日常徒然/プログラムの涙
学校からの帰り道、蓮は珍しく一人で歩いてた。
珍しく、というのは正確ではないかもしれない。これが去年までの彼にとっては普通で、太陽たち複数人で帰ることこそが珍しかったのだ。
梅雨入り前の空はどんよりと曇り、決して気持ちの良いものではなかった。
「ノクト、今日は晴れるか?」
ぴこん。
いいえ、晴れません。
「けっ」
帰り道に天気の様子を聞いたのには理由がある。
「……けっ」
自宅の喫茶店までの道はいつもよりも遠く感じるのか、所々で彼は足を止めて空を見ていた。
ぴこん。
どうしましたか?
「……なんでもねぇ」
そしてまた彼は足を進めた。
太陽が退院してから早くも二日。その二日間太陽はホトホトラビットに通い、いつもの角席で透子に勉強を教えてもらっていた。相棒のおかげもあってか一週間分の復習は終わり、今日はただ遊びに来る予定だったのたが。
――今日は店が休みだ。
――なんだよ、親父さん具合悪いのか?
――……ちげぇ。用事があんだよ。
そんなそっけないやり取りをして、蓮は学校を出て今この道を歩いていた。
自宅の喫茶店の扉には、本日休業の札がかかっており、中は暗かった。その扉を開けると、カウンターに彼の父が喪服を着て紅茶を飲んでいた。
「おう、蓮。行くぞ」
「けっ」
蓮は鞄から財布を出して、鞄をカウンターの適当な椅子に置いた。
父と共に喫茶店を出ると、二人は車に乗った。一昔前の銀色のBMW。内装は今時で、主張しすぎない程度に青色のLEDで飾られている。車内にはクラシックが流されているようで、蓮は不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。
「お前車乗る度にそういうツラすんなよ」
「けっ。お袋はこの一つ前が好きなんだ。さっさと戻せよ」
「あぁ? 細けぇな」
流れている音楽はクライスラーの〝愛の悲しみ〟。この曲の前は〝愛の喜び〟だ。
「お前さっさと車運転できるようになれよ」
「あのなぁ……日本には法律ってもんがあんだよ」
「うるせぇ生意気なガキめ」
運転しながら父は蓮の頭をぐっしゃぐっしゃと撫でた。
そんな会話をしながら車は目的地に到着したようだ。
陽光墓地。喫茶店から約三十分の距離にある。駐車場は空いており、適当な場所に車を停めると、トランクから水桶と柄杓を取った。それを蓮が持ち、父は日本酒を持った。
「また酒かよ……」
「
数分歩くと、彼らは一つの墓の前で立ち止まる。
それから二人は一言も話さずに作業する。墓石を丁寧に洗い、落ちているごみを拾った。やがて片付けが終わると、父は線香に火を点けると手を合わせ静かに目を閉じた。
蓮はそんな父の背中を見て、聞こえないようにため息をつくと同じように手を合わせ目を閉じた。
「真矢、蓮の奴な、友達が出来たんだ」
「なんっ!?」
「良い奴らだぜ。中学のときから喧嘩ばっかでくだらねぇ奴だったのによ、今は楽しそうだ」
「親父、てめ……」
がしっと父の肩を蓮は掴む。
「いいじゃねぇか、蓮。言わせてくれよ、な?」
振り向いた父の瞳には、涙が溜まっていた。
「な……くだらねぇ、泣いてんじゃねぇよ」
そのとき、蓮は太陽の母を思い出し、大きくため息をついてその場に不貞腐れるように座った。
「一つは夢が叶ったんだぜ、真矢。あと三年したらよ、お前がやってたバーをもう一回開こうと思うんだ」
父は淡々と、静かに語る。今は亡き自分の妻に。夢と、これからのことについて。
ホトホトラビットという名前は元々蓮の母……真矢が考えたものだった。昼間は蓮の父、
を地域の住民に提供していた。
「こいつの友達が楽しそうに話してくれるんだ。うちの店でよ。相棒も一緒にホント賑やかでうるせぇったらねぇぜ」
「おい、文句かよ」
ツッコミを入れる蓮を無視して。
「あとはこいつらが成人してうちの店で酒飲ませれば、二人の夢は叶うんだぜ、真矢」
信二と真矢が店を開いたとき、互いに夢を語り合った。
信二は語った。
子供とその友達が、自分たちの喫茶店で、学校帰りに楽しく話し合うような場所にしたいと。
真矢は語った。
子供とその友達が成人したら、自分たちのバーで、昔話をしてくれるような場所にしたいと。
しかし、その夢は半ばで止まることとなった。
蓮が中学二年の夏。あっさりとした死に方だった。道路に飛び出した子供を助けようとして、彼女は轢かれて命を落としたのだ。
綺麗な死に顔だったのを、蓮も信二も覚えていた。体中は痣だらけだったのに、顔だけは本当に、綺麗だったのだ。
「真矢、お前の相棒も連れて来たぜ」
ことりと、信二はSHTITを置いた。すると静かに、そのSHTITの近くに信二の相棒が現れた。
「アンゴラ、久しぶりだろ?」
アンゴラ。信二が学生の頃に適当に付けた名前だ。しかし、それを彼は気に入っていた。
「ホトに会うのも」
ホトは真矢の相棒の名だ。ウサギの名を持った二人の相棒は奇跡的に出会い、こうして夫婦になったのだが。
「悲しいもんだよなぁ、蓮」
「何がだよ泣き親父」
「マスターが死ぬと、相棒も死ぬんだぜ?」
正確には彼らは死なない。データとして確かにSHTITの中にあるはずなのだ。しかし、マスターが死ぬと相棒は二度と姿を現さない。それが感情のある相棒の、明確な〝バグ〟の一つだった。
本来国から提供されたSHTITは、マスターの死後国に返却をすることとなっている。それは感情データの取得であったり学習データの収集を行うことを目的としている。しかし、だ。マスターの死後、国に返却された相棒は情報提供を一切拒否する。それはどのようなプログラムを使用しても、物理的にデータ取得をしようとしても、彼らは応じなかったのだ。
そして日本の研究者は言った。
――マスターの死後、彼らも死ぬのだ。その思い出を大切に抱きながら。
そのバグが明らかになってから、SHTITの国への返却は義務化されなくなった。
「そろそろ行くか……」
SHTITに手を伸ばした信二は、その手を止める。
背中だけ見ていた蓮は、何事かとその手の先を覗き込む。
「親父と一緒でよく泣くな、相棒も」
SHTITに身を寄せて、アンゴラは泣いていた。
その哀哭は聞こえない。だがそれがより二人の心を締め付けた。
彼にとっても大切な〝人〟だったのだろう、信二や蓮と同じで。互いに〝愛〟を育んだのだろう、信二や真矢と同じく。
「アンゴラ。行くぞ」
信二はSHTITを取り、墓石に手を置いた。
「また来る。命日以外にも来たいんだがな。すまん、店が繁盛しててよ」
「どこがだよ」
「うるせぇ馬鹿息子」
ぐっしゃぐっしゃと頭を撫でる信二。
「さっさと成人して、太陽の坊や達と酒飲みに来いよ」
「けっ。あと三年も経ちゃあ嫌でも飲んでやるよ」
「酒は楽しく飲むんだよ、馬鹿息子」
「うるせぇクソ親父」
今の蓮は気付かないが。
そんな父子のやり取りとアンゴラの涙を見て、ノクトは静かに涙を流していた。
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