電子遭難/4
正詠が何かのボタンを押したと思った途端、世界が水飴のようにぬめりと動いた気がした。光が多少の余韻を残して止まった。
「着いた……のか?」
急激な情報遷移で目と頭がちかちかする。二度、三度と頭を振ると、目の前の水を油に落としたような極彩色のような光景にまた頭が痛んだ。
そんな世界で、気味の悪い化け物が一体佇んでいた。
「アンエクスペクティッド・イベント……応答を待ちます」
黒い化け物が、青い髪の相棒を片腕で捕らえていた。
黒い化け物は不自然なほどに筋骨隆々の人の体をしていた。鼻はないが大きな口があり、そこからは狂暴な乱杭歯が見えた。目はぎょろりと大きく猫のように瞳孔が細い。
「なんだ、お前……」
あまりの気味悪さに声が漏れる。
「オーライ。伝達。エラーナンバー発見。エラーパターン、ナンバー0。異性パターンアンマッチ」
のそりと、その化け物は動き出す。
――バディタクティクスモードニ移行シマス。
急なアナウンス。
バディタクティクス……?
「太陽! 一旦逃げるぞ! こんな化け物とバディタクティクスで戦えない!」
何を言って……?
「逃げるぞ!」
「エラーパターン、ロックオン。相棒ネーム〝テラス〟。サンプルとして、捕獲開始します」
化け物の体から触手が一本伸びて、腕にいた青い髪の相棒を掴んでにょにょろと上へと延びていった。
「レベル解析完了。テラスのレベルは10。ノープロブレム。捕獲、開始します」
「テラス、逃げるぞ!」
とにかくやばい。やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい!
「エラーパターン、逃亡姿勢。エリア隔絶します」
冷たい音と共に、僕らの逃げ道を塞がれる。
「任務遂行。捕獲後、他相棒は排除します」
黒い化け物の二つの腕がより盛り上がる。
「おいおいマジっすか」
今までにないぐらい、心臓がドキドキと脈打っている。
「おい優等生、何とかしろよ」
日代が文句を正詠に言う。
「こういうのはテメーが向いているだろう、素行不良」
正詠は日代に文句を言う。
「そんなこと言ってる場合じゃないじゃん! これってピンチでしょ!」
四者四様の慌て方をしている僕らを前にしても、あの化け物に何も迷いは見られなかった。
黒い化け物が突進してくる。
狙いは何故かはわからないが、テラスだった。
「テラス、逃げろ!」
突進をテラスは回避したものの、化け物はすぐにまたこちらを睨み付けた。
「まさか授業でやる前にバディタクティクスを経験することになるとはな……!」
正詠が何かを調べているが、それをあの化け物が待ってくれるわけがない。というか、完全に他は無視して僕のことを狙ってやがる。
「正詠! バディタクティクスって、なんかこう……こっちも攻撃とかできるんじゃねぇの!」
「待ってろ! 今準備している!」
黒い化け物はこっちの会話に割り込むように何度も突進を繰り返す。それをテラスは躱し続ける。
「にしても単調な動きなのは助かるな。プログラムか?」
正詠は調べ物を続けながら、冷静(なのかどうかはわからないが)に分析を述べた。
「回避パターン、オーケー。次で捕獲します」
瞬間、黒い化け物と目が合った。と思うと、黒い化け物は目にも見えない速さで突進してきて、右腕でがっしりとテラスを握りしめていた。
「テラス!」
「捕獲完了。その他を排除します」
その言葉と共に、左腕が伸びて一気に三人をなぎ倒していった。
「やめろ! テメー何してやがんだ! テラスを離して平和島の相棒も離せ!」
僕の声を聞いてか、四方八方に首を動かしながら、黒い化け物はこちらを見た。そして、大きく口を広げる。
「正詠! テラスが捕まった!」
「言われなくてもわかっ……あった! 太陽、遥香、日代! 今からデータ送るからロングタップしろ! 説明はあとでする!」
目の前のディスプレイに正詠から送信されたものが表示された。『刀』と表示されている。焦る気持ちを必死に抑えて正詠の言う通りにそれを長押しすると、テラスが右手に刀を持った。
「テラス、どこでもいいから斬り付けろ!」
テラスは苦痛に顔を歪ませながら黒い化け物を斬り付けるが、ダメージらしきものは与えられていない。
「ロビン、連射しろ!」
ロビンは矢を何本も射るが、化け物の体に弾かれる。
「リリィ、ぶん殴って!」
勢いをつけてリリィが化け物を殴るが、やはりびくともしない。
「ノクト!」。
自身と同じぐらい背丈のある大剣を振り下ろすが、それでも……それでも化け物には効いているようには見えない。
「オーライ。他相棒の排除を中止。帰還します」
化け物の背後の空間が、文字通り割れた。
割れた先には絵の具をぐちゃぐちゃにかしたような混沌が見える。
何となく、わかる。
あそこに入られたら、二度と見つからない。
「テラス! 逃げろ!」
テラスは僕の声に手を伸ばした。顔は悲痛に歪んでいた。
「テラァァァァァァァァァス!」
こちらも手を伸ばすが届かない。届くはずがない。
徐々に、化け物と共にテラスと平和島の相棒が混沌に飲まれていく。
ずきりと、激しく頭が痛む。
あぁ、またかよ、畜生。
また、僕は……。
タケラレナイノカ。
――errorエラーえらーERRORerrorエラーえらーERRORerrorエラーえらーERRORerrorエラーえらーERRORerror大丈夫だよエラーえらーERRORerrorエラーえらーERRORerror私がエラーえらーERRORerrorエラーえらーERRORerrorエラーえらーERRORerror今度はエラーあなたのえらーERRORerrorエラーえらー笑顔をERRORerrorエラーえらーERRORerrorエラーえらーERRORerrorエラーえらーERRORerrorエラーえらー守るからERRORerrorエラーえらーERROR!
けたたましい警告音をテラスが発した。
――スキルオーバーロードします。マスター天広 太陽。許可を。
何が起きているのか全く理解できなかった。辛うじてわかるのは、あのテラスが喋っているということだけだ。
――マスター天広 太陽。応答なし。緊急のため、こちらの判断でスキルを発動します。スキル『他力本願』発動します。スキルレベルEXと確認。更にオーバーロード。処理完了。ネットワークから〝全て〟の相棒スキルを一時的に使用します。
化け物は進める足を止め、右腕に掴むテラスを見ていた。
――スキル『他力本願』発動します。天性の肉体S、万里の長城A、鉄壁の精神S、鋼鉄の願いC、逃亡S、救出A、剣技の極みS。
白銀の一閃が幾つも走り、化け物の腕と触手を木っ端みじんに吹き飛ばした。
――相棒『セレナ』救出完了。スキル発動。緊急脱出Aを使用し、セレナをマスター『平和島 透子』の元に帰還させます。
平和島の相棒は瞬時に転送されて消える。
――スキル『他力本願』発動します。戦況分析A。完了。マスター天広 太陽。現在の我々の実力では、敵性プログラム、仮称『アンノウン』の処理は非常に困難と断定。勝利確率、0.000000001%未満。脱出を推奨。試行、エリア隔絶を確認。再計算開始。処理完了。スキル『他力本願』を使用することで脱出が可能。成功確率、100%。追跡可能性、計算開始。ステップ数を56232踏むことで、追跡可能性を0.01%未満に設定可能。マスター天広 太陽、許可を。
テラスがガラスのような瞳をこちらに向けて、小首を傾げた。
テラスが言っていること全てが、しっかりと僕には聞こえている。彼女が言っていることが正しいだろうとも思う。しかし、それに許可を出すことには躊躇した。自分が今見ているテラスは、本当にあの天真爛漫なテラスなのだろうか。もしかしたら、違う何かではないかという不安が、頭によぎる。
「太陽! 俺にも状況はさっぱりだが、今はそいつに賭けろ! バグでも今は逃げることが最優先だ!」
正詠の叫び声に、瞬間テラスから目を離し、また戻す。
――大丈夫だよ。今度は私が、あなたを守るから。
今までの機械的な声とは違う、あまりにも人間らしい声に自分の不信が僅かに解れた。
「頼む」
――許可確認。アンノウンへ通達。次はありません。マスター天広 太陽に手を出すな。
殺気を孕んだ言葉が、化け物に向けられた。
「オーライ。データ転送済みです。天広 太陽の相棒『テラス』をゴッドクラスと仮定。オーライ、伝言開始します」
そんなテラスの言葉に反して、化け物は嬉しそうに大きな口を三日月形に開いた。
「ようやく見つけたぞ」
その一言を告げると、化け物は両手を広げ笑い出した。
「ギャハハハハハッハハハハハハッハハ!」
――脱出します。
体が光に包まれた。
――私は彼を、必ず守り抜きます。
小さいが、はっきりとした声だった。
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