレーやそれによく似た料理が存在していたとして、この既製品のカレー・ルーを使った料理になることはあり得ないだろ。

「うぅんっと、私間違えたかな?

 ユウ君の世界の料理を真似してみたつもりだったんだけど」

 冷蔵庫といい、ミストは何か、とんでもない能力で自分の思ったものを再現できるらしい。自分が良く知らないものすら可能なようだ。

「ううん、あってる。いただきます」

 そう言って俺は一切れ頬張り、

「うん。美味しいよ」

 確かにカレーだ。よく母親の作ってくれたカレーによく似ていて、美味しい。

 これはお世辞でも何でもない。

 ミストはパッと微笑んで、「よかったー」と嬉しそうにはしゃいだ。


 こういうところは本当に可愛らしいんだけど……それだけにちょっと悲しくなる。


 メッセージによれば、〝一つ前の俺〟は持ち合わせるスキルを駆使し、強行突破を試みたらしい。その結果が今の状態って事は、強引な方法ではここは抜けられないってことだ。そう推測した俺は、自分の指示通りミストとの共同生活を再開した。ここから出て行く方法を模索するのも、焦らず進めないとまた〝リセット〟されちまう。




「なあミスト」

「なぁに、ユウ君♪」

 食事をしながら、俺はこう切り出した。

「明日、外に出かけないか?」

「どうして?」

「ほら。食材の買い出しとかしないと」

「必要なものは全部私が用意するよ。ユウ君はなんの心配もしなくていいんだよ」

 まあそう来るよな。

 ここまでは予想通りだ。情に訴える策に出てみよう。

「残念だな。せっかくミストとデートしたかったのにな」

「私はユウ君とこうしているだけで幸せ。外なんて雑音が多くてうるさいだけだよ。

 雑音はすぐ私たち二人の邪魔をしに来るしね。雑音らしくしてればいいのにさ」

 明らかに特定の誰かの話に置き換えてるよな…………。

「外は雑音が多いの。私達二人を邪魔しようとする雑音ばっかり」

 ミストは何かを思い出したかのように苛立ちを見せ、ストレスなのか、なにやらスプーンを弄り始めた。

「雑音はユウ君のことを誑かすからいけないわ。

 ユウ君が良い人だから雑音にも耳を傾けてあげてただけなのに、あいつらは勘違いしてユウ君に愛してもらえると思い込んでた。馬鹿だよね最低だよねクズだよね。

 ユウ君は私と運命で結ばれてるのに……私知ってるよ、ユウ君が困ってたの。

 だからね。私――」


 ぱんっ。


 突然スプーンの頭が、真っ二つに割れてた。

 まるで芽が出た植物の双葉のように、ぱっくりと避けてしまったのだ。

 どうやってやったかわからないが、指で触れてすらいないぞ。

 ミストはなおもそれを弄りながら、こう言った。


「ユウ君の代わりに、二度と雑音を吐けないようにしてあげたよ」


 背中に、ぞくりと鳥肌が立つ。

 二つに割れたスプーンが、まるで人間の頭がそうなった事を暗示しているようで指先が震えた。ミストは何か嬉しい事を反芻する様に思い出し笑いをしながら、

「静かになったときは、ほんっっっっとうに胸がすっとしたよ。でも最後まで反省しないでユウ君の事呼んでたから、もう少しわからせてやっても良かったかも。

 うふふ、残念。

 ユウ君にも見せてあげたかったけど、優しいユウ君はビックリしちゃうかな?」


 どういう意味なんだよ、それは。

 ミスト、お前まさか、亜利奈とローゼ姫を……?


「でもユウ君はほら、素敵だから。かっこいいから。きっと新しい雑音がユウ君を困らせるに決まってるんだ。でもね大丈夫。ここに居れば雑音は聞こえないよ。私がユウ君を護ってあげるから、ユウ君は安心してね」

 ミストはにこりと笑んだ。

「二人でゆっくり愛を育もう♪」

 亜利奈とローゼ姫はどうなったんだ。そう聞こうとしたが、寸でのところで自分の警告を思い出して留まる。〝リセット〟されたらこの焦燥感すら奪われてしまう。

 今は一刻も早く脱出する事を考えるんだ……っ。

「でも、息が詰まるな。ずっとここに居なくちゃいけないの?」

「ううん、ずっとじゃないよ」

 ミストが立ち上がる。そして俺の傍に歩み寄る。ちょっと身構えると、「腕を出して」と言ってきた。リストバンドに入っているE:IDフォンだ。

 それに蓋をするように手を置くと、耳元に顔を寄せて、


「ユウキ……スキ。ダヨ。ア、イシテル。

 $##。アナタノソバニ、※#……」


 驚いた。

 片言でかなり不明瞭だったが、聞こえてきたのは確かに〝日本語〟だ。

 ミストはE:IDフォンを通さずに日本語を喋ったのだ。

「驚いた?」

 E:IDフォンを解放して、ミストは得意げに言う。

「あ、ああ。ビックリした。

 一体いつの間に……?」

「えへへ、ユウ君のために一生懸命練習してるんだよ」

「俺のために?」

「うん。……そしたらこれ、もう要らなくなるでしょ?」

 ミストはE:IDフォンを示して言った。

「いや、これは俺の大事なものだから」

「なんで?

 この世界の言葉は私が通訳するよ。魔物に襲われても私が守ってあげる。

 必要なものは私が用意してあげるし、荷物も私が全部もってあげる。

 そしたらもう、要らないよね、これ」

「そ、そうかもしれないけど、何も捨てる事無いだろ?」

「ダメだよ。これがあるとね、また雑音が聞こえてくるかもしれないでしょ。

 それがまたユウ君を惑わすかもしれないもん。

 ねぇ、ユウ君、そうでしょ? 私何か間違ってるかな?」

「…………ぇっと…………、」

 何か反証しないと、これを取られてしまう。それだけは絶対に阻止しないといけないのに、ミストの理屈が完璧で言葉がうまく出ない。

「なんでユウ君、黙っちゃうかな?」

「…………」

「それね、〝あいつ〟の匂いがするの。

 早く捨てないと、またユウ君の心を惑わせるんだ。

 ……。

 …………。

 …………ねぇ、もしかして」


「そこから〝あいつ〟の声が、聞こえてくるの?」

「――え?」

 俺が黙ってしまうと、ミストはとんでもない邪推を始めてしまった。


「そうなの? ねぇ、そうなんでしょ?

 私には聞こえないように、〝あいつ〟の声が聞こえるんでしょ?」

「せっかく綺麗にしたのに……!

 ユウ君を綺麗にしたのに……ッ!!」

「〝あいつ〟、またそうやって私達の邪魔しようとしてるんだ……ッ!!

 雑音を流し込んでユウ君の事穢そうとしてるんだ!!」

 ミストは火がついたように連鎖してありもしないことを羅列してどんどん被害妄想を膨らませていく。まともじゃない。


「違う、ミスト、違うんだッ!!」

「なにが違うの!?」

「俺は誰とも連絡なんて取ってない。

 本当だから!」

「じゃあそれもう要らないでしょ!?」

「わかった、ミストが俺の言葉を覚えたらこいつは捨てるよ!」


「――……うん♪ 約束だよ」

「ああ、約束だ――え?」


 パニック気味だったはずのミストが一転、けろっとした顔で、

「よかった。約束してくれて♪」

「あ、お、お前……だ、騙したな!!」

 咎めると、ミストはぺろっと舌を出した。

「ごめんね。ユウ君がそれ、中々捨ててくれないの知ってたから」

「だからって騙すにしても他にあるだろ!

 今のはシャレになってないぞ!!」

「うん。だって」




「シャレじゃないからね」




「……………………」

 ふっと出た言葉が、異様に重い事がある。どういう意味かははっきり測り兼ねるが、その一言に俺は責める気も萎え、威圧感に鳥肌が立った。

「さあ、ご飯食べようよ。

 カレー、冷めちゃうよ?」


 いずれにせよ、ミストが俺の言葉を覚えきる前に脱出しなくちゃな……。

 E:IDフォンを失ったら、本当に何もできなくなる。そしたら完敗だ。

 ミストの能力が未知数だからはっきりとはわからないが、タイムリミットは近いと見ていいな……。


「明日のリクエストは何かある?」

「豚骨ラーメン」

「うん。わかんないけど、創ってみるよ♪」

 ……やっぱり無茶苦茶だよ……。

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