第46話路地裏の誘惑

 やわらかそうな臀部が、踊るように左右に揺れる。

 ロングヘアが靡くたび、綺麗な肩甲骨が露わになる。

 ――ミストは生まれたままの姿で、薄暗い路地裏を跳ねていた。

 透き通った白い肌を全て曝け出したその背中を、俺は必死に追っかけてる。


 なんて無茶苦茶な状況なんだ!


 イスキー邸の地下でもそうだったが、あいつは露出狂のケでもあんのか?

「まてよバカ、何やってんだッ!

 誰かに見られたらどうすんだッ!!」

 そう怒鳴ると、ミストはさっと霧化した。

 ……かと思えばすぐさま俺の側に出現し、

「しーっ!」

 と人差し指を唇に当てて、

「……ユウ君。

大声出すと、みんなに気付かれちゃう」

「――……っ」

 お風呂で見たあの胸が、肩が、すぐ側で揺れる。

 少し桃色に上気した頬で、ミストは微笑んでいた。

 いきなり裸のミストがすぐ側に現れ、俺は沸騰しそうになった。

「みんながこっち、見に来ちゃうよ?」

「お、おう、そ、そうだな、大声はダメ、

 ――――じゃないッ!!」

 俺は持っていたミストの服を突き付けると、

「ふ・く・を・き・る・ん・だ……ッッ!」

 殺した声で叱った。

 するとまたミストは消滅、ちょっと向こうで実体化すると、

「やだよーう。

着せたかったら捕まえてっ!」

 投げキッス&ウインク、いろんな意味で俺を挑発してきた。

「早くしないと、私の裸、みんなに見られちゃうっ!

 いやん、どうしよ?」

「困るのはお前だろうがッ!」

「じゃなんでユウ君は追いかけてくるの?」

「~~~~――――ッ!!」

 とどのつまり、俺はミストの裸を誰かに見られるのが嫌なんだ。

 他の男に見られるかもしれないと思うと、頭がクラクラする。

 絶対にそれは阻止しないといけない。

 俺は走り出した。




 ……散々振り回されること数十分。

 いつの間にか、俺はミストを袋小路に追い詰めていた。

「ぜぇ……ぜぇ……」

 霧化するミストのことだから包囲はなんら意味がないが、今度は彼女も逃げる気は無いらしく、息の上がった俺を見て微笑んでいる。

「いい加減……、服……着ろよ……ッ!」

「やだ。もうちょっとこのままがいい」

「おま……へんた……い、かよッ!」

「えへへ、そうかも。

 ユウ君はこういう子、嫌い?」

「…………」

 そりゃどっちかというと好きですが、まあそこは言わず、

「なにやってんだ、こんなところでいきなり服脱ぐとか!

 どうゆうつもりだよ!」

 と叱りつけた。

 ミストはキャッと冗談めかした悲鳴を上げた。

 そして嬉しそうな顔でこう言った。




「えへへ、ねぇ、ユウ君。

 今は誰の事考えてる?」




「はぁ?」

 意味が分からず俺が眉をしかめると、

「ふふっ、嬉しいな。

 今ユウ君は私の事で頭がいっぱいなんだ。

 亜利奈ちゃんでも、ローゼ姫でもなくて、目の前にいる私でいっぱいなんだ。

 ね? これでもまだ、亜利奈ちゃんの事考えてられる?」

「……お前、そのためにこんなバカな事してるのッ!?」

「そうだよ。ごめんね、ユウ君。

 えへへ……こんなところでこんな格好で、おかしいよね?」

 そう言って自分の胸に手を当て、

「でもね、どうしよ。

 今、私、……すごく嬉しいの」

 ――ミストの様子が変だ。

 いやとっくに変なのだが、もっとなんというか……、


 さっきまでとは違って、〝艶っぽい〟?


「ユウ君が私を見てる。ユウ君が心配してくれている。

 それがたまらなく嬉しいの……」


 ミストの頬が、桜色に染まる。

 潤んだ瞳が、俺を映す。

 熱を帯びて湿った吐息が、外気に掻き消えていく。


「この格好、ホントはすごくすごく恥ずかしいんだ。

 自分を捨ててるみたいで、自分を投げ出してるみたいで。

 寒くて、怖くて。

 自分じゃ何にも守れない気がして、すごく心細いの」


「でもね、ううん、だからこそ。

 ユウ君に傍で〝護られてる〟って、嬉しくなるの」


「ユウ君……ねぇ、こっち……もっと見て。

 ここにも心配な子がいるよ?

 気にしてくれないと、危なっかしい子がいるよ?」


「困ったね。どうしよっか。

 目を離したら……どうなっちゃうんだろうね?」


「……………………」

 声が出ない。

 瞳に吸い寄せられるってこういう事を言うのか。

 しっかり者ではつらつとしているのはずのミストが、魔性の笑みで俺を縛る。

 そのギャップに惹かれていく。

 思考をもぎ取られていく気分だ。

「私、ユウ君のモノなんだ。

 護ってくれないとやだよ。

 もっと見てくれないとやだよ。

 ねぇ……、ユウ君……」

 ミストは一糸まとわぬ姿で、全てを曝け出し、俺にこう言った。


「〝お願い〟したら、今度は触ってくれる?」


「……!」

 ミストは俺の弱点を把握して言っている。

 とんでもなく流されやすいっていう短所だ。

 亜利奈の事を封じて、自分だけに注目させて、そして、

「じゃないと、私、今度は何するかわかんないよ?」

 ……外せない枷を作る。

「ね、ユウ君はもう知ってるよね。

 私、本気になったらわりとなんでもしちゃうよ」

 そういう事を全部計算した上で、俺を誘っているんだ。

「大丈夫、ユウ君。

 悪いのはぜーんぶ私だから」

 カチャリ、カチャリ。

 カギが外れる音がする。

「ユウ君は優しいから、私のわがままに付き合わされているだけだから」

 俺の中にある、〝なにか〟を封じ込めているカギを、ミストが丁寧に外していく。

 まずい。ヤバイ。

 ……このまま二人っきりじゃ、これ、止められない。


 俺はミストに誘われるまま、その柔らかい乳房に――、








 すかっ。




「……っと、おうわッ!?」

 わしづかみしようとしたそれが、突然消滅する。

 わりと勢いがあったため俺は空振り、つんのめる寸前で踏みとどまった。

 もみしだく直前でミストの奴、霧散しやがったっ!!

「え、なに、……これおあずけなのっ!?

 ここまで来て!?」

「なにがおあずけなんですか?」

「……え?」

 後ろから聞き覚えのある声がする。

 振り返ると、そこにはなんと、


「ろ、ろろろ、ローゼ姫ぇぇぇッ!?」


 つい数時間前に王城の高い所から下々を見下ろしていた高貴なお方が、城下町の路地裏でニコニコと微笑んでいた。

「しーっ、ローゼではありません。

 貧乏貴族の三女、ドゥミですよ」

「……は、はあ」

今回はそういう設定らしい。

 確かにローゼ姫の髪からドゥミ嬢のヘアスタイルに変わり、服装も、ミストよりは質が良さそうなものの、今までのそれよりはずいぶん質素になっている。

「どうしてここに?」

「祐樹さんこそ、こんなところで何をなさってたんですか?」

「えっ!?」

 やばい、……まさか見られてないよね?

「こんな路地裏で、そんなに汗をかいて……。

 どうなさったんですか?」

 ……うん、どうやらばれてないっぽいぞ。

「み、み、……道に、迷って」

 かなり苦しい言い訳だな……。

 でもそこで浮遊している霧状の美少女と破廉恥行為に及んでたとか言えないじゃん?

「あらあら。慣れない土地だから、大変ですね」

 するとドゥミ嬢は案外納得してくれたらしく、気遣ってくれた。

「それにしても……」

 ドゥミ嬢は、ひらひらの付いた扇子をパッと開いて、


「ここ、なんだかジメジメしてますよねー」


 とパタパタ煽ぎ始めた。

 ……そんなことしたらミストちゃんが散り散りになっちゃうんですけど……。

「湿気はカビの元ですから、念入りに煽いでおかないと。

 奴らはパンでも服でもなんでも腐敗させますからね。あーやだやだ」

 ドゥミ嬢はちょっと執拗に扇を揺らし、空間の湿度を一気に下げにかかる。

 ……。

 …………まさか、知っててやってないよね?

「ああ、そうだ、祐樹さん。用意させたお部屋はどうですか?」

「え、あ、……うん、割といい。

 今家具を買い揃えてたところだよ」

「そうですか。ではどうでしょう。

 もう道に迷わないよう、私が買い物のお手伝いをさせていただきましょうか?」

「へ? ……えーっと」

 ……ど、ど、どうしよ。

 ミストを置いてはいけないし、かといって裸のミストを見られるわけにはいかない。

 俺がまごついていると、ドゥミ嬢は、

「何か不都合でも?」

「ああ、いや……特に……」

「じゃあいいですよねー?」

「……あの……、

 ……、…………。

 ………………はい」


 ミスト、ごめん。

 服ここに置いとくから……。







 ドゥミ嬢と祐樹が去った路地裏。

 ぽつんと置かれた女性用の服だけが、異彩を放っていた。

 人気は無く、数秒間静けさを保っていたそこに、

「っく……」

 誰も居ないにもかかわらず、


「くーやーしーいーッ!!」


 と怨念こもった声が轟いた。

 とたんに全裸の少女が出現する。

「あのわんわん姫ッ!

 もうちょっとでユウ君を私に引き付けられたのに……ッ!」

 ミストはテキパキと服を着ると、

「っていうかついでにお嫁さんポジも盗っていかれたッ!

 泥棒ネコッ!! 人をカビ扱いしてッ!!

 ぜぇぇぇぇつったい許さないんだからッ!!」

 と、逆襲すべく表に飛び出した。

 だが人の往来で賑わう商店街に、二人の姿は無い。

「もういない……、どっちにいったのかしら……?」

 ミストが左右を見渡している最中、




「イスキー邸に勤めていらっしゃった、ミストさんですね?」





 燕尾服を着た、体格の良い男が彼女を呼び止めた。

 身なりからして、どこかの貴族の召使いのようだ。

「そう……ですけど」

 ミストが答えると、男は頷いてこういった。

「ある方が、あなたに会いたがっておられます。

 ご同行願えますか?」

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