第七章 ヴァイオレットと紫のクオリア PART2

  2.


 ピアノ協奏曲『第一番』

 

 第一楽章


 バイオリンが醸し出す荘厳なメロディの中、風花のフルートが鳴り出した。火蓮の指揮に違和感はない。きっと前からどちらでもできるように練習していたのだろう。


 彼の合図を受け、そのまま低音の和音を叩き込み縦横無尽に高音の鍵盤を打ち鳴らす。緩急をつけてホ短調の静かなメロディに入りながら、夢中で駆け抜ける。


 ……この感覚はいつもとは違う。


 耳を閉じている時とは全く違う感覚だった。スキューバダイビングのような緊張を強いられるものではなく、いかりに体を預けて引きずり込まれるような穏やかなものだった。


 ピアノのパートに合わせてオーケストラが低音を奏でている。70秒ほどのオーケストラとの共演が終わった後、再びピアノの独奏に入った。


 ……オレが好きなのはやっぱりこの音だ。ピアノの音なんだ。


 体を上下に揺らしながら独奏を楽しむ。この和やかな雰囲気が次にホ長調から始まる華やかな高音のメロディを生かしてくれる。鍵盤の上を二人の男女が踊るように指を飛ばす。『告白のワルツ』のようにだ。


 高速のワルツが最高潮に達した瞬間にオーケストラにバトンタッチを行う。火蓮の鋭い誘導により音は切れ目なく繋がっていく。美月がヴァイオリン奏者を率いて進軍するかのように弦を弾き鳴らし、再びホールに厳かな雰囲気を作り出す。


 ヴァイオリンの高音から低音への急降下が心を掴んで離さない。汗を拭きながら次の演奏に入るタイミングを伺う。


 オーケストラの低音がポーランドの田園風景を生み出していくようだ。両手で高速のパッセージを打ちながら、頭の中にはポーランドの景色が蘇っていく。


 ……久しぶりのこの感覚は、暖かい。


 一人で音に向き合うのではなく、火蓮が、美月が、そして風花が自分の演奏をサポートしてくれている。安心感が音を滑らかにし、ピアノの強弱がつけやすい。


 ……母さん。やっと家族で望んだ舞台にようやく立てたよ。


 母親への思いが激しい鼓動の高鳴りと共にピアノの音もシンクロする。ホルンを含んだ激しい音の洪水の中、ひたすら鍵盤を熱く叩いて曲のクライマックスを迎える。


 ……聴いて欲しかった。オレ達の協奏曲を、父さんと。


 トランペットの追撃が加わった後、ここに存在する全ての楽器群が音を鳴らすトゥッティで、第一楽章の幕を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る