第56話永遠の逃避
ベンチが散乱した大聖堂の中を、かつん、かつんと金属が大理石を打つ音がする。
彼女は鉄の棒を握り、ふらりふらりと揺れながら歩み寄って来る。
「あ、ああ、あ、あり……な、」
その姿を見て、祐樹は真っ青になった。
「亜利奈、どうしてここに?」
「ふふっ。亜利奈はね、ユウ君がだーいすきだもん。
ユウ君が行くとこならどこにでもどこにでもどこにでもついていくよ?」
もう少しで永遠の逃避が叶うところだったのに。
この女は、死すら許さないと言うのか?
「そ、そうか……亜利奈は凄いな」
祐樹は慌てて取り繕い、立ち上がると、
「もう大丈夫だから、帰ろう、亜利奈」
と、努めて冷静に言った。
その瞬間、ローゼの中で火が付いた。
「――嫌よ」
「は?」
ローゼの中で何かが渦巻く。
祐樹さんが奪われる。私と心中しようと覚悟していた祐樹さんが奪われる。祐樹さんは私と逃げるって言ってくれた。私を殺してくれるって言った。祐樹さんが私を置いていく。亜利奈の所に行く。亜利奈と一緒に帰る。私じゃない所に帰る。私を殺さずに置いていく。祐樹さんが行っちゃう。私の傍から居なくなる――、
「そんなの絶対に嫌ァッ!!」
ローゼは離れた祐樹に飛びついた。
勢いで祐樹は転倒、後頭部を強かに打つ。が、ローゼは夢中になってそんな事に気を取られている余裕はなかった。馬乗りになる形で祐樹に訴える。
「置いていかないで、祐樹さんっ! ちゃんと私と死んでよっ!!
一緒に死んで欲しいって私に言ったじゃないっ!!」
「ま、まってローゼ……、亜利奈が居るんだ……」
「亜利奈なんかどうでもいいのッ!!」
ローゼはあたりを見回す。女の力じゃダメだ。
なにか手頃な、できれば鋭利なモノが必要だ。
手近にあった木片を手に取る。
折れたベンチの脚だ。断面が斜めで、杭のようになっていた。
これならちょうどいい!
「止せ、ローゼ、何する気だッ!?」
「大丈夫ッ! あの女より先に私が殺すからッ!!
それが祐樹さんの望みなら――ッ!!」
愛する祐樹をこの手にかける事は身が捩れるほど辛い行為だがそれが彼の望んだ事なら全て叶えてあげよう。私が先か彼が先か順番が逆になっただけだ。
むしろこの罪を祐樹の代わりに背負えることは正義とすら思えた。
「ひぃ、う、ウソだろ、ローゼ……」
彼は怯え、震える。死への恐怖は簡単には拭えない。ローゼだってそうだ。
彼の絶望的な表情に涙が溢れる。悲しみが頬を伝う。
だがそれらの感情は、この行為には、二人だけの世界に向かう旅路への越えるべき障害物でしかない。今二人に必要なのは恐れや悲しみでは無く全てを乗り越える燃えるような激情なのだ――ローゼは甘く優しく恋人に囁いた。
「ごめんなさい。怖いですよね。痛いかもしれないね。
でも大丈夫だよ。すぐに何にも感じなくなるから。
愛しています祐樹さん。私を選んでくれてありがとう。
すぐにさっきみたいに、二人だけの甘い時間を永遠に――」
ローゼは、杭を、振り上げ――、
「た……、助け……」
「…………」
「助けて――くれ……」
「…………」
彼が両手で抵抗の意志を示し、助けを懇願する様を見て、ローゼは動きを止めた。
「――あなた……誰?」
こいつは祐樹じゃない。
祐樹なら、こんな情けない姿を見せはしない。
祐樹なら、一緒に死のうと覚悟すれば受け入れてくれる。
祐樹なら、ローゼをこんな風に拒絶はしない……っ!
こいつは――祐樹じゃない虫けらだッ!!
ダンッ!!
ローゼは木片を相手の胸に突き立てた。
偽祐樹の口から血が溢れる。コップに水を張り過ぎたような様だ。
汚らしい血が一滴吹き上がり、ローゼの服を汚す。
ちっ、と舌打ちして立ち上がり、ローゼは亜利奈こう言った。
「それ貸してください」
亜利奈から鉄の棒を預かると、ローゼは偽祐樹の脳天に叩きつけた。
赤黒い何かが大理石の上に撒き散らかされ、顔は変形し目玉が浮き出て魚のようになってしまった。
ローゼは無感動に亜利奈に尋ねる。
「〝これ〟……なんなんですか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます