第11話羽虫の絶命

 祐樹を伴ったドゥミ嬢が客室を出る。

 扉が開けっ放しになり、付き人〝役〟の祐樹は慌てて引き換えし扉を閉めた。


 彼らは数メートル先の階段、その天井に張り付き息を潜める影に気が付かない。

 そう、邪悪な夫人が雇った暗殺者だ。

 彼は魔法によって周囲の背景に溶け込む不可思議な衣装を纏い、そして鍛え抜かれた精神力で気配を消し、ターゲットの到来を待っていた。




 手筈はこうだ。




 標的の祐樹が階段を下り始める。そこで暗殺者の口から毒針が吹き出す。

 針は祐樹の首に刺さり、神経毒で彼の心臓が鼓動を止め、バランスを失った身体は階段から転げ落ちる。この針も魔法によって毒液そのものが冷凍された代物だ。


 すぐに消滅し、証拠は残らない。


 きっと彼の死は階段から転落した事故として処理されるだろう。さもなくば何者かによる呪いか……もっとも、そこから先は暗殺者の知るところではない。


 暗殺者は息を潜め、いつまでも待つ。

 祐樹がやってくるその瞬間を……。







 俺はドゥミ嬢と共に、横寸が自室ほどの広さがあるあの廊下を渡る。

 程なくして亜利奈と別れた階段が見えてきた。


「亜利奈の奴、しっかりやってるかな」

 ふとあいつを思い出して、そう呟いた。

「あら、失礼ね。私と一緒に居るのに他の女の事を考えてるなんて」

「い、いやー……。

 別にそう言うつもりじゃ」

 なんか恋愛対象みたいに言われると、なんか、こう、ムズムズする。

 ドゥミ嬢は俺の動揺を悪戯っぽい目で楽しむと、

「冗談よ」と笑った。


 外に出たからか、ドゥミ嬢がサドっ気の高飛車キャラになってるな。

 スイッチ切り替え早いよ。


「あの子のことが心配?」

「あいつ、おっちょこちょいだから……。

 目を離すとすぐ問題起こすし、人付き合いも苦手なんだ。

 酷い目に合されていないといいんだけど」

「まるであなたが居ないと何もできない娘みたいじゃない」

「そうは言わないけど……でも、一人でやっていける奴じゃないからさ」

 そう言うと、ドゥミ嬢は首を傾げて、

「あの子はあなたが思っているほど鈍重じゃないし、むしろ怖いくらいに狡猾よ」

「はぁ?」

 高校二年生にもなってお箸を幼児みたいにグーで握るポンコツだぞ。

「どこを見たらそんな評価になるのよ」

「さぁ?

 ……女の勘ってやつかいしら?」

「あいつを狡猾というのなら、狡猾という単語は俺の認識しているそれとは別の意味としか考えられない。異文化まじこえぇ」

「ずいぶん低く見てるのね」

「実際おバカだし……」

 そう言って俺達が階段を下りはじめたところで、





「ユウくぅーん!」





 ……うわっ!

 メイド服に身を包んだ当人の御登場だ。

 よう、調子はどうだい……なんて声を掛ける余裕はなかった。

 何を思ったのかあいつは俺の元まで猛ダッシュ……てか、速ッ!

「あぶなああああーいっ!」

 あっ、という間に俺の後ろに飛び込むと、


 ばちーん


 と、首筋に平手を見舞ってくれたのだ。

「イッテッ! なにすんだよ!」

「ご、ごごご、ごめんなさいいいっ!

 亜利奈はダメでクズなメイドですっ!

 好きなだけ罵ってくださいっ!

 け、け、蹴飛ばしてくださいぃっ!」

「お前の仰天趣味はいいんだよっ!

 理由を言え理由をっ!」

「だ、だって……」

 亜利奈は手のひらを見せる。




 そこには小さな羽虫が絶命していた。




「蚊が止まってたから……」

「あ、マジか……。サンキュー。

 お前、よく今の距離で蚊が見えたな」

「え、えへ、えへへっ。

 亜利奈、視力は悪いけどユウ君だけは何メートル先でも観察できるよ!

 人ごみの中からユウ君の足音だって聞き分けられるんですっ! 匂いでも可!」

 何を得意げに……。

「お前、お嬢様の表情見てみ?

 完全にドン引きしてるよ。

 あと蚊ぐらいで大騒ぎしすぎだろ」

 俺がのんきにそう言うと、

「だ、ダメだよ、蚊を侮っちゃ!」

 と凄い剣幕で言われた。

「蚊は伝染病の媒介主なんだよ!

 特に他の国で蚊に刺されるのは耐性や治療法のないケースが多いんだからっ!

 ――って、お母さんが言ってたよ」

「お……おう」


「ユウ君がHIVや梅毒を患ったりしたら、あ、あ、亜利奈はどうやって生きていけばいいの?」


「なんで性病患う事になってんだよ」

 しかも梅毒で蚊が媒体とかありえない。

「そ、そ、そうだよね。

 ああ、亜利奈にはか、関係ないよね。

 ユウ君がどんな性病を患うかなんて」

「だから性病から離れろ!」

「で、でもね、亜利奈なら……例えどんな病気をうつされたとしてもユウ君を受け入れる事ができるよっ!」

「やめろ、やめろーっ!」

 人前でなに言ってやがんだこのバカっ!



「ドゥミ嬢……ごめん。

 こいつすぐ生々しい話するんだ。

 聞き流して」

「い、いえ……勉強になります」

「はぁっ?」

「ハッ! いいえっ!

 こ、この、少しは恥を知りなさいっ!

 ふん、ほんと……イケないわ!」

 おい今、何か前のめりだったのを必死に取り繕ったぞ。

 このお姫様も大丈夫なのかなぁ……。

「でもまあ、病気の件は確かに亜利奈の言う通りだな」

 E:IDフォンに虫除けスプレーが入っているから、後で処置しよう。

「迂闊だったよ……助かった」

「え、えへへ」

 礼を言うと亜利奈はとろんとした笑顔を見せる。いつもの仕草だ。

「あ、あの。

 ご、ご褒美なら、おもいっきり踏みつけて頂けると……」

「却下だ」

「うぅ……せっかくのメイド服なのに」

「メイド像が歪み過ぎだ。

 他のメイドさんに謝れ」


 俺達は三人で階段を降りる。

 ドゥミ嬢と亜利奈に挟まれる格好だ。

「亜利奈、お前しっかりやってる?

 他の人とトラブル起こしてない?」

「う、うぅん……なくはない……かな?」

「おいおい。大丈夫なのかよ」

「うん。亜利奈は大丈夫。

 ……ユウ君も、虫には気を付けてね」

「注意点そこかよ」

「ホントに危ないんだから!」

「へいへい」

 ……うん。

 メンタルはへし折れてないな。

 ダメになってたらここで泣き言が飛び出してるはずだし。




「そうだ、ちょうどよかったわ。

 私たちは礼拝堂にいくと、トリスに伝えてもらえるかしら?」

 ドゥミ嬢から伝言を受け取り、亜利奈は頷くと、

「じゃあ、私お仕事あるから……」

 と手を振って別れた。

 ……まあ。

 なんだかんだ大丈夫そうでよかった。

 一抹の不安は拭えないものの、その背中を見届けて、俺はちょっとだけ安心していた。






 祐樹達が屋敷を後にするその天井で、人知れず待ち続けていた殺意は移動を始めた。

 暗殺者は平静を装っていたが、彼の動揺は計り知れない。

 予定通りに標的が現れ、吹き矢を放ったところで思わぬ邪魔が入った。

 計算しつくされた一撃は反れ、床を打ち抜いて消滅した。

 まあ……そこまではいい。

 なんと対象の周りを、メイドと令嬢が護るようにして階段を下ったのだ。

 あの配置では吹き矢による暗殺は不可能だ。

 どう狙っても、対象外の人間に当たってしまう。




 ……計算してやっているのか?




 いやいや。よもや、自分の主を盾にする付き人など居ないだろう……そもそも、奴らはこちらの存在に気付いていない。偶然だ。そうに違いない。

 彼はそう納得し、次の手段のために屋敷の外へと出る。礼拝堂に向かうというのなら、今度はそちらで待ち伏せだ。




 イスキー邸の庭は雑木林で覆われているため、その中に入ってしまえば庭園を抜ける正規ルートより遥かに早く辿りつく。

 彼は忍び足で、かつ常人より素早く雑木林を駆け抜け――……。


 そこにメイドが一人が立ちはだかり、いよいよ暗殺者は仰天した。




 亜利奈だ。




 彼女には不可視の衣も通用しない。

 暗殺者の存在などお見通しなのだ。

「ああなんてこと。

 大事なユウ君にまだ害虫がぶんぶんぶんぶん付きまとってるわ」

 亜利奈は嘆く素振りを見せ、

「でもわからなくはないの。

 ユウ君の香りはまるで花弁から滴る蜜のように甘いのだから。

 虫が付くのは、しかたないよね」


 暗殺者はメイドが普通じゃない事に気付いたのだろう。

 小刀を構え、臨戦態勢に入った。

 だが亜利奈は気にも留めずに、うわ言の如く喋り続ける。

「そうだっ!

 ねえあなた、ミツバチになって!

 それでユウ君の雄しべから人知れずに花粉を盗んで、私の雌しべに受粉させて!

 それがいいわ! だってそうすればユウ君に迷惑を掛けずに私でも崇高な彼の遺伝子をもった子供を授かれるのよ!」


 理解の範疇を越えているのか、興味が無いのか。暗殺者は亜利奈の戯言に反応しない。

「あれ。意味、わかるよね?

 ちょっと難しかったかな?

 まあ意味わかんなくてもいいの。

 要するにこれは慈悲深いユウ君からのラストチャンスなの。

 YESって言えば、ユウ君のために役に立つ道具に換えてあげる。大丈夫、そしたらもう考える事とかなくて幸せになれるよ。

 なにより崇高なユウ君に使ってもらえるなんて生物共通の栄誉じゃない?

 嬉しいよね。もうYESしかないよね!」


 暗殺者は返事をしない。

 代わりに予備動作もなく駆けた。

 そして彼は目にもとまらぬ速さで、小刀で亜利奈を一突き――、


「あっそ。じゃあ死ね」

 亜利奈はその小刀を人差し指と中指のみで掴むと、べきりとへし折ってしまった。

 慄く暗殺者に、次の恐怖が襲い掛かる。

 亜利奈は敵の頭を片手でつかむと、


「害虫駆除」


 と、その鼻腔に市販の殺虫スプレーをねじ込み、なんら躊躇いもなくぶちまけたのだ。



「あがああああああああっ!」

 生涯を掛け精神力を鍛えてきた暗殺者が絶叫した。

「ガアァァァアアアァァっ!

 アアッ!! アァァッ!!

 アァァァアアアッ!」



 生命力の高いゴキブリすらマヒさせる劇薬が彼の粘膜に刃で切り刻むような衝撃を与え、その体は持ち主の意思を無視して痙攣を始め、暗殺者は腐葉土の上をのたうち回った

 亜利奈はその額を踏みつけ、下着が見える角度であることもお構いなしに、


 ブシュウウウウ!


 っと、顔面にスプレーをお見舞いする。

「ヒギャアアアアアアアッ!」

「大丈夫っ! すぐには死なないからっ!

 亜利奈の計算だとあと三分持つよっ!」

 それはすなわちあと三分間地獄の苦しみを続けろと言う宣告だ。

 亜利奈は悶える男を魔法で拘束した。

 こうなっては、巨大な芋虫が痙攣しているようだ。

 そして亜利奈は地面に腰を下ろし、何を思ったのか男の頭を膝に乗せ、赤ん坊をあやすかのように頭を撫でた。


「よーしよし。

 人生最後に間違えまちたでちゅねー」


 男の眼は充血し、浮きでている。顔は朱をぬったぐったように真っ赤に染まり、鼻からは体液が止めどなくあふれ出て、猿ぐつわされた口からは人間のモノとは思えない雄叫びが漏れ続けた。

 転じてそれを見る亜利奈は母親の如く慈愛に満ちた表情で、

「大丈夫でちゅよー。冥土の土産に、ユウ君のために生きる事の素晴らしさを教えてあげまちゅからねー。生まれ変わったら役立てまちょうねー。

 ふふっ。私ってなんて優しいんだろ」

 と、うっとりした表情で言った。




 ……三分後。




「あれ」

 祐樹の身体的特徴を熱弁していた亜利奈は、聞き手がもう動かない事に気付いた。

 亜利奈は手元にあったスプレーを持つと、シェイクし、被害者の鼻に噴出する。

 死人となった彼は全く反応を示さなかった。


「あーあ。ここからが面白いのに。

 聞き逃しちゃして死んじゃうなんて、あなたホントに残念な人生ね」


 亜利奈が立ち上がる。

 膝で寝かせていた死体は糸の切れた人形のように地面に落下した。

 亜利奈はその死体の着衣を裂き、胸板を肌蹴させると、先ほどへし折った刃の先端を拾い上げた。そして刃先で死体の胸を薄く抉っていく。

 やがてそれは一つの文章になった。


 こちらの世界の文字でこう書かれている。




『こんなザコじゃ俺は死なない。

 もう俺とドゥミに手を出すな!

 さもなくば次はお前の番だッ!』




 数分後、これがウェルシュ夫人の部屋に投げ込まれちょっとした騒ぎになったのだが、秘密裏に処理されたため祐樹とドゥミの知るところでは無かった。

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