夏休み/2

 バスを降りて、そのまま僕は家の前を通り過ぎる。

 ぴこん。

 通り過ぎましたよ?


「少し散歩しようぜ、テラス。ようやっと梅雨も終わったようだし」


 んー、と大きく背伸びをしながら空を見た。まだ雲はあるものの、すっきりとした青空が顔を出している。

 夏への移り変わるこの僅かな季節。雨の湿った匂い、時折吹く涼しい風が心地好い。

 ぴこん。

 どこに向かうの?


「いつもの花畑」


 簡単に答えて鼻唄混じりで足を進める。十数分で僕はまたあの花畑に辿り着いた。

 百合の花はほとんどないが、青々しい葉が鮮やかで美しかった。


「この辺りだったかな、いつも光と話してたのは」


 花畑の中央。いつも光が座って僕らを待っていた場所。


「らっきー、乾いてる」


 よいしょと座って、空を見た。さっきとほとんど変わらない。

 ぴこん。

 どうして、急に?


「テラス、肩じゃなくて正面においで」


 ふわりとした軌道を描いて、テラスは僕の真正面で首を傾げる。


「ここで、光とたくさん話したんだ。だから、お前とも話したいなと思ったんだ」


 テラスの頭を指で撫でる。テラスはきゅっと目を瞑り気持ち良さそうにしていた。


「光にはさ、学校の話とか、将来の話とか、本当に色々話した。お前は知らないだろうけど、僕は小さいころ研究者になりたかったんだぜ?」


 ぴこん。

 何の研究者ですか?


「お前たちの研究者だよ」


 あのリベリオンの一件以降、僕にははっきりと思い出したことがある。それは光のこともだが、自分の夢もだった。


「昔からバディゲームが好きだったんだ。なんでかな……自分だけの相棒とか、そういう世界に一つだけの特別なものが好きだったのかも」


 今もそれは変わっていない。ただ、特別なものが好きという単純な理由とは少し違っていた。


「テラス、また花火出してくれよ」


 む、とテラスは目を細めた。


「あ……海藤の時は悪かったって、な?」


 つーん、とテラスはそっぽを向いた。


「期間限定の夏みかんサイダーで許してくれ、な?」


 少し考える仕草をテラスはすると、頷いて可愛らしい笑みを浮かべた。そして控えめな花火をテラスは出してくれた。


「ははは、バディタクティクスの時とは大違いだな。可愛いもんだ」


 その花火は色鮮やかで、テラスも楽しそうであった。


「もっとお前たちと遊びたいな……」


 〝誰かの相棒が傷つく〟ゲームじゃなく、〝誰もの相棒が楽しむ〟ゲームを考えたかった。みんな笑顔で遊んで、勝ち負けがあるのに全員が手を取り合えるようなゲーム。理想でしかないそんなものが、きっと〝どこか〟にあると願っていた。〝自分が〟作れるんだと思っていた。


「ははっ、忘れてればいいのに。ホント僕は馬鹿だな」


 そんなものないと、自分は証明しているじゃないか。

 誰もが勝利を望み、そして敗北を知るバディタクティクス。今勝てているのは校内大会。地区大会ではもっと強い相手がいる、そして全国ではそれ以上だ。

 いつまでも僕らは勝利者ではいられない。いつか敗北者になるのだろう。そのときはきっと、僕は笑っていない。きっと泣いている。もっとこうしていれば勝てたというのに、あそこでああしていれば良かったのに。きっとそんなことを考えているに違いない。


「なぁテラス。負けても笑っているゲームって何だと思う?」


 そんなくだらないことを、テラスに聞いた。

 ぴこん。

 クイズですか?


「そうだな、クイズだ。わかるか?」


 ぴこん。

 簡単です。にらめっこです。


「……そっか、にらめっこか」


 本当にこいつはいつもいつも僕を楽しませてくれる。


「そうだな、ははは、にらめっこなら負けた相手は笑っていられるよな」


 答えは簡単に考えればいい。今はそれでいい。

 そして少しだけ、大きく息を吸い込んだ。


「テラス、改めて謝りたい。ごめんな。記憶喪失……いや、記憶をなくしているフリしている間、お前にひどいことばっかり言ってた」


 深く、テラスに頭を下げた。


「その……やっぱり僕の相棒はお前しかいないって思ってる。これからもいっぱい助けてほしい。僕もお前のためにいっぱい頑張るから」


 ぴこん。テラスの呼び出し音に顔を上げると、満面の笑みを浮かべながら。

 勿論です、マスター。私のマスターはあなただけです。


「さんきゅーな、テラス」


 テラスは僕に頬擦りして、喜びを全力で表現してくれる。そんなテラスがとても愛しく、可愛らしい。


「にぃ、遅いと思ったらここにいたんだ」


 声をかけられ振り向いた。


「愛華……?」

「今日は私が退院したのに、すぐに帰ってきてくれないんだね」


 愛華の左目にはまだ包帯が巻かれており、右目には涙が溜まっていた。


「どうして……いっつもにぃは、私から離れていくのさ」


 ぽろりと、愛華の右目から涙が零れた。

 愛華は僕の答えを待っていた。だけど僕はそれに答えず、自分の横をぽんと叩く。


「こっちに来いよ、愛華」

「にぃがこっち来てよ」

「来いって」


 拗ねるように目を伏せながら、結局愛華は僕の隣に腰を下ろした。


「髪とか切らなかったんだな?」

「別に、怪我したわけじゃないもん」


 愛華が僕の右側に座ったせいで、はっきりとした表情はわかりにくい。


「愛華も光によく遊んでもらったよな」

「知らない」


 表情はわかりにくいが、まぁきっと不機嫌な顔はしているのだろうなと予想できる。


「愛華はよく昔から僕の後ろ付いてきたよな」

「にぃがいつも勝手にどこかに行くからでしょ」


 一言二言の会話。その度に少しの沈黙が訪れる。


「まな……」

「まだ返事聞いてない。にぃはどうしていつも……」


 こちらを向いた愛華の顔は、子供の時によく見たものだった。

 小さな時からいつも、この顔には弱かった。何とか笑わせてあげたい、涙を止めてあげなくてはと、いつも胸が締まった。


「離れてないよ」

「嘘。子供の時は天草ちゃんのところにいつも行ってた。天草ちゃんがいなくなったら、遥香ちゃんとか正詠くんのところに行ってたじゃない」


 愛華は右の涙を拭う。


「私のこといつも放っておいてるじゃない。助けてほしいときも、守ってほしいときも、いつもいなかった。遥香ちゃんも正詠くんも、みーんなあとから来るだけで、私を守ってくれないじゃない」


 愛華の頭を撫でる。


「子供扱い、やめてよ……」

「妹扱いしてんだよ」

「バッカじゃないの……」


 そうだったな。いつもお前の側にいたわけじゃなかったな。何かあった後に、駆けつけていただけだった。


「なぁ愛華。お前は、僕にどうしてほしい?」

「……」


 逡巡し、愛華は僕をじっと見た。


「約束してよ。今度は絶対、何か起こる前に私を助けるって」

「難しいこと言うのな」

「約束をちゃんと守ってくれたら、今までのこと全部許してあげる」


 唇を一文字に結ぶ愛華は、強がっているように見えた。


「約束するよ。その代わりお前も約束してくれ」

「なに、をさ」

「正詠たちにちゃんと謝って、パーフィディ達のこと、全部話すって」

「何それ、勝手すぎ」


 ようやく愛華は笑みを浮かべた。


「そしたら絶対に兄ちゃんが守ってやる」

「絶対に?」

「絶対に」

「本当に?」

「本当に」


 そして愛華は左の小指を出した。


「指切りして」

「よっしゃ」


 僕と愛華は指切りの歌を口ずさむ。


「そういや愛華」

「なに?」

「何でお前、僕にそこまで懐いてるんだ?」


 僕としては可愛い妹が自分を好いてくれるのは嬉しいのだが、ここまで好かれる理由はわからなかった。確かに愛華が小さいときから甘やかしてるし、よくかまってはいたけども。


「わかんないの?」

「わかんないな」

「私が池に落ちたとき、助けてくれたじゃん」


 唇を尖らせ愛華は言った。


「あのときがどうかしたのか?」


 愛華がまだ小さいとき、両親と遊びに行った公園で、愛華は池に落ちたときがあった。池とは言え深くはなく、子供でもちゃんと立てばぎりぎり顔が出る程度のものだった。


「そのときにぃ言ってたでしょ」

「えーっと……?」

「〝いつでもそばにいるから、いつでも助けてあげる〟って」


――………


『愛華、いつでも兄ちゃんはお前のそばにいる、だからいつでも助けてやるからな!』

『ほん、とう?』

『おぅ! 兄ちゃんはいつだって愛華の味方だ!』

『うん……』

『何でも兄ちゃんに言えよ!』

『うん、お兄ちゃん、大好き』

『僕も愛華のこと大好きだ!』


――……


 思い出した。あのとき愛華が〝怒られる〟って泣きじゃくってたから、何とかしたかったんだ。

 昔っからできないことをよく約束してたもんだな。あの後父さんと母さんにこっぴどく叱られたし……。


「懐かしいなぁ……」

「だから、いつでも側にいて、いつでも私を助けてよ。勝手に忘れないで、勝手に離れないで、勝手に傷つかないで……」


 愛華は立ち上がると、大きく深呼吸した。


「遥香ちゃん達にはちゃんと話す。でもにぃも、みんなもちゃんと私に話してよね」

「まぁそうなるわな」


 僕も立ち上がって愛華にそう答えた。


「とりあえず帰るか。父さんと母さんに事情説明しないと。言っとくが今回は僕ら二人ともガチで叱られるぞ」

「私は大丈夫だよ。いつでも助けてくれるんでしょ、?」


 悪戯っぽく笑う愛華は、前よりも明るい顔をしていた。

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